宙の権能 その5
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年8月2日。
なぜだろう。この力を得てからか、それとも邪神という存在に会ってからか、アイツ……賀茂 星梨花が、今までより少しだけ身近に思えるんだ。
この夜、オレはあの時の思い出の場所……岩茨岬に来ていた。神流町随一の星空の名所。星梨花が好きだった場所。
魂というものがあるのなら、きっとここで出会えるはずだ。
オレは岩肌に腰かけると、拾った小石をポン、と投げ上げた。その小石を見て、意識を向けると……小石は左向きに素早く飛び出していった。次に小石はオレを中心にした直径10メートルほどの円を、2秒で一周しては、再び掌に収まった。
こんな力で、一体何をどうやって……アイツの星を捜せばいいんだ?
……星梨花は星になりたかった。まるで神様みたいに、永遠を生きて、無限を見つめる星に。邪神には、そんなことは本物の神様にも不可能だと言われた。ましてや……もうこの世にいない星梨花には。
それでも、オレは、神様の与り知らないところで、星梨花が望みを叶えて星になっているかもしれないと、そう信じて、邪神から「宙」とかいう力を授かった。どうやらそれは、物体の軌道を操作したり、それと同じ理屈で自分自身を操作したり、と言った能力らしい。
この力で「捜せ」と言っていたな。もちろん、オレだってそのつもりだった。でもそれは、観測するとか、そういう意味の話だと。
「自分の脚で」……邪神はそう言ったんだ。空を飛ぶことができても、遠い星を自分の脚で捜すなんてあまりにも課題が多すぎる。
宇宙空間に行くまでにも、超低温低気圧の成層圏、中間圏に熱圏を、容赦ない紫外線に晒されながら進まないといけない。それに、宇宙にある星なんて、光の速さですら何億年もかかるほど遠いんだ。こんなショボい浮遊能力なんかでは……
いっそ、地球の軌道を操作して……いやダメだ、そんなことしたら地球の全生命が滅びてしまう。できるかどうかも怪しいし。
邪神は、何を意図してこの力を与えたんだ……?
無謀な願いでも、できるから力を与えたに違いないんだ。考えろ、田代 雅樹……!!
まさか、本当に空を飛べというのか……?
オレは軽くジャンプした。両足が地面から離れた瞬間に、自身の軌道を選択する。どうやらこの権能は、動かす物体を選択して、任意の中心点の周りを円運動する力らしい。まるで、月が地球を中心に楕円軌道を描き、公転しているように。
それを応用すれば、無限遠点を中心に、円の軌道に沿って回転……実質直進で飛行することもできる。
ただし、円運動以外の軌道で物体を動かすことと、浮いていない物を選択することはできない。
満点の星空の中を、海の上をまっすぐに飛行する。
肌を掠める海上の風が心地よくて、今ならどんな遠くの国までも行ける気がした。
速い。風の束が顔面にぶつかる。それでも、苦しくはなかった。
次は軌道の中心を上空にして、一気に上昇していく。あっという間に、雲の上へと突き進んで……星々がより一層鮮やかに煌めく、凪いだ闇に飛び込んだ。
上空は氷点下になるが、少し肌寒い程度に感じる。
……大丈夫だ。もっと上に行ける。気圧がくても、内臓にダメージを感じない!
……そうか、これが「宙を統べる権能」!気圧も、気温も、この空も。オレの思うがまま。顔にぶつかる氷の粒だって、肺が凍るほどの冷気だって、この空を統べるオレには脅威じゃなかった。これは……全能感といわれるソレだ。
上空で凍り付いた時計を見ると、既に夜の9時だった。そろそろ家に帰った方がいいけど、家がある住宅街に飛ぶのを見られたら面倒だ。
軌道の中心をすぐ右側に据えると、一気に旋回、降下して岩茨岬に引き返すことにした。
氷点下の暗闇を、薄い雲を突き破って進むと、町の明かりが見えてきた。岩茨岬は、オレの家がある住宅街のすぐ近くだ。海から見える明かりの、少し手前を目指して減速し、着陸態勢に入った。
岬には、人影が見えた。遠目からでもわかる、あの存在感……まさか!!
「美しい夜だ。……田代 雅樹よ。我が権能、気に入ったか?」
邪神がそう言うと、円運動の速度を落としてオレは地に足を付けた。
「邪神……!」
オレは固唾を飲んだ。なんでコイツが……?一体何が目的なんだ?
「どうしてここに……?」
邪神はニヤリと笑う。
「言ったはずだ。『宙』の権能は、気に入ったか?我はそれを確かめに来た。」
……物体の軌道をコントロールし、空に適応するこの力は、確かに強大だ。でも、オレの目的のためには、遅すぎる。
「ああ、しかし……」
「しかし?」
「この力で……どうやってアイツを捜せって言うんですか……?」
拳を硬く握る。自らの不運を呪ったわけではない。アイツとの約束が、余りにも遠く思えたからだ。
邪神はなだめるように言った。
「お前のことは調べてある。星……もとい神に成りたいと願ったのは、賀茂 星梨花。4年前、10歳で死んだ少女だろう。あの時、子供の戯言などに腹を立てた我が愚かだった。しかし、その戯言にまだ囚われ、心を悩ませている……お前は、愚かしい。」
質問の答えにはなってないが、その赤い瞳が、ずっしりと圧を伝える。
「でも、捜せって……」
「左様。確かに我は、その星とやらを『捜せ』と言った。同時に、『星に成れぬとは言ってない』とも、『偶然が起こらぬとは言ってない。』とも言った。だがこの言葉は、今となっては言っていないも同様だ。」
要領を得ないような言葉。邪神はオレに人差し指を向ける。体が熱くなる。
「少年。我が発現を訂正しよう。……『星に成れるとは言ってないし、偶然が起こるとも言ってない。』だ。」
……ようやく、理解した。初めから、オレに星を捜すための力なんて。
「我は、『我を愉しませるがよい。』とも言った。」
海風が吹いても、オレの火照った体を覚ますことはできなかった。そんなオレに、邪神は涼しげな顔で言う。
「無駄だ。ありもしない星を捜すなど。
少女が宇宙の何処に行くか、宛てはあるのか?願いを叶える算段が、お前にあるのか?
