宙の権能 その1
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年8月2日。
アクアリウムかんながでの激闘は、邪神を崇拝しているかのような言動の男、呉 建炫の登場によって、幕を下ろした。そうして、僕たちはなんだかんだ、お土産コーナーの後片付け……いや、被害状況の調査を終えた。
お土産ショップを後にしてエントランスに来ると、日下 萌々奈と猫崎 唯は二人で何か話していいるようだった。
僕、伊勢 健之助は、なんとなく帰りづらいので一人、フードコートに戻って休むことにした。
……そろそろ、萌々奈が戻る頃だろうか。そう思った矢先、猫崎 唯の声が聞こえた。
「あー、伊勢さん。彼女さん借りたわー。サンキュー。」
「ちょっと、そういうのじゃないってば!」
「あはは……萌々奈、お腹空いた?なんか買って来ようか。」
萌々奈は僕が座っていた椅子の隣に腰かけながら言う。
「いやいや、気にしないで!なんだかお腹空かなくて。」
特に何をするでもなく、僕たちはそこに座っていた。
……ただ、ここに居たかった。
まるで、僕が萌々奈と過ごした水族館の時間を、惜しんでいるみたいに思えた。
彼女は隣り合った椅子に座っては、天井を見上げたり、脚を組み替えたりと、どこか落ち着かない様子だ。そんな様子を見せられたら、僕だって落ち着いていられない。
……本当は、もう帰りたかったりして。
彼女の、憂いを帯びた横顔を見ると、
「んー。」
と、小さく唸った。そこに僕が「どうしたの?」なんて聞いても、ただ困惑させるだけだろう。
彼女は今、何を考えているのだろう。僕には、彼女の本心がわからない。エーデルワイスとのことだろうか。もしくは、猫崎 唯とのことだろうか。
……とりあえず、いまは見守るとしよう。
僕の視線に気が付くと、萌々奈は口元に手を当てて小さく笑った。
「あはは……えっと、どうしたの?健之助さん。」
脳裏をよぎったのは、「好き」なんて陳腐な言葉。違う、そういうのじゃないんだ。落ち着け、伊勢 健之助……それに相手は未成年で高校生だ、冷静に考えてそういう感情は、マズいんじゃないか?
「あ、どうしたのかな、って……」
中身のない会話。ここからどんな言葉を紡げばいいんだろう。
僕は恋愛みたいなのが得意ではない。それなのに……それだからこそ、か。なんだかこの人のことが……自分にとって特別な一人のような気がしてしまうのだ。
きっとこれは、ただの思い過ごし。でも、もしも。もしも彼女が僕と同じ気持ちだとしたら……
「ねえ、健之助さん。」
萌々奈がまっすぐ、僕を見て言う。
「ありがとう。あなたがいたから……」
僕はうなずいて、言葉の後の沈黙に身を委ねていた。
……嗚呼!バカげた気持ちは捨てろ、愚か者!!何を期待しているんだ!?そういうのじゃないんじゃなかったのか!!
僕が彼女に感謝される筋合いなんてない。今回の件で、僕が彼女のためにできたことなど、何一つないからだ。それどころか、僕を襲ってきた綿の熊だって、倒したのは萌々奈だ。
「……こちらこそありがとう、萌々奈。」
僕の権能は、自分でも量れないほどの力を秘めている。それなのに、やはり僕は彼女に助けられてばかりだ。
なんだか情けなくて……僕にはもう、何も言えなかった。
再びの沈黙が重い。
萌々奈が重々しく、口を開いた。
「あの、さ……あなたの権能で、さっき何をしたの……?私、よくわかってなくて。」
僕の権能のことは、病院で彼女に話したことがある。でも、その時より僕にできることは増えてきている上に、僕自身にもよくわかっていない部分が多い。……さて、何から話せばいいのだろう。
「それでさ、健之助さん。聞きたいことはたくさんあるんだけど……まず、どうしてあの熊の攻撃が、当たらなかったの?……なんて聞くのも変だけど。格闘技とかやってた?」
その質問に、「格闘技をやってた、だから僕は動体視力が良い」と誤魔化すことも一瞬は考えたが、僕はそんなセコい嘘はつきたくなかった。
「それも……僕の権能なんだ。」
「速水との戦いでも、その力を使ったの?」
「……うん。」
「それってさ、見えてたってこと?」
僕には、速水、ベルゼブブ、綿の熊の……素早い動きが見えていたわけではない。正確には、僕の背後にいる何かが、相手がどこに攻撃するかを見せてくれている。それはまるで、僕に殺されないための立ち回りを教えているかのようだった。
「なぜか見えているんだ。相手の動き方がわかっていて、身を守るための動き方が見えている。」
「へえ。……未来予知みたいな?」
未来予知……なのだろうか。それにしてはあまりにも見える未来が短い。せいぜい1秒後では、自分の身を守ることくらいしか、使い道は思いつかない。
すると、萌々奈は僕の方に身を乗り出し、おもむろに人差し指を向けた。
……E.T.の有名なシーンだろうか。でもどうしていきなり?ここは僕も人差し指を出すべきか……?などと脈絡のないことを考えもしたが、僕は急いで座り直し、その指から遠ざかる。
その一瞬。
……灼熱!
