表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
54/62

悦の権能 その8

 2000年8月6日。


 ここは、古めかしい映画館。

 くだらないピンク映画を観終わった僕たちは、赤い壁に覆われた薄暗い廊下にいた。古くても座り心地のいい1人用ソファが、3脚並んでいる。


 僕、伊勢(いせ) 健之助(けんのすけ)はというと……後ろ手で手錠を掛けられ、ソファに座っている。

 その右隣に邪神(じゃしん)、そのまた隣では三春(みはる) 風香(ふうか)も同様に、手錠を掛けられてソファに座っていた。

 目の前には、僕たちに手錠をかけたと思しき二人の黒い背広を着た男たちが、ただ無言で、そこに仁王立ちしている。


 さて、あれからあまりにいろいろなことがあって、僕は少々混乱している。今のうちに振り返っておきたい。



 喫茶店を後にした僕と日下(くさか) 萌々奈(ももな)は、車に乗った。


 「今度は、私の方から言わせて欲しいな。」

 僕がシートベルトを締めると、助手席の彼女は僕に言った。その後、ほんの2、3秒だった。

 ……僕の左の頬に触れた、()()()()をよく覚えている。


 そのせいあってか、車内では行きと違って大した話はできなかった。ただ、僕にとって彼女が、これまで以上に大胆で魅力的に映ったのは間違いない。

 つまるところ、緊張したのだ。


 時刻は16時50分。彼女を家の近くに送り届け、僕の自宅前の駐車場に戻った。すると、見慣れた女が立っていた。

 「健之助くん?遅かったのね。」

 「なんで住所まで知ってるんだよ……」

 「何でも知ってるわ。あの娘よりもね。」

 それが悪質なストーカー、三春(みはる) 風香(ふうか)だ。変な勘違いをされても困るし、僕の方からはできるだけ黙っていよう。

 「ピンク映画、見に行くんでしょ?そしてその勢いで……ふふっ。」

 変態の戯言を聞き流しつつ、後部座席に座らせた。ピンク映画館、パラディーソまではそう遠くない。


 街は項垂(うなだ)れて呆然とする人々や、座り込んでサイケシューターを弄る人、凶器を持って彷徨(うろつ)く人など、まさにゾンビタウンといった様相だった。


 『田代君も、邪神に()()を使われたのよね……?その悦?の権能を解く方法はあるの?』

 三春は音の権能を使って、僕の脳内に直接語りかけてくる。運転中に気が散るので、心底やめてほしい。

 「方法はわからない。だから、会って直接見抜ければいいと思ってる。」

 一応、僕の権能は相手の権能を短い間だけ止めることができる。だが、三春 風香という底の知れない女には、その奥の手は隠しておきたいと思った。

 『そう上手くいくかしらね。』

 「さあ。逆に、音の権能を解く方法はあるのか?」

 彼女は、僅かに嬉しそうな声色で答えた。

 『いい質問ね。……例えば日下 萌々奈は、熱膨張によって音の伝播を妨げた。

 私の権能は対象指定ができるだけで、その性質以外は本物の音と同じだから。あの女みたいな離れ業ができる人はいないし、権能者じゃなくても防ぐ方法はあるんだけど……』


 「あるんだけど?」

 『……あなたにだけ、教えてもいいわ。夜の個別指導で、手取り足取り、ね?』

 やめとこう。なんとなく聞いてみただけだし。

 「とにかく、『悦』にもなにか弱点がありそうだ。」

 『そうね。』

 

 パラディーソの駐車場に車をとめて、僕たちは入り口に向かった。目についたのは、印象的な金髪と黒いコートに、遠目でもわかる不気味なオーラ。

 「ハッ!健之助に風香よ!我の予想より少し遅かったか?まあよい。チケットは持ってきただろうな?」

 待ち合わせの時間なんて、言わなかったじゃないか。

「ああ、僕が2枚分持っている。」

 

 そう言って、後ろにいる三春に1枚のチケットを手渡した。

 全く、今日は厄日だ。僕にとっては、これ以上胃が痛い組み合わせがあっただろうか。

 (たち)の悪いストーカーだけでなく、危険な戦いに巻き込まれる羽目になった全ての元凶と、仲良く並んで映画鑑賞だとは。


 再び、僕の脳内に声が響く。

 『健之助くん。田代くんは、邪神のせいで……!

あなたの合図で、すぐにコイツの耳を破壊する。私に命令して。』

 いきり立つ三春に対して、僕は()()()()を作って首を横に振った。

 『……そう。わかったわ。彼がああなったのは邪神のせいだし、元となる権能も、邪神のせいではある。

 だけど、治すためにはその権能者の手掛かりが不可欠。そうでしょ?』


 僕は大きく頷いた。異常なまでに察しが良くて助かる。

 『あなたのことなら、なんでもお見通し。』

 助かるのだが、脳内に直接語り掛けるのはやめてもらいたい。


「さて、映画を観るとしよう。開演は17時20分。身の安全のために、我々は固まって入ることとしようではないか。」

 邪神は嬉しそうに言った。そもそも、ヤツに性的指向や、性別というものがあるのだろうか。

「……そうしましょう、邪神。健之助くんも。」


 映画館には2つのスクリーンがある。スクリーン1の方に、僕たち3人は行った。赤い壁紙の廊下を通って中に入ると、僕たちの他には10人の男が既に入っていた。

 もちろん、玩具(サイケシューター)を持った男も数人、その中にいる。


 「ねえ邪神。明らかに、ヤバい気配がするわね……」

 三春が不安そうに尋ねると、邪神は薄気味悪い笑みを浮かべて答えた。

 「ここが『悦』の権能者が根城だ。心しておけ。どこから弾丸が飛んでくるか、我にもわからぬ。」

 邪神がそう言うと、三春は固唾を呑んだ。


 僕たちは右側後方の入り口からスクリーンに入り、左側の壁沿い、真ん中の列に陣取った。周囲が見渡せるという点では最後方がよかったが、後方の席は多くの人でひしめき合っている。

