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新しい大陸にたどり着いて迎えた新天地。あー様は綺麗な大自然の景色にとてもご満悦です。
意味もなく崖寄りを歩いて下を覗きこんでみたり、浅い川を道にしてバシャバシャと水しぶきをあげながら歩いたり、大量の枝葉が網の目のように張り巡らされた木々の上を、忍者のように渡り歩いたりしています。
あー様の後を影のようにきっちり付いてこさせられているわたし達は、とても大変です。
ちなみに、わたしの勇者様の呼び方は「あー様」となりました。「勇者様」と呼ぶとチョップされます。でもこの呼び方は、伝説の勇者様をとても近い存在に感じられて、わたしも気に入っています。
それにしても、あー様は本当に冒険を楽しんでおられるようで、すごいです。
この旅は曲がりなりにも、人間に仇なす魔王を倒す旅なのです。ですが、あー様は使命感も緊張感も何処吹く風といったふうで、未開の地に足を踏み入れるさいにも、恐れどころか喜びをもって突き進んでおられます。
(たぶん)屈強なアレクスさんも、(きっと)老獪なマーリンさんも、あー様の命令は忠実に聞きますし、尊敬もしているようですが、その奔放さについては真似できないでいます。
やはり、伝説の勇者様だからなのでしょうか。到底他の者には無理な振る舞いをなされます。
わたしも、酷い扱いを受けて少しだけ信頼が揺らいだ時期もありましたが、さすが世界を救うと伝説にある勇者様。頼りにしております、あー様。
港町を出てから昼夜を数えること三回。
堅牢な塀に守られた城下町に、高い塔のそびえ立つ城を中央に構えた王国へと辿り着きました。
まだ、あー様と10以上レベルに差があるわたしは、連日ヘトヘトになりながらついてきていましたから、ことのほか嬉しいです。数日腰を落ち着けて、どうかわたしのレベル上げをして欲しいです。
勇者様一行だというのに、兵士に睨まれながら応対されて中に入ると、街は堅苦しいというか物々しい雰囲気。道行く人の半分が兵士や傭兵の方みたいで、街の人も俯きがちだったり足早だったりします。
「前線基地のような雰囲気ですね」
「戦争の始まりが近いんじゃろうな」
アレクスさんとマーリンさんが言います。これは長く街に留まれない感じなのでしょうか。
そんな中でも辺りをキョロキョロして、街の不穏な様子など無頓着に歩くあー様。それは呑気な田舎者みたいな行動でしたが、わたし達の格好だと不審者に見えるかもしれません。
あー様は旅の疲れなど関係なしに、街の隅々まで練り歩き、片っ端から人に話しかけるので、宿に入った時にはすっかり暗くなっていました。連れ回されたわたしはそのまま倒れるようにベッドに潜り込みます。板のように薄い敷き布団であっても、野宿では得られない弾力には能わず、すぐに意識が途切れました。
「まだ寝ておるのか」
「マリア殿の肝は勇者殿なみに据わっていますね」
わたしが目を覚ました時、最初に聞いたのはそんなアレクスさん達の会話でした。それが少し遠めだったのは覚醒中に聞いたからでしょうか。
(かたい)
弾力の無くなった寝床から身を起こすと、高い小窓からは強い日差しが。どうも寝過ぎたみたいです。体感的にもとっくに昼を回っているのが分かりました。
ベッドから降りようとして、床に直で寝ていることに気づきます。ああ、確か東方の国は床に寝るんでしたね。まあここは西の国ですけれど。寝るときはベッドでしたけれど。
さて、しばしばしていた目も段々と物を捉えられるようになってきました。アレクスさん達の声のした方に、あー様も立っているのが見えます。その他に兵士のような方もいます。目が開ききっていないのか何なのか、縦線がいっぱい視界を邪魔しています。
ピチャンと天井から滴った冷たい水滴が手を叩きました。
床も壁も一面灰色の石造りで寒そうな見た目。実際冷えるため、ブルリと震えてしまいました。
小窓から差し込む光がわたしのシルエットを床に投影します。小窓にも縦線があって、その影はまるで牢屋に閉じ込められているようなもので――
「……あれ?」
牢屋に閉じ込められていました。
「――では、お前達が真犯人を捕らえ、身の潔白を証明するまでこの娘を預かるものとする」
ガチャン。
兵士の方がそう言って、わたしのいる牢屋の鍵を閉めました。カツカツカツと冷たい足音を残して去っていきます。
「あー様! あー様!」
鉄格子を両手で掴み、哀れにもあー様に説明を求めるわたし。わたしを見るあー様の目線は高く、いつもの張り付いたような薄い笑顔も、どこか加虐的にうつります。
「大事な国宝が盗まれたようです」
「ワシらは容疑者ということになっての」
