悦の権能 その13
健之助くんの残されたチョコは、残り8粒。
今の手番だけで、彼の失点は最大の5粒。苦境に立たされている。
主催者、麻谷 杏子は残り9個。奇跡的とでもいうべきか、追い込むことができている。
麻谷が私の運勢を選び、比べる番になった。
私……三春 風香の残りは13粒。参加者の中では最も余裕がある。
麻谷は私の目を注意深く見る。獲物を狙うように、冷たい視線だ。
「三春様の開いている運勢は?」
怯んではいけない。淡々と答える。
「『カラオケ』と『ご飯』。」
私の「カラオケ」は○で、「ご飯」は×。
「ふーん。そうですのね。じゃあ、わたくしは『告白』を開けますわ。」
目の前の圧は、一際濃くなる。
恐らく麻谷には、今流れが来ている。
下手に交渉をしても、精神的に疲弊するだけ。
ここは張り合うより、余裕を見せるべき。
それに、前の番で私から「ご飯」を選ばず大敗した麻谷は、その答え合わせをするだけの執念があるに違いない。となれば交渉の余地はなく、自ずと……
「『ご飯』でお願いしますわ。」
「そうね。 ……×よ。残念なことに。」
「ふふっ、そうですわよね。
わたくしも、×。では……」
余裕綽々、艶めかしく笑うその声が、私にはどうも気に障る……ん?
……×!?
いま、×と言ったの?
もちろん、2点は取られる予感があったし、諦めていた。しかしなぜ……
なぜ最弱の×を、これほど自信満々に!!
まるで、私の『ご飯』が×であると……ずっと知っていたかのように!
完全に、油断していた。
もう1点。この差は大きい。
「……『恋愛』と『運動』、『冒険』を開けるわ。」
「うふふ。お願いしますわね。」
少しだけ、痛い敗北。小さな棘。
チョコを3つ食べると、もはやお馴染みの……それでいて眼球の奥、脳の天辺にくる酩酊感だ。
そして次は、私が邪神を攻める番。
「つ、次は……『休憩』を開けるわ。」
もう一つチョコを食べると、眼球が渇く。占いは、△だった。
強くはない。
目の前の邪神に次の番で勝つことが、すごく難しく思えた。
それに、悦の権能のせいか動悸がする。
全体の流れでは、私が有利なのに。
「風香よ、我には5つの択がある。」
運勢比べに勝てると信じて、疑わない表情。
でも落ち着いて、私……!
相手が×と△なら勝てる!たかが50%で、焦る必要なんかない!
健之助くんの顔でも見て落ち着きましょう…… ああ、私よりも余裕ないじゃない!
こうなったら、ヤケ。
「『遊び』を教えて!」
「……余裕がないと見た。我の『恋愛』に興味はないか?」
「ない。『遊び』にする。」
「本当か。」
「ええ。」
私の運勢が良くないことは知っているはず。
「では言おう。我の『遊び』は△。どうだ、当たりか?」
え?
「……あ、当たりよ。私の『休憩』は△。」
当たるとは思っていなかった。
まあ、私が邪神の下手クソな交渉に応じなかった以上、ただの25%、運なのだけど。
それにしても、邪神からはどうにも執念を感じない。
3失点にも全く動じていない。
私とは、正反対。
まるで、コイツの目的がここにないかのようにも思えた。
それとも、ただピンク映画を観たかっただけなの? まさか。
……いいえ。意味なんてないかもしれない。
無意味に意味を与えて悩むなんて、この上なく愚かなこと。
今は集中、集中。
「手強いな。今『お出かけ』『カラオケ』『買い物』を開けたぞ。」
「次、邪神の番よ。」
「うむ。」
健之助くんの開いている占いは、5つ。
邪神は何を選ぶ……?邪神の運勢は?
