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悦の権能 その15


 2000年8月6日。

 彼、伊勢(いせ) 健之助(けんのすけ)くんはソファにもたれかかって、目を瞑り、だらしない笑顔を浮かべていた。


 私の呼びかけに応えることも、なかった。


 夢を見ているのだろうか。言葉にならないうめき声を吐き出しては、身体を痙攣させていた。

 あまりにも惨い。これが、「悦」の権能……


 円いテーブルと4つの1人用ソファが中央に置かれた、小さい部屋。

 暖色の照明が弱々しく揺らぎ、点滅する。

 人格すら失った()()()()が、揺らぐ明かりに照らされて、いま、置物になっていく様を見ていた。

 

 私が、やらなきゃいけない。

 もはや三春 風香の、ただ独りの戦い。

 私に残された残機(チョコ)は、4粒。やれる。


 これから、麻谷(あさや) 杏子(きょうこ)が私の運勢を選ぶ番。

 3粒取られたら、次の番で追加で1個。自動的にアウト。


 対して、敵……麻谷 杏子の残りは2粒。私の方が運勢が良ければ、ゲームセットだ。

 これを狙うのが最も近道。高い確率ではないけど。


 そうなれば私が提示するのは、「お出かけ」「冒険」「運動」「デート」のうち、運勢が(よい)の「お出かけ」「運動」「デート」。(ふつう)の「運動」が選ばれるのは避けたい。


 

 実は、この番で主導権を握るため、私は前の手番である()を仕掛けた。

 私は確かに権能を使って、麻谷に向かってこう言ったのだ。


 『私の占いは、1つだけ(よい)。それ以外なら、あなたに勝ち目がある。』


 そしてその番……麻谷は私から()()()(よい)を選び取り、私に勝利した。

 もちろんこれは嘘だ。多分、まだバレていない。


 私はそれまで、権能を使って嘘を言ったことは一度もないから。

 つまり、麻谷にとって……

 いいえ。相手はそんな甘い相手じゃない。




 「はじめますわ、三春様。わたくしがここで終わるか、あなたがこれから終わるか。

 ……はたまた、邪神様が終わるか。

 わたくしにとっては、これが、最後の手番になるでしょうね。」


 重い。麻谷が吐いた艶めかしい声は、刺々しく空間を支配する。 


 「麻谷さん。あなたが人間らしく居られる、最後の手番、ってこと?」

 「いいえ三春様。その確率はほんの少しだけ低いですわ。どちらかと申せば、あなたの方でなくって?」

 そう言う麻谷の声には、少しの揺らぎが見える。

 邪神は腕を組んだまま、いつになく重々しく頷いた。 


 「……そう。で、あなたは1つ、なにを開けるの。」

 私だって終わりが近い。ゴクリ、唾を飲み込んだ。


 「『イメチェン』を開けますわ。」

 なるほど。

 麻谷は1つ、チョコを口に入れる。酩酊した様子の中で、目を凝らして1つの運勢を見ていた。


 私は麻谷の表情を念入りに見る。

 一体、どういう表情なの?なにを引いた?


 全くわからなかった。

 状況によっては、ここで(よい)を提示するのが、かえって悪手になることもある。


 自分自身の権能を限界まで浴び、うっとりと顔を赤らめた麻谷が私を見た。

 「わたくしね、覚えていますのよ?

 ……あなた、アレ以外に(よい)はない、そう仰いましたわね。」


 邪神が口を挟んだ。

 「どうだったか。我には覚えがないが。」

 「あら、邪神様はご存じないでしょうね。三春様の権能で……」

 「言ったわ! 確かに!」


 急いで制止した。

 邪神にまで余計なことを知られれば、私にとっては不都合だから。


 「……知っていますの。

 あなた……口ではどんな嘘も平気でつくような、()()()()()()のくせに……

 その権能では、どこまでも正直。そうではなくって?」


 私の嘘は思いのほか効いているらしい。

 「へえ。()()()だなんて、随分お下品なお言葉を()()()()()()()()()()()()()()()、麻谷様。」

 

 「堕ちるだけの敗者に、淑やかさなど不要。」


 私の過去の()()()()にまんまと引っかかってくれた。

 そのことについて笑みを抑えられなかったけれど、失言への嘲笑でカモフラージュできた。


 「はあ?……いいから小娘、『運動』を見せなさい。」


 ……「運動」!?


 私の「運動」と言えば……(ふつう)。終盤で出すには、あまりにも弱い。

 よりによってそれを……!


 「今、目が泳いわね?」

 どうにか、誤魔化したい。

 私の権能は嘘をつけないと、そう思い込んでいるなら……!


 「見間違い?……目をよく見て?」

 『残念。そこはどちらかというと良い運勢よ。』


 初めて。このゲームで初めて、権能を使って嘘をついた。


 「同時に同じことを言わないでくれませんこと?」

 「()()()()()()()。」


 ここで「運動」を選ばれたら、私はきっとマズい。そんな予感がしてならない。

 手汗を隠して、引き攣った笑みを浮かべる。


 何とか、替えさせたい。

 「『運動』で、いいの? 麻谷さん、私もあなたも無縁の言葉でしょう。」

 

 「……そんなの無意味でしょ。そこらのガキでも知ってる。」


 もう一押し。

 「いやあ、無意味な言葉に意味を持たせるのって、愚かしくも面白いわよね?()()()()。」


 「うむ、愚かしいとも思わぬ。人の(わざ)には言葉、(すなわ)ち意味が付きまとう。

 言葉とは意味と音を持つ記号。

 占いとやらを楽しめ。」


 コイツは、あの晩私をこう呼んだ。「孤高な月」と。

 そんな()()()()()()なら、必ず乗ってくる。

 

 でも、随分私に肩入れしているような気がする。

 いや、邪神に限ってそんなことするかな?