城から国宝が盗まれたため、怪しい余所者だったわたし達は通報されて引っ立てられたそうです。有無を言わさず全員牢屋に入れられるところで、あー様が勇者であることを説明し、真犯人を捕まえるかわりに自由にしろと交渉。一人人質を立てることで王の了解を得ることに成功した、とのことでした。
そして、あー様は迷うことなく人質にわたしを指名。わかっています。戦力的にみてそうですよね。あー様は正しい。
あー様はわたしに向かって親指をグッと立ててきました。はい、信用しております。棺桶のまま酒場に放置しなかったあー様ですから。
でも、これでレベルの差がまた開いてしまいますね。
少しだけショボンとして俯いたわたしに、あー様は鉄格子越しにチョップをしてきました。
「あー様……」
すいません、あー様。悲しい顔をしてみなさんを送り出すところでした。わたしは精一杯の笑顔を作って、顔を上げました。
あー様は腹を抱えて笑っていました。
「あー様?」
そして親指をまた立てた後、チョップをして、アレクスさん達を連れて去っていきました。
ポカンとするわたし。
最近気づいたんですが、あー様って四つくらいのポーズを好んで取られるようです。感情表現は概ねそれだけで行なっている様子。つくづく変わったお方です。
●
食事は朝晩二回。
牢から出してもらえることはなく、運動するのも牢の中。
水が欲しくても食事まで我慢。
おトイレも隅にある簡易的なもので済ませます。
牢屋生活。やはりおトイレが一番キツイです。丸見えなんです。人の通りはほとんどないですが、兵士さんの見回り時間は、おかげさまで誤差含めてしっかりと記憶させていただきました。
そして三日目。あー様達はうまくやっているのでしょうか。
もしもですが、絶対ないのは分かっていますが、あー様達が力尽きたりしたらどうなるのでしょう。あー様自身が見捨てなくても、戦争になってこの国に戻る事が出来なくなったりしたら。
なんだか急に悲しくなってきました。
「……あー様」
ちょっとセンチになるわたし。
そうしながらも気持ちと体は別でして、生理的なものには逆らえず習慣のように便座に跨がります。
「ぐすん……あー様ぁ……………………ふぅ」
お下品な話ですが、排泄にはちょっとした快楽がありますよね。
チョロチョロという慎ましやかな排泄音の中、満足で糸目になるわたしの目とその視界。
その薄い視界の中に、あるはずのない動きが見えました。
「えっ」
突然開けられる牢屋の扉。乱暴に突き飛ばされて押し込められる人の姿……あー様の姿。
兵士はわたしの痴態には気付く素振りもなく、すぐに鍵をかけ直して去って行きました。
便座に腰掛けるわたしと、床に倒れこみ兵士の去った方を睨みつけるあー様。突然の展開に時間が止まったみたいです。
しかし兵士が見えなくなった瞬間、あー様は突然すっくと立ち上がり、その場で足踏みするようにしてクルクルと回りだしました。そして狭い牢屋の中をウロウロして、壁や鉄格子に沿うように歩き、やがてわたしの目の前に来ます。
わたしは……驚いて止まっていたお小水が再開するのを感じて、でもそれを止められませんでした。
「ふああぁ、あー様ぁ。……いやぁ……見ないで……くださぃ……」
あー様はそんなわたしに向かって力強く親指を立ててきました。
向こうを向いてはくれませんでした。
あー様からカクカクシカジカと説明を受けました。
隣国と繋がりのあった黒幕の宰相を追い詰めたものの、思った以上に人心を掌握していたため、兵士達は僅かな証拠のみでは宰相を疑ってすらくれず、アレクスさん達はなんとか逃したもののあー様は捕まってしまった、とのことでした。
あー様は形式的な説明を終えると、また壁沿いをぶつかるようにしてウロウロし始めて、なにか調べている様子。マイペースっぷりは、やはりいつものあー様です。
しかし、あー様と一緒の牢屋だなんて、これからおトイレはどうしたらいいのでしょう。もっとちゃんと頼めばあっちを向いてくれるのでしょうか。
いつの間にかあー様がこっちを向いていました。そしてグッと親指を立てます。はい、分かっております。信用しております。
深夜。あー様と二の字で寝ていると、小窓から紙飛行機が入ってきました。それはわたしの頬に当たり、まだ眠りの浅かったわたしは、それを握り潰しながら目を覚ましました。
「! あー様!」
安らかな寝顔に一瞬ためらいましたが、あー様を起こします。月の光の元で紙飛行機を開いてそこにしたためられた手紙を読むと、アレクスさん達からの伝言が書かれていました。
『処刑は明日の昼。これで脱出してください』
ヤスリが重しのようにして貼り付けられていました。
わたしはあー様と交代で、見回りの時間を外して鉄格子を切る作業に入ります。わたしの力では永遠に思えるような作業でしたが、あー様はさすがで、交代した時には目に見えて深く削られています。
