盾の権能 その3
熱狂する群衆。
空気を埋め尽くす、強力な「悦」の権能。
人混みから取り残された、私と瑠美。
約束した時間までは、残り2分。
それを過ぎれば、権能を持たないパパが、無謀にも私を助けに来てしまう。
パパ、こんなことに巻き込んで、ごめんなさい……
珍能像前に立つのは、呉 建炫と、エーデルワイス。
絶望的とも思える状況。
その上、既に先手を打たれていた。
……足が、動かない。
私だけが、地面のから生えた、白い綿で脚を固定されていた。
珍能像のすぐ傍にいる、エーデルワイスと目が合う。
彼女は私に微笑むと、人差し指を口に当てた。
呉 建炫は、演説を続けた。
「皆様!感じてください、神の愛を。
神こそが、このご神体こそが!
皆様の愛であり、幸せなのです!」
群衆は、気味の悪い笑みを浮かべ、ある者はうめき声を上げ、演説に聞き入っている。
隣にいる瑠美もまた、涎を垂らして耳を傾けた。
「神からの幸福以上に、心地の良いものなど、ありません。
では、神への感謝として、私たちに何ができるでしょうか。」
会場は、不気味な高揚感に包まれる。
「……3つあります。
1つ。神から借りた力を、感謝をもってお返しすることです。
礼拝の後で構いません。その銃を、神に捧げましょう。
1つ。神は欲望の象徴として、ご自身の姿を現されました。
神のお姿のように、自らの肉体の罪を受け入れ、正直に生きていくことです。」
至る所から歓声が沸き起こる。
ソレが神様だなんて、あまりに最低な悪ふざけ。
それでも、判断力が鈍っているのか……その言葉には、抗いがたい説得力があった。
「そしてもう1つ。
……神の勝利を、信じることです。
神は相応しき者に、神の権能をお与えになります。
正しきもの、ではありません。
……残酷なことに、悪魔にもまた、権能をお与えになりました。
その理由は、人には理解できません。」
男はわざとらしく声を落としたと思いきや、聴衆が息を呑むのを見計らい、声を張り上げる。
「ですが!皆さんは神に愛されています!
今ここで!神の義は、強力な悪魔の力を打ち破ります!
神を信じる民に、愛を示し、希望を与えてくださるためです!」
その言葉で、私はライトに照らされた。
群衆が捌けると、瑠美も人垣の中に潜って行った。
「瑠美……? 待って!どこに行くの?」
光が、私を捕らえた。
周囲の全員が、珍能像の信奉者。
空中を漂う「悦」の麻薬は、依然強いまま。
足だって動かない。
……もう、逃げ場なんてなかった。
「……皆さんが。
新たな来訪者と共に!
神の御業を証しするのです!!」
逆光の中に立つ、呉 建炫と視線がぶつかった。
……以前、水族館で目にした「権能を操る権能」。
あの男の権能は、私たちの戦闘を周囲から隠し、
猫崎 唯が繰り出した刃を完全に静止させ、
さらにはエーデルワイスの綿までをも霧散させた。
呉 建炫は拡声器を持ったまま、私に歩み寄る。
そして、群衆に向かって言い放った。
「彼女は悪魔として、神に挑む業を背負ってしまいました。
救われるように、お祈りください!」
私が、悪魔……?
観衆は雄叫びを上げ、例の銃を突き上げる人もいる。
渦巻く歓声の中心。
拡声器を降ろしたその男は、私に近づいて言う。
長い黒髪の隙間からは、翡翠のピアスが覗いた。
「日下 萌々奈。
悪魔と呼ぶに相応しい、熱の権能者よ。
……この出会い、大魚が釣れたと、喜ぶべきか?」
演説の時とはうって変わって、静かな圧を放つ。
「呉 建炫!
こんな集まりを開いて、なんのつもり!?
私の友達に! 街の人たちに! 何をしたの!! 」
男は、その像を見上げた。
「お前にはわかるまい。
これが珍能像の……
民を救う、幸せの権能だ。
美しいだろう?」
まさか珍能像が、「悦」の権能者ということ?
