宙の権能 その3
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
時は遡って、1996年7月18日。
ここは、神流町のはずれにある岩茨岬。
幼馴染の賀茂 星梨花が、オレにこんなことを言った。
「雅樹……ウチな、夜空の星になりたいねん。ここに来るたびに、そう思うんよ。」
ここ岩茨岬は、神流町でも有名な星空の名所だ。海と空と、満点の星空。この日はなぜか、オレと 星梨花の、二人しかいなかった。
「どういう意味?お前死ぬの?」
「もう!雅樹のバカ!!アンタにはロマンがあらへん、ガキやガキ!!」
「バカって言ったな!そういうお前だって学年同じだろバカ!」
「精神年齢が違うねん!それに、ウチとアンタじゃ頭の良さが違うやろ?」
「うるせーバカ!」
オレ、田代 雅樹と、賀茂 星梨花は幼馴染で、神流町立富士見小学校に通う4年生だ。 星梨花の方が誕生日が早いから、こいつは10歳で、オレは9歳だ。
「そんでな?父ちゃんが言っとったんやけど。こっちが北やから、あの明るいのが北極星で……あの辺のがこぐま座やねんて。こぐまに見える?あれ?」
「こぐまなんていねーし。星なんてどれも一緒だろ。」
「せやなー、ウチもわからへん。せやけどな、一緒じゃあらへん!これだからガキ雅樹は。」
「はあ!?確かに綺麗だけどさー、これを見て何がわかるって言うんだよ。」
オレにはよくわからない。でも、空を見上げて嬉しそうにしている星梨花が、なんだか羨ましかった。
……オレも、夜空を見て星座の名前がわかったら、楽しいのかな。
「ウチにも、なーんもわからへん!」
星梨花はケタケタと笑った。関西から来たというし、コイツの笑うツボがオレにはよくわからない。
「何にもわかんないのか。なーんだ。」
「わからへんけどな。楽しいって思って、もっと知りたい!って思って……少しずつわかるようになっていくんや。」
「へえ。」
星梨花は、たまにちょっと大人びたことを言う。学校の成績もいいし、関係あるのかな。
「それでさ、星梨花。」
「ん?」
「さっきの『星になりたい』って、どういうこと?」
空を見上げていた星梨花は、オレの方を見た。
「もう忘れたぁ思っとったわ。」
「忘れねーよ。」
「……大した理由はあらへん。ウチな……この世界が好きなんよ。」
急に世界だのなんだの言われても、オレにはピンとこなかった。
「世界?それってどういうこと?」
星梨花は再び、広大な夜空に視線を戻して言った。
「この地球があって、水があって、大地があって、草が生えて……命があんねん。」
「そりゃそうだろ。」
「草木があって、虫に鳥に魚があって、動物があって、人間があるんや。」
……それが、星とどう関係あるんだろう。
「……そんな世界、美しいと思わへんか?奇跡ばっかりやさかい。ウチはな、どっかの神様が狙って作ったとしか思えへんような、この世界が好っきゃねん。」
「……そうだな。確かに、奇跡なのかも。」
世界の美しさなんて、考えたことなかったな。やっぱり、星梨花はすごいヤツだ。
「そんでな。ウチはいつか星になったら……この世界を遠くから見ていたいんや。」
「見えるもんなのか?」
「んなもんわからへん。でもな、何億年もかかって、星の光が地球に届くんやで?」
「ええと、それで?」
星梨花は顎に手を当てて、考えこんで言った。
「えーと……ウチな、信じてるねん。ウチが将来、星になったら……地球の誰かが何億年か後に、絶対見つけてくれるって。ウチはその星から、見つけてくれた誰かさんを見つけてやるんや。ほんでな、この世界がどうなっていくのか、ウチらで見届けたいんや。」
「よくわかんないけど、すごいな。」
「それにな……ウチが星になったら、地球みたく美しくて、生き物がおる星やって、見つけられるかもしれへんやろ?」
「宇宙人ってことか……?」
「ま、まあなー。」
オレの顔を見ては、恥ずかしそうに笑った。
「……あんな、雅樹。今日話したこと……誰にも、言わんとってくれへん?」
「……うん。」
「雅樹……」
この広い星空に溶け込みそうな声で、星梨花がオレに語り掛けた。
「なんだよ星梨花、急に。」
「そん時はな、雅樹。あんたが……見つけてくれへんか?ウチのこと……?」
意味が分からなかった。
「オレ……そん時は、とっくに死んでるよ。」
「あっはは!!……せやな!!」
オレたちは、目を見合わせて笑った。それから先のことは、よく覚えていない。
……よく、覚えていない。
1996年7月22日。
あれから4日後のこと。
……オレには、何がなんだかわからなかった。
朝起きると、母さんは黒い服を着ていたからだ。母さんはオレを見ると、「おはよう」も言わずに暗い顔をしてこう言った。
「賀茂さんちの、星梨花ちゃん。……あんた、仲よかったでしょ。」
「ま、まあ。」
