魔女と少女とパンプキン
かぼちゃの目が光ると同時に、家の中からカランコロン、という鐘のような音が響いた。
俺は一歩下がって、人が出てくるのを待つ。返事くらい聞こえてもいいと思うのだが……そうして5分ほど待っただろうか。
しかし、一向に目の前のドアが開かれることもなく、再びひし形をしたかぼちゃの鼻を押してみた。すると先程と同様に、三角のかぼちゃの目が赤く点滅を繰り返す。しばらく待っていると――。
てとてとと、家の中から歩幅の狭そうな小さな足音が聞こえてきた。そしてその人物は返事をする。
「はぁーい」
ん? 子供……?
もしかして、ガーネットって子供だったのか? 紅蓮の魔女って言うから、てっきり――。
想像に反したその幼い声に、少し疑問を抱きつつ考え事をしていると、不意に玄関のドアが開いた。
とりあえず俺は開かれた扉の正面を見据える。だが目の前には顔がない。まさかと思い、視線を下げる。
するとそこには、小さな女の子がドアに手を添え、こちらをジッと見つめて立っていた。
「うおっ!?」
「おにいちゃん誰なの?」
仰け反った俺に金髪碧眼の可憐な少女は、大きくてくりくりとした純粋な瞳を向けながら尋ねてきた。
「あ~そっか……。え~っと、君がガーネット? ……じゃない、えっと、俺はブリタニア王国ロザリア騎士団の団長、ヴィクトル・ノーティスだけど……」
う~ん。大人を相手にするよりも緊張するな~。つうか子供なんかと遊んだこともないしなぁ。どう接すればいいんだろう?
「ヴィクトル?」
「ん? そう。それで、君がガーネット?」
首を傾げてこちらを見つめる女の子に、俺は名前を訊ねてみた。すると少女は首を左右に振り答える。
「ううん、違うの。わちはレティだよ」
「レティ?」
まあそりゃそうだよな。ファフニールを封印したって……いくら4人でもこんな子供が出来るわけないか。
大体、ファフニールが封印されたのは7年前だ。この子はどう見たって7、8歳位じゃないか。普通に考えれば分かることだな。
頷きながら1人で納得していると、レティは急に話しかけてきた。
「ババに会いに来たの?」
「ん? ……ババ??」
「うん、ババなの」
「……ババって、もしかして――」
「うん、ガーネットなの」
少女の言葉を聞いた瞬間、思考回路が突然プツリと切れた。紅蓮の魔女って……ガーネットって……婆さんだったのか。
俺の勝手な想像じゃ、ガーネットは色っぽくて俺より少し年上で、普段はツンケンしてるんだが、実はそれは照れ隠しの表れで、本当はちょっと恥ずかしがりやな可愛らしい女性。っていうのを想像してたんだが……。
まさか婆さんだったなんて……。あ~、一気に会う気が失せた。
……いや、会わなくちゃならないんだけどな。なんせファフニールが……はぁ~。
大きくため息を吐きながら項垂れる俺を、レティは不思議そうな顔をして覗き込んでくる。
「どうちたの?」
「ん? ……いや、なんでもないよ」
そう言うと少女は訝しげな表情で小首を傾げた。しばらくそのまま俺を見返していたが、何かに気付いた様子でレティは急に空を見上げる。
「あ、ババが帰って来たの」
「え?」
そう言われて俺も振り返り、そして空を見上げた。見てみて気付いた少女が空を見上げた意味。
向けた視線の先を瞳が写したものに、俺は驚きを隠せなかった。なんと、人が箒に跨って空を飛行しているじゃないか!
