刃の権能 その3
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
前方には4体の綿の熊。
そして、赤い腕輪を付けた熊があたし、猫崎 唯に殴りかかった。刃を構える……いや、速い!!
熊の拳が振り下ろされ、脇腹に近づく。
……しまった!あたし、こんなところで……!!
その瞬間だった。あたしは、思い出していた。
……日下 萌々奈との思い出と、権能を得るまでのことを。きっとこれは、走馬灯。
あの日。猫崎 唯が万引きしたという噂……出所には心当たりはなかった。
でも一人、あたしにとってはどうしようもなく癪に障る女。
そして、あたしのことを嫌いであろう女には、心当たりがあった。
それが、日下 萌々奈だ。
発端は、あたしたち二人が4月に環境美化委員会に入った時からだった。委員会活動には必ず入らなきゃいけない。
他の委員会は、定員の枠が埋まっていた。ちょっとめんどくさそうだけど、環境美化委員にしとこう。
もう一人決まってるのは……日下 萌々奈。要領は悪いけど、仕事はひたむきにこなすタイプみたいだから、いざとなればアイツに押し付ければいいや。
そう思ってたあたしがバカだった。
初日。たまたま早く起きたし、気分が良かったから学校に行った。恒例の生徒指導主任からの小言を聞き流すと、花壇の小さな黄色いガーベラに、じょうろで水をやる。
雫に濡れた花が、朝の陽ざしをキラキラと反射する。なんだか、ちょっぴり可愛かった。あたし……花をちゃんと見たことなんてなかったから……
なんだか、この感覚がくすぐったかった。明日もみんな元気でいてね……なんてね。
他の花にも、少しずつ水をあげていく、こんな朝も悪くないって思えた。
もう一人の環境美化委員は……遅刻してきた。
2日目。水をあげすぎて根腐れしないようにと、生徒指導主任に言われた。もちろんいつも通り、スカート丈と髪色についても小言を言われた。
気をつけなきゃ。土が湿るくらいで十分。ついでに、雑草も抜いてあげよう。
もう一人の環境美化委員は……また遅刻してきた。
3日目。不良少女のあたしが3日も連続で登校するなんて。小言を言われてから花壇に行くと、その朝は日下が時間よりも早く来ていた。
「あ、猫崎さん!ごめんね、二日も水やりサボっちゃった。今日は私が水やりしといたから!」
「……そう。」
2日もサボっといてなんで自慢げなのよ。
花壇とプランターを見ると、土に吸収されなかった水がたっぷりと溢れていた。田んぼじゃないんだから!このバカ!
明日からもちゃんと登校しよ。コイツには任せられない。
一週間経った。アイツが朝の水やりの時間に来たのは、5日間のうち2日だけ。週明けで5日目の今日は、本当に癪に障った。
「おはよー!唯ちゃんがちゃんと世話してくれたおかげで、すごく綺麗に咲いてるね。」
寝ぼけたアホ面で気安く呼ぶな!
「……チッ。」
話すより先に舌打ちが出た。……アンタに押し付けてサボろうと思っていたのに!
「あ、えーと……ありがとう、ね?」
困惑してるのはこっちだっつーの。
「でも、唯ちゃんは花が好きなんだね!なんか、ちょっと意外かも。」
「意外」?何様なのよコイツ!別に好きじゃねーから!調子乗んなカス!
……でも、そっか。あたし、花が好きなの……?
好き、なのかもしれないな。
まだ一週間だけど、あたしがちゃんと世話したから花は元気に咲いてる。言われてみれば、それがなんだか嬉しかった。
その3日後の朝。あたしはついに言ってやった。
「あんたさ、なんでいつも遅刻してくんの?全然やらないじゃない。たまに来たと思えば全部水浸しにして。いったいなに考えてるわけ?」
ちょっと言い過ぎたと思った。日下を見ると、うつむいていた。
「ご、ごめん。私朝起きられなくて……」
「それ言い訳になってなくない?あたし、あんたがちゃんとやってくれると思ったから、この委員会に入ったの。ナメてんの?」
「ナメてるわけじゃなくて、その……」
チラチラと私の顔色を窺っているのが腹立たしかった。
「私、唯ちゃんに学校……来てもらいたくて。楽しそうだし、いいかなって……」
言いたいことはわかった。
「……もういい!!」
あたしに水やりの仕事押し付けて、更生でもさせようっての?何様のつもり?
人をバカにするのも大概にしろ!!
