ないものねだりはダメですか?
「もう、我慢できません、一言、言わせてください!」
叫んでいるのは、ストロベリー・コンデンスミルク嬢。明るいピンクの巻き髪に、イチゴ色のぱっちりとした瞳の可愛らしい少女だ。小柄な体を精一杯伸ばして、握った両手を豊満な胸の前でプルプルふるわせている。
その前にいるのはライムシトラス・オーランティフォラリア嬢。背中まであるライムグリーンのクセのない髪に黄金色の切れ長の瞳を持つ、女性にしては長身のスレンダーな美女である。
「ライムシトラス様がお召しのその髪飾りは、先月私が無くしたものですよね?いえ、盗まれたものです、返してください!」
「え?まさか。これは私がつい先日、出入りの商人から買った物。盗むなど、汚名を着せるつもりか。購買記録もきちんとあるし、商人もちゃんとした者どもである、失敬な」
「わざわざそんな趣味の悪い髪飾りを購入しただなんて、見え透いています!私は祖母からの贈り物だったので仕方なく着用していましたが、そもそもライムシトラス様には全然似合っていないではないですか!私への嫌がらせでなければなんだというのです!」
「趣味の悪い……、似合っていない……」
糾弾されたライムシトラス嬢も、わなわなと震えはじめた。
ヤバい。大荒れの予感。周囲の人々が固唾を飲んだその時。
「一体なんの騒ぎだ!」
一触即発の場面に火に油を注ぐ人物が現れた。マカレル・ブルーバックフィッシュ、この国の第五王子である。
「「マカレル殿下……」」
「ライムシトラス、貴様!またストロベリー嬢を、俺のイチゴちゃんをいじめているのだな!許せん!貴様との婚約など断固拒否する!婚約者候補から降りてもらおうか!」
第五王子は背はさほど高くないものの筋骨隆々で、シルバーグレーの髪に黒の瞳の王子だ。人の波が割れる中、彼はつかつかと歩み寄ると、二人の令嬢の間に割って入ろうとした。
「「は……?」」
二人の令嬢は同時に顎を落とした。そして同時に口を開く。
「ちょっと待て、婚約者候補を、降りろ、だと?」
「ちょっと待ってください、なんですか「俺のイチゴちゃん」って!」
そして令嬢二人は顔を見合わせた。譲ったのは呆れ顔のライムシトラス嬢。顎をしゃくってストロベリー嬢に先を促した。ストロベリー嬢はひとつ頷くと第五王子に向き直る。
「いくら殿下でも「俺の」とは心外です。私は私のです、あなたのじゃありません!それにいつまで「イチゴちゃん」呼びをするのですか、やめてくださいってあれほど言っているじゃないですか!もう幼児ではないんだからそんな呼び方やめて!」
「で、でもイチゴちゃん……じゃなくてストロベリーちゃん……」
「ちゃん付けもやめて!」
「えっ!ではその、す、ストロベリー!」
「呼び捨てもダメ!大体なんなのその格好は。そんなパツンパツンの下着みたいな格好でウロウロして!」
「だ、だってイチゴちゃんが「筋肉好き」っていうから、俺、一生懸命に鍛えたんだ!」
「それで見せびらかすみたいに乳首が浮き出る袖なし下着一枚を冬でも着てるワケ?イチゴちゃん言うな」
口論は白熱し、二人は口調も内容もどんどん低俗になっていることにも気付かない様子だ。
そう、ストロベリー嬢とマカレル第五王子は幼馴染。王子は庶子の生まれということもあり、歴史の浅いストロベリー嬢のコンデンスミルク家とも交流があるのだ。ちなみに、王家は長女の第一王女以外の十五人が全員庶子という結構なトンデモ一家である。
「大体、私の好みはそんな硬そうな筋肉じゃない!しなやかで柔軟な筋肉なのよ、ライムシトラス様みたいな!」
「「えっ!?」」
突然に言及されたライムシトラス嬢は驚き、手にしていた扇を取り落とした。マカレル第五王子は憎々しげに彼女を睨む。
「ライムシトラス様のようなプロポーションは私の理想!お髪の色だってあんなに爽やかで瑞々しくて……!それなのに!」
ストロベリー嬢はライムシトラス嬢に向き直った。
