第2話 メイドの宿舎に到着!だけど……?
宿舎に着いたエルナは、扉の前で深呼吸をひとつした。
(怖がらなくていい。大丈夫。大丈夫だから……)
心の中でそう言い聞かせて、エルナは扉を開いた。
「本日からお世話になる、エルナ・グレッシェルと申します! よろしくお願いいたします!」
エルナの声が宿舎中に響き渡った。
扉を開けた先には何人かのメイドがおり、皆エルナの挨拶にきょとんとしている。
(ちょっと声出しすぎた……)
そう反省していたエルナに、メイドがひとり近づいてきた。
「貴方がエルナね。話は聞いてるわ。貴方はリリアと同室だから、そこに荷物を置いてきてちょうだい。仕事はたんまりあるから、早く入って欲しいのよ」
「は、はいっ!」
(この方がメイド長かな?)
メイド長は黒く長い髪をきちっと丸めてお団子にして、髪留めで止めている。きりっとした切れ長の目と目尻にほくろがひとつあるのが特徴的だ。
背筋を伸ばしていかにもメイドの長といういで立ちであり、彼女の声はまた聞き取りやすい。
そんな彼女の緊張感のある声と素早い指示に圧倒されながら、エルナは急いで荷物を置きに向かう。
部屋に行く途中で、メイド達の様々な声がエルナの耳に届いてきた。
「なに、あの汚らしい服」
「庶民出身らしいわよ、あの方」
「え!? 庶民でヴァイラント邸にいらっしゃるなんて、どれだけ図々しいのかしら」
(皆さん、貴族のご令嬢だものね。お父様が言うように、確かに場違いかも……)
自分にかけられる悪意のある言葉の数々。それらがエルナの心に突き刺さる。
それでも、彼女自身気持ちを強く保つことができた。
(お父様のためだもの。ここでくじけてちゃ駄目……!)
エルナは父親への想いを胸に、顔を上げて真っ直ぐ前を向いた。
部屋に案内されたエルナは、同室のリリアに荷物を片付け終えたら、裏庭に来るように言われていた。
(確かこっちのはず……)
慣れない屋敷に戸惑いながらも、目的地に向かっていく。
同室のリリアはこの家のメイド歴四年であった。
大方のメイドが自身の婚約や行儀見習いの終了で三年以内にここを出ていく中、彼女は今年五年目に入るため、今年から新人メイドの教育係を務めている。
こうしてエルナも例外ではなく、リリアから仕事を教わることになったのだ。
(ここ、かな……?)
彼女がたどり着いた場所は、ヴァイラント家の一番奥にある庭だった。
そこは屋敷の表側にある庭とは違い、あまり手入れがされていないようで、雑草が生い茂っており視界が悪く、日の光もあまり入ってこない。
そんな庭にひとつ、ポツンと小屋があった。
「遅いわよ!」
エルナより先に到着していたリリアは不満げにそう告げた。
「申し訳ございません!」
リリアは淡いピンクの髪をふんわりと巻いて、メイクもしっかりしている。あまりメイクもしてこなかったエルナとは真逆のような彼女は、翡翠ような瞳をしている。
エルナは勢いよく頭を下げるも、その謝罪の姿をリリアは見ていない。
すると、リリアは謝る彼女に持っていた箒と雑巾を投げ捨てるように渡した。
「あそこに井戸があるから、それ掃除しといて」
「井戸……?」
ボロボロの小屋で見えにくいが、奥の塀際に井戸があった。
その井戸からは草や蔓が見えており、離れた場所からでもしばらく使われていないことが分かる。
「じゃ、その掃除終わるまで食事はないから」
「え……」
そう言われてエルナはもう一度その井戸に視線を向けてみる。
とてもじゃないが半日そこらで掃除し終えるようには見えず、どうしたものかと困っていると、リリアはさらに追い打ちをかけるように、エルナに忠告する。
「もちろんひとりでやるのよ。私がいいというまで掃除してちょうだい。いいわね?」
「は、はい……!」
(こ、これもメイドのお仕事なんですね!)
エルナは掃除道具を拾い上げて、返事をした。
早速、掃除を始めようと向かった彼女に、リリアがわざとらしい口調で言う。
「ああ、そうそう。もちろん中まで掃除するんだからね」
エルナに向けられた冷ややかな目は、明らかにこの場所に来たことを歓迎されていないと分かる。
しかし、そんな彼女もエルナにもう興味がないといった様子で、その場を去っていった。
(やっぱり、庶民だから……なのかな?)
自分が働くことに対して、彼女らはいい感情を持っていないのだろう。
そう考えながらも、エルナは井戸の掃除を始めていく。
「うわ、すごい汚れ!」
井戸を覆う草木はすぐに取れたが、井戸そのものの汚れはとてもひどい。
エルナはバケツに水を汲んで持ってくると、水に雑巾を浸してそれをぎゅっと絞った。
(ひとまず拭いてみよう)
真っ黒な井戸の縁を磨いていくが、これまた頑固でなかなか汚れは落ちない。
「水だけじゃ難しいか……」
そう呟いた彼女は、一度雑巾を置いて掃除に使えるものはないか辺りを見渡してみる。
(あるといいんだけど……)
彼女は雑草をかき分けて歩いていくと、ようやく「それ」は見つかった。
「あった!」
エルナの視線の先には、雑草に紛れて赤い実をつけた背の高い草があった。
その葉を二、三枚取って水に浸してこすり合わせていくと、徐々に白い泡がたってくる。
(もう少し多めのほうがいいかな)
二枚追加で葉をとってこすると、泡はどんどん大きく膨らんでいく。
実は、この葉が出す泡には抗菌作用があり、汚れを落とす効果がある。庶民の間では昔からの知恵として知られており、洗濯や掃除など広く用いられている。
エルナも実家でよく使用しており、今回井戸の掃除に使えないかと考えたのだ。
彼女の思ったように、井戸の汚れはみるみるうちに取れていく。
「よし、これならいけそう」
そうして、太陽が真上を通りすぎた頃、ようやく井戸の外側の掃除を終えた。
(次は中だけど……)
エルナは薄暗い井戸の底に向かって、倉庫から持ってきた梯子を入れてみると、丁度底までの距離と梯子の長さが一致する。
(よかった! ぴったりだわ!)
エルナは梯子に足をかけて、慎重に井戸の底へと降りていく。
もうしばらく使用していないのか、中にも蔦や草がたくさんあり、水はすでに枯れているようだった。
「もう……少し……」
古い梯子だったらしく、一歩一歩降りる度にミシミシと音を立てている。
(もうちょっと……)
そうして、ようやく底にたどり着いた時、エルナの足に何かがあたった。