ストロベリーブロンドと言うのだろうか。その人物は美しいピンク色の髪を風になびかせながら、颯爽とこの家に向かって飛んでくる。真っ赤な衣装が目立ちすぎるほど空に映え、まるで赤い絵の具を空に塗ったように鮮やかだ。
そうしてレティがババと呼んだ人物は、速度を落とし家から数メートル離れた所で止まるとその場でホバリングをする。そしてそのまま高度を落とし、ゆっくりと静かに地面に降り立った。
箒を左手に持ちこちらへ向かってくるその女性は、断じて“ババ”と呼ばれるような年齢ではない。
容姿は一言で言うならば「妖艶」。目鼻立ちが整っており、他を寄せ付けない孤高の一匹狼のようなその鋭い目付き。均整の取れた美しいプロポーションを、紅蓮の魔女の異名をとるに相応しい真紅のドレスを身に纏い包み込んでいる。そのドレスのサイドには大きくスリットが入っていて、多少目のやり場に困るデザインだ。
それにしてもなんて失礼な子供だ。こんな美人をババ呼ばわりするとは。
しかし俺の姿を確認すると、その女性は手をひらめかせ鬱陶しそうに言い放つ。
「勧誘なら間に合ってるよ」
俺のすぐ隣に立つと、女性は更に高圧的な視線を向けて、ふんっと鼻を鳴らした。
……なんだ? めちゃくちゃ態度がでかい女だな。
まあそこはとりあえず置いといて。俺はここへ来た理由を、このガーネットらしき人物へと伝えて勧誘じゃないことを証明することにした。
「あんたがガーネットか?」
「ん? ああ、そうだけどねぇ。あんた一体誰だい?」
ガーネットは、明らかに不信な視線を向けてくる。
しかしそんな時、俺たちの様子を下から見上げていたレティが声を上げた。
「ババ、このおにいちゃんはヴィクトルなの」
「ん? ヴィクトル?」
「うん。王国の騎士なんだって」
「ブリタニアの……?」
そう言って魔女は、品定めするように再び俺を見た。そして顔をしかめながら、何故か気まずそうに声をかける。
「い、いったいブリタニアの騎士が何の用だい?」
「ああ、勧誘じゃないことは信じてくれたのか。まあ、単刀直入に言わせてもらうが、混沌の洞窟のことだ」
俺が“混沌の洞窟”というワードを口にした瞬間、ガーネットは身体をビクつかせて目を丸くした。
……なんだ……? まさか、この女が倒したとか? ……いや、本人が目の前にいるんだ。推測する必要なんかないんだけど。
目が泳いでいて明らかに様子がおかしいガーネットは、しばらくの間口をつぐんでいたが、静かに口を開くと言った。
「まあ、中に入んな」
「え? いいのか?」
「立ち話で済むような話じゃないんだろう?」
「……ああ。じゃあ、お邪魔します」
そう言って頭を下げた俺は、魔女の家の中へと通された。玄関で鎧のブーツを脱ぐと、用意されたスリッパに履き替える。
そして何故だか知らないが、レティは凄くテンションが高い。紫色の長いローブの裾をひらめかせながら俺をリビングへと案内する。そしてリビングに置かれたテーブルの椅子を引き、そこに座るように促した。
素直にその椅子に腰掛けると、少女も隣に椅子を持ってきてそこに座る。ガーネットはと言うと、オープン式のキッチンの方でなにやら飲み物を作っているようだ。
その間、俺はリビングの中を見渡してみる。改めて見てみると、外からでは分からなかったが相当広めに作ってあるようだ。まあ、屋根の大きさを見れば家自体が大きいことは分かるのだが……。
それにしても不思議な光景だ。壁に設置された大棚には様々な大きさのフラスコが置かれていて、なんとも形容し難い色をした液体が入れられている。
その付近には干乾びたトカゲが天井から吊るされており、髑髏なんかも棚には置いてあった。
棚と棚の間の奥には大きな釜が置かれており、時折、ゴポッという音をたてていることから、何かが煮られていることが分かる。
……俺が思ってた「魔女」のイメージそのままだな。
あまりの物珍しさにキョロキョロしていると、レティが話しかけてきた。
「どうちたの?」
