盾の権能 その2
外はもう暗い。今は8時半くらい。
親友の宮嶋 瑠美が待つ町役場へと、パパの運転する車に乗っていた。
神流町のメインストリートは、先週と見違えるほど閑散としている。
歩道沿いに点々と、魂の抜けた人々が彷徨う、異様な街。
通行人の1人が、あの銃を持っていた。
私は、ママから渡された合羽を羽織る。
車内には、隣町にある局のラジオが、虚しく響く。
思えば、父、日下 勇次とこうして二人になることは、何年振りだろう。
「えー、視聴者からのお便りの時間です。
本日ハガキを送ってくださったのは、神流町にお住まいのP・N”みてん”さん。
神流町と言えば、今大変なことになっていますね。皆様の無事をお祈りしますと共に、えー。お便りのほうを。」
いつもなら聞き流すけれど、「みてん」のお便りが気になって耳を傾けてみた。
「私は高校一年生です。不登校です。
5月から学校には行ってなくて、夏休みがあることも知りません。
学校に行きたいという気持ちはあるんです。でも9月になっても行ける気がしません。
DJ山西さんなら、どうすればいいと思いますか?」
「えー、なるほどなるほど。
僕としては答えを出さなくていいんじゃないかな~、と思いますけどね。
でもこれだけ言わせて。
こうしてラジオにお便り送ってくれた時点で、ちゃんと外と繋がろうとしてるんですよね。
そこが本当に偉いな、って思うんですよ。
んで、行きたいって気持ちもあるんですよね。
9月じゃなくたって、10月でも、11月でもいいんです。
学校って逃げないですし。
えー、朝起きること、玄関を出ること。コンビニ行くことから始めたらどうでしょ。
行くか行かないかじゃない。
少しずつ世界が広がるのを楽しんでくださいね。
応援してますよ、みてんさん。」
外の世界……ねえ。
きっと「DJ山西」も、「みてん」も知らない。
現実の神流町なんか、繋がらない方が賢明だ。
パパが重々しく口を開いた。
「その子が出てくる頃には、この街はどうなっているんだろうな。」
「うーん、さあね。」
聴いていたらしい。
珍能像。「悦」の権能。邪神。
先のことなんてわからない。
でも私は、今怒っている。
「……なあ萌々奈、車が熱くなっちゃうから、ちょっと落ち着いて。もうすぐだから。」
「あ、ごめん。」
町役場が近い。
ほとんど閉店している商店街に、多くの人が行き交う。
「町役場だろ?少し離れたところで良いか?」
「うん、人に見つからないように。」
「ああ。」
例の像も見えた。
これから何かイベントでも開催されるかのように、像の周りには人、人。
瑠美もあの中にいるのかな。
車は町役場の敷地周辺をぐるっと回り、裏手にある商工会議所。
がら空きの駐車場に停まった。
壊れかけた街灯が点滅する、細い路地。
ここをまっすぐ進んで、左に曲がると、町役場の敷地に入れる。
「じゃあ、またね。ありがとうパパ。」
「必ず戻るんだぞ。
10分だ。来なかったら捜しに行く。」
パパは私に念押しして、ドアロックを解除した。
「心配しすぎだよ。15分。」
「いいや、10分だ。いいね?」
心配してくれる気持ちはわかる。
でも、10分後にパパが来たところで……。
私一人で、やるんだ。
パパを危険な目に遭わせる前に、瑠美を救け出せばいい。
今は8時32分。
ドアを開けた。
「……!?」
瞬間に、漂ってくる。
これは、臭気でも、熱気でもない……!
「萌々奈!?どうした!?何があった!!」
……少しの酩酊感。
どことなく心地いい。
一度意識が途切れれば、この感覚に呑まれてしまうとわかる。
点滅する電灯が、僅かに歪んで見える。
「パパ!もうドア開けちゃだめ!外の空気が危ないの!」
「空気……?おい萌……」
私は力を込めて、バタン!と後部のドアを閉めた。
確かこの路地を2分ほど歩けば、町役場の裏口に出る……
そこから珍能像がある広場は、町役場の裏手を回ってすぐだったはず。
できれば、人目につかない方向から入りたい。
わずかなふらつきを感じながら、進んだ。
ここは町役場の裏口。ここには誰もいないらしい。
庁舎の壁に沿って、ゆっくり進む。
ここから30メートルほど先に、珍能像を囲む人だかりができていた。
さらなる酩酊感が、襲う。
ヤバい。この感覚が、欲しくなってしまう。耐えなくちゃ。
そうして、あの人集りがよく見えるところに来た。
どう近づこう。
あまり堂々と入っても目立つ。
かと言って正気を失ったように装って近づけば……装うのではなく本当に、呑まれてしまう気がする。
私は無数の蛾が飛び交う電灯の下を避け、木の陰に隠れた。
広場までは10メートル。
少なくとも、子供からお年寄りまで、100人程度は集まっているし、どんどん人が吸い寄せられている。
騒ぎ立てる人々のうるさい声が、ハッキリ聞こえた。
人の頭は、広場前の大通りまで続いていた。
その中には、例の玩具を持った人もいる。
さて、瑠美はいったいどこに……
……あ、珍能像の直ぐ側。
人混みの隙間から、見慣れたアホ面が見えた。宮嶋 瑠美だ。
助けなきゃ。そして、ここで何が起こっているのか、確かめる。
……あと6分じゃ、足りそうにない。ごめんね、パパ。
私は木陰を出て、ゆっくり、騒がしい群衆に歩み寄った。
臆することなく。装うことなく。ただ、真っ直ぐ。
目立つ?そんなこと気にしてられなかった。
だんだん強くなる酩酊感に、耐えるしかない。
人混みには、例の玩具を握る人々。
恐る恐る人混みをかき分け、ようやくたどり着いた。
「……瑠美!」
珍能像を見上げる瑠美の肩に触れる。
「ふへ、ふへへ、どなた様~、ですか?アハハハハ!!!」
瑠美は口元を歪ませて、甲高い声で笑った。
その異様な光景を、群衆は気にも留めない。
私の首筋に、嫌な汗が伝った。
「……ちょっと、え?どういうこと?瑠美!しっかり!私だよ!」
私は瑠美の両肩を揺すった。
すると、瑠美の奇声には気にも留めなかった周囲の視線が、私に集まってくる。
まずい。このままじゃ……!
