第7話 抱っこひもに誓った想い
エルナはクラウスに渡された鍵を扉にさす。
「え……」
エルナは驚きのあまり困惑の声を上げてしまう。
それもそのはずである。
クラウスから与えられた部屋は、メイドが暮らすにはあまりにも良い部屋だったからだ。
「こんなお部屋……」
急いでクラウスの部屋に向かうと、そこに彼はおらず、代わりにひとりの執事がいた。
「執事、さん……?」
その執事は白い髪を綺麗に整え、眼鏡をしている。歳は五十代ほどで、柔和で穏やかな笑顔が魅力的だ。
すると、執事は胸に手を当てて挨拶をする。
「クラウス様より申し付かっております。ご挨拶が遅れて申し訳ございません、わたくしはこの屋敷で執事長を務めさせていただいております、キルダートと申します」
「エ、エルナです! メイドとして本日より働かせていただいております。よろしくお願いいたします!」
大きな声で名乗った後、彼女は勢いよく頭を下げた。
「ふふ、丁寧なご挨拶ありがとうございます。クラウス様からその赤子について伺っておりますので、もしお困りなことがあればなんなりとお申し付けください」
「は、はいっ!」
「そういえば、お部屋はいかがでしたか? ご不便はございませんか?」
(そうだ、お部屋のことを言いに来たんだった!)
キルダートの言葉で当初の目的を思い出したエルナは、申し訳なさそうに尋ねる。
「あの、お部屋、間違えていないでしょうか?」
「おや? と、いいますと?」
「その……一介のメイドの部屋にしては少々身に余ると言いますか……えっと……」
(うまく丁寧な言葉遣いができない……!)
庶民の出であるがゆえに、言葉遣いや貴族の習わしについて勉強不足なことをエルナは気にしていた。
そんな彼女の意図を汲み取ってか、キルダートは相手が緊張しないよう笑顔で優しく話しかける。
「大丈夫ですよ。お部屋はそちらで合っていますよ」
「ですが!」
そのように豪華で良い部屋をいただくことはできない。
エルナがそう口にしようとしたが、彼はエルナに近づいていくと、あるものを手渡した。
「これは……?」
「クラウス様からエルナ様へと預かったものです」
エルナがキルダートから手渡されたものは、一枚の布だった。
しかし、ただの布ではない。
(もしかして、抱っこひも……?)
少しでも両手をあけられるように首のすわった子どもを抱っこするのに使う紐である。
庶民の間では布の端切れを繋ぎ合わせて作ったり、大きな布を織り込んで使ったりすることが多い。
それは、子どもを育てる親でも常に働いたり、家事をしたりと忙しく動かなければならないからだ。
一方で、貴族の家では乳母がつきっきりで面倒を見るため、抱っこひもはあまり使われない。
「どうして、クラウス様がこれを……」
「レオ様をお育てしながらメイドの仕事もしたいというエルナ様のご希望を叶えたいとのことで、ご用意させていただきました」
「私のために……」
実はエルナはレオの『親』を努めながら、メイドとしても働きたいとクラウスに直談判していたのだ。
その想いを受けて、彼はエルナが仕事を少しでもしやすいようにと抱っこひもを贈ったのである。
すると、キルダートはポケットからハンカチを取り出して、涙を拭いながら言う。
「抱っこひもに私お手製の小さなうさぎのぬいぐるみに嬉しそうにかぶりついていたあの頃の坊ちゃんときたら、可愛くて可愛くて仕方なく……」
(クラウス様にもそんな可愛い時代があった……というか、かぶりついていたのは気に入らなかったのではなくて……?)
子どもの頃のクラウスを思い出しては恍惚な表情を浮かべているキルダートに、エルナはそう言えずに言葉を飲み込んだ。
そして、エルナは抱っこひもにレオの足を通し、手を通す。ゆっくり慎重に背中に背負うと、自身の身体の前で紐を縛った。
「すごい……動きやすいです!」
「それはようございました。こちらで少しはエルナ様も楽になればいいのですが」
「楽です! すごく楽です! ありがとうございます!」
エルナがお礼を告げると、キルダートが口を開く。
「エルナ様は大変なお役目を背負っておられます。少しでもそのお役に立てられればと、ヴァイラント公爵家使用人一同、そしてきっとクラウス様も思っておいでですよ」
「キルダート様……」
エルナの安堵の心を表すかのように、レオが嬉しそうに笑った。
部屋に戻ったエルナは、部屋を歩き回ってレオをあやしながら考え込んでいた。
(精霊レオ……伝承……国を滅ぼす力がある子……)
クラウスから伝承のことを聞いていた時のことを思い出す。
(この子が泣いたら、雷に雨に、大変だった……少し泣いただけでこれだったら、大声で泣いてしまったら……)
エルナの頭の中で雷雨が止まず、田畑が荒れ、人々が逃げ惑う様子が浮かぶ。
その光景に彼女は身震いがして、心がざわついた。
(本当に私に育てられるの? 育てるってどうやって? 何をすればいいの?)
抱っこひもを外してレオをベッドに寝かせると、彼女は彼のお腹を優しく叩く。
クラウスのお古の洋服を着せてもらっているレオだったが、その服がなんとも愛らしい。
(クラウス様もこんなお洋服着てたのね)
白い綿の半そで服に、青いズボン。レオにはぴったりであるが、クラウスがそれを着ていた幼少期があると想像して、エルナはくすりと笑った。
(なんだか、可愛い……)
面白くなってレオの洋服をいじっていると、遊んでもらっていると思っているのか、レオは嬉しそうに声を上げた。
「ふふ、可愛いね~」
手を上げてエルナに触れようとしているレオに、自身の頬を寄せてみた。
「きゃっ! えへっ!」
彼女に触れられたことが嬉しいのか、ぺちぺちと何度も触って遊ぶ。
「もう、そんなにしたら痛いよ~」
そう口では言いつつも、レオとじゃれ合っているのがエルナ自身も楽しい。
「そんなことする子は、こうだぞ!」
そう言いながら、エルナはレオにこちょこちょと攻撃してぎゅっと抱きしめる。
しかし、そんな攻撃すら彼は遊んでもらっていると思っているらしく、大きな笑い声を上げた。
(こんな可愛い子が国を滅ぼしちゃんなんて……いえ、させない。させたくない! この子にそんなことさせたくない!)
エルナはレオの頬を撫でて思う。
(いつまで育てるのか分からない。けど、この子が……この子がずっと笑っていられるように頑張りたい)
レオを寝かしつけたその晩、エルナも静かに目を閉じた──。
翌日、エルナは大きな衝撃とともに目を覚ました。
「うぐっ!」
彼女が驚き辺りを見渡すと、顔面いっぱいにまん丸おめめが映り込んだ。




