2-1
わたしの名前はマリア。旅の僧侶をしています。
いつからそうしていたのかもう覚えていませんが、とある酒場で一緒に冒険してくれる仲間を探しています。
他所から来た冒険者が留まっていられるところといえば、宿と店と酒場ぐらいです。ですので、昼日中だというのに酒場はほぼ満席ぐらいの賑わいで、様々な職種の方々が食事とお話で大盛り上がりでした。
わたしはその中で一人、カウンター席奥の少し薄暗いところで一杯のホットミルクをちびちびと時間をかけて飲んでいました。
(このミルクを飲み終えたら、今この酒場にいる一番。いえ、二……五番目ぐらいに強そうな人に声をかけてみよう。よし、そうしよう)
わたしは握りこぶしを作り、口元を引き締めて大きく一人頷き、いよいよもってそう決心しました。しかし見ると、ミルクの残りはあと一口だけでした。
…………
決心する前に飲んだ分を含めるのは、フェアではないと考えます。それは志に対する冒涜です。
わたしは残りのミルクを飲み干しました。次の一杯を飲み終えたらにしましょう。わたしはおかわりをもらおうとマスターに声をかけました。
「ほいよ。ミルクちゃん」
マスターがわたしを軽く侮辱しつつ、スッとおかわりを差し出します。
わたしはそれに手をつける前に、目を閉じて酒場の音を聞きました。
こんなうるさい所で話す相手もいない独り者が、お酒も飲まず(飲めないんですが)楽しめることなんてあるのでしょうか。
わたしにはありました。この、意識しなければワイワイとかザワザワとかいうよく分からない音の塊でしかない雑音。しかし、集中して部分部分に焦点を当てるように聞けば、ちゃんと聞き分けられるんです。
頭髪の薄いマスターがお酒と氷の入った缶を振ってシャカシャカと鳴らす音。盾や鞘入りの剣が地面に置かれて鳴る鈍い金属音、大柄な人が腰掛ける際の低くて重い音。女性のすするような嘘の泣き声と、オロオロした様子をそのまま声で表現したかのような男性の謝罪の言葉。ガラス製のコップが打ち鳴らされる音、拍手の音、一斉に湧く男女混合の笑い声。
わたしはそれら音の観察で楽しむ事ができます。盗み聞きではないですよ。人と触れ合う公共の酒場で出した音は、もうみんなのものなのです。
ずっと聞こえる店員さんの歩きまわる足音はとても忙しそう。別の急いだ足音は、おトイレに駆け込んでいるのでしょうか。わたしのいる方に歩いてくる音もありますね。――わっ! 小気味良い平手打ちの音です。嘘泣きしてた人です。女の人って怖い。それまでも弱々しかった男性の声は、叩かれて今や涙声です。表向き泣いてるのは女性なのに、本当に泣いているのは男性の側です。わたしの方に向かっていた足音、すぐ後ろぐらいで止まりましたね。ちょっとだけ気になりますが、それ以上に今は喧嘩する男女が気になります。会話の方はあまり意識して聞いていませんでしたが、もうちょっと注意を向けてみましょうか。喋る内容まで聞き取ろうと思うと、ちょっと距離があるみたいです。なんでしたら席を移動して――
ぎゅっ。
…………。
…………。
ぎゅっ……………………ぎゅううううううううううぅっ――
「――んっ、きゃあああああああああぁっ!」
わたしは誰かに背後から抱きしめられていました。
なに! なに? なに?! なに!?
なんですか! なんですか!! なんですか!!! なんですか!!!!
体の前に回された腕は男の人のもの。わたしは今、男の人に強く抱きしめられています。だ、だだだ誰か、誰か誰か男の人呼んでー!
ジタバタしながら拘束から逃れ、数歩距離を取って勢い振り返ると、そこにはお腹を抱えて笑う少年の姿がありました。知らない人です。初めて見るかっこいい服装に身を包んでおり、張り付いたような薄い笑顔をしていますが、吸い込まれるような黒い瞳でとても凛々しい、十五、六歳ぐらいの少年でした。
「…………ぁ……ぅ」
わたしは口をパクパクさせて、声が出ないまま言葉にならない音を発します。
彼は笑うのをやめると、テクテク歩いてわたしとの距離を何事もなかったように詰めてきました。体が硬直して動けないわたしの目の前まで来て――
ビシィッ!