瑠美は呂律の回らない声で、私にを見た。
「これ、貸してもらったんだけどぉ。
足りてないんじゃない?」
……その右手に握られていたのは、例の銃だった。
やめて、瑠美……!
私がわからないの!?
瑠美は屈託のない笑顔で、私の胸に銃口を突きつけた。
銃は、服の上からでも効く。
ましてやこの至近距離。今の瑠美に説得なんて無駄。
……終わった。
瑠美の銃1つを破壊することは簡単。
でもそんなことをしたら、待っているのは集中砲火。
一気に、体の力が抜ける。
すると、より一層濃い、快楽が、狂気が。体に流れ込んでくる。
さっきまでより、ずっと強い。
……抵抗できない!
ついに私は、足腰に力が入らなくなっていた。
銃口を向けられたまま、膝を折り、崩れ落ちる。
気分がいい。
「……アハハ。なんだか、楽しいよねえ、瑠美!」
私はそんな言葉を吐き、友達の幸せそうな表情を、ただ見上げていた。
「幸せ」。
「そうだね!楽しいね!アハハ!さ、立って~、ほら!」
その子が私に、手を差し出す。
この一体感。
与えられた幸福感。
珍能像の下に集まった私たちは、満ち足りている。
「珍能……像?」
不意に私が発した言葉。
その単語が持つ違和感に、悪寒がした。
銃を握る手を掴み、立ち上がる。
襲い来る多幸感を堪えながら、私は瑠美の耳元に、問いかけた。
「……この感覚は、なに?
瑠美、私たちはなぜ、"幸せ"なの?」
歪んだ笑顔のまま、瑠美が即答する。
「神様の、祝福だよ。」
神様……?
瑠美が指差したのは、そびえるあの像。
珍能像が、「悦」をばら撒いている。
薄々そんな気はしていた。
「アレが?」
「そう。ご神体は、皆に幸せを与えてくださる。」
そう語る目は、焦点が合っていない。
熱狂する群衆と、鎮座する禍々しい像。
思い出したのは、その像に対する、底知れぬ嫌悪感だ。
「待って……こんなの、幸せじゃないよ!」
再び群衆の視線が集まり、私たち二人を囲む空白ができた。
「幸せの珍能像……ふふ。神様……」
ここは珍能像から4メートルの、まさに直下。
相変わらず、少しの油断で持ってかれそうなほどの、快楽が充満する。
天を見上げ、立ち尽くす親友。
私を取り囲む、無数の銃口。
足下に張り巡らされた、照明やスピーカー類の配線。
さらに目を凝らすと、
ブロック舗装を覆う、幽かな綿埃。
嫌な予感がした。
薄暗い庁舎の陰に、2つの人影を見た。
呉 建炫と、エーデルワイス。
2人が珍能像の前に進み出ると、マイクを持った呉 建炫は腕を拡げて語った。
「お集まりの皆様。
偉大なる神は、この街にご神体を遣わしました。
神の救いに感謝し、礼拝を捧げましょう。
本日の宣教を執り行うのは、私、呉 建炫と……」
呉 建炫が、エーデルワイスを肘で小突く。
「あ、えと、呉 雪瑶です。」
雲間の月明りが、珍能像を照らす。
あらすじ:
親友の宮嶋 瑠美を救出するため、萌々奈は父勇次と共に珍能像に向かう。
町役場周辺は、「悦」の権能が空間を支配する領域だった。
珍能像に呼び寄せられた、正気を失った群衆。萌々奈は、その中に瑠美の姿を見る。
絶望的な状況に陥る萌々奈の前に、邪神の仲間、呉 建炫とエーデルワイスが現れる。
Tips:
ラジオの場面は、盾の権能編では全く関係ないので忘れていただいて構いません。
ただ、「見たことがない人」というのは、その恐ろしさを語る上で必要な視点だと思うのです。
補足:
呉 建炫は「権能の流れを操る」という謎の能力で、エーデルワイスは「綿で拘束したり、綿人形を出したりする(ただし、事前に綿の領域を展開しておく必要あり)」能力でした。
詳しくは「刃の権能」編で。
……「領域展開」?はて、なんのことやら。イチャモンなら呪術高専に通ってからにしてください。