ないのだろう。それなのに、捜すだの見つけるだの、耳あたりの良い言葉を吐く。
約束、過去、夢。幻想に踊る操り人形。」
「やめ……やめてくれ……!」
薄々は気づいていたのかもしれない。でも、コイツにだけは……
邪神は滔々と続ける。
「聡明なお前なら、本当はわかっていたんだろう?無理な願いであると。故に我は願いを叶えるには足らぬが、お前が希望を抱くに相応しい力を与えた。」
……相応しい?この力が?
「叶えたいなら、力が足らずとも動け。だがお前は、権能を得たあの日から今日に至るまで、未だ地球にいる。叶えるは愚か、挑むことでさえも、無謀だとわかっているからだ。
それでも心の底から……叶うようにと願っている。
お前は……過去の亡霊に縋っているだけに過ぎん。約束が果たされぬ間は、そいつは……賀茂 星梨花は、お前の呪いとして、生きているからだ。」
呪い……?もうだ……やめてくれよ!!
小刻みに震えるオレをよそに、邪神はあっけらかんとして言った。
「まあー、結論を言うと。まやかしの希望を見せたのは悪かったが、無駄な思いは捨てて……その権能を、我が為に用いてはくれぬか?ということだ。」
……「まやかしの希望」?コイツ、どこまでオレを……いや、オレたちをバカにすれば気が済むんだ!?
「邪神……!」
「要求には、応えてはもらえんか……?」
小石、岩、自分自身。意識を集中し、幾重もの軌道をイメージする。「必ず討つ」と。
最速の、円運動を。小石を蹴り上げて、遠い空に飛ばした。
「素人とは思えぬ闘志!我もこの無用の長物を、ついに……ッ!?」
邪神の長い金髪を、遠くから戻ってきた小石が掠めた。
……通じる!
「口上は嫌いか?……よかろう。我が『星』の権能で、迎え撃つ!!」
邪神は片足を後ろに下げ、両手を広げて構えの姿勢を取った。
邪悪、それ以外の言葉が見つからないほどの空気。その靄の中に、ぽつり、ぽつりと、蒼い煌めきが浮かび上がった。
まさに「星」。邪神を覆うのは、夜の岬に妖しく煌めく、小さな星雲だ。
「少年。流星群に灼かれる夢は、見たことあるか?」
小さな星雲から、弾丸のように飛び出す2つの星。軽く飛び上がったオレは、空中に軌道の中心を据えて、右の空に飛びあがった。体のすぐ横を煌めきが通り過ぎて、彼方遠くまで飛んでいく。……熱い。
もう一つの青い星が襲い来る。オレは空中の軌道に乗ってその星も躱した。
「……ッ!!」
「使いこなせているではないか!素晴らしい!さあ、愉しませてみよ!」
邪神は再び、星を撃ちだす。射出された星を一つ選び、オレはその軌道を、描いて逸らす。
邪神……オレは、お前を。
「……許さない!!」
あらすじ: 邪神から「宙」の権能を授かった田代 雅樹は、ある夜、岩茨岬でその権能を試す。円の軌道を操作し空を統べる力だった。
そのとき邪神が現れ、その権能を以てしても、星梨花の願い、雅樹の約束を果たすことはできないと、非情な現実を突きつける。雅樹は亡き星梨花との約束を嘲笑する邪神に激昂し、権能での戦いを挑むのだった。「宙」対「星」……その結末は如何に。
tips: 最近、あらすじ、tips、補足のあとがき三段構えです。テンポとか、本編で文字数を割きたくない内容はあとがきでいいかなと。
補足: 「宙」の権能は等速円運動の力で、ついでに高度耐性があります。この等速円運動と言うのは、高校物理で出てくる内容です。
半径5mの円の外周を、3秒で1回転する球があるとして、その球が1秒あたりに回転する距離、つまり球の速度は、
直径×円周率÷時間=5×2×π÷3≒10.3 m/秒
ということです。この速度は基本一定です。
ここで、1周360°のうち、1秒間で何度移動するかを角速度といいます。回転する速さは、
角速度×半径=速度
としても表すことができるのです。
雅樹の権能では、速度については限界があります。そのため、狙ったように移動できる半径になるように都度回転の中心を指定し、適切な角速度を思い描いて飛行するという芸当をしているわけです。地頭がいい人間にしか使いこなせない能力ですね。
また、角度が限りなく小さいなら、その縁の一部、つまり弧はほぼ直線に見えます。短すぎて曲がってるかどうかもわからないですからね。
長い距離を直線で素早く動くなら、角速度を小さく、また回転の半径をめちゃくちゃ大きくすることで、疑似的に直線飛行できます。「無限遠点」はそういうことです。




