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第12話 たったひとりの『親』

 風呂場から部屋に戻ったエルナとレオは、ベッドで髪を乾かす。


「ほら、こしょこしょこしょ~!」

「きゃははは~! いや~!」


 近頃は、「いや」という言葉を発するようになっていた。


(もしかして、葉っぱを食べたから、成長した……?)


 しかし、まだ使い方は理解しきっていないため、色んな場面でこの「いや」は登場する。


「ほら、逃げないの!」


 レオはエルナが髪を触ろうとする度に、嫌がって顔を逸らしてしまう。

 それをなんとか機嫌をとりながら、彼女はふんわりした優しい生地の布で髪の水分をとっていく。


「ほら、もう終わり!」

「あう~」

「終わり」ということを理解したのか、レオは安心したように笑みを浮かべた。


 レオをベッドに寝かせると、今度はエルナが自分の髪を乾かしていく。

 そうして、髪を乾かしている内に様々なことが頭をよぎった。


(メイドの仕事、いつ覚えられるんだろう……)


 レオの子育てだけでも忙しい上に、メイドの仕事もまだ覚えきれていない。

 特に裁縫が苦手なエルナは、レオが眠った後、夜な夜なひとりでジュリエットより任されたクラスの部屋着の直しをしていた。


(メイド長に教えてもらったけど、うまくできない……)


 エルナが裁縫に苦戦していることを知ったジュリエットは、空き時間に付きっきりで裁縫を教えていた。



『いいですか? 最初はゆっくりで構いません。丁寧に使う人のことを考えて縫ってください。そして、少しでも思ったようにいかなかったら、すぐに解いてください。焦らずにもう一度、針を通せばいいのです』



 エルナの脳内にジュリエットの言葉が浮かんだ。


(ゆっくり丁寧に……大事に……)


 そうしてゆっくりとクラウスのことを想って、丁寧に縫っていく。


(クラウス様……クラウス様……)


 仕事で疲れている彼がこの部屋着を着て癒されながら休んでいる様子を想像して、縫い進めていく。


「いたっ!」


 針が指に刺さってしまい、エルナは指を舐めた。

 何度も刺して傷ついた指がなんとも痛々しい。


(もっと、もっとお仕事できるようにならないと……)


 そう思って手を洗いに行こうとした時、彼女の視界はぐらりと揺れて視界が急にぼやける。


「あれ……?」


 疲れ目だろうかと目をこすってみると、普段と変わらない景色が映る。


(気のせいか)


 そう思った次の瞬間、頭がズキンと痛み出して思わず顔を歪める。


「いたっ!」


 エルナが自身の頭に手をやったその時、もう一度視界がぐらりと揺らぐ。


「あ……」


 そして、今度はそのまま気が遠くなるような感覚に襲われて、ついにエルナは意識を失ってしまった。



 エルナが目を覚ますと、彼女の目の前にはなんとクラウスがいた。


「クラウス様!?」


 急いで身体を起こそうとするが、めまいがしてすぐにまた目をつぶって横たわってしまう。


「寝ていろ」


 エルナの寝ているベッドの横に椅子に座って、両腕を組みながら彼は告げた。


(私、どうして……それに、クラウス様がどうしてお部屋に……あれ……?)


 エルナは起き上がって叫ぶ。


「レオくんは!? 私、レオくんのお世話をしていたはずなのに……」

「大丈夫だ、レオはジュリエットが面倒を見ている。安心しろ」

「ジュリエット……様……?」


 聞き慣れない名前にエルナは首をかしげた。

 すると、クラウスは「ああ」と言った様子でジュリエットと呼ばれた彼女をエルナの聞き覚えがある名称で呼び直す。


「メイド長のジュリエットだ」

「あ、メイド長が……」


 意外と可愛らしい名前なのだな、とエルナが思ったが、それは口にしなかった。


「昨晩、部屋でお前が倒れているのをジュリエットが発見したんだ」


 クラウスはエルナの青い瞳をじっと見つめると、少し飽きれた口調で言う。


「どうやら、お前は倒れるまで働き続ける人種らしい」

「え……?」


 クラウスは組んでいた腕を解くと、指を二本エルナの前にだして告げる。


「人間は二種類のタイプがいる。倒れる前に休息をとれる者と、倒れるまで自分が限界なことに気づかない者だ」


 クラウスの口調はだんだん強くなり、声色もどんどん険しいものになっていく。


「お前はどうやら、後者のようだ。言いたいことは分かるな?」

「も、申し訳ございません」


 エルナはベッドの上で上体を起こすと、シーツに頭をつけながら謝罪した。

 そんな彼女の様子にため息を吐くと、前かがみになって膝の上で手を組ませて諭す。


「謝罪を求めている訳ではない。メイドの仕事は誰でもできる。だが、お前はレオのたったひとりの『親』だ。あいつの『親』はお前しかいない。違うか」


 その言葉を聞いた瞬間、エルナはハッとした。


(そうだ、レオくんの『親』は私しかいないんだ……)


 それは当たり前のようで、エルナの中ですっかり意識から抜け落ちていたこと。

 その時、エルナはやようやく「自分自身」に目を向けた。


(そういえば、最近食事したのいつだっけ……?)