それなら、パラディーソに居る権能者は……
「映画館の権能者は、偽物……!?」
「違うな。だがお前は知らなくていい。
邪神様なら喜んでお話しになるが、俺は違う。残念だったな。」
そう言って、呉 建炫が下がる。
足元を、薄い綿が蠢く。
空気を、「悦」が覆う。
絶望的な状況だった。
それでも!
切り開くのは……私の権能!
集中して!萌々奈……!!
「許さない!」
私は掌に熱を込め、一気に加熱した。
綿の発火点まで!
「無駄だ! 悪魔の権能者め! 」
「悪魔は、あなたたちでしょう!」
掌に込めた熱を、一気に放出した。
すると足元を覆う綿が火を上げ、延焼する。
私一人が囚われたスポットライトの中には、半径1メートルの火の海が現れた。
燃え上がる炎の向こうから、群衆の恐れ驚く声が聞こえる。
爆発のような灼熱が、周囲を覆う。
その僅か1秒後には、炎は消滅していた。黒い煤が舞っていた。
「ゲホッ!ゲホ!!」
……消えた?一瞬で?
静まり返った観衆が、咳き込む私を見る。
その中には、瑠美の顔もあった。
私を照らしていたライトが珍能像を向くと、
呉 建炫の声が拡声器で響く。
「見ましたか。悪魔の炎を。
しかし、一瞬にして鎮められた。
これがどういうことか、言うまでもありません!」
その勇ましい声に、群衆は沸き起こった。
「……呉 建炫! あなたの権能なのね!?」
私は叫ぶように言った。
歓声の中、その男はさらに近づいてくる。
私の権能が、十分届く距離に。
「俺のじゃない。珍能像の、だ。
珍能像は一度だけ、お前に権能を許したのだ。
試してみろ。お前には何もできん。」
私は男の腕を掴むと、掌に熱を込める。
しかし、体の外側に……熱が、権能が、散らされてしまう。
「そんな……!」
「……無駄だと言ったろう。」
呉 建炫はそう言い捨てると、私の手を振り払った。
……無力だった。
私の権能じゃ、何もできない。
そもそも、権能が使えない。
ごめんね、瑠美……
遠ざかる男の背中が、あまりにも遠い。
諦めたくない。
それなのに、視界が揺らいで前を向けない。
足元の煤に、小さい窪みが空く。
もう、戦えないよ。
「悦」に、呑まれてしまいそう。
演説が再開される。
「神の前では、悪魔の異能など無力!
ご神体を! 賛美しましょう!」
勇ましい演説に、一層湧きたつ群衆。
悦の権能が、眩暈を引き起こす。
その時だった。
私の脳内に突然、聞き覚えのある……嫌悪感のある声が響いたのは。
『……日下 萌々奈。 聴こえてる?
あなたは不愉快だから、手短に。』
健之助さんのストーカー、三春 風香の権能だった。
『彼はゲームに負けた。
これからは私が彼の介護をする。
あなたは引っ込んでて。
本題。
彼はあなたに、水分補給するように言った。
……まったく、伝わるとでも思ったのかしら。
まさにヘソで湯を沸かす、ね。
で、権能を解くには……お湯を沸かして。人肌程度でいい。
じゃあ。
こっちは終わってないから。』
脳内の声は止んだ。
「え、ちょっと!」
健之助さんが、敗けた?
嘘でしょ……!
死んだりは、してないんだよね……?
水分補給?お湯?
……伝わるわけないよ。
健之助さんは、私を買い被ってる気がする。
でも水道の蛇口なんて、近くに見当たらないし。
権能も使えない。
水くらいなら、電話でパパに頼んで……
いや、そんなことしたら目立つ!
……こんな時。
こんな時、例えば伊勢 健之助なら、どうしたかな?
確かに、彼の「奇跡」はなんでもアリの権能。
でも戦闘向きじゃない。
彼自身、武術なんて使えない。
それでも私たちは、この短期間で数々の権能者と戦ってきた。
過酷な戦いの連続だった。
一度でも、彼が諦める姿を見た?
