悦の権能 その3
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年8月4日。
伊勢 健之助はドラマティック個別スクールを飛び出した。
ストーカー……いや同僚の三春 風香が確かに見抜いていた、予感。
田代 雅樹に起こった、あまりにも不可解で理不尽な出来事。
思えば、警察も手に負えないような戦いが、この数日で当たり前になっていた。そんな僕が、田代くんのお母さんからあんな話を聞いて、素直に引き下がれるわけがない。
それに僕の権能は、話の裏に潜む、権能の影を察知していた。恐らくこの件に、邪神が直接関わっていると。
住宅街の中を、駅前を目指して走る。町で最大の中央病院はここから遠く、バスかタクシーが必要だ。
真夏の日差しの中を、動きずらいスーツが肌に張り付くが、走る。
神流町駅前のロータリーには、1台緑色ののタクシーが止まっていた。代金が痛いが、今はそんなこと言ってられない。
「お願いします!中央病院まで!」
僕はタクシーに乗り込む。
「はいよー、お客さん急いでるみたいだけど、安全運転で行くからねー。」
冷房のよく効いたタクシーが走り出した。
金曜日の昼間でも、駅前の道路は混雑している。そのため、タクシーは線路沿いの薄暗い裏通りを通っていく。
飲食店の裏口や、空き瓶にゴミ箱が並ぶその通りを、窓から眺めていた。
「あー、あれ……なにやってんですかね?お客さん、若い人の中では、ああいうの流行ってるんですか?」
運転手は不思議そうに外を見て、僕に話し掛ける。
通り過ぎる窓から見えたのは、スーツを着た30代らしき男だ。
ビジネスバッグを汚れた地面に放り投げ、座り込んでいた。
やつれた表情で手にしていたのは……エアガン?
「いやー、知らないですね。」
いい大人がぐったりしながら使うものではないと思うが。
リアウィンドウからは、エアガンの銃口を……自分の頭に突きつけている男が見えた。
……まあ、そういう趣味があってもいいか。僕には到底理解できないが。
運転手と天気の話とか、最近発行された新500円玉のことを話しながら、すんなりと病院に到着した。
「2500円でーす。」
3000円を渡すと、真新しい金色の500円玉が返ってきた。少しだけ嬉しい。
病院に到着してすぐ、総合受付に駆け寄る。平日だけあって、それほど混んでいなかった。
「面会を希望します!田代 雅樹という人は入院してますか?」
僕が受付の看護婦に尋ねる
「お客様、お名前お伺いしても?」
「伊勢 健之助です。」
「伊勢様ですね、少々お待ちください。」
ぶっきらぼうに答えて、キーボードを弾いた。
「307号室の田代様は、ただいま面会謝絶です。どうかお引き取りください。」
「その理由について、何か聞いてますか?容体は?」
「いえ、何も。」
「……調べてください!」
その看護婦はマウスを動かして言う。
「背中の裂傷と火傷、幻覚、妄想、意識障害……当院の医師が鋭意対応中です。他に何か?」
「そうですか。ありがとうございます。」
総合受付を引き返そうとした、その時だった。
「そういえば、さっきも田代様の病室に、面会を希望する人がいました。」
「そ。それは誰かわかりますか!?」
嫌な予感がした。前のめりの僕に、看護婦は眉をひそめて言う。
「確か……『邪神』を名乗る、見るからに不審な人物です。田代様の病室前に警備員を向かわせましたので、今頃取り押さえられているところかと。」
「……ありがとうございます!!」
ここに来たのは、無駄足なんかじゃなかった!
僕はついに、ヤツと対面する!
震えている。胸が高鳴る。
まだ見ぬ権能の根源に。この街を覆う悪に。
僕は恐怖しているのか?
それとも、僕の権能が……邪神を、滅ぼそうとしているのか?
受付前を通り過ぎ、階段を上る。2階。そして雅樹くんの病室がある、3階。
階段の隅では、二人の酩酊した警備員が横たわっていた。そのうちの一人が僕に向かって、気分が良さそうに何か話しが……全く呂律が回っておらず、全く聞き取れない。
警備員をよそ目に、3階の廊下に出る。
僕の権能が、全身に警報を鳴らす。
そこいたのには、たった一人。
長い金髪に黒いマント。その背中が放つのは、珍能像が放つオーラにも似た、圧倒的な禍々しさだった。
ゴクリ、息を飲む音が、体を巡る。
そいつは振り返ることなく言った。
「ここで会えると思っていたぞ、我が宿敵よ。」
宿敵……?呉 建炫も、そんなことを言っていたような。
「お前が、邪神……!」
邪神が革靴をタン、と鳴らして振り返ると、その深紅の瞳が僕を捉えた。
「伊勢 健之助よ。お前とは話したいことが星の数ほどあるのだ。我は邪神。ここ神流町を根城とし、新たなる世界を創る者……この世の、支配者だ!」
「……!」
体が震える。何に怒っているんだ?いや、違う。これは僕の感覚では量れない、大いなる意思。
不思議な感覚が、僕の全身を包む。神秘的、とでもいうような感覚。
導かれるように流れ出た、僕の言葉。
「邪神……今はそう名乗っているのか。
神に廃されてもなお、神の如く崇拝され、神の如き力を振るうことを、夢に見るか。
悪魔であるあなたに、神の世の支配などままならない。」
これは、僕の口から発せられた言葉なのか?
邪神は、高らかに言い放つ。
「……お前は、誰だ?言っておくが、夢などではない。
我こそが!迷える民に新たなる奇跡を与える!
神よ!姿を現せ!
もし!神が全能であるなら……今ここで!
