音の権能 その5
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年7月28日。
私、三春 風香は知っている。今日は健之助くんと、クサカという人が、ハヤミと対峙する日。
音質の悪い盗聴器よりも、この権能のほうが使い勝手がいい。
……ルミナパークかんなが、旧駐車棟。歩いて行っても時間がかかるわね。
私は外から、響く音を聞いていた。
「……それで守っているつもりなのか!」
ハヤミという男の声を聴き取った。「音」の権能は、ある座標にいる選んだ対象の音を聴き取ったり、逆に音を伝えることもできるらしい。
廃虚の駐車場はよく音が響くから、位置の特定は簡単だった。対象の動きは音よりも素早いけど、「音」の権能からは逃げられない。
……助けなきゃ!
私は、ハヤミに向かって権能を使った。
『右。違うよ、上だよ。この馬鹿。カス。間抜け。左、やっぱ右。前見えてないの?あ、私財布に200円しか入ってない。暑い。半端なハンバーグ、半端ーグ。』
「……結局は、女に守られているじゃないか!」
『そう、彼は私が守る。これからも。』
「……情けない男め!」
これだけゴミのような情報を流し込んでいるのに、ハヤミ、なんて精神力の強い男だ。
私は再び、語り掛けた。
『情けないのはアンタよ。このザコ。また外した。ああザコ。息切れてるね。あ、上見て!はい騙された!私いまパンツ履いてないよ。嘘だけど。』
健之助くんの声が聞こえた。
「……そうかもな……だが!!」
まだ妨害しなきゃ!
『むかしむかしある所に……ええと、冷蔵庫運搬で腰を痛めたウサギさんが……マサカリを持って、うーんとマサカリってなんだっけ。ええい!』
「お前の『正義』に……価値はない!」
再び健之助さんの声。
『好き。ここで大見得を切っちゃうのかっこいい。ヤバ……好き。』
独り言がハヤミに漏れた。
ふと、私はここで「音を消す」という権能を試してみたくなった。
「……価値のない『正義』とやらに……」
『ええーっと、あれはどうやって使うんだ…?まあ、やってみよう!』
今だ。ハヤミの聴覚を……消音。
『 』
「殺されろっ!!!!」
再びハヤミの声が聞こえた直後。その男に、鈍い打撃が入る音。
その音で我に返った私は権能を解く。
この権能、すごく姑息なんじゃないかと思えたから。
それでも、健之助くんに負けないでほしい。
私が彼を守りたい。でも、もう私は……
だから今はクサカさんという人に賭けるしかない。
この状況を打開できる、権能者を。
目標、健之助くん。
『……その子を信じなさい。』
私には、それくらいのことしか言えなかった。
……そして、勝敗は決した。
彼を守ったのは、結果として私じゃなかった。私がそれを選んだから。
この勝利の前には、そんなことはどうだっていい。
どうだってよかったのに、私は……
私は……!!
2000年8月2日。
私、日下 萌々奈は町立図書館に来た。高3にもなれば夏休みの課題なんか出ないし、進学先もなんか決まっている私は、かなり暇だった。
ただ、図書館には人が多い。特に子供が多いと落ち着かないし……併設されている公民館にでも行こうかな。
いま手に取った本、「檸檬」をカウンターに持っていく。
「これ、貸し出しでお願いします。」
「図書カード拝見しますね……日下 萌々奈さん……貸し出し期間は2週間ですので、8月15日までにご返却ください。」
「はい。」
簡単なやりとりを終えて、公民館に入った……その時だった。
あれ?
音が聞こえない……?
一瞬にして、自分の声も、周りの音も、何もかも聴こえなくなっていた。
完全なる、無音。
常連のご婦人たちは、話しているように口を動かしている。……聴こえていないのは、私だけだ。
音がない、それだけで、こんなにも空っぽだなんて。
いつもスリッパの足音が湿っぽく響く廊下も、やはり無音だった。
多分、いや間違いなく、権能者だ。
どこに?敵はどこから仕掛けているの?
ふと、昨晩瑠美から聞いた話を思い出していた。
「健之助さんを付け回す、存在感が薄くてすごく綺麗な人」……まさか、今回の件とは関係ないはずだけど。
こんな時、健之助さんがいれば。
……いけない。私ったら、自分がやらなきゃいけないのに、いつも彼を頼ってしまう。とにかく今は、どうにか気を逸らさなきゃ。
でも健之助さん、どこにいるの……?