それどころか、私を励ましてくれた。
しっかりしなさいよ、私。
彼はいつだって、耐え続けた。
勝ち筋が見えるまで。
……そう、「奇跡」が起こるまで。
伊勢 健之助なら、そうした。
だから、彼は負けなかった。
「奇跡」が、あまりにも強い権能だから?
違う。
「奇跡」が起こるまで、歯を食いしばって、攻撃を見切って、耐え続けたからだ。
今だってきっと、ゲームに負けただけで、負けたわけじゃない。
必死に耐えている最中なんだ。
その証拠に、三春を通じてヒントをくれた。
……私、ようやく気付いた。
「奇跡」の起こし方に。
私も、屈しない!
絶対に、弱点を見つけてみせる!
涙を拭うと煤が擦れて、目がヒリヒリする。
私は再び立ち上がり、演説する呉 建炫を見据えた。
「さあ、兄弟姉妹たち。
悪魔に懺悔の時を与えましょう。
神から授かったその銃で!祓うのです!」
群衆は、水を打ったように静まり返る。
無数の銃口が、私を捉えている。
でも、絶望なんかしない。
奇跡が起こるって、信じてるから。
……もうすぐ、パパがここに来る。
「貴様ら!!うちの娘に!なんてものを向けてるんだっ!!!!」
暗闇に響いたのは、生まれて初めて聞く、パパの必死な声。
珍能像のすぐ後ろに、私のパパ、日下 勇次の姿があった。
珍能像に、視線が集まる。
蛮勇?そうね。
でも、私はもう怖くない。
熱の権能者だからじゃない。
パパの娘だから。
あらすじ:
珍能像前の集会に飛び込んだ萌々奈の前に、呉 建炫が立ちはだかる。
萌々奈は瑠美を助けるどころか、珍能像の力を知らしめるための引き立て役にされていた。
絶望しかけた萌々奈は、三春 風香の声を聴く。その声は、健之助の敗北と、権能を解く鍵が「お湯」であることを伝えるのだった。
萌々奈は健之助がくれた勇気に思いを馳せ、立ち上がる。そこに現れた父、勇次。
珍能像の下、権能が使えない日下父娘が、強大な権能に挑む。
tips:
呉 建炫にとって萌々奈の登場は、「没想到钓到大鱼(まさかこんな大物が釣れるとは!)」という出来事でした。
彼の権能は「権能の流れを支配する」ことですので、熱を操る萌々奈の権能は、ものすごく相性が悪いです。建炫に勝てるのは健之助くらいでしょう。
萌々奈の乱入はアクシデントですが、健之助がいない以上、カモがネギを背負ってきた、とも言える状況です。敢えて一度火を起こさせておいて、「すごい炎だったけど、珍能像が鎮火したんだよ、神様すごいでしょ」というショーを見事に演出しました。
補足1:
珍能像の集会については、某宗教の教義や様式をモデルとしています。ですが某宗教には快楽を優先するべきだという教義はありませんし、最大の信仰対象(神)の偶像崇拝(この集会ではチ○コを偶像として崇拝してますね)は許されません。
モデルとなった宗教では悪とされる立場なのですが、神様の立場を騙っている、という状況です。
綿の権能編より、邪神の目的は偽の神を立てて神を冒涜することですので、ある程度形式を似せつつ、しょうもない教義を盛り込んでいます。
そんな嘘宗教ですが、お金は穢れだから借金してでも教主に集めよう!とか、天国に連れていくために頃そう!みたいな教義よりはマシですよね。
補足2:
「臍で湯を沸かす」とありましたが、正しくは「臍で茶を沸かす」ですね。まるで茶釜のお湯が沸くくらいに、ゲラゲラ笑う……腹筋崩壊レベルで馬鹿馬鹿しいってことです。
悦の権能解除にはお茶っ葉がなくても十分なので、ちょっと改変しました。
お湯がなんで人肌の温度でいいかというのは……その、風香が自力で解除したとき、あの……言わせないでください!