「我は『冒険』を開ける。さて……」
健之助くんがここで勝たないと……確実に、今後立て直しが利かなくなる。
それだけは避けたい。私は強張った表情の彼に、語り掛けた。
『健之助くん!○か◎になる択を提示するの!最低2択よ!』
二者択一法。相手に選ばせたい選択肢だけを提示することで、都合のいいように話を進めやすくなる。
尤も、今更こんなのが通じるとは思えないけど。何もやらないよりはいい。
……ああ、こんな状態で権能を使うと、体力を消耗する。
「僕の開いている枠だと……『買い物』『出会い』『休憩』がある。」
具合の悪そうな彼が、邪神の目を見据えて言う。
私の言うことを、聞いてくれたんだ。
「そうか。では『休憩』を。」
そして、小さく笑みを浮かべた健之助くんが言った。
「僕の『休憩』は◎だ。邪神、お前のは……」
「○である。勝てると思ったのだがな。」
……やった!健之助くんの顔に、心なしか余裕が戻る気がした……
その時だった。
あ、あれ……?
あまりにも唐突なことだった。
身体中の血管がざわついてくすぐったい。耐え難い不快感と、高揚感を伴う眠気が、突如、襲い来る。
……蓄積した、悦の権能。
意識が……!
あれ?でも体は、動いている。
時間の流れが、わからない。
『……!!』
私、権能で何か言ったのね。忘れたけど。
……で、次は、×の『恋愛』で……
あ、私、負けたんだ。2つ食べなきゃ。
私の番。いつの間に……もう、何でもいいや。
もう1個食べる。
あたまが痛くて、ふわふわして……すごく……
ふふっ。
体の筋肉が、一気に緩む。揺蕩う。
温かくて……
気持ちいい。ずっと、このまま……
このまま……
……
「……きゃーっはっは!アハハ!!ハハ!!ハ……は? 」
自分自身が発する奇声で、一気に我に返った。
周囲の視線が集まった。
なんだか目が回って、耳の先まで赤くなってくる。
「ついに狂ってしまわれたのですわね!!
それでも、ゲームは続行ですわよ!三春様!!」
殺気にも似た、麻谷の気迫に、体が目覚める。
私のシートには、穴が増えていた。
長い間、無意識だったらしい。
というか……お腹から下が生温かい。
嘘……私、こんな状況で!?
私が座る布地のソファと、毛足の短いカーペットには染みができていた。
テーブルで隠れて周りには見えてと思うけど……ばれたら大変。
部屋の隅にいる、男に権能を掛けた。
『……タオルケットを持ってきて!あと濡れモップとバケツも。』
それでも私が、彼を守る。
情けなくたって、気絶してる暇はない!
私の開いている穴は……
12個開いているから、残りのチョコは6粒。
開いている占いは『お出かけ』『冒険』『出会い』『運動』『デート』。
『ねえ健之助くん。いくつ残ってる……?』
彼は私の方を見て、3本指を立てた。
私が気絶して、無意識でゲームを進めていた間、やはりゲームは動いていた。
麻谷の残りは……
「わたくしは『願い事』を開けましたわ。わたくしは残り4粒。危機的状況ですわ。」
その言葉に、焦りは微塵も見えない。
「さて三春様……どういたしましょう。」
幸い、私の占いはほとんどが◎。この番を乗り切れば、麻谷を一気に追い込める。
『私の占いは、1つだけ◎。それ以外なら、あなたに勝ち目がある。
当然、あなたが◎を出せば、覆せるけど。』
権能で麻谷に語り掛け、逆のハッタリを仕掛ける。
「つまり。あなたは確率上、私に負けない。」
「……ふん、口だけなら何とでも言えますわ。『出会い』をお見せくださいまし、小娘。」
そう、私の「出会い」もまた……
「◎。残念ね、おばさん。」
「……『ご飯』を追加で開けますわ!!」
麻谷 杏子、残り2粒。
この勝利は、私にとっての布石になった。
そしてタオルケットが届くと、私は濡れた膝下を隠した。隣の総支配人がそれを知れば、怒り心頭ね。
次の番。
私はシートに目をやると、「買い物」を開け、チョコを食べた。運勢は、×。
私は次で、邪神から25%を当てなきゃいけない……!
