悦の権能 その4
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年8月4日。
冷田 篤志は相変わらず、407号室の病室に居た。
病院に何秒いんのかなんて、今さら数えようもねえ。
そんな俺は高校からの悪友に頼み……エロ本を届けて貰っていた。そいつが言うには、最近営業再開した本屋で買って来たらしい。
確か、元カノの猫崎 唯を卑怯な噂とかで追い詰めたアイツ……忘れもしねぇ、萌々奈ってヤツがバイトしている本屋。
俺は高校を卒業してからそこには行ってないから、バイトが入ったことなんて知らなかったけど。
2週間前か?その本屋がニュースに出た。
こんな近場で、人殺しが起こるなんて。その後、取り壊し予定の建物で、犯人は重症を負った状態で捕まったと聞いた。この街も、随分物騒になっちまった。武装が必要かもしれないな。
俺には氷の力があるから、何かあっても戦える。だが、力を持ってない奴は、これからどうなる?
こんな時に、俺はなにをやってるんだ……!
窓の外を見る。かなり遠くの方に、ギラギラと光るアレ像を見つけた。
こんな力、要らなかったんだ。でも、多分邪神に気に入られた俺は、唯の何気ない言葉を思って……氷の力を授かった。
俺が望んだというより、邪神が与えたかった。今となっては、そうとしか思えない。
そういや、唯と別れてから暫く経つなぁ。別れを切り出したのは、俺の方からだった。
理由?簡単だ。面倒くさくなったからだ。
女ってのは何考えてるのかわかんねぇ。特に、唯はコロコロ機嫌が変わるんだ。さっき元気だったのにすぐ泣いたり。
それに、女同士の陰口なんざ、よくある話だろ?冷静になって考えてみりゃ、どうして俺がアイツに服従して、復讐の手伝いをしなきゃならなかったんだ。
あの時は、好きな女のためならなんだってやるんだ、って思ってたよ。……カッコいいだろ?
でもさ、あそこまでやる必要なかったって思う。
あんなことに首突っ込んだせいで、入院する羽目になった訳だし。
気づいたんだよ。都合よく利用されてただけだって。
あんなヤツ、別れられて清々した。精々次の男でも見つけやがれ。
暇になると、どうにも唯の顔が浮かぶ。こんな状態であと2ヶ月はこのままらしい。体は動くのに、もどかしい。
サイドテーブルのティッシュ箱もどかし、悪友に届けて貰ったエロ本に目をやる。
俺の趣味、ちゃんと伝えてなかったな。
表紙に書いてあったのは、「実録!熟女戦隊ゼツリンジャー!!♡淫靡な罠と熟れた果実♡」の文字。不細工なオバサンが5人並んでいる。
……マジかよ。
俺の趣味じゃねぇ。こんなの本で読んでどうすんだよ。
絶対わざとだ。熟女コーナー、縮小したんじゃなかったのかよ……
呼びつけても違うのを買わせたいが、「お前のセンスに、任せんっす!」と言って、多めに金を渡しちまったからなあ。
「ま、読んでみっか……」
ページを1つ捲ると、母親より少し年下くらいのおばさんが5人、ピチピチの戦隊服を来ていた。赤、青、黄色、緑、ピンクか。戦隊はあまり詳しくないが、タイムレンジャーと同じ並びか。
全体的に、特に青と緑に至っては、腹の肉がでっぷりと出ていて……うん。
そもそもよォ、オバサンは趣味じゃねぇんだ。
そして次のページでは、もはや誰も戦隊服を着ていなかった。
「チェッ、タイトル詐欺かよ……」
思わず、声が漏れてしまった。
色で判別していた俺には、誰が写っているのか分からない。
期待するものもないが、酷い。もう置きたい。
だが、読み進めた。赤色の戦隊服が破かれて、胸が露わになったページ。戦闘服が写真に出てきたのは、この1ページだけだった。しかも、肝心なところが観葉植物で隠れているというオマケ付き。
まったくもって興奮しない。
なんかこう、踏ん張り時なのかもしれないな……
そう思って俺は、再び読む。
中学時代は、野球部だった。球拾いに走り込みの日々。今まさに、あの時の気分を思い出していた。
このエロに耐えろ。漢、冷田 篤志、耐えて耐えて耐え抜いて、強くなってみせる。
男が強くなるのに、理由なんていらねえ!
2周。3周。
そろそろ、女優の顔と名前が一致しかけてきた。
あと1週もしてくれば、レンジャー要素が現れんじゃあねえか?
そうして時間が過ぎる。
俺は……何をやってるんだ?
もう、何週したかわからない。全くレンジャーである必要を感じないし、オバサンはオバサンだった。
それでも俺の心は既に、さらなる高みに到達していた。空調の流れ、隣の爺さんの胃が悪いこと、俺の体内を巡る権能……手に取るようにわかった。
その時だった。全身の神経を研ぎ澄また俺は、下の階から突き刺すような圧を察知できた。
「なんだ……?もしかして、邪神か!?」
俺はその本を投げ捨て、病室のベッドを降りた。まだ皮膚が引き攣って痛い。
次の瞬間。
「……地震!?」
隣にいる爺さんが声をあげて驚き、慌てふためく。俺にだって、何が起こってるかわかんねえ。だがこれは……地震じゃないのは確かだ!
床に鉄球が何度もぶつけられるような振動。
下の階で、とんでもねえことが起こっているに違いねえ!