「この際ですから常々言いたかったことを全部申し上げます。ライムシトラス様は時折、だッさい刺繍の入ったバッグとか、妙にフリフリのピンクのドレスとかをお召しですよね。そして極め付けは私の髪飾りです。失礼ながら全くお似合いではありません」
「そんなに……似合わないだろうか……」
「はっきり申し上げて全くです!」
「そうか……」
ガックリと肩を落とすライムシトラス嬢に、ストロベリー嬢も言いすぎたと感じたようだ。
「……人の好みはそれぞれといいますから、髪飾りさえ返していただければそれ以上は望みません。あ、私の無礼な物言いも見逃していただければそれで」
「……らせたんだ……」
「……はい?」
「この髪飾りは、私が商人に作らせたものなのだ!」
「ええぇーっ?そんなのを!?いえその」
「だから作った職人にも、工房にも証言させてもいい。これは断じて、盗んだものではないのだ」
「な、なんでまた、わざわざ」
「そ、それはその」
口籠るライムシトラス嬢に、ストロベリー嬢は無言の圧力をかける。
「……君がつけているのを見かけて……、なんて可愛らしいんだと思って……」
「……え?」
「バッグの刺繍だって、我が家の可愛い可愛い飼い猫のミーを刺繍させたものだ。私は、私は……!」
ライムシトラス嬢は一度、奥歯を噛んだが、何かを振り切るように叫んだ。
「私は、可愛いものが大好きなんだー!大きなリボンも、ふわふわのレースやフリルも、優しいピンクや花柄だって、大好きなんだ、でも、でも!」
ライムシトラス嬢は大きなため息をついた。
「自分に似合わないことくらい、よくわかっている。だが可愛いものへの愛が抑えきれないのだ!あの日、君の髪に揺れる、大きなリボンの、苺の花と実を模した髪飾りを見て、どうしても自分でも身につけたくなって……」
「わざわざ職人に作らせたのですか」
「……そうだ」
赤面したライムシトラス嬢は両手で顔を隠した。扇は取り落としてしまったからだ。予想外の返答に、幼馴染の二人は顔を見合わせた。
そこへ人々のざわめきと共に、意外な人物がやってきた。
「ずいぶんと楽しそうだね」
「兄上!」「「サルモン殿下」」
登場したのはサルモン・ブルーバックフィッシュ第四王子だった。弟によく似たシルバーグレーの髪にサーモンピンクの瞳を持つ、にこやかな策略家だ。
「少々、揉めているようだと聞いてね、何事かと思ったんだ」
彼は真っ直ぐにライムシトラス嬢に歩み寄ると、彼女の手を取り手袋の指先に口付けた。そして第五王子に振り返る。
「ひとつ訂正しておくとね、マカレル、我が弟よ。こちらのライムシトラス嬢はお前の婚約者候補じゃない、お前が彼女の婚約者候補なんだ」
「……は?」
「そして、彼女の婚約者候補はお前だけじゃない。この僕も候補者の一人だ」
「……え?」
「だから彼女に、お前の婚約者候補を降りろとは、ずいぶんな見当違いというわけだ」
一体いつから聞いていたのだ、この第四王子は。周囲の者は皆、心の中でそう呟いた。
「し、しかし義母上が」
「一体どの義母上かな、お前にそんなことを吹き込んだのは。王家には山ほど妾だの愛人だの庶子だのがいるからねぇ。お前を蹴落とそうとする者がいるのかも。僕の同腹の兄弟はお前だけなんだし、用心してもらいたいな。ねえ、ライム」
サルモン第四王子は笑顔でライムシトラス嬢に話しかけるが、彼女は顔を上げない。
「……お、お聞きになったのですか」
ライムシトラス嬢は虫の鳴くような声で第四王子に訴えるが、王子はわざとらしくとぼけてみせた。
「ん?なにをかな?」
「先ほどの会話です。私が、可愛いものが好きということです!周囲が皆、似合わないというので私は、必死に我慢をしていたのです!でも、どうしても時々、我慢しきれなくなって」
「あのね、ライム」
サルモン第四王子は両手でライムシトラス嬢の両手を握った。
「君の好きな「可愛いもの」は、そうだなあ、君に似合うかと言われれば、確かにそうではないかもしれない。でもね、今の君はそのままで、十分可愛らしいんだけどな。