選択肢は、5つ。
邪神の残りは……4粒。
私がこの番に、邪神に3粒食べさせれば……
次の邪神の手番でもう1粒。必ず邪神が脱落する。
これ以上ないチャンス。
『私は今ここで!当てる!『お出かけ』よ。」
邪神は言う。
「お前に我は裁けぬ。既に決まっていたのだ。」
「御託ならあとでいい?」
「よかろう。『お出かけ』でよいか。」
邪神から、やはり焦りなど感じられない。
×が出ますように!
願いを込め、頷いた。
邪神がシートに目を落とす。
「◎だ。言ったはずだ、裁けぬと。」
「……そんな!」
おかしいことじゃない。
でも……これで残り3粒の、健之助くんの脱落が現実味を帯びる。
彼が生き残るためには、邪神からの攻撃を0失点で抑え、麻谷への攻撃に成功しなければいけない。
その確率は、えっと……約23%。正直厳しい。
私は追加で「告白」を開けて、残り2粒。
邪神の番がやってくる。
「健之助、お前が最初に脱落するのだろうな。何を言い残す。」
「そうだな……三春さん、日下 萌々奈に伝えてほしい。
ちゃんと水分を取ってね、と。」
ムカつく。なんでアイツなんか。
それにこの期に及んで、熱中症対策?
麻谷がハッとして、目を大きく見開くのが見えた。
……ああ、なるほどね。
「我が宿命を、葬らん。」
邪神の言葉。
その瞬間、私は感じた。
健之助くんから、不思議な力が流れ出ていくのを。
そう、あれが彼の……
「奇跡」の、権能!
あらすじ:
ゲームは続く。参加者の中で最も残機が多い三春 風香であったが、麻谷 杏子がさらに追い上げを見せる。
そして、悦の権能で我を失った風香が目を覚ますと、健之助は危機的状況に追いやられていた。
絶体絶命の健之助は、愛しの萌々奈に熱中症対策を呼びかけると同時に、ついに奇跡の権能を発動する。
次回、決着は如何に。
Tips:
長々と数学の話をさせていただきます。
「残り3粒の健之助が生き残る確率は、23%」という風香の計算です。出てくる運勢はわからないので、◎○△×が1/4ずつの同様に等しい確率で出ると仮定します。
まず運勢を比べる時には、自分と相手の運勢の出方は、4通り×4通りで全16通り。
組み合わせを全部書き出すと、勝つパターンは6通り、負けるパターンは6通り、引き分けのパターンは4通りあります。
したがって、勝つ確率、負ける確率はそれぞれ6/16。(約分はまだしません)
引き分けの確率は4/16です。
1回の手番で消費されるチョコは、攻撃を受ける時と、攻撃を仕掛ける時の合計値を考慮しないといけません。つまり、今回求めたいのは健之助の合計の失点が2点以下になる確率です。
攻撃を受ける時……健之助視点で負ければ2点、勝てば0点、引き分けなら3点失います。すなわち、ここで勝つのは必須です。
負けたら2点ですが、次に必ず1点消費してアウトなので、負ける確率は除外します。
そうなると、0点の勝ち以外許されないので、6/16です。
次に、その上で攻撃を仕掛ける時……コストとして必ず1点支払います。負ければ追加で1点、勝ちもしくは引き分けで0点追加です。
失点を1で抑えるには、負け以外なら良い。すなわち、10/16となります。
この2つの確率は同時に起こらなければいけません。その時、確率同士の掛け算で求められます。
6/16 × 10/16 = 15/64 ≒ 0.234
というわけで、健之助の生存率は23%です。以上、応用中学数学でした。
補足:
風香の意識が飛んでいる間に、ゲームは1週してますし、彼女は無意識でプレイしてかなり点を取られています。