床にはヒビが入り、鉄骨に何かが激しくぶつかる音がした。そこにはサッカーボール大の穴が開いていた。床の鉄筋とコンクリの隙間から、下の階が見える。
まったく、なんて威力なんだ……!
やがてすぐに、ガツガツと床を打つその音が止むと、俺は床に張り付いて穴を覗き込んだ。
緑の非常灯に照らされた下の階は、まさに廃墟みたいに見える。
まさか邪神が、これをやったってのか……?あまりにも強すぎる。病室は、無事なのか?
ん、アイツは……
あの日萌々奈に何かした、あの男だ。今の俺になら、その言葉が聞き取れる。
「田代 雅樹に、何の用が?」
知らない名前。邪神と関係あんのか?
この穴から、邪神の姿は見えねえが……俺の研ぎ澄まされた感覚が、圧倒的な存在感を前に「逃げろ」と叫ぶ。垂れる冷や汗がくすぐったい。
「『宙』の権能者、田代 正樹は我に挑み、敗れた。そんなことより、健之助……お前の力は、何だ?」
ああ、健之助って言うのか。
俺には、淡々と喋る邪神の感情が全く読めねえ。怒り?それとも好奇心?
「田代くんが権能者……?それより邪神、お前はいったい、何をした!」
健之助の声は怒りに震えている。
「我が問いに、答えよ!!!!」
そこに邪神がデカい声で被せた。
「……知らない。僕は珍能像には、触れていない。」
邪神はまた冷静になった。
「ああ、お前は触れていない。だからお前の権能を、我は認めておらぬ。だが、我は見た。
お前に力を与えたのは、世の全てを識る大いなる存在であることと、我の権能を打ち消す力であることを。
お前は、我が権能の才を持たず、力を渇望せず。何も無い小さき者だ。……それなのになぜ神は、お前に力を与えた? 」
健之助。普通の人間じゃねえのはわかる。でも、神の力だと?アイツは、何者だ?
健之助は、握り拳を作って言った。
「僕に図れるものじゃない。だから知らない。
それでも!僕が、お前を否定しないといけない!
この街を、人を、壊す権能を!」
俺には分かる。ここ神流町を守るという、確固たる決意だ。やっぱ健之助……漢だ!
すげえよ、あの邪神を相手に。
俺は、唇を噛んでいた。
「壊す……?人聞きが悪いな。」
「神様には詳しくない。でも神様だって、珍能像に『星』の権能……お前の横暴を止めたいはずだ!
さて、もう一度聞く。お前が使った力は、『星』だけじゃないんだろ?田代くんに、何をした。その力で、何をするつもりだ!」
「フッ、健之助よ。呉 建炫が言う通り、お前は聡い。」
「それは……エアガン?」
邪神は、なにやらエアガンを取り出したようだ。
「左様。このサイケシューターは、『悦』の権能の依り代だ。
田代 雅樹には……我が直々に、永遠の幸福を与えた。」
「永遠の幸福」、その言葉に底知れない気持ち悪さを感じたのは、俺だけじゃないはずだ。雅樹って奴に、恐ろしいことが起こってるに違いねえ。
俺には「エツ」が何なのかサッパリだけど。
「邪神!!どうして……どうしてそんなことができるんだ!!……それで、『悦』の権能者はどこに?」
叫ぶ健之助に、邪神は嬉しそうに答えた。
「お前ならそう言うと思っていた。ヤツがお前に会いたがっている。2日後の夜、『パラディーソ』であるゲームを開く。」
パラディーソ?なんでそんなとこで。
「パラディーソ?」
健之助は行ったことないらしい。
「そうだ。このチケットを、お前に二人分やろう。だが日下 萌々奈は連れてくるな。」
……いや、そんな場所で、一体なにを?
だが今日わかった。
本当は俺がやるべきなのかもしれない。
でも俺は、この件に関わらねえぞ。
この神流町は、危険すぎるんだ。
その時だった。
肌を刺すような圧が、一瞬で消えた。
あらすじ: 日下 萌々奈に敗れ入院していた冷田 篤志は、趣味に合わないエロ本を読んで己の精神を鍛えていた。しかし下の階では健之助と邪神の壮絶な戦闘が起こっていたようで、篤志はその後のやり取りを目撃する。
圧倒的な「星」の権能。よくわかんないけどスゴい健之助の権能。よくわかんないけど怖い「エツ」の権能。篤志は、自らの力不足を嘆いていた。
そこで健之助は邪神から、「悦」の権能者が待つ「パラディーソ」でのゲームに招待される。チケットは二人分。邪神は、萌々奈は呼ばないように言った。その理由を篤志は知っているらしいが……?
tips: 「実録!熟女戦隊ゼツリンジャー!」は実在しない作品です。本で読んだら絶対微妙+読者の誰が読んでも微妙だという感覚を狙ってみました。言葉の羅列で微妙さという感覚を植え付ける……これぞまさに文学ですね。違いますか?
あ、タイムレンジャーは、2000年2月から放送されていたスーパー戦隊シリーズです。
全く興味のない成人誌をひたすら読み続けることで第六感が覚醒する……というシチュエーションって、私はやったことないですが、あると思います。
補足2: 篤志から邪神の顔は見えていません。それほどの範囲を見渡せる大穴が鉄筋造りの病院に空いたら不自然ですし、流れ弾が篤志に当たってしまいます。