まるで、熱したフライパンを顔に近づけるみたいだった。
……が、その熱はすぐに収まった。
「……っ!!何やってんだよいきなり……!」
急に何考えてんだ萌々奈!
「ごめん、避けられるのかな~って……」
こいつ、言っちゃ悪いけどあまりにも馬鹿だ!!いきなりこんなことして、殺すつもりか!?
……しかしこれで、僕の権能は「殺気を読む」でも、ないことが分かった。萌々奈からは殺気が出てなかったし、その動きは遅かった。点火?するのが速かっただけ。だから、殺気がないのに熱が発せられる近い将来が見えて、回避行動を取っていた。
でも、もしも僕が避けられていなかったとしたら……?僕はさておき、萌々奈自身がその事実に耐えられるのか?絶対に避けられると確信しての行動だろうが、あまりにも危険だ。
「萌々奈。君の権能は……本物なんだ。だからそういうことは、しない方がいい。」
分別のない子供に諭すように言うと、萌々奈は出していた人差し指を隠して謝罪した。
「ごめんなさい。その……悪ふざけだったの。」
萌々奈の権能は、現実で接する機会のあるどんな熱源よりも強力だ。安易に振り回していいものではないことくらい、本人が一番よく理解しているはずだが……。
まあ、これに懲りてくれればいいが。
話題を変えよう。しゅんとした萌々奈が、なんだか可哀想に見えたから。
「それで萌々奈。僕の権能で、答えられることがあれば。」
「あー……もう一つ。エーデルワイスと、建炫という男に……あなたは何をしたの?前に『干渉する』みたいなことを言っていた気がするけど。」
……このことは、上手く言える気がしない。
「干渉……何者かが僕を通して誰かに干渉する、と前に話したね。近頃なんだか、僕が望むように、その相手が行動をする気がするんだ。」
「えっと……思ったように、と言うと。極端な話、『三回回ってワンと言う』ように健之助さんが望めば、相手もそうするってこと?絶対服従?」
もちろん、そんな力があれば、どんな権能者だって敵ではない。
「いや……相手が『しよう』と思えることしかさせられないんだ。だから、服従とは違う。その人の選択肢にないことはさせられないんだ。」
「ちょっと難しいかも。じゃあ、エーデルワイスが瑠美を解放したとき、『権能を解いてもいいかな』と思ってたってこと?」
「そうだね。」
「呉 建炫の時も?」
「『綿の拘束を解かせてもいいかな』と思わせた。チンアナゴ像の話に食いつけばすぐその気になることも、建炫の権能でそんなことができるかも、確証は無かったけど……。」
「そっか。それなら……」
彼女は、潤んだ瞳で僕をまっすぐ見ると、肩で息を吸ってこう言った。
「健之助さんは……私の心にまで、干渉できるの……?」
……え?
「私が、『そう思ってもいいかな』って思ったから!……こんな気持ちになったっていうこと!?」
まるで何かに気づいたようなその目に圧倒されて、僕は何も言えなかった。萌々奈の頬は紅くなり、息が上がっているようにも見えた。
僕の権能はなぜか、萌々奈にだけは効果がないのだ。加えて、鬼怒川 真悟が作り出したキメラや、エーデルワイスの熊のような、人間ではないものにも。不思議な感覚が発せられても、すり抜けてしまう。
それに、行動への干渉はできても、心への干渉は考えたことがなかった。だから、そんなことは断じてない。
僕は萌々奈のことを、どう思っているんだろう。萌々奈に、どう思っていてもらいたいんだろう。
萌々奈は、僕のことをどう思っているんだろう。
……今となっては、わからなかった。
あらすじ:萌々奈のことが気になっていた健之助。内心では、その思いを否定しようとする。そんな時、萌々奈は健之助の力について疑問を持つのだった。
一つは、相手の攻撃を回避する力。萌々奈はふと、健之助に対して熱の権能を使ってしまう。驚く健之助であったが、萌々奈の権能の使い方について心配する。
もう一つは、相手に行動を選択させる力。(読者の皆様はどんなものか既にご存じかと思いますが。)萌々奈は、自分の健之助に対する思いも、その権能によるものだったのかと疑いを持つ。
もちろんそんなことはないが、萌々奈との関係性に悩む健之助だった。
Tips : 指示語が多いですね。全部言ったらあまりにもクドいからです。全話読んでくださればわかると思いますが、わかりにくければ伝え方が下手な私の落ち度ですので、どしどしご意見ください。「読み込む」よりも「察してもらう」に重点を置いた作品の良くない例です。
わざわざ書きませんでしたが、気になるかも?って思ってた異性でもいきなり熱源ぶっ放されたら、普通の感覚ならドン引きするはずです。ちょっとヤバい子だって気配は以前からあったと思います。
……この話は一旦スキップして、次話は敵サイドの話しますね。
補足 : E.T.の有名なシーンと言えば、 宇宙人のE.T.が母星に帰るとき、エリオット少年と、指と指を合わせて別れの挨拶をする所ですね。奇妙な友情と家族関係を感動的な音楽と映像美で描いた、まさに映画芸術です。
補足2 : 見えているわけじゃない、と言うのは、素早い動きの軌道が見えるのではなく、動いた結果が見えていて、どこにいれば安全かがわかるという解釈です。文章で書くの難しすぎる……