「星梨花ちゃんのお母さんから電話があって。その、ゆうべ……ね。」
母さんの声が震えている。オレにはわかった。わかってしまった。
「……行くよ、雅樹。早く、朝ごはん食べちゃいなさい。」
父さんと、母さんと、弟の佑樹と、歩いて4分ほどの、星梨花の家に向かった。
星梨花の家に着くと、一カ月前に訪れたここまま、何も変わっていなかった。ただ違うのは……オレの家族も来ていて、坊さんがいて……
……星梨花だけが、横たわっていること。
焼香の嗅ぎ慣れない匂いが充満するこの部屋で……星梨花のお父さんとお母さんは、うつむいて、時に涙を流しながら、星梨花の写真を見ていた。
そして、星梨花のお母さんがオレに気が付いて、近くに来た。身をかがめると、涙を流してオレにこう言った。
「おおきに、な……雅樹くん。うちの……星梨花と、遊んでくれて……」
「う、うん……」
オレには、何も掛けられる言葉がなかった。この気持ちよりも、ずっとずっと辛いんだって……わかってたから。星梨花のお母さんはオレに声を掛けおわると、近所のおばさんに挨拶をしていた。そのほかには、星梨花が仲良くしてるって女の子も来ていた。
そしてオレは、父さんに倣って……坊さんと、星梨花の両親にお辞儀して、抹香?をつまんで……顔に近づけてから、香炉に入れた。ああ、その後は手を合わせてお辞儀するのか。
その時少しだけ、星梨花の寝顔が見えた。
ただの無表情だけど……すごく辛かったんだろう。悔しかったんだろう。オレにはとても、それが「安らか」には見えなかった。星梨花がこんなこと望んでるはずないって、心で知ってたんだ。
「……なんでだよ。」
誰にも聞こえない声を、ひとつ漏らす。こんなの、無駄なのに。こんなに涙を流したって、意味ないのに。
聞くと、昨日の夕方に星梨花は事故に遭ったらしい。星梨花のお母さんに頼まれて……おつかいに行っていたときのことだ。
こうして、賀茂 星梨花のお通夜は……どうしようもない虚しさに包まれて、終わった。
帰り道、我が家では誰も、口を利かなかった。帰宅するとすぐ、オレは布団に閉じこもった。
「……ちくしょう!!ちくしょう……」
「兄ちゃん……どうしたの?」
弟の佑樹だ。
「別に……どっか行ってろよ……」
「泣いてるの……?」
「……うるさい!!!!」
お母さん同士が仲がいいのもあって、星梨花とはことあるごとに遊んでいた。何をやっても、アイツの方が出来が良くて……それでも負けたくないって思ってた。
四日前、岩茨岬でのこと。アイツの言ったことはちょっと難しかったけど、アイツの考えてることがわかって、ちょっとした秘密を知って……なんだか嬉しかったんだ。
「ウチな、夜空の星になりたいねん。」
そんな星梨花の言葉が、頭にはっきりと浮かぶ。あの時オレ、「お前死ぬの?」なんて返したんだっけ。
本当に……ひどいこと、したんだな……ある意味ホントになっちゃうなんて。
それも、たったの4日前のこと。
いくらなんでも……早すぎんだろ、なあ……!!
星梨花……。
包まった布団を握りしめて、ただ、泣いた。
……
気が付けば、もう日が暮れていた。オレはいつの間にか、眠っていたらしい。
ちっぽけなオレのことなんかお構いなしに、ここ神流町の空には今日も、幽かな星空が輝く。
「……見えるかな、北極星。」
そんな独り言も、アイツが聞いてくれている、そんな気がしたんだ。
「あれは北極星やあらへん!南にあるさかい……アンタレスや、バカ雅樹!」
……ん、星梨花?
気のせい、か。
オレは本棚の隅から、紙の星座盤を取り出す。たしかこうやって回して……ああ、揃った。
「はは……ほんとだ。」
なんだかすごく可笑しいのに。涙がボタ、と落ちて星座盤がふやけた。
目を擦って上を向くと、そこには一筋の流れ星。
……もう、通りすぎたけど、願い事をしよう。
どうか星梨花が、何億光年も先で、この世界を見守る……星になれますように。
何億年かかっても、星梨花の星を……見つけられますように。
あらすじ: 珍能像が出現する4年前の神流町。星空の名所である岩茨岬で、星が好きな小学生の星梨花と、幼馴染の雅樹は、この地球と遠い星に思いを馳せて、語り合っていた。その数日後、星梨花が事故によって命を落とす。星梨花との別れを惜しみ、夜空を眺める雅樹は、流れ星に星梨花の願いを託すのだった。
Tios: ご安心ください、あなたが読んでいるのは「廃神 ― 権能の街 ―」でお間違いありません。新キャラしかいない上に回想シーンですからね、戸惑うのも無理はありません。
補足: 7月の北の空で見やすいのは北極星で、こぐま座の起点となっているようです。対して南の空でよく目立つのはアンタレスで、こちらはさそり座を構成しています。
混川は星のことなんてわかりません。そもそも目が悪くてよく見えないし、星座ってこじつけっぽくて納得いかないし、外に出ると変な虫が皮膚に赤い星座を作ってくるので。