……本当に、心底ムカつくクソ女。
それからも、日下 萌々奈は悉くあたしの神経を逆撫でした。嫌ってるとしか思えないくらいに。
1か月後。学校に来るようになったあたしは、中間試験の点数が格段に上がった。
それでも、現代文も、古典も、英語も……アイツは全教科で、あたしより少しだけ点数が高かった。ムカつく。
アイツは人と話すのが下手だ。それなのに、周りには人がたくさんいる。ムカつく。
……あたしの周りには、女の子の友達なんかいないのに。
呑気に花を眺めては、あたしに笑顔で「いつもありがとう」なんてほざく。ムカつく。
毎日、何かと話しかけてくる。ダルい。
「肌綺麗だね、どんなファンデ使ってるの?」
ムカつく。
「CANMAKE。」
一応答えてやった。ちなみに校則ではメイク禁止だ。
アイツは悪人じゃない。そんなことはわかってる。……だからこそ余計ムカつく。
そして、放課後のクラス担任との面談。
「猫崎さん、委員会の活動頑張ってくれてるって、日下さんから聞いたぞ。花をかなり大事にしてくれているらしいな。」
なんでそんなことをアイツが教師に言うのか、わからなかった。
そしてクラスに戻ると、あたしについての噂が耳に入った。
「猫崎、人と話さなさ過ぎて、とうとう花とお話し?するようになったんだって。」
「え、クスリでもキメてるんじゃないの?ヤバくね?」
「やっぱあの子ちょっと怖いもんね。近寄らないでおこう。」
花とお話しするようになったのは、本当だ。優しい言葉を掛けると元気に育つって聞いたから。でも、そんなの誰かに知られてるはずがない。
あたしが毎朝水やりをしていることだって、アイツと生徒指導主任くらいしか知らないんだから。
そうだ、全部、アイツが言いふらしたせいだ!それで尾ひれがついて……
許さない!
学期末になって、またあたしの噂が流れてきた。
それが、「万引きした」という噂だった。
あたしについての噂を流す奴なんて、アイツくらいしか思いつかない。
絶対に、痛い目を見せてやる……!!
そして、7月19日に至る。
アイツが話していた、バイト先の書店に行った。どんな手を使ってでも、あたしはアイツが二度と学校に来れないように痛めつけてやるんだ。
書店から出る萌々奈を裏に連れ込む。
それから先のことは、あまり覚えていない。
憎いあの女を、私の彼氏……冷田 篤志の氷の力で、圧倒的に痛めつける。
その感覚にただ酔い痴れていたから。思えば、あたしは狂っていたんだ。
そして気が付くと、冷田 篤志は敗れていた。ただ覚えていたのは、彼を圧倒するほどの、強大な「熱」だけ。
冷田のあたしへの愛は……所詮この程度だったんだ。
どうせ、あたしのカラダ目当てのどうしようもないボンクラ。だから敗けた。
半端な権能じゃ……全身の細胞が逃げ出したくなるような「熱」の前では、ただの無力。
あたしにも……権能があれば、もっとうまくやれたのかな……?
……いや、戦う必要なんかなかった。日下 萌々奈は確かに癪に障る女だ。
だけど。アイツがあたしを悪く言ったことなんて、傷つけようとしたことなんて……一度だってなかったじゃない!!
むしろ、あたしのことを思ってくれていたんだ。それなのに……!
全部、あたしの勘違いだった!
最低だ。あたしが萌々奈を巻き込んだ。
全部あたしのせい。
その後、噂の出所が横井ってヤツとその取り巻きだったことを、速水という変なオッサンから聞いた。速水はヤツらを血みどろにして、その写真を撮っていた。
……それは、この世の風景ではなかった。
速水は殺人で捕まった。あたしは、本当にヤバい奴の力を借りてしまったんだ。
卑劣な女に天罰が下った……そう思いたかったけど、殺人犯を使って、暴力で復讐させたあたしは……もっと卑劣だ。
そう、あたしは……どこまでも卑劣だ。
もう全部、あたしのせいだ。
あたしなんか……死ねばいいんだ。
エーデルワイスが繰り出した熊により、窮地に立たされた猫崎 唯。そのとき唯は、日下 萌々奈への恨みを募らせた日々を思い出していた。しかし、速水 龍太の暴力を通して濡れ衣の復讐を果たしたことで、何もかもが逆恨みだったことに気づいた唯は、自責の念に駆られるのだった。
次回、鬱展開の予定となりますので、苦手な方はご注意ください。