 手首は数日前よりほっそりしており、手や指は血色が悪くカサカサとして潤いがない。

 顔を触ってみると、前より頬がこけている気がする。

 食事も実のところ昨日の朝からほとんど食べておらず、水しか飲んでいなかった。

 そんな状態では、過労で倒れてしまうのも当然である。


「私……自分の体調管理すらできていなかったんですね」


 ひどく落ち込んだ声で言うエルナに、クラウスは厳しい一言を告げる。


「今のお前は体調管理すらできない、メイドもレオの『親』も中途半端にしかできない役立たずだ」

「……………………」


 クラウスの言葉にエルナは喉の奥がツンとして、唇が震えだす。


(そうだ、私は役立たず……)


 彼の言葉を繰り返して、自分に言い聞かせる。

 下を向く彼女に、なおも彼は言葉を続けた。


「メイドの仕事も『親』も、片手間にできるものではないのは分かるな?」

「はい……」


 クラウスは彼女にそう問うと、一呼吸おいて今度はある提案をする。


「レオの『親』に専念してみてはどうだ」

「え……?」


 エルナは思わず顔を上げて、クラウスを見た。

 どちらかといえば、エルナの中で彼は「冷たい」「怖い」、そんな存在であった。

 由緒正しき公爵家の当主に相応しき、その絶対的な権力と、強さ、そしてそれに人を従わせる力を感じていた。

 しかし、今の彼はどこか違うように見える。


(なんだか、優しい……?)


 明確に言語化できる訳ではないが、先程の一言はエルナにとって彼の印象を変えるのに十分だった。


「どうした」


 クラウスはエルナが鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしているのを見て尋ねた。


「い、いえっ! その、お優しいなと」

「優しい……?」


 クラウスは怪訝な顔でエルナを見た。

 納得がいかない様子の彼に向かって、エルナは首を思いっきり縦に振る。


「だって、その……私に選ぶ権利をくださっていて……えっと、うまく言えないんですが、命令じゃないと言いますか……」


(うわっ! 変なこと言っちゃった……)


 仮にも公爵で、自分の雇い主の主人である。

 そんな彼への言い方ではないだろう、とエルナは思って目をぎゅっとつぶった。


(ああ、終わった……さっきのも優しいんじゃなくて、もしかしてクビ宣言だっただけなんじゃない? それなのに、優しいって……私、何早とちりしてんだろ……)


 エルナはベッドの上で正座をして、頭を下げながら叫ぶ。


「処分ならばいくらでも受けます! メイドの仕事もまともにできず、レオくんの『親』も立派に務められない。こんな私は、煮るなり焼くなりマンモスのエサにでもしてください!」

「マンモスはもう絶滅した」

「え……そうなんですか……?」


 その瞬間、空気が凍りついたように沈黙した。

 エルナの言葉によって話が逸れてしまい、思わず彼は頭を抱える。


「そうではなく……たくっ、お前といると調子がおかしくなる。つまり、お前の最重要任務はレオの『親』として、王国の未来を守ることだ。メイドの仕事を務めたいお前の気持ちは理解できる。だからこそ、中途半端な状態ばかりでいいのか? それで、お前は後悔しないのか?」

「後悔しない……」


 クラウスの言葉に、エルナの心は大きく動かされた。


(後悔しない。そんな視点で考えたこと、なかった……)


 新たな視点に気づいた瞬間、エルナの中で様々な気持ちが沸き上がってきた。


(そうだ。私はレオくんに世界を滅亡させるようなことをさせたくなくて、笑っていて欲しくて『親』を務めることを決めた。でも……)


 振り返れば、メイドの仕事も周りの足を引っ張って迷惑をかけてばかり。

 レオの世話もお世辞にも十分に彼に愛情を注げているかといえば、今のエルナには自信がなかった。


(私、なにもできてないじゃない……)


 レオの『親』を努めると決めてから、何度失敗しただろうか。


(もっと、もっとレオくんと向き合いたい……)


 エルナはクラウスの目の前に立つと、真っ直ぐな瞳で彼に誓う。


「私は、レオくんを立派に育てて見せます! 王国を滅亡させたりしません、彼に笑顔を、幸せを感じてもらうために、私の全てをかけます!」


 エルナの熱のこもった視線と声に、クラウスはニヒルな笑みを浮かべた──。


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