交代は単にあー様を休ませる時間でした。レベル差を差っ引いても、僧侶であることを考えに入れても、わたしがあまりお役に立てていない事は事実でして、なんだか申し訳ない気持ちになります。
あー様は交代の度にいつもの親指を立てるポーズを取ってくれますが、気を使わせているみたいで、返ってわたしは落ち込んでしまうのでした。
そして、翌日。
日が高く上がってからようやく鉄格子が三本ほど外れ、わたしとあー様は外に出ることが出来ました。
処刑は昼とだけの情報だったため、どれだけ余裕があるのかが分かりません。わたし達は足早に廊下を移動し始めます。わたしはここに来た時に眠っていたため、外の構造が全くわかりません。あー様の後をついていくのみです。
あー様は例によって堂々とした足取り。なんと憂いのないことでしょう。失敗なんて考えられない。いや、失敗なんて怖くない。そんな感じです。一緒にいるだけで、わたしも安心してしまいます。
――と、しかし確かこの時間は見回りまで後少しのはずです。なら逆算すると兵士はもう近くまで来ていてもおかしくありません。
わたしは声をかけようとして思い直し、あー様の服の裾を掴みました。つんのめるようにして立ち止まったあー様は、何が起こったか分からない様子で、辺りをキョロキョロとします。ちょんちょんと肩を叩き、わたしである事を知らせて、曲がり角の向こうを指差しました。
そこにはやはり兵士がいます。わたし達は兵士がこちらへ歩いてきたので、反対側に回りこむことにしました。あー様がグッと親指を立てます。
今の兵士がわたし達のいた牢屋にたどり着くまで数分程度。もう時間がありません。兵士の姿が見えなくなってから、多少の物音は無視してわたし達は走り出しました。
気をつけていたとしても階段を駆け下りるのは結構な音が出ます。辺りがにわかに騒がしくなってきているように思えます。元々がどれほどの喧騒なのか分からないので、逃げたのがバレた前提で駆け抜けます。
光が強くなってきました。これまではほとんど無かった窓が多くあります。もう出口は近そうでした。いっその事すぐそこの窓を割って飛び出したくなります。でも、あー様は廊下を道なりに走るので、それに付いて行くしかありません。
「脱走だーっ!」
とうとう見つかりました。先程まで見えていなかった兵士達があちらこちらから顔を出してきます。
あああ、あー様。わたしは疲れもあって緊張感がすごいです。しかし、あー様は全然動じていませんでした。もしかしたら死ぬまで自信満々で涼しいお顔をしているのかもしれません。
途中途中で合流してくる兵士達が今や総勢十名以上を数え、大勢で城の中を駆け抜けます。あー様と違い、わたしは体力の限界が近いのです。先行していた距離はぐんぐん詰められ、わたしは、もう――
「…………」
あー様はアレクスさん達を逃して捕まったんでしたね。ならば、わたしも今そうしたいと思います。
「はぁはぁ……あー様っ……わたしを置いて……行って、ください!」
そう言ってわたしは足を止め、最後に笑顔を見せました。
そんなわたしをガシッと捕まえるあー様。
「!」
それは前に砂浜で一瞬見た、透明人間を抱きしめる仕草。というか、抱きかかえられました。その状態で、あー様は廊下横の手すりをひらりと飛び越えました。下からくる強い空気の抵抗、上向きの風。お腹の底がキューっとして、すぐに大きな衝撃が。わたしはあー様の腕の中で軽く跳ねました。あー様はそのまますぐに前方に見える大きな扉に向かって駆け出します。
うわあ。なんだか一瞬の事でよく分からなかったけど、かっこいいです、あー様。
そう思った次の瞬間、わたしは横に思いっきり放り投げられました。なにがなにやら。
見ると、あー様は自分の二回りは大きい黒い鎧の戦士と戦っていました。戦うというか、猛攻をかわしています。
わたし達は武器などの装備品を取り上げられたまま、回収できていません。わたしは服装はそのままに杖を奪われています。あー様は鎧と剣を持っていませんでした。
振り下ろされた鉄の塊みたいな大きな剣が、すごい音を立てて床に叩きつけられます。あー様は転がるようにして向こう側へと避けました。赤い絨毯と床石がグチャグチャに砕けて絡まった中から、重さを感じさせずにヒョイと戦士は獲物を振り上げて、今度は横薙ぎにあー様を狙います。
あー様はジャンプしながら後方へと下がりました。どんどんわたしから離れていきます。
「あー様っ!」
わたしはあー様がわざと離れている事は分かっていましたが、追いかけずにはいられませんでした。体力の限界はすぐそこでしたが、這いずるようにして追いすがりました。
