悦の権能 その14
2000年8月6日。
残り3粒で、僕は脱落する。
いま溢れ出すのは、僕の内なる力だ。
大いなる存在がもたらす力。
神秘的とでもいうような、不思議な感覚だ。
「奇跡」の権能が、この部屋を駆ける。
……そして次の瞬間、それが部屋の外へと出ていくのを感じた。
「奇跡」が、遠くへ出ていった。
「……え?」
何があった?
どこに行った?
僕の権能は、僕を守るものではなかったのか?
邪神が、哀れむような眼差しで僕を見て言った。
「お前の権能は、お前を救わなかった。
だが……お前の権能がここに留まり、我の気が変わろうと、結末は変わらぬ。
それがこのゲームのルールだ。
故に、お前を裁くのは、我である。
ついに……ついに神は、お前に奇跡を与えなかった。
それだけのこと。」
このゲームで、一度も権能が発動しなかったことには、たしかに違和感があった。
こんなことになるなんて。
複数の選択肢から、行動を選ばせる権能。
このゲームにおいて最強であることに、いつの間にか慢心していた。
まさか、全く効果がなかったというのか?
三春 風香が僕の脳内に直接語りかける。
『健之助くん!奇跡の権能はどこに向かったの!?』
……わからない。
だが届いた先は、僕が会ったことのない、名前も知らない男。
50代手前くらいか。
僕は首を横に振った。
邪神が高らかに笑う。
「健之助。お前には最早、奇跡などない!
さあ!我は『夢』を開けたぞ!
お前は我に、何を差し出す?」
邪神の運勢は、全く読めない。
だが、より強く放たれる気迫が、僕を貫いた。
邪神は、本気で当てるつもりだ。
引き分け……僕を一撃で終わらせる、25%を。
高くはない確率が、定められた裁きのようにも思えた。
「奇跡」はない。
それでも、心まで折れるわけにはいかない。
たとえ勝てなくとも、この番を凌いで、麻谷 杏子に少しでも打撃を与えるべきだ。
「……僕からは、何も差し出さない。
今からお前に一矢報いる。
黙ってやられるつもりなど……ない!」
実際、僕に残された運勢はどれも◎だ。
こんな虚勢を張ったところで、なんの意味もない。
「……良かろう。差し出さぬと言うなら、この邪神が奪い取ってやるまで。
では、お前の『願い事』を見せよ。」
なぜだろう。邪神との間に、僕は奇妙な絆を感じていた。
ブラフでも、イカサマでもない。
意味もない、意地の張り合いだ。
「茶番ね。」
そう呟いた三春 風香は、今まで見たことがないほど柔和な、淡く揺れる笑みを浮かべた。
……ありがとう。
あとは、頼んだ。
「僕の『願い事』は、◎だ。」
「……早くしてくださいますこと?」
腕を組んで急かす麻谷 杏子に、邪神が釘を刺した。
「奴は負けておらぬ。
……否、負けてもなお、終わらぬ。
つまらぬ意地だ。
杏子、お前は勇者を知ってるか。」
「いいえ?なんのことやら。」
「だろうな。」
少しの沈黙を噛みしめるように、邪神は言い放った。
「聞け。我の『夢』は。
……◎だ。」
……運勢は、引き分け。
つまり……僕の負けだ。
「3つ、食べるよ。僕の負けだ。」
「イメチェン」「夢」「告白」からチョコを取り出す。
その時、三春のむせび泣く声が、僕の脳内に響いた。
『ごめんね!私、あなたのこと、助けられなかった!
私、結局自分のことばかり……!
あなたのためなんて、口先だけだった。』
「いや……良いんだ、こちらこそ、こんなことに巻き込んで申し訳なかった。」
『違う!違うの……私が望んだ!だからここに来たの!
……絶対に、あなたを助けるから!何年かかっても!
