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音の権能 その6

本作はフィクションです。

登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。


物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。

 昨日は色々ありすぎて疲れた。だが……

 ついにエアコンも壊れた。僕、伊勢 健之助が住んでいるボロアパートは、この夏で寿命のようだ。どこか涼しい場所……


 その一瞬、不思議な感覚が僕から発せられるのを感じた。神秘的、とでも言うような感覚。

 ……萌々奈に、なにかが起こるのだろう。


 場所はわかる。図書館横の公民館だ。


 公民館に着いた僕は入口の自動ドアを開けて進み、少し奥の廊下をのぞき込む。

 そこには、「檸檬」の本を持った日下 萌々奈と……今最も会いたくなかったが、三春 風香が向かい合っていた。

 危機敵な状況であることはすぐにわかった。


 顔を赤らめた萌々奈は、僕を見つけるとこちらを見てはサッと目を逸らす。

 そしてその刹那……

 全ての音が、聞こえなくなった。話し声も、空調も、体内の音も。


「……健之助くん。ちょうど、あなたの話をしていたの。」

 三春の声だけが聞こえて、脳内に妖しく響く。

「ねえ、昨日のこと、謝りたくて。やっぱり私、あなたのことが好きなの。だから、私……」

「……何をしたんだ。」


「あなたには、もう私だけ……」

「萌々奈に何をしたかって聞いてんだよ!!」

 声は出ていないが、叫んだ。


「この子は、健之助くんの……何?この子の何がいいの?健之助くんは、私を見てるんじゃないの?」

 その目に涙が浮かぶ。


 近くのおばあさんがこちらを見て、困惑した表情をしていた。傍から見ればパントマイムだ。


「好きだとか、それ以前に……」

 言葉が詰まる。そもそも、「好き」ってなんだ?萌々奈に対する僕の想いって?少なくとも、今の三春さんには、そういう思いがなぜか湧かない。


「……好き。」


 ……?

 脳内に語り掛ける、艶めかしい声。


「伊勢健之助は、三春 風香のことが、好き。日下 萌々奈は、ちんちくりんのガキ。

 健之助は風香のことが大好き。髪の毛の先から爪先まで好き。愛おしくてたまらない。手を握って愛を囁きたい。三日三晩抱き続けたい。吐息も、唇も、好き。愛してる。いつでも隣にいたい。全て知ってもらいたい。好き。狂おしいほどに、好き。」


「もう……やめてくれ!」

 僕の脳を……!埋め尽くさないでくれ……!


「好き。好き。好き。好き。好き。」

 無音の中に、その呪文だけが響いては僕の思考を奪っていく。


「好き。好き。好き。好き。」

 気が狂うようだった。これが、「音」の権能……


「好き。好き。好き。」 

 意識が遠くなる。胸が高鳴る。視界までぐらついてきた。


「好き。好き。」 

 無限にも思える無音の中では、もはや彼女の声だけが僕の救いだった。


「好き。」

 ああ、心地良い。これが、「好き」なんだ。


 きっと……僕は、風香のことが「好き」だ。そんな思いを受け入れたら、気が楽になってきた。僕は、なんて弱いんだ……

 気がつけば、「大好き」な風香を目で追っていた。

 僕は、逃れられない、のか……


 僕はどうなってしまうんだ?()()()……




 2000年8月1日。

 言ってしまった、どうせ聞こえないからって。そして今、その健之助さんが来た。耳の先まで赤くなるのを感じた。

 目を合わせることもできなかったけれど、健之助さんは、三春 風香に対して怒りを露わにしていた。

 しかし、ほんの1分後には、普段の彼からは想像もつかないほど、気の抜けた表情になった。そして三春のことを死んだような目で追っていた。


 なんか、がっかりだ。

 ……じゃなくて、これは権能だ。この女が、健之助さんに何かしらの精神攻撃を仕掛けた、そう考えるほかない。


「好き、なのよね。ねえ日下さん。あなたが彼のこと、分不相応に好きになるから悪いのよ。彼の心が私だけになるまで、あなたも、彼も、その世界から音を奪われ続けるの。全部あなたのせい。」


「……そんなあなたを、健之助さんが愛してくれるとでも?」

 馬鹿馬鹿しい。こんな身勝手なのは愛じゃない。


「図々しい女。」

 冷酷な目つき。

 そして、三春は少し後ろに引いて、大きく息を吸った。


 一瞬、音が、呼吸が、時間が……止まった。そして。


「…………………!!!!」


 鼓膜の奥まで貫かれるような轟音に包まれた。苦しい。ワイングラスを割るように鋭利で、飛行機のジェットエンジンのような轟音。

 耐えられない!耳を塞ぐ。いや、塞いでも意味がない。


「狂いなさい!!私の世界を奪った、あなたのせいよ!!」


 立っているのが精いっぱい。せめて私の権能が届けば……

 距離は5m。この攻撃を力ずくで止めるにも、きっと届かない。


 手を前方に伸ばして、熱を発してみる。

 やっぱり届かない。轟音が鳴りやまない。


「それが、あなたの権能なの?そんなものじゃ、私には届かない!」


 いや、気のせいか、少し音の響きが弱くなった気がする。もっと出力を上げよう。


 ……本当だ。音の響きが弱くなった。偶然?


