第1話 少女は前向いて旅立つ
ジュエリナード王国は世界でも珍しく、四季が存在する国である。
特に春はとても過ごしやすく、花々も咲き乱れて美しい。
そんな春の陽気の中で、小さな村に住むひとりの少女が畑作業をしていた。
少女はこの国で珍しくもない明るい茶色の長い髪に、青いサファイアのように綺麗な瞳をしている。母親からのお古のワンピースに身を包んで、手を泥だらけにしながら一生懸命仕事に励む。
「うんしょ、よいしょ!」
鍬を持って耕し、畝を作って種を植えるのを繰り返し、再び次の区画へ移っていった。
「大きく育ちますように」
そう言葉にしながら、種を一粒ずつ丁寧に植えていく。
種を植えた場所に水をかけて土を湿らせる頃には、もうお昼前になっていた。
「よし! 完了!」
少女が畑仕事を終えた時、村の入り口のほうから彼女の父親が戻ってきた。
「あ、お父さん!」
もう今年五十になる彼女の父親は、嬉しそうに娘に手を振っている。彼女よりも深い色の茶色い髪は少し白髪が混じっているが、青い瞳は二人ともそっくりである。
「ただいま、エルナ」
「おかえりなさい、お父さん」
エルナは家の前まで戻ってきた父親に駆け寄っていくと、父親は持っていた大きな魚を掲げた。
「これ、今日の釣果だ!」
「すごい! これなら今日は魚のグリルができるし、干し魚にしてとっておけるね!」
「ああ、しばらくはこれで大丈夫だろう」
ここらの水辺は浅く、魚が獲れる川までは村から歩いて片道一時間ほどかかる。
早く日が落ちるのと村の行事ごとが重なるこの季節は、週に何度魚を捕りに行くことは難しい。
それゆえに、かごいっぱいの魚が獲れたことは二人にとっても嬉しいことであった。
早速、家に入って獲れた魚の下処理をおこなっていくと、あっという間に夕食の時間になっていた。
魚を外に干していた父親に、エルナは声を掛ける。
「お父さん! お夕飯できたよ!」
「ああ、ありがとう」
エルナは最後の味見をして、満足そうに頷くと皿に盛りつけていく。
今日の夕食はとても豪華だった。
魚のハーブグリル、野菜スープにパンというメニューは、このグレッシェル家では滅多にない品数の多さである。
なぜこんなに今日の食事は豪華なのか。
それには理由があった。
「エルナ、本当に公爵家のメイドとして働くのか?」
寂しそうな眼差しを向けて、父親はエルナに問いかける。
「大丈夫だよ。たまには家に戻ってくるし、お父さんが困らないように干し野菜や果物もいくつか仕込んでおいたし……」
「そうではなくだな!」
父親の声が部屋に響く。父親は声を出しすぎたというように申し訳なさそうにした後、胸の内を話す。
「父さんはお前の心配をしているんだ。ヴァイラント公爵家のご当主は気難しいと聞く。それに、公爵家のメイドや侍女は皆、貴族の子女ばかりというではないか。庶民だということが分かれば、他のメイド達に何か言われるのではないか?」
彼の言う通り、この領土の領主であり、由緒正しきヴァイラント公爵家は王族との関わり合いも深く、しきたりや伝統を重んじる家柄である。
そんな場所に庶民であるエルナがひとりでメイドとして働くというのは、父親である彼からすると心配でならなかった。
エルナはそんな父親の言葉にじっと耳を傾けた後、父親が安心するように笑顔を見せる。
「大丈夫! お母さんが亡くなってから、お父さんひとりで私を育ててくれたでしょ? もう私も十七だから、この家を支えたい。お父さんの助けになりたいの!」
「エルナ……」
愛しい娘の想いを感じた父親は、それ以上反論できなかった。
「なんとかする! 頑張ってみるから!」
エルナはもう一度笑顔を向けて、ひとつ頷いてみせた。
翌朝、エルナは荷物を詰めたトランクを持って、家の前に立つ。
清々しい朝の空気を大きく吸い込むと、ふうと一息吐いて呟く。
「お母さん、いってきます」
家の裏山にある母親への墓へ挨拶をした後、玄関前にいる父親へ向き直る。
「お父さん、いってきます」
「……気をつけるんだぞ」
なんとか絞り出した声は掠れて小さな声にしかならない。
なんでもないような素振りを見せているが、やはり娘と離れるという時になり、別れが寂しくなったのだ。
(お父さん……笑顔で行こうと思ってたのに……そんな顔されたら……)
エルナの目にうっすらと涙が溜まっていく。
「エルナ……」
「もう、泣いちゃうじゃない!」
トランクを投げ出して、エルナは父親の胸に飛び込んだ。
「絶対、また帰ってくるから……」
「ああ」
「ちゃんと、食べてね」
「ああ」
「ちゃんと、夜更かしせずに寝てね」
「ああ」
「お酒はほどほどにしてね。お父さん、そのまま台所で寝ちゃうから……」
「ああ……」
言っている間にだんだんと涙が溢れて止まらない。
(もっと話してたい……でも、行かなきゃ……)
エルナはゆっくりと父親の背中から手を離すと、涙を拭いて笑みを浮かべた。
「じゃあ、行くね」
「ああ、気をつけてな」
「うん!」
エルナは父親に手を振って別れを告げると、街の方へと向かって歩いて行く。
道中ふと振り返ると、父親が名残惜しそうに家の前から離れず、ずっとエルナを見ていた。
(もう、お父さんったら……)
嬉しいような照れ臭いようなそんな感情がエルナの中に湧き上がってきた。
ヴァイラント公爵邸へとは町から出ている馬車を乗り継いで近くまでいくことになっている。
馬車と徒歩で二時間、ようやくエルナはヴァイラント公爵邸へとたどり着いた。
「ここが、ヴァイラント公爵邸……」
エルナの目の前には大きな屋敷が建っていた。
馬車の乗り継ぎで寄った王都の賑やかさや華やかさにも驚いたが、公爵邸の広さにエルナは圧倒される。
(私、ここで今日から働くのよね……?)
これからの生活に想い馳せて、エルナは萎縮してしまう。
すると、突然エルナに声を掛ける人物がいた。
「当家に何か御用でしょうか?」
エルナにそう声を掛けたのは、公爵家の門で立っている衛兵だった。
屋敷に気を取られており、彼女は人がいたことに全く気づかなかったのだ。
「あ、あの! ヴァイラント公爵邸で本日よりメイドとして働かせていただくことになっている、エルナ・グレッシェルと申します。お取次ぎいただけますでしょうか?」
「ああ、新しいメイドの子か。メイドの宿舎は入って左奥にある。そちらに行ってもらえるか? 恐らく、メイド長が指示してくれるだろう」
「かしこまりました。ありがとうございます!」
衛兵に礼を告げたエルナは、宿舎へと急いだ。
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そして、そんな子育ての大変さの中にたくさんの子どもの「可愛い!」を詰め込んだ作品です。
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