 しばらくして3人、ちらほらと客が入ってきた。時刻は17時18分。開演まであと2分。

 

 客入りが途絶えると、邪神は頷いて言った。

 「ああ、風香よ。問題ない。全く、お前は何を躊躇しているというのだ?

 サイケシューター……つまり『悦』の権能が解かれない限りは、人間を辞めたも等しいのだ。

 己の身を守るために、為すべきことを為せ。その権能で何人の犠牲が出ようと、我にはお前の方が重要だ。」


 三春は音の権能を使って、邪神の脳内に直接語り掛けたのであろう。三春が邪神に話したことは、その返答からなんとなく想像がついた。

 邪神なら、きっと躊躇なく撃ってきた相手を殺す。しかし三春には、そんなことはできないだろう。


 今だって、僕たちが何か会話をするたびに、周囲から好奇の視線が集まってくるのをひしひしと感じる。

 上映中は、会話を控える……当たり前だが、今回はそれが生命に直結する。


 僕たちは沈黙した。そして、開演のブザーが鳴ると同時に、非常灯を除く照明が消えた。


 すると、後ろの客席の男たちが、なにやらゴソゴソと動き出した。気になって映画どころではない。隣を見ると邪神が画面に見入っている。こんな状況で、大丈夫なのだろうか。

 それにしても、つまらない話だ。


 『健之助くん、今は映画に集中して。後ろからの話し声を聴いたの。()()()()()()()()()()、と言っていた。つまり、奴らは総支配人……恐らく悦の権能者の命令がなければ、私たちに危害を加えないと考えていい。』

 また脳内に語り掛けられた。安心して良いのだろうか。


 あまりのつまらなさに眠くなりながら、スクリーンを眺めた。内容はあまりにも頓珍漢で頭に入ってこない。僕が眠りそうになると、邪神が僕の肩を肘で小突いて起こした。

 依然として、危険な状況であることには変わりないのだろう。


 映画も中盤に差し掛かる。

 『うわ健之助くん、ああいうことされると、男の子って嬉しいの?』

 ……知るか。


 突如、前方に座った一人の男が、席を立っていきなり大声で「わ!」と言った。

 『悦の権能にやられて、嬉しくなっちゃったみたい。でもちょっと邪魔ね。』


 後ろに座っていた男たちが一斉に走り出す。8人くらいだろうか。黒い影はほんの数秒で、一人の男を取り囲んだ。

 全員が、サイケシューターと思しき銃を取り出すと、刹那、騒いでいた男がその場に倒れ込んだ。

 「1発でも廃人と化す。では8発食らえば……?」

 邪神が僕に耳打ちした。


 そうして、映画は終わった。あまりにくだらなくて、内容は何も覚えていない。


 総支配人に用がある僕たちは、できるだけ遅くここを出ることにした。


 他の観客が出終わると、まだ席に座っていた僕たちの前に、背広を着た二人の男がやってきた。

 「邪神様とお連れ様、総支配人がお待ちです。」


 「そうか。では伝えてくれ。コーヒーでいい、と。」

 邪神がふんぞり返って言うと、男の一人がこう答えた。

 「お言葉ですが邪神様。『これで十分』、とのことです。」


 すると二人の男は、両のポケットから計4丁の玩具サイケシューターを取り出した。そして、僕と邪神、邪神と三春に、パシン、と撃った。


 ヤバい、意識が……

 「問題ない。2分で解ける。さあ立て。」

 僕たちは二人の男に連れられて、促されるまま廊下に出た。


 こうして、今に至ると言わけだ。

 上の階から、カツン、カツン、とヒールの音が響いていた。

あらすじ: 萌々奈とのドライブの後、健之助は、三春風香、邪神と共に、「悦」の権能者が総支配人を務める映画館、パラディーソへと足を踏み入れる。そこは玩具(サイケシューター)が支配する異質な空間。終演後、3人は2人の男に捕らえられてしまった。


Tips: こういう映画館って、実は各種文献を見たイメージだけなのですが、いつか行ってみたいです。なぜ敢えてそういうロケーションなのかは追々。


補足: 邪神だけ2発食らったのは、宙の権能編でありましたが、邪神は人間に比べて悦の権能の効きが弱いからです。なぜ邪神も?というのは追々。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
目まぐるしいテンポで進んでいって心臓バクバクします…!! 百々奈ちゃん、かわいかった…泣 健之助くんと三春さんの間の緊張感がたまらないですね…(あと後部座席に乗せられた三春さんに、ちゃんと線引きされて…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