……我が混沌を、神への憤怒を!その権能で制してみよ!!」
僕……?は淡々と、こんなことを言った。
「悪魔よ。あなたの主である神を試すな。
神に導かれた民を、偽りの神を以て惑わそうなどとは、決して考えるな。」
邪神は、僕の言葉にニヤリを笑う。
「神を試す?否!!神を、その王座から引きずり下ろすのだ!」
「……廃されてなお、神に挑むサタンよ。終末に、あなたは再び滅びる。」
「終末などあり得ん! さあ、滅びゆく神に伝えよ! 邪神が為に、エデンの果実でも用意しておけとなッ!」
邪神は片足を下げ、両手を広げた。背後には、禍々しい暗雲。その一瞬に、無数の輝きを抱く。
僕は臨戦態勢の邪神を冷静に見据える。
「……紛い物の『星』か。哀れな悪魔よ。」
この全身が朝日を纏ったような、淡い輝きに包まれた。
権能が、滾る!
目の前の邪神は、僕をまっすぐ見つめた。
「健之助ェェ!!!!我は悪魔ではない!邪神だ!!
……お前の前にいるのはッ!!新しき神!
神に廃され、真の復讐を誓う神だ!
即ち……廃神なのだッ!!」
邪神が放つ星雲が弾けて膨れ上がる。
一瞬で病棟の廊下を埋め尽くした。
そして……無数の煌めきが、僕に襲い掛かる!
1秒間に1つ以上の、小さな星が撃ち出される。
炒られたポップコーンのように、次々と打ち出される、殺意の彗星。
足元に飛んできた星を躱すと、病棟の床には、痛々しい焼け痕ができていた。
星が右肩を掠めると、服に切れ込みが入り、切り傷ができた。
頭を傾けると、飛来する星は風を切り、耳のギリギリを通り抜けた。
それでも僕の権能は、この星の避け方を知っている。
体を素早く操る。星の合間を縫う。
星の軌道はあまりにも単調。権能が導くまま動けば、避けられる。
……だが、あまりにも多い!それに、一度当たれば終わり。
無数の星が描く弾幕の中。僕は再び、何かに導かれて邪神に語り掛けた。
「しかし悪魔よ。ひとつ言っておく。あなたが再び滅びるのは、今ではない。その石を納めよ。」
僕を包む輝きが、一段と強まる。
邪神は禍々しい星雲に、より大きな輝きを蓄えた。
その時……僕の頭に突如流れ込んできたのは、別の声だった。
『健之助くん! まさか邪神と戦っているの!? でも あなたは、田代くんに何があったか確かめに来た!! 今のあなたじゃ、そいつに勝てない!』
……三春 風香の声か。なんだよこんな時に!
でも待てよ。確かに僕は、邪神と戦いに来たわけじゃない。
「待ってくれ、邪神!今は……」
「我が権能を脅かし、神に与するお前を……活かしてはおけぬ!」
星が瞬き、僕の眼前に迫る。天井を埋め尽くす星々が、僕を撃ち殺さんと蠢く。
それに呼応するように、僕を包む光が段々と強まった。
『……健之助くん! 死なないで!お願い!!』
わかってる。
だから僕は……この権能を振るう!
僕の全身から、柔らかく放出される光。
神秘的、とでもいうような感覚。
僕はイメージした。放たれる光が、空間を覆いつくす闇を真っ直ぐ照らし、そのまま、飲み込んでいく様を。
「健之助!お前、何を!!」
邪神の声をよそに、その閃光は長い廊下の端を照らしていく。
病棟の廊下を包んでいた暗雲は、星々とともに消失していた。
壁や床が現れると、それは無数の小さな彗星が衝突した、見るも無残な姿だった。
まるで、プラネタリウムの残骸。
眼前に立つ悪魔は、なおも不敵な笑みを浮かべていた。
あらすじ: 健之助は入院中の塾生、田代 雅樹を案じて病院へと駆け込む。そこにはなんと、邪神の姿があった。健之助はその権能の導きによって、邪神の正体が過去に神に敗れた、神を自称する悪魔であると知る。健之助を目の敵にする邪神は、星の権能で健之助を攻撃するが……三春 風香の声かけで本来の目的を思い出した健之助は、覚醒した奇跡の権能によって、星の猛攻を鎮めたのだった。
tips: 「邪神が為に、エデンの果実でも用意しておけ!」混川オリジナルのセリフで、かなり気に入っています。エデンの果実と言えば、神がアダムとイブに食べないよう言いつけていたのに、蛇が食べさせちゃった知恵の実です。(林檎だなんて誰が言ったんですか?)
その蛇に近い存在の本作の邪神は、神を倒し、そのポジションに居座る野望があります。知恵の実は神が創った恵みの1つですが、欲望を喚起するものであり、つまり背徳のシンボルとして悪魔にとって意義深いものになります。
神が与えたがらないほどの背徳を、悪魔の為に神が直々に献上しろ!という意味の、父なる神に対する最大限の侮辱ですね。
フィクションの悪役のセリフとはいえ、許される表現ではありません。混川はクリスチャンだから猶更です。
補足 : 2代目の500円硬貨が発行されたのは、2000年8月1日のことです。それまでの1代目500円硬貨は銀色だったそうですが、覚えておられる方はいますか?混川は2代目硬貨しか覚えてません。2021年11月に、3代目の500円硬貨が発行されましたね。記憶に新しい方も多いかと思いますが、もう4年前ってホントですか!?
補足2: めちゃくちゃキリスト教の話ですね。この話は最終局面に出すつもりでしたが、健之助の権能の仕様上、邪神に遭遇した時点で衝突しないわけがなく……やむを得ずこうなりました。