そして再び、無音の中に放り込まれる。頭の中を独り言で埋め続けていないと、この無音が生み出す虚無に取り込まれて、狂ってしまうようだった。
言葉にならない何かを叫んでみる。
「………!!!!(どうなってんのよ!)」
誰からも反応がない。聞こえてないみたいだ。話し込むご婦人たちは不思議そうな顔で私を見つめては、なにか話しかける。
……私は、もう狂い始めているのかもしれない。
窓の外を見ると、風に揺れる桜の葉が、やけにくっきりとした影を揺らすのが見えた。
その時だった。
「ねえ、日下さん。この公民館にはよく来るの?もしかして、彼もここを知ってるの?」
完全なる無音の中に響く、知らない声。妙に柔らかくて、底しれぬ美しさが、ありもしない聴覚の全てから侵入した。
「彼って……?あなたは、誰?」
強張って裏返りそうな、細い声を絞り出す。
「伊勢 健之助くんと……あなたは、一体どういう関係なの?ねえ、日下……萌々奈さん。」
その声の主がどこにいるのか、私にはわからなかった。
「あなたはどこから話してるの!私、幽霊とか、し、信じてないからね!」
「私は……!幽霊じゃない!」
落ち着いていたその声は私の背後から、ピシャリと言い放った。
……振り返ると、「存在感が薄くてすごく綺麗」と形容するに相応しい、長くて黒い髪、黒いワンピースを纏った女性。気配を全く感じなかった。
年齢は……健之助さんの同級生かな?
そして、柔らかい口調で言い直した。
「私は、三春 風香。彼の……」
「彼の?」
「……純情。」
「どういうこと?」
「あなたの聴覚だけじゃなく、声も遮断した。あなたはもう、その声で彼に話しかけることも、声を聞くこともない。」
その三春という人は続けた。
「だから……あなたじゃない。私が、彼にとって唯一の存在になるの。」
……呆れて声も出なかった。
大体、私は健之助さんのなんでもない。友達でもないし、ましてや恋人なんかじゃない。
「戦友」なんて表現も違うし、たまたま共闘する流れになっただけ。
そう、ただの奇妙な「縁」。
それなのに、この胸のざわめきは……?なんだか、モヤモヤする。三春 風香はうっとりした表情で続けた。
「彼は、私をまっすぐ見つめてくれた。
その想いを……純情を、私が受け取ったの。
あなたなんかじゃない。彼が愛しているのは私!
……私なの。
彼のまっすぐな想いは、私だけに注がれたから。
そして……彼をこれほどまでに愛しているのも私だけ!」
その目は私を見ていた。私の心の奥を見つめられている気がした。
そしてその人は……なぜか、泣いていた。自称彼女、なんだよね?なんで……?
そういえば、彼の口から彼女の名を聞いたことは一度もなかった。
もしかして、本当にそういう、疚しい関係なの……?健之助さんって、女の子を泣かせるタイプ……?
……思えば、健之助さんのこと、私なにも知らないや。
彼にとっての私って……何?
私にとっては……割と大事かもしれない。
その人は言った。
「私は……純情をくれた彼にキスをした。
彼のことなんにも知らないあなたは、もちろん彼の唇なんて知らないでしょ?。」
唇……!?想像したこともなかった!
でも、付き合ってるんでしょ?……それなら、そんなこと私に言ってどうするの……?
嘘だったらいいな、なんて思ってしまった。
嘘だ。嘘。嘘つきだ。唇なんて、私を焚き付けるための嘘に違いない。私はそんな見え透いた嘘に。
嘘……なんだよね。
もし嘘じゃなかったら。嘘じゃなかったら!?
……いままで、自分の気持ちなんか。ずっと蓋をしていたのに。
それでも、嘘を欲する度に胸の高鳴りが増幅されていく。
どうか嘘であってほしい……それ以上に、強い想いが燻る。
……私自身が、もう揺らがないように!
たとえ、嘘じゃなかったとしても!
これは希望じゃない。私の意思だ。私は、嘘をつきたくない。
無限のような無音に向かって、声にならない声を押し出す。
「私は……!!彼のことが、好きなの!!」
この想いは燃え盛る炎じゃない。静かに、奥底から滾る……確かな「熱」だ。
果てしない無音の中に、声にならない声がとどまっていた……ような気がした。
ルミナパークかんなが駐車棟での戦いは、権能を得た風香のセコい介入あっての結果だったと明かされる。
そして屍の権能との戦いの次の日。萌々奈は風香の権能が作る無音の中で、健之助への想いを叫ぶ。
次回、音の権能編、完結。
完全な無音を作り出す、無響室というものがあります。
自分の血流の音が聞こえるというほどの、完全な無音。心理的ダメージが大きいことから、利用にはルールが定められています。そういう権能だと思っていただければ幸いです。
裏話です。瞬の権能編で戦った速水龍太は、普通に考えて健之助には倒せない相手です。序盤に持ってきたのは私の構成ミスですし、なんで健之助がアレで勝てたのか不思議だなぁ、とずっと思ってました。
それに、風香が権能の存在を知る理由は、健之助以外には考えられません。音を操る能力でストーカーが盗聴しないわけがないですし、その場合健之助を盗聴した風香が健之助の為に、即決即断で権能絡みの悪さをしないわけがないんです。
ちょうどこれらの要素がガッチリハマったので、後付けですがそういうことにしました。私がすごく納得してます。
速水の精神力と使命感は並大抵ではないので、頭をノイズで埋め尽くされたところで気にならない。でもそこから急に無音になれば、間違いなく効くはずです。だから素人のラリアットが当たる。そういうことにして下さい。