戦士はきっとその体格と力だけで徴用されたのでしょう。丸太のような剣をただ振り回すばかりで、まったくそれは剣技などではありませんでした。あー様も何度も襲い来るそれを、全て避け続けています。勢いが良すぎて戦士の歩く道はことごとく被害を受け、粉砕されていきます。こんなに壊して、誰が後で弁償したりするのでしょうか。
しかし、いくら全て避けているといっても、戦局は不利のままです。
時折隙を突いてあー様が拳や蹴りで反撃しているのですが、黒い鎧に阻まれ、どう見ても効いているようには見えません。加えてあー様は鎧もなく、一度でも攻撃が当たれば致命的です。
まいた兵士さん達の怒号のような声も聞こえてきました。
ようやくのことで、わたしは二人の側まで近づくことができました。とはいえ、何がわたしに出来るのでしょう。考えても答えが出るような気がしなかったので、先程と同じ事をすることにしました。すなわち囮です。
「えいっ」
こちらを無視しているのをいい事に、戦士の鎧の関節部分、服が見えていた部分に素早く手を入れてつねりました。
戦士がビクッとしてこちらを振り返ります。改めてすごく大きい人です。見上げても顔の部分は遠くてよく見えないくらいです。今思いましたが、人間じゃなくて魔物なのかもしれません。
わたしは後ずさりをして、一回ぐらいは避けられるかな、と思ってもいない事を考えました。緩慢な動作で振り上げられる剣。
痛いのは嫌です。できればこの隙にあー様が止めを刺してくれたら嬉しいな。などと、往生際の悪いわたしの視界の隅で動く影が見えました。戦士を回りこんでこちらに走りこんでくるあー様です。
しまった。嬉しいことに、あー様は先程わたしを見捨てなかったのでした。今回もそうしてくれるんですね。これは失敗しました。
振り上げる動作とは対照的に、勢いよく振り下ろされる大きな剣。わたしに飛びかかってくるあー様。
一瞬の後には、破砕された床にめり込む巨大な剣と、その脇で無傷なわたし。そして、両足を赤く染めたあー様の姿が確認できました。
「あー様っ!」
目が半分閉じているあー様は、意識が朦朧とでもしているのでしょうか。わたしの呼びかけに特に反応することはなく、だからといって痛そうに転げまわるようでもありません。
「あー様っ! あー様っ!」
あー様は死ぬ時も涼しい顔をしているのかもしれないと、確かに先程そう思いましたが、それを確かめたいとは思っていません。そんな場面に遭遇したくなんてありません。
わたしは無我夢中で回復の魔法を唱えまくりました。監禁生活で法力なんてろくに残っていませんでしたが、あー様の足が僅かに光るのが見えました。
ガラガラッと、床の石材を払いながらこちらの様子などお構いなしに剣が再び持ち上がろうとします。
――と、突然あー様が起き上がり、持ち上がりつつある剣に飛び乗って駆け上がりました。
驚くわたしが見上げる頃には、あー様は戦士の顔付近に飛びかかっていました。そして、
「――%$□っ、#=&ーーっ!?!」
一瞬、閃光が辺りを包み、続いてバチバチッという空気が弾けるような音がしました。あー様の雷撃の呪文が放たれたようです。戦士の顔面を殴りながら、それを直接叩きつけていました。
高いところから落ちるようにして地面に着地するあー様。
あー様も魔力なんてきっとろくに無かったのでしょう。機会を伺っていたといったところでしょうか。
「あー様。良かった……」
ホロリと涙を見せるわたしに、振り向いて、あー様はグッと指を立ててきました。そしてご自身の足元を向いて、また指を立てます。
兵士達の声がすぐ近くまで聞こえてきました。あー様は再びわたしを抱えると、足の怪我など無かったかのごとく、走り出しました。
外に出ると、アレクスさんとマーリンさんが馬車と共に待っていました。戦争が始まったそうです。わたし達は混乱に乗じて脱出することにしました。
わたしはあー様の足を確認しました。傷はほとんどふさがって、薄い切り傷のようになっていました。これならそれほど心配する必要はなさそうです。すりつぶした薬草をあてて包帯を巻きました。
あー様は別の薬草を干し肉をかじるようにしてガジガジと食べていました。わたしにも一枚渡してきます。受け取ると、その手でまたチョップをされました。そして、親指を立て、腹を抱えて笑います。
さっきの戦いで、わたしのレベルが上がりました。一緒に戦ったあー様も上がりました。
まだレベル差はありますが、一緒に戦えないほどではなかったようで、嬉しいです。
「……これからもいろいろありそうですけれど、あー様と一緒なら、きっと良い旅の終わりが迎えられると思います」
わたしのひとり言が聞こえたのか聞こえなかったのか、あー様はずっと、お腹を抱えて笑われ続けました。