もちろん、田代くんや、街の人たちも……!』
「……すまない、萌々奈によろしく。」
僕は3粒のチョコを、口に含んだ。
……三春の泣き顔が、すごく不細工に見えた。
こんな時に、あの水たまりが手がかりになったなんて、口が裂けても言えないな。
では、行くとしよう。
チョコを噛み、飲み込んだ。
残りのチョコは……0粒。
2000年8月6日。
「……すまない、萌々奈によろしく。」
そう言って、邪魔者が1人脱落した。
伊勢 健之助。
私にとっては、コイツが一番大したことない。
……と、思っていた。
「日下 萌々奈に伝えてほしい。
ちゃんと水分を取ってね。」
その台詞を聞くまでは。
日下 萌々奈。
邪神も頭を抱えているという、権能者殺しの権能者。
そいつの権能は、「熱」らしい。もしここに現れたら、私には勝ち目がない。
……なんてことを、悟られるわけにはいかない。
私は平静を装った。
「あら……伊勢様、残念でしたわ……
その、日下様?に水分補給するよう、わたくしからも伝えておきますわ。連絡先は?」
だから私は、ここパラディーソを会場に指定した。未成年、日下 萌々奈が立ち入れない大人の聖域。
全ては、狂宴を円滑に進めるため。
おそらく……今は白目をむいて痙攣している伊勢 健之助は、それに気付いていた。
とにかく、日下 萌々奈がいない間に、私は私のやるべきことをやる。
「ハッ!健之助よ、それがお前の愛というやつか。食えん男だ。
杏子よ、連絡の必要はない。
そこに、電話が居るではないか。」
そう、私の本当の目的は……邪神だ。
ヤツを薬……いえ快楽漬けにして、消すこと。
確かに、珍能像で私に権能を与えたのも邪神。
……私が欲しいのは、邪神、アンタの珍能像よ。
恩義?ないわ。
私は私の思うままに、権能を与える。
邪神の権能は「星」。
戦闘になれば、私の権能を掛ける前に殺されるに違いない。
このゲームは、非力な私が邪神を消す、千載一遇のチャンスだ。
まさか、ここまでうまく運ぶとは。
尤も、私自身もピンチではあるのだけど。
それも全て……お喋りな邪神から名前だけ聞いてた、三春 風香とかいう女のせいだ。
あまりにも存在感が薄かったこの女は、思いのほか曲者だった。
……電話と呼ばれた女の、「音」の権能。
他人の脳内に直接声やノイズを流す。撹乱に洗脳と、なんでもアリの力。
正直侮っていたけれど、コイツを餌付けして意のままに操れば……私は、全ての人間を手に入れられる。
まあ、人間を操るほどの「悦」の権能は、誰でもサル以下の知能にしてしまうのが難点なのだけど。
この女の……若さ。黒く艶のある髪。白く透き通る肌。力強く大きい瞳。豊かな体つき。生意気な態度。そして強すぎる権能。
「邪神、あんたに言われなくても、伝言くらいするわよ、彼の頼みだし。」
そう返した、聞き取れないほど細い肉声。
……まったく、何もかもが腹立たしい。
コイツはただ操るだけじゃない。壊れるまで快楽を与えてあげたい。
今日だけでなく、何度だって、気持ちよくお漏らしさせてあげる。
私はそう思った。
憎たらしいほど可愛い風香ちゃんに……
尊厳などない、快楽を貪るだけの雌として……ただただ幸せな生を与えてあげたい。
これも全て、この街の、みんなの幸せのため。あなたのため。
私は、全てが欲しい。
人はそんな私を、強欲だと言う。
でもそれは、私にとっての正しさであり、道標。
強欲でなければ、人はなぜ生きるの?
神も仏も、教えと称しては人間から欲を奪いたがる。
私に言わせれば、魂の殺人だ。
麻谷 杏子は、欲に塗れた人間。
快楽を与える権能者。
欲を与える女帝。
……さしずめ、命を与える神。
正しさのため。皆の命のため。
私は、自分が仕掛けたこの戦いを、勝ち抜かなくてはいけない。
泣き腫らした顔の三春が、私に質問した。
「……確認したいのだけど、あなたのシートの残りは?」
このゲームでは、対戦相手の状況を把握するのが定石。
「わたくしの残りは、『イメチェン』と『休憩』。わたくしの番で1つ開けますので、実質残り1つですわ。三春様は?」
念の為確認する。三春は、白々しく数えて言った。
「『旅行』『告白』『夢』『贈り物』の4つ開いてる。」
「ありがとうございます。少し余裕がおありのようですわね。」
私の方が三春より不利……にも思えるが、確率としてはそうでもない。
私の番で私が負ける確率は3/8、つまり37.5 %で脱落。
一方、あの女が先に脱落する確率は……
私の番に私が勝ち、2つ開けさせる確率が 3/8 。
さらに三春の番、邪神に負け、2つ開けて脱落する確率は、そこから 3/8 で敗北した場合だから 9/64 。
私が引き分けを引いて、3つ開けさせる確率が1/4。
自分の番で必ず1つ開けるから、確実に終わる。
2パターンを合わせて……39% 。
残りの23.5%で邪神の番が来る。
だけど……確率なんてのは机上の空論。結局は当たるか外れるか。
だからギャンブルはゲームとして成立する。
それに私は、三春 風香の、音の権能が抱える弱点を見抜いている。
あの女が堕ちる確率は……39%よりも、もっと高い。
「さあ三春様。お次は、わたくしの番ですわ。ご準備のほどは……?」
女が静かに頷いた。
身に迫る恐怖に、肩を竦ませて。
安心して。
……何もかも、奪ってあげるから。
あらすじ:
ついに、健之助の敗北が決定した。健之助の奇跡の権能が発動したかにも思えたが、その権能はなぜか、遠くにいる見ず知らずの中年男性に向かっていった。
脱落する健之助は、萌々奈に願いを託した。
一方で麻谷 杏子には、天敵である萌々奈を遠ざける目的があった。健之助を排除し、邪神から珍能像を、三春 風香から尊厳を奪うために仕掛けられたこの戦いは、ついに最終局面を迎える。
Tips:
長い話ですが、そろそろ終わります。ほんとだって!!マゼカワ ウソ ツカナイ
健之助が「一矢報いる」のは……時系列では直後、物語ではだいぶ先です。
補足:
権能者たちは珍能像単体で権能を与えていると思っています。邪神が直々に権能を与えている(珍能像は単なるシンボル)と知っているのは、実は呉 建炫、エーデルワイスの2人だけです。




