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第21話 近づく距離と「可愛い」という感情

「…………」

「…………」


 しばらく沈黙の時間が流れる──。


(き、緊張するな……)


 わずかにレオの寝息だけが響く中、沈黙を破ったのはクラウスだった。


「両親が使っていた部屋は好きに使っていい」

「え……?」

「骨董品や絵画も好きに見ていいし、本も読んでいい。一番奥の部屋はほとんど何もないからレオの遊び場にしてもかまわない」


 レオが脱走した時にエルナが初めて足を踏み入れた場所。その場所はもともとクラウスの両親が使っていた部屋がある。


「いいのですか……?」


 エルナがクラウスに尋ねた時、部屋がノックされた。


「失礼します。クラウス様、食事をお持ちしました」

「ああ」


 キルダートは一礼して中へ入ると、食事を載せたワゴンを引いてテーブルに向かう。

 もともとこの部屋にあるテーブルは食事用のものではない。

 それを承知していたキルダートはワンプレートにして配膳していく。

 プレートとスープ、それから水を置いて彼はゆっくりとした所作でお辞儀をすると、そのままワゴンを押して部屋を後にした。


(すごい、豪華……)


 メイドと主人の食事内容はもちろん異なるが、それ以上に彼女の場合、質素な食事をとりすぎる癖があった。

 子育てで手一杯だったエルナは、片手で食べられるサンドイッチを中心に食べ、時には朝に野菜ジュースのみをとり、昼はとらず、夜にパンをひとつ食べる。そんな日も珍しくはなかった。


(生のお野菜、久々だな……)


 エルナ自身、田舎の町で農業をして育った環境もあり、野菜は子どもの時から好きだった。

 ドレッシングも凝ったものをよく作っており、レシピの数も十種類はくだらないだろう。


(美味しそう……)


 生唾を飲んで並んだ料理を見ているエルナだったが、まさか主人のクラウスよりも先に手を付ける訳にもいかず、ちらりと彼に目線をやった。

 すると、クラウスがくすりと笑ってエルナに告げる。


「食べていいぞ」

「えっ!」

「気にしているのだろう? 主人より先に食べてはならないと。別に俺の前では気にするな」


 そう言って、彼はエルナが食事に手を付けやすいようにスープを一口飲んだ。


(バレてたんだ……)


 エルナは心の内が彼に簡単に見透かされたことにほんの少し恥ずかしさを覚えたが、彼の好意に甘えてサラダに手をつけた。


「美味しい……」


 野菜のみずみずしさとシャキッとした歯ごたえが心地よい。

 最近、感じられていなかったこの野菜の甘みとこの家特性のドレッシングに、エルナは一瞬で心奪われた。

 夢中で食事をする彼女を見て、クラウスは頬杖をついてじっと見つめている。

 その様子に気づいた彼女は、ごくんと大きな音を立てての呑み込むと、急いで手を止めた。


「す、すみませんっ! お行儀悪かった、ですよね……」


 庶民出身でありメイドの身分である彼女は、貴族の作法を知らない。

 食事もいつものようにテーブルマナーを気にせずに食べてしまったのだ。

 しかし、クラウスはわずかに笑みを浮かべると、エルナの不安を包み込むような温かい声色で告げる。


「不快じゃない。誰かと食事をするのは久々だった。つい見惚れた」

「え……?」


 聞き間違いではなかろうかとエルナは思った。


(見惚れた……? それって、私から目が離せないとか、見つめてしまったとか……え?)


 突然告げられた言葉に、エルナの心はドキッとする。

 そんなクラウスは全く自分の発言が彼女の心を乱していることに気づいていなかった。

 ぼうっと窓の外を見ながら、彼は言う。


「もう何年もひとりで食事をしていた。あるとしても社交界での立食や他国との会談、後王族との食事くらいだ」


(あ……クラウス様も同じだったんだ、私と。ずっとお仕事に一生懸命で安心してご飯を食べられてなかった)


 エルナはフォークを皿に置くと、クラウスに尋ねる。


「私との食事は、楽しいですか?」


 その言葉を聞いたクラウスは目を丸くした。


(しまったっ! やっぱり変だったよね!? え、なんか自意識過剰なやつみたいじゃない!)


「すみません、忘れてくだ──」

「楽しい」

「え……?」


 彼は真っ直ぐにエルナの瞳を見つめて言う。


「お前との食事は楽しい。マナーに捉われるでもなく、うまそうに食べる。『食事』の本来の意味を成し得ているように思える」

「えっと、つまり……褒められているんでしょうか、私は」

「ああ」


 少し回りくどく堅苦しい言い方をする彼に、エルナはくすりと笑ってしまう。


「なんだ」

「いえ、クラウス様らしいなと」

「俺らしい?」

「はい、クラウス様は言葉数少ないですが、その一言や表情は優しいです。温かいです!」


 クラウスはエルナの発言を聞くと、ふっと壁のほうへ顔を背けた。


「クラウス様?」


 エルナが覗き込むと、クラウスは珍しく声を荒らげた。


「見るな!」


(あ……)


 エルナは彼の表情が見えてしまった。

 手をかざして顔を隠しているが、その隙間から見える頬を耳はとても赤い。


(可愛い……)