「ん? いや、珍しいものが沢山あるなと思ってね」
「そうなの?」
不思議そうな顔で俺を見つめる少女に微笑み返すと、キッチンの方からガーネットの声が聞こえてきた。
「レティ、こいつを運んどくれ」
「はぁーい」
魔女に呼ばれた少女は椅子から飛び降りると、キッチンの方へと走っていく。そしてガーネットに渡されたトレイを持ち、テーブルへと戻ってきた。
そして俺の下まで来ると、レティは「どうぞ」と言って手を震わせながらそれを差し出した。
「ありがとう」
少女に礼を言うと、少し重そうに見えたのでトレイごと受け取ってティーセットをテーブルに並べる。
するとレティは嬉しそうな笑顔をこぼし、再び椅子によじ登って着席する。ガーネットも茶請けを手にこちらへ歩いてくると、俺の対面に位置する椅子に静かに腰掛けた。
「それで、話ってのは具体的に何のことだい?」
そう言ってティーポットを持ち、カップに紅茶を注ぎながら彼女は俺に問う。礼を言いながら紅茶の注がれたカップを受け取ると、その問いに答えた。
「俺はある任務のためにこの大陸に来た……いや、来させられたんだが。それで今朝混沌の洞窟に行ってみたんだ。そしたら、ファフニールがいると言われていた大広間にその姿がなかった。しかも戦闘をしたような痕跡まで残ってたんだ。もしかしたらそのことについて、ガーネットが何か知っているんじゃないかって思ってさ」
「任務?」
「ああ。姫様からの勅命で、ファフニールを討伐してこいって……」
「なるほど」
話を聞き、納得したように一言そう呟くと、彼女は目を伏せたまましばらくの間押し黙る。ややあって小さく息を吐き、真っ直ぐ俺を見据えたガーネットは口を開いた。
「ファフニールは、もういないよ」
「えっ? ……ってことは、あんたが倒したのか?」
「いや、正確には“黒竜”はもういないって言った方が正しいか」
「ん? それはどういうことだ?」
彼女に疑問を投げかけた丁度その時、玄関のドアが静かに開けられた。俺は音に釣られてそちらへ視線を移すと、そこには背の低い大きなかぼちゃ頭が、買い物袋を抱え立っていた。
そいつは黒のスーツに赤い蝶ネクタイ、そしてオレンジ色の手袋と変わった形のブーツを履いて、赤いマントを羽織った変ないでたちをしている。
「……なんだ、あれは?」
「あっ、ジャックー!」
「……ジャック?」
話の最中、隣で大人しくお菓子を食べていたレティは、目を輝かせ椅子から飛び降りると、そのかぼちゃ頭の方へと駆けていく。
「レティ、ただ今戻りましたよ」
丁寧な言葉遣いでそう言うと、かぼちゃは駆け寄る少女の頭を優しく撫でる。
……だから、こいつはなんだよ? かぼちゃが喋るなんて聞いてないぞ。……ていうか、こんなの見たら、明日からかぼちゃ食えなくなるじゃないか。
訝しげな表情でかぼちゃ頭を見つめる俺に、ガーネットはクスクスと笑うとそれの紹介をした。
「あいつはジャック・オ・ランタンのジャックさ。見ての通りかぼちゃで出来てる」
「あれがジャック・オ・ランタン?」
「なんだい、知ってるのかい」
「いや、年に1度ハロウィンって行事があるんだけどな……それの時にかぼちゃを飾るんだが……まさか動いてる本物がいるとは知らなかった……」
しかも四肢があり、ちゃんと喋ってるんだ。驚かないほうがどうかしてるぞ。
まるで鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている俺に、魔女は腹を抱えて必死に笑いを噛み殺す。そんなガーネットを横目で見ていると、ジャックが俺に話しかけてきた。
「あの、あなたのその鎧は、ロザリア騎士団のものですよね?」
「え?」
近くで声がしたものだから、そちらへと視線を移す。と――視界いっぱいに広がるかぼちゃにビックリして、俺は仰け反った拍子に椅子から転倒した。
それを申し訳なく思ったのか、ジャックは「どうもすみません」と言いながら手を差し出す。差し出されたオレンジ色の手を取ると、俺は立ち上がってかぼちゃを見下ろした。