「……んぃっ!」
チョップされました。そして、怯えて頭を押さえるわたしにグーッと親指を立てて見せ、脇を通って行ってしまいました。
あああああ。なんという、なんという狼藉の数々なのでしょう。
昼日中、公共の場でこんな犯罪行為がまかり通るだなんて。知らない間にここは魔界のスラムと化してしまったのです。
こんな世界ではわたしに冒険なんて無理です。おとなしく教会で生き返りを見返りに寄付を要求するしごとに精出すことにしましょう。そうしましょう。
【マリアが なかまにくわわった】
わたしは突然、彼の仲間に加えられたことを知りました。ハッとして横を見ると、すぐ隣に彼はいました。わたしの体が得も知れぬ恐怖で硬直し、やがて小刻みに震え出します。
(わ、わ、わ、や、や、や)
ぎゅううぅ。
今度は真っ正面から抱きすくめられました。
(!?! □☆○、%$、&#=△!!)
口はガクガク。脳内は混乱の極み。足はなぜかつま先立ちで、両腕はピンと伸びて手のひらは外にはねている、わたし。
(ああ……ダメ……気が……遠く……なってきた)
わたしは意識が遠くなるのを感じました。理解を超えた体験に、わたしの理性はもう限界を迎えようとしています。ああ神様。今おそばへ行きま――
ビシィッ!
容赦のないチョップ。深く沈みかけていた意識が、乱暴に水面上へと引き上げられました。
しかし、意識を取り戻したわたしの視界に既に彼の姿はなく、
【しゅうごう】
集まるよう、酒場の入口の方から命令が伝わって来ました。
わたしはまだ頭が混乱し、目には若干の涙がありましたが、彼の仲間となったわたしは覚束ない足取りで、彼の元へと向かわざるをえなかったのです。
●
彼はなんと勇者様でした。
伝説の勇者。個でありながら魔王に対抗し得る唯一の存在といわれている、あの勇者様だそうです。
わたしは何の因果か、勇者様のパーティの一員になりました。
勇者様の名前は「あつのり」様というそうです。
変わったお名前です。わたしがそれを知って最初に思ったことは、名は体を表す、でした。おハレンチな行動の数々も、変わったお名前の人が取る行動と考えるならば、少しは納得もいくというものです。
今日は勇者様とわたしとで、街の周辺にてレベル上げをしています。
朝から晩までひたすらウロウロして、モンスターを見つけては退治していました。
勇者様は、なんと王様から支度金を貰っていたので、それで薬草やわたしの装備を買い揃えられていました。それはわたしが仲間に加わった時には購入されていて、仲間となってすぐに布の服から皮の服へと装備がグレードアップしました。
おかげさまで、わたしのレベルは1でしかないのですが、この街周辺のモンスターからの攻撃では大したダメージは受けなくなりました。
ありがたいことです。
身の丈一メートルにも満たないコボルトに殴られて、わたしは少しだけダメージを受けました。
「あうっ」
暴力反対。モンスター達とは言葉が通じない(そもそも喋れるの?)こともあって、わたし達人間との間には戦いの道しか残されていません。仕方がないので、僧侶であるわたしも泣く泣く杖をコボルトのその小汚い腹に突き立ててやるため、構えました。
バキ、メキ、ドカッ。
そこに離れていた勇者様がいつの間にか駆けつけてきて、コボルトをめった打ちにし始めました。
「はっ……ゆ、勇者様。オーバーキルです。オーバーキルです」
動かないコボルトを薄い笑顔をたたえたまま叩き続けている勇者様に、制止の声をかけます。が、夢中になっている勇者様には言葉が通じません。仕方がないので、その凄惨な光景に泣きながら杖で勇者様を叩き、気付いてもらいます。
勇者様は我に返ったのか、こちらを向いてギュウッとわたしを抱きしめ、わずかな薬草を惜しげもなく突きつけてきます。
「ま、まだ法力がありますので、それは取っておきません……か?」
グイ。