 思わずエルナはそう思ってしまった。


 自身の熱を冷ますように、クラウスは勢いよく水を飲んで食事を再開する。


(ふふ、なんか不思議な人……)


 そう心の中で思った彼女もまた、パンを手に取って口に入れた。

 やがて、食事も半分をすぎた頃、クラウスがエルナに尋ねる。


「お前はレオが可愛いか?」

「え……?」


 ふいの質問と彼の意図が読めず、エルナはポカンとしてしまう。

 しかし、すぐに笑顔を取り戻してレオについて語り始めた。


「とっても可愛いです! そりゃ、可愛いだけじゃないっていうのはこの前の脱走で思いましたけど。でも、毎日あの笑顔が見られるだけで嬉しいし、楽しいし、ぎゅって抱きしめたくなります!」

「ぎゅって抱きしめたくなる?」

「はいっ! もう大好きで大好きでたまらなくて。ほっぺもぷにぷにだし、あんよもむちっとしてて……。ああ、私が守ってあげなきゃって思うんです。これが『親』なのかは分からないんですけど」


 エルナは苦笑いをして、クラウスにそう言った。

 すると、クラウスは少し考え事をした後、静かに口を開く。


「昔、母親が同じことを言っていた」

「クラウス様のお母様が……」

「子どもの頃の話だ。母親は俺を抱きしめて言った。『いっぱいぎゅって抱きしめたい』と」

「あ……」


 クラウスの母親の言葉と、自身が口にした言葉が重なる。

 彼は昔を思い出すようにじっと遠くを見つめた。


「両親は俺が十二歳の時に死んだ。事故で。ひとり息子だった俺がすぐにヴァイラント公爵家を継ぐことになった。気づいたら十年が経っていた。早いものだ」


 クラウスの両親は、夜会の帰り道に事故で亡くなった。

 葬儀を終えたクラウスはすぐにヴァイラント公爵家の当主となり、学院に通いながら仕事も少しずつおこなうようになった。

 幸いにも彼の父親がクラウスを自分と同じように歴史学に興味を持たせようと文献に触れさせていたため、勉学で困ることもなく仕事を次々に習得していった。

 また、クラウスの父親が現国王と同級生であったため、国王はクラウスの後ろ盾となり、彼が成人するまで支えた。


「仕事ばかりだった。若いからと俺を派閥に取り込もうとする宰相、ヴァイラント公爵家の当主という肩書きしか見ていない女達。嫌気がさしていた」

「クラウス様……」

「だが、お前が来て変わった」


 クラウスが今度はエルナの方を見つめて、呟く。


「お前がレオの子育てをしている様子を見て、昔を思い出せた。親に愛されていたことを」


 二人の間にわずかな沈黙が流れる。

 やがて、エルナがクラウスの手を取って微笑んだ。


「クラウス様、貴方はひとりじゃありませんよ」

「お前……」

「だって、執事長のキルダートさんも、メイド長のジュリエットさんもクラウス様が大好きです! 見ていたら分かります! それと、クラウス様はよく目を閉じていらっしゃるから気づいていないかもしれませんが、最近、魔力供給の時、レオくんはじっとクラウス様のことを見てるんですよ。にこにこしながら!」


 エルナはその様子を思い出して、嬉しそうに笑った。

 一方、クラウスはレオにそのように見られていると思っておらず、少しこそばゆく感じてしまう。


「クラウス様のお母様もきっとクラウス様のこと、大事に思ってんだと思います。じゃないと、ぎゅっとしたいなんて言葉出ないです!」

「そうか」


 クラウスはたった一言、そう告げた。

 すると、さっきまでの表情とは違い、少し切なげで憂いを帯び瞳をしながら、エルナは語り始めた。


「私のお母さんは、私が小さい時に亡くなりました。それ以降、お父さんに育ててもらって、なんとか生活してこれました。でも、知ってるんです。本当のお父さんじゃないってこと」


 最後の言葉を聞いたクラウスは、少しだけ目を細めた。

 じっと彼女の話に耳を傾ける彼に、エルナは明るく振る舞うように話す。


「私を育ててくれた人は、本当のお父さんの兄なんだそうです」

「どこで知った」

「役所でたまたま。畑の土地改良の届け出で行った時、戸籍のことも知って……」

「でも、お父さんはお父さんだと思っています。たとえ、本当のお父さんでなくても、私を愛情いっぱいに育ててくれた。そのことに変わりはないんです」


 彼女の話を聞いたクラウスは、エルナに思っていた疑問が解消された。


「だからお前はレオに無償の愛を与えられるんだな」

「どうでしょうか。愛情を注ぐのに、血の繋がりや自分の子かどうかは絶対ではないと思っています。私は子どもを産んだことはないけど、でも、レオくんへの愛情が自分の子でないから消えるということは絶対にないと思います。『親』として正しいのかどうかは分かりません。でも、レオくんを大好きな気持ちは変わりません」


 エルナは意志の強い瞳でそう言い切った。


「お前はそれでいい。お前の愛情はレオに伝わっているはずだ」

「クラウス様……」


 エルナは彼に告げたことで心の何かがすっと軽くなった

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