 それとも、何か裏がある……?

 

 私は1つ息を吸って、姿勢を整えた。


 「だって、麻谷さん。」

 「図りましたわね?」

 「まあ、()()()ですもの。楽しまなくっちゃ。」


 「……素直に従うとでも?」

 「決めてちょうだい。」


 「『冒険』にしますわ。今までの会話でわかった。

 ……(よい)はあの1つだけではなかったんでしょう?」

 

 その眼光は鋭い。私も睨み返した。


 「……さあね。」



 「()()()()()、あなたの運勢は。」


 「(よい)。麻谷さん、あなたは?」


 怒りと、焦りと、奥にある諦め。

 全てが綯交ぜの凄みのある声で、女は言った。


 「……(ややよい)。」


 私の、勝ち。


 みるみるうちに生気を失う、麻谷 杏子()()()女。

 「そ、そん、な、フフ、もう1粒……な、なんだか、()()()()わ。へへ。あと2粒で、天国に。」


 ()()?ほざいてろよ、クソが。


 私がそいつに掛けた言葉は、あまりにも陳腐だった。


 「地獄に堕ちろ。」


 おぼつかない手でチョコを1粒取りだした、老婆と目が合った。


 私はその弱弱しい目を見つめる。

 首を掻っ切り、親指を下に向けてみせた。


 私は。健之助くんは。奇跡は。この街は。

 あなたの全てを否定する。






 2000年8月6日。


 三春 風香は嘘吐きだ。

 それでも、権能を使って嘘をついたことは一度もなかった。

 嘘をつかないんじゃない。つけないんだと。


 そう期待したのかもしれない。


 「『冒険』にしますわ。今までの会話でわかった。

 ……本当は、(よい)はあの1つだけではなかったんでしょう?」

 

 勝敗など、とうに決していた。

 私、珍能像も、何もかも、手に入れられなかった。

 こんなに凄い権能を手に入れたのに。

 悔しくて、泣きそう。


 こんな時思い出したのは、祖父、麻谷(あさや) 悦二(えつじ)の言葉。

 

 「丁寧に、お上品に喋る女が一番エエんや。

 言葉が上品だと()()()()も自然とデカくなるぞ。

 杏子や。お前もセクスィー美女になれ。婆さんみたいにな。」

 ……ああ違う、これじゃない。


 「お前は赤ん坊のころから駄々っ子で欲張りだが、賢くて可愛い。

 だから、欲しがれば手に入るんだ、求めなさい。

 だがな、奪うようなことは、するんじゃない。」

 珍しくマトモなことを言ったので、よく覚えている。

 でも、意味がよく分からなかった。


 パラディーソの初代支配人だったお爺様は、2年前に76歳で亡くなった。

 それまで神流(かんなが)イチのエロ親父、エッチ○ポ等々、散々な異名が多かったものの、町の人には愛されていた。学生時代は、祖父のことでよく揶揄われた。


 晩年には一度、

 「ついに()()()かと思ったら、『死神ではない、邪神だ』だとよ。

 よくわかんねぇが気の良いヤツでな、ウチの映画で喜んでたぞ。」

 とも話していた。


 そして、肺がんに罹った。

 発見が遅れただけでなく、進行が速かった。

 あんなによく笑う祖父が、とにかく苦しそうだったのを覚えている。

 祖母はもういなかったし、私の両親も、世間体を気にして祖父とは距離を置いていた。

 

 病室には、離婚して独り身の私だけ。


 成す術などないのなら、せめて苦しまないように祈るだけだった。


 やせ細っていく手を握っていた時。


 祖父は苦しまなくなった。





 そして今から1週間前。三回忌の後。

 

 斎場から程近くにある例の像は、冷え切った親族にとって唯一の話題だった。

 その像の近くで呟いた。

 「お爺様が見たら、きっと喜びますわね。」


 その時像の陰から現れたのは、生前祖父が話した「邪神」だった。

 「何を願う。()()()()よ。」

 邪神がそう言うと、私はその像に触れた。恐怖などなかった。


 「願いは聞かれた。邪神(じゃしん)権能(けんのう)を、神に代わって授けん。」


 ()()に映った紋章は、大麻草の葉っぱに、天使の輪と悪魔の片翼。

 それを見て何故か、私に与えられたのは、()()()()()()()()()だと理解した。


あらすじ:

 三春 風香と麻谷 杏子の一騎打ち。風香が前のターンに仕掛けたハッタリが、麻谷の判断に影響を及ぼしていた。だが、風香は運勢の良くない項目を指定されそうになる。一転して焦る風香であったが、邪神の助けを借りて麻谷の気を変えることに成功する。

 そうして勝利した風香は、皆の想いを胸に、麻谷を全否定する。

 一方、敗北によりなにも得られなかった麻谷は、亡き祖父悦二のことと、邪神との出会いを思い出していた。

 次回、悦の権能編、完結。

 (内容的には8話+8話で2章ぶんなのですが、前半で新たな権能が出なかったので、○○の権能というタイトルの法則的に上手く分けられず……)


tips :

 ・「孤高な月」は、音の権能 その4の内容です。もはや懐かしいです。

 ・「無意味なことに意味を与えて悩むなんて愚かなこと」という風香のモノローグ(その13)が案外大事でした。


補足 :

 「言葉が上品だとおっぱいがデカくなる」という記述は、全くの嘘です。検証しようとか絶対に思わないでくださいね。誰がやってもセクハラです。


補足2 :

 この権能が発現してからどういう経緯で銃の形にするに至ったかの話は、割愛でいいでしょうか。形としてはなんでもアリですが。

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