それじゃあ足りないと君が思うんだったらね、ねえライム。君、猫が大好きだろう?」
「え?はい、そうですね?」
「可愛いからな」
「そうですね?」
突然の話題の変換にライムシトラス嬢は驚いたようだ。第四王子はニヤリと笑った。
「君がいくら猫好きでも、君まで猫になる必要はない。わかる?」
「?……いいえ」
「つまりだね。可愛いものを愛でるのに、なにも自身が可愛いものにならなくてもいい、ということだ」
「……はい?」
「君の理想の可愛らしい人物が、君の目の前にいるじゃないか。君の思い描く可愛い女の子の格好を、ストロベリー嬢にしてもらうのさ。そしてストロベリー嬢、」
第四王子はストロベリー嬢に向き直った。
「君はライムの筋肉やプロポーションが理想なんだろう?理想のプロポーションに、君の憧れの格好をしてみてもらいたいとは思わないか?ドレスでも乗馬服でも思いのままだ」
「……思いのまま……!」
「そうしてお互いの理想と街のカフェにでも出かけてくるといい。手配してあげよう」
第四王子の言葉に、最初はチラチラと互いを見合っていた二人の令嬢だったが、やがてガッチリと握手を交わした。
「ライムシトラス様!」
「ストロベリー嬢!」
こうして二人は、互いに互いの好みの服装をさせて、月に一度ほど出かけることになったのである。
「ライム様、素敵です!なんと凛々しい!絶対にお似合いだと思っていたのです、マーメイドドレス!」
「ベリーもエプロンドレスが本当に可愛らしい。抱きしめたくなる可愛らしさだ。こんな可愛らしい君と出かけることができるなんて、私は心底楽しいよ」
「私もです!ああ、次はどんな服装にしようかしら。女性騎士とか、いっそのこと男装とか?きゃあ!本気で惚れてしまったらどうしましょう!」
きゃっきゃとはしゃぐ二人を、こっそりと物陰から伺うのは二人の王子だった。
「やれやれ、一件落着だ。二人とも、ずいぶんと仲良くなったんだな。楽しそうでよかった」
サルモン第四王子にとって、なんとも似合わないライムシトラス嬢の可愛い物好きは懸案事項だった。特にアクセサリーを送る時など、本当に気を使った。彼女に似合うものを贈りたいが、それは確実に彼女の好みではなかったからだ。が、令嬢たちがお互いにお互いをプロデュースすることで、ライムシトラスは可愛いものに対する思いを、ストロベリーは筋肉に対する執着を昇華させることができた。それ以外のものに目を向ける余裕を持ち始めるのも、時間の問題だろう。
「あの二人、それぞれ自分が似合うものを好きになってくれていたらよかったのに……。ないものねだりだとは思いませんか、兄上」
マカレル第五王子の呟きに、サルモン第四王子は苦笑した。
「そうかもしれないが、この程度ならむしろ、可愛いものさ。ところで、マカレル?」
サルモン第四王子は弟を振り返った。
「例のストロベリー嬢の髪飾りなのだけれどもね。お前、持っているだろう」
兄の言葉に、第五王子はとっさに胸の隠しのあたりを押さえた。そこかぁ、と第四王子は笑う。
「お前が盗んだとは思わない。落ちていたのを拾ったでもしたんだろう?でもそれはネコババとか着服とかいうんだよ。惚れてる女の持ち物を持っておきたい気持ちもわからんでもないけどね。早くストロベリー嬢に返した方が今後のためだと思うよ。正直に、そんなことした理由も気持ちも言うんだ」
第五王子は赤くなって俯く。
「お互いここが踏ん張り所だ。あの二人は今は、令嬢同士で出かけることに夢中だからね。我らの出番が無くなってしまう。頑張ろうや、兄弟」
サルモン第四王子が小突くと、マカレル第五王子はようやく微笑み、二人の王子は、楽しげに出かけていく令嬢たちを愛おしげに見送った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
我ながら筆のおもむくままに書きましたが、書き上がってみると、なんじゃいこの話は?と思います(笑)。