最終話「共に歩く道」
夏休みも残すところあと三日となった。
もうじき終わる夏を想い、学生たちは思い思いの日々を過ごしているだろう。
もちろん、宿題に追われているものも多かろう。他ならぬ悠一もその一人である。今は遥にヒーヒー言わされながら机に向かっているはずだ。
ところで、俺と清水さんはというと……。
「おいし~、このアイスおいしいよっ」
「だろ? この絶妙な甘さと抹茶の風味のコラボがまたなんとも言い難い味をだな――」
喫茶店にいた。
俺たちは悠一たちが宿題を終わらせるまで、暇つぶしの散歩に出かけた。しかしあまりにも日差しが強く、身の危険を感じたので喫茶店に避難したのだ。
そして、甘いものを頬張りながら休憩しているというわけだ。
「……わたし、喫茶店とかにあんまり入ろうとしなかったからなぁ……。美味しい甘味があるところとか知らないんだよね」
清水さんはそう言って、困ったように笑った。
「まあ、俺もほとんどは遥に引っ張り込まれて知ったくちだけどな……。甘いもの食いたいって遥に言えば、お前も引っ張り回されると思うぞ」
あいつは文字通り人を引っ張っていく。それはもう腕が千切れちゃうんじゃないかと思うくらい。もし千切れたら弁償してくれるのだろうか。
「ふふ、それもいいかもね」
彼女は笑顔だ。ここ最近、彼女はよく笑うようになった。いい傾向だと思う。
俺はアイスの残りを頬張ると、彼女に問う。
「……そういえば、実家に帰った時親御さんたちは何か言ってたか?」
「う~ん……別に変わりはなかったかなぁ…………あ、でもすごく喜んでくれてたよ。高校入ってからはお父さんたちが時々会いに来てくれるか、電話で話すことしかできなかったから」
彼女は嬉しそうにそう話す。どうやら親御さんとの感情の齟齬はなかったようだ。
俺は安堵し、お冷に口を付ける。
「……でもね、わたしの……ちょっと困ったことの話を男の子に聞いてもらったってことと、泣き止むまで抱きしめてもらってたこと話したらね、……お父さんすごく怖い顔してたの」
ブフーッ、と俺は飲んでいた水を吹き出した。咄嗟に清水さんから顔を逸らしたことを褒めてもらいたい。
「そいつの住所を教えろとか、人相はどんなだとか。……まあ教えなかったんだけどね」
(……おい、おっさ――いえ、お父様。わたくしはなにも粗相はいたしておりません。あなたのお嬢様には指一本触れて……いや、触れたな。抱きしめたな。………とにかく鎮まれぇぇ、鎮まりたまえぇぇぇ)
俺は内心、清水さんのお父様(紫とベージュを基調としたスーツにグラサンのイメージ)に土下座で全面降伏を示しながら謝罪を念じ続ける。
しかし、清水さんは爆弾を投下し続ける。
「逆にお母さんは喜んでたなぁ……。『うちに連れていらっしゃいっ。早くお母さんたちに紹介して!』とか言ってたし。やけにニコニコしてたし」
(お、お母様ぁ~!? 絶対それも原因の一つだよね! お父さんが機嫌悪かったのってそれも原因だよねっ!)
なかなか濃い家族だな、と俺は戦慄していた。もっとこう、ねっ。こじんまりとした家庭を想像してたんだけど。
「……もし親御さんがこっち来るって時は教えてくれ……全力で逃亡する。あと、俺の住所は教えないように」
「うん? よくわからないけど……そうするね」
清水さんはなぜ俺がそう言ったのか、わかっていないようだ。
(お父さんに会ったら絶対沈められちゃうから! 俺の家にかちこみに来ちゃうからっ!)
◆
喫茶店での一幕は、俺の精神に限界をきたすという結果でひとまずの決着をみた。俺の心はボロボロである。
そして現在俺たちは、悠一の家に向けて歩いている。先ほど遥からメールが届いたのだ。
差出人:朝倉遥
本文 :今日の分の宿題はやらせたから、帰っておいで。
悠一は……
(……え、なに、悠一がどうしたんだよ。最後まで書けよ。意味深すぎるだろッ)
俺は遥の所業に慄きながら『了解』と返信して店を出た。それがつい今しがたの事。
「あづい~。溶けそう……」
「……ときどき休憩して帰ろうな。このままじゃ、ほんとに倒れるかもしれないし」
俺たちはそうぼやきながら歩く。
昼下がりの太陽がギラギラとアスファルトを照りつけ、反射した日光と熱が俺たちの身体を焼いていた。
チラリと、隣を歩く彼女の様子を伺う。
彼女は服の胸元を掴んでパタパタと扇いでいた。実に健全でよろし――いえ、非常に不健全な行いだと思います、よろしくありません。チラチラ肌が目に入るし……。
「……おい、やめろって。……見えるぞ」
「え? ……あ、ごめんっ」
彼女はそう言って、バッと服から手を離す。
しかし、彼女は、ん? と考え込んだ後、とんでもないことを言い出した。
「……意識……する?」
「………………何を仰っているのですか?」
暑さでやられちゃったかー、と俺は天を仰ぐ。だが、彼女は至って真面目な声音で続ける。
「……わたしって、ちゃんと女の子って思われてるよね?」
その声には、少しだけ不安が混じっていたように感じた。
彼女の顔を見る。
誤魔化してしまってもいいと思うのだが、それは駄目だと、俺自身が言っていた。
「……バカだな、ほんと」
そう言って彼女の頭に手を載せる。髪形を乱さないように、……大切なものを扱うように、そっと。
「……そんなのあたりまえだろ。それくらいは……言わなくてもわかってくれよ」
余計なひと言がついてしまった。相変わらず素直じゃないと、自分でも思う。
「そっかっ。……へへ~♪」
その言葉を聞いた彼女は上機嫌だ。その胸元には、ペンダントが輝いていた。
――今は、このままでいい。そう思った。
いつか、この関係が変わってしまうのかもしれない。
この娘を好きになって。もしかしたら他の誰かを好きになって。
なにもかもが変わってしまうのかもしれない。
それでも、俺は忘れないと思う。
誰かに手を差し伸べて、誰かとともに歩いたことを。
誰かのために、なにかを成したいと願ったことを。
「あ、見て。鳥飛んでるよ」
俺は空を見上げた。
「……何の鳥だろうな」
種類なんてわからなかった。
でも、その鳥が舞っている姿は、とても楽しそうに見えた。
夏空が終わる。一つの季節が終わる。
これからきっと、新たな物語が始まる。
このお話で完結です。ありがとうございました。