「ってちっさ!!」
「っ!? 失礼な人ですね……。ところでガーネット、こちらの方はどなたですか?」
三角だった目の部分を多少つり上がらせ、ジャックは俺の正体をガーネットに尋ねる。すると彼女は、肩をすくめて一言。
「さあ、誰だったかねぇ?」
「おい、ヴィクトルだって言っただろ!」
「そうだったかい? ……まあそんな気もしないでもないが……。そう言えば、あたしもまともに自己紹介してなかったねえ」
「いや、言わなくてもあんたは有名だ――」
「まあそう言うんじゃないよ。あたしはガーネット。このグリムガンドの南方の守護を任されてる魔女さ。そしてあの子がレティ。ドラグナーの娘だ。まだ小さいがその潜在能力は折――」
「ちょ、ちょっと待った!」
せっかく紹介してくれてるのは悪いが、つい気になった言葉があり話を中断させてしまった。
今、確かに“ドラグナー”って聞こえた気がしたが……。俺は少し機嫌の悪そうな魔女へ恐る恐る訊ねてみる。
「今、もしかしてドラグナーって言ったのか?」
「ん~? だったらなんだい」
「じょ、冗談だよな?」
「冗談でも嘘でもないよ。あの子はれっきとしたドラグナーだ」
「……マジかよ……」
こいつは驚いた。レティがあの伝説のジョブ、ドラグナーだなんて……。嘘かと思ったが、ガーネットが言うんだからそうなんだろう。嘘を言っているようにも見えないしな。
……この子があのドラグナー。竜に変身したり、竜を従える力を持つと言う、伝説のジョブの1つ。
俺は改めて少女を見やる。ジャックに抱きついてじゃれている女の子。レティはこちらに気付いて俺を見返すと、目をぱちくりとさせて首を傾げた。
そんな少女から視線をガーネットの方へ戻すと、俺は疑問を投げかける。
「そう言えば、レティはガーネットの娘なのか?」
「ん? 違うよ。あの子はあたしの子じゃない。孤児になっちまったから預かったんだ。それにあたしはドラグナーじゃなくウィッチだしねえ」
「そうだったのか……」
「まあ、大きくなったら間違いなくあたしを超すだろうねえ」
「あんたをか?!」
「そうさ。なにせ――」
ガーネットが自分を超えるであろうその理由を話そうとした時、不意にリビングから二階へと続く螺旋階段から足音が聞こえた。
それに気付いた魔女は、口を開けたまま固まっている。何故だろうと思い、俺は階段の方へ視線を移すと、身長の高い黒髪をした人物の頭が見えた。
その人物はリビングへ立つと、男性であることが分かる。俺より身長が高く、全身を漆黒のローブで包み、腕には鎖のようなものが巻きついていた。その瞳は燃えるような赤。真紅と表現した方が早いだろう。
訝しげに見る俺を余所に、その男は頭をポリポリと掻きながら、眠たそうにあくびをして言った。
「まったく、さっきから煩いな。静かに寝させてくれると有難いんだがな……ん?」
俺を見つけたその男は、数回瞬きをすると、何かを閃いたように声を発した。
「おっ!? その鎧はブリタニアの騎士団のものか?」
「え? あ、ああ。……って、あんた誰だ?」
「ん? 俺か? 俺は――」
男がそこまで口にしたその時、レティが嬉しそうな声を上げて男に駆け寄って行った。その言葉を聞いた瞬間――俺は驚きを隠せなかった。
「あっ、ファフニール~!」
……あ? ファフニール? この男、あの黒竜と同じ名前なのか……。
レティはファフニールと呼んだ男の足に抱きつくと、今までより更に嬉しそうな笑顔をして見上げているのが、こちらからも窺えた。
しかし何だこいつは? 何故かは分からないが、なにか人とは違った不思議な雰囲気を漂わせている。
風貌も然ることながら、何よりもその目だ。どういうわけか、男の瞳は人間のそれとは形を異にする。
俺は再びガーネットへ視線を戻すと、彼女は頭が痛そうにこめかみに手を当てながら首を振っている。
そして顔を上げた魔女は、この場にいる全員を招集し、そして各々テーブルやソファに座らせた。