 周囲の空気が一気に膨張し、乾燥していく。熱い。音が和らいでいくのを感じる。それでも、三春 風香にこの熱は届かなかった。


「さあ、壊れてしまいなさい!はやく!」


 そう言われた気がしたが、もう私には届かない。私は熱を、発しながら、じりじりと前に進み出た。

 その轟音も、もう私にはモスキート音でしかなかった。


「捕まえた!……あ」

 ……三春は走りだした。距離を取られればもう私の権能が使えない。


 まだ腑抜けた顔をしている健之助さんは、三春を走って追いかけた。私はこの轟音と自分の権能のせいで、思うように走れない。頼んだ……!


 しばらく経っても、私だけはあの轟音に包まれていた。もっとも、距離が遠いからそれほどうるさくもない。

 公民館を出ると、その横には大きな石のオブジェがある。そういえば、恋人たちのスポットとして有名な場所だった。もしかして……


 突如として、頭の中から轟音が消えた。


 もしかした。最悪。健之助のバカ。

 三春に抱きついてニヤニヤしている。二人は私に気づいていないみたいだ。

「もう。健之助くんったら……♡人が来ちゃうでしょ?」

「好き。好き。僕、風香、好き。」

「うれしい。ずっと一緒だよ。離さないでね。」

「うん、好き。好き。」


 オエッ。でも、バカ健之助の声が聞こえた。「音」の権能が解かれているんだ。

 公共の場所でイチャつくのに夢中になって権能を忘れるとは、何たる()()()()


 抜き足差し足。5メートルまで近づいたけど、まだ背を向けた三春には気づかれていない。健之助さんと目が合った。

「ねえ、健之助くん。そろそろ……離してもらえる?」

「好き。離したくない。」

 彼の目つきが急に変わった。この目は、健之助さんの目だ。静かに、何かを見据える目。


「言うこと聞いて?お願い。」

 そろそろ私に気づいたみたいだ。3メートルまで近づく。

「ねえ!離しなさいよ!健之助!!早く!!」

「……好き。」


 抱きしめる腕に力を込めていた。

 2メートルまで迫った瞬間。


「……!!!!!!」

 爆発音のような轟音が、町中に響き渡った。耳がビリビリして、私たちの動きは止まった。今度こそ鼓膜がやられたかもしれない。

 でも、立ち止まれない。彼はまだ三春を抱きしめていた。というか、瞬時にその女の胸で耳を塞いでいた。……キモ。


 あと1メートル。指先に熱を込める。再び、私の周囲からは音がなくなった。


 私は青白い顔をしたその女に耳打ちした。

「あなたは健之助さんを辱めた。愛じゃなくて、暴力で心を奪った。職場までつけ回して、盗聴までしたんでしょ。」

「そう……だけど。でも!貴方には関係ない!」

「いいえ、大アリよ。」

 私は熱を帯びた右手人差し指を、三春の喉元に突き立てた。


「バイバイ、ストーカー。」


「…………!」


 健之助さんは私の腕を押さえつけた。

「やめて……手を放して、健之助さん。この女を止めなきゃ、あなたが……今度こそ、()()()()()!!」

「だけど!その力は……危険だ!!」

それでも……!許さない!!


 0メートル。私の指が、三春の右肩に一瞬触れた。

「いやああ!!」

 叫び声とともに、女は気を失った。それと同時に、私の聴覚が戻ってきた。



「……えっと、ごめんなさい。」

「いや……いいんだ。……今回も助かった、ありがとう。」

 気まずい時間が流れた。


「……明日、お時間ありますか?」

 自分でも、なんでこう言ったのかわからない。

「ああ、明日は、予定ないよ。」

「それなら……!」


 急にものすごく恥ずかしくなってきた。頑張れ!


 「私と、お出かけしませんか?」

萌々奈は三春 風香との闘いを制する。健之助と萌々奈の関係はこれから進展していくのか!?


音の権能編は今回にて完結。次回はデート、じゃなくてお出かけから始まります。

音の伝播は分子運動の連鎖によって起こります。温度が低い状態の方が空気の密度が低いため、音は伝わりやすくなるそうです。一方、温かい空気は膨張、つまり密度が低い状態なので、音は伝わりにくくなります。萌々奈が音を遮断できたのは、圧倒的な高温ゴリ押しで空気の密度を極限まで低下させたから、ということにしておきます。実験してないので真偽は不明ですが。

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