なおも突き付けられる薬草。わたしはそれを受け取り、上目で勇者様を伺いながらガジガジと食べました。その間、黒い瞳でずっとこちらを穴が空くほど見る勇者様。多少行き過ぎに思えますが、わたしのことを心配し、守ってくれているのです、勇者様は。
ありがたいことです。
大勢のモンスターパーティに遭遇しました。わたし達二人だけでは倒すのにだいぶ苦労しそうです。しかし、倒した時にはたくさんの経験値が手に入ることでしょう。わたしも勇者様も、気合を入れ直します。
今日の仕事はこれで終いだとでも言うように、全力をもってモンスターに突進していく勇者様。受けるダメージを気にすることなく、攻撃一辺倒で次々にモンスター達を屠っていきます。わたしも法力の残りを気にせず、勇者様のサポートに努めました。勇者様の傷が増えては減り、付いては無くなっていきます。
やがて、勇者様が棍棒で最後の一匹となったスライム系モンスターを強く殴打、その丸い形が真ん中からベコッとへこみ、避けた肉(?)が左右に分かれてふたこぶとなります。大ダメージです。目を回したモンスターは、もうわたしでも楽に倒せそうでした。勝負がつきました。
勇者様がクルリとこちらを振り向き、グッと親指を立ててきます。わたしもつられて親指を立て返しそうになりました。しかし、すぐその後の出来事にわたしの時間は止まります。
勇者様はいそいそと防具をはずしました。裸です。
両手を広げ、すべてを受け入れる体勢でコボルトに近づきました。
よろよろのコボルトは、それでも無防備な勇者様に果敢に殴りかかります。
涼しい笑みで攻撃の一切を受け止める勇者様。
あっけにとられるわたしの前で、勇者様は倒れました。
(…………)
笑みを浮かべたまま戦死した勇者様の遺体(裸)がありました。
(ひいいいいいいぃ!)
わたしはその後、慌てて弱っていたコボルトを杖で小突き回して止めを刺しました。勝負がつきました。辺りにはたくさんのモンスターと勇者様が倒れており、死屍累々です。さながら、その中央に立つわたしは僧侶マリアではなく、覇王マリアと言ったところでしょうか。
辺りのモンスターからむわっと立ち上った経験値が、倒れた勇者様を素通りして全てわたしに集まりました。一人でたくさんの経験値を入手したわたしは、当然のごとくレベルアップ。一気に2レベル上がりました。勇者様の最後の特攻(?)は、このためだったようです。身を犠牲にしてわたしに貢献してくださる勇者様。
ありがたいことです。
「おい、まただよ。誰かマスター呼んでこいよ」
「まったく、酒場は仲間を集うところであって。捨てるところじゃないっていうのにねえ」
酒場の前に置かれた棺桶を囲んで、入ろうとしていた客や、通りすがりのご婦人方が口々にソレを置き去りにした心ない冒険者を罵ります。
(ごめんなさい。ごめんなさい)
わたしは勇者様の入った棺桶を酒場の前に置いてきてしまいました。生き返らせるためのお金は、倍額包んで棺桶に入れてあります。丁寧にしたためた脱退届けも同封してきました。いただいた皮の服も入れてきました。経験値は返すことができないので、頂戴したままです。
できる限り義を尽くしたつもりですが、それでも仲間の棺桶を酒場前に放置するという悪行に心が痛みました。わたしは悪い僧侶です。悪魔神官です。
でも勇者様。わたしは、わたしは……あなたに拐かされたんですよね?
なぜわたしが目をつけられたのか。勇者様がどうしてそうした行いをされたのか分かりませんが、正直わたしは怖いのです。愛が重いのです。か弱い乙女はビビっちゃったのです。逃げ出してしまうものなのです。
普通の出会いであったならば、伝説の勇者様とのパーティ。身に余る光栄に違う意味でビビってしまったことでしょう。そうでなかったことが、残念でなりません。
勇者様。どうか次はまともなパーティを組んで、この世界に平和をもたらしてください。




