音の権能 その4
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
ここにいる。幽霊なんかじゃない。
私は、三春 風香だ。
今日、初めて心からそう思った。
……また来週、彼に会えるかな。
講義を終えて、浮足立って帰宅する。
「ただいまー」
玄関のチャイムを鳴らして、家に帰る。
鍵が空いているから、お母さんは家にいるのかな?
「ん、いたの?今日大学でしょ。」
「帰った。」
「そう。晩飯、適当に食べといて。」
「うん。」
我が家ではこれが唯一の会話だ。
居心地が良いとは言えない。
お母さんの機嫌が良かったのを見たことがないからだ。それに、どう機嫌を取って良いのかも分からなかった。
お父さんの部屋だった所が、私の部屋になった。
荷物を置いて、鍵を閉める。
……!
なんだか……すごく、ワクワクする!
来週なんて、待てないよ。
彼のこと、もっと聞きたい!
誰かと話すなんて怖くて、考えたことなかったのに。
私、どうしちゃったのかな……?
明日、会いに行こう。
見つけてもらえた。だから、もう何も怖くないの。
2000年4月12日。
早く起きて、早く大学に着いた。
彼、伊勢 健之助くんも朝早くに来ているのを見つけた。なんだか死んだ目をして歩いている。
彼も一人みたいだし、声を掛けてみよう。
「おはようー!」って感じ?イメトレは十分。イケる!
偶然を装って、近くに行ってみよう。
その次は、「昨日はありがとうございました!」だね。
あとは、何の講義を取ってるかも聞いておきたい。
「お、おはようごじゃいます!」
声が上ずってしまった。恥ずかしい……
「おはようございます……」
返事が返ってきた。やっぱり、彼には、彼だけには、私が見えてるんだ!
あれ、でも何を話そうとしてたんだっけ……?
「ああ、昨日の……ありがとうございました、じゃあ。」
伊勢くんは小さく笑って、会釈をすると、そっぽを向いて歩き出した。
あ、待って……行かないで……まだ、私……
私が、挨拶を間違えたから?焦って何も言えなかったから?待ち望んだ彼との時間は、これほどまでに呆気なく終わってしまった。
私のせいだ。私の、勇み足だったんだ。
その日の講義で、彼に会うことはなかった。学科が違えば、そういうこともよくある。
その日の講義内容にいまいち身が入らないまま、夕方、下校する時間になった。
彼は4限が終わると直ぐに帰宅する。ちょっと、ついて行ってみようかな。
私が所属しているサークル、アマチュア無線部は今日もお休み。……1回しか顔出したことないけど。
トボトボと歩く、彼の後ろをついていく。声を掛けようとも思ったけど、私に気づいたら困っちゃうかな。
電柱の陰に隠れながら、静かに見守ることにした。
……あれ?私、まるでストーカーみたいじゃない?
バレたら、嫌われちゃうかも……
彼が、ある古びた建物に入っていくのを見た。「ドラマティック」という看板……よく見ると、個別指導塾らしい。
彼は、そこでアルバイトしているみたい。
塾講師か……悪くないかも。今の私ならできる。
私がそこでアルバイトを始めたのは、3週間後のことだった。面接と筆記試験は楽勝だった。
アルバイトで彼と一緒にいる時間は、とても嬉しかった。
特に何を話すわけでもなかったけれど、お給料よりも、彼との時間が大切だった。
彼と一緒に受ける講義も、幸せだった。苦痛だったペアワークは、彼と言葉を交わす素敵な時間になった。
振り向いてもらいたくて、流行りの化粧やマニキュアを覚えた。ちょっといい服を着るようになった。
背筋を伸ばして歩くようになった。
そうして、進展がないまま春が終わり、夏になった。
健之助くんのことは、たくさんメモした。自宅はもちろん、行きつけの床屋、コンビニ、スーパーに来る時間まで。
それでも、彼のことをもっと知りたかった。
いつの間にか彼の首から下にできていた、火傷のような痕のことも。全部。
彼が、世界でただ一人、私の存在を知っている。
だから私も、世界でただ一人の、彼を知る人間でありたい。
この気持ちって、変なのかな?
……ある日、アルバイトが終わるとき、彼のカバンにマイク……盗聴器?を入れた。迷いはなかった。
だって、彼を知るには手っ取り早いから。
私にとって、転機になるとは思わなかったけど。
盗聴器とは言っても、音質が酷くて彼の言葉を聴き取れたことは一度もなかった。
でもある日の夜、はっきりと聞こえた。単語の羅列。
「クサカ……んが無事……何より……ハヤミ……ケンノウ……亡くなった男性……」
「クサカさん……ケン…ウシャ……」
「明日……戦えま……?」
権能……本来なら資格とか、権限のこと。あまり使わない言葉ね。
きっと健之助くんは、「ハヤミ」と何かあった、電話口の相手、「クサカさん」を心配している。
ひょっとして、夕方のニュースになってた、殺人事件のこと……?
そしてそのクサカさんという人物は、「権能」……おそらく、戦うための力を持つ「権能者」。
だから、健之助くんはクサカさんという人物と共に、逃亡中の殺人犯に戦いを挑む……そんなところ?
自分でも、信じられないほどに勘が冴え渡った。
「権能」……彼の為に戦うのは、クサカじゃなくて私なんだから!
私は家を飛び出した。
最近、ここ神流町だけで頻発する不可解な現象が、超人、つまり権能者によるものだとして……
超自然的な力の源が、ここ神流町に最近現れたとして……
思い当たるものなんて、考えなくたってただ1つだ。
私は、チンポ像の前に来ていた。ナンセンスだけど、強いメッセージ性を感じる。嫌いじゃない。
すると、その像の陰から異様な雰囲気の男……?が現れた。
夜の灯りには金色の長い髪が輝き、深紅の瞳には危険な気配が宿っていた。生気のない顔色に、尖った耳。
不審者というより、魔王……そう呼ぶに相応しい静かな威圧感があった。
その人は、男か女かよくわからない、透き通った声で語りかけた。
「月は孤高。それでいて、神に愛されたこの星をまた愛し、護る存在……」
この不思議な人物が、「権能」に関係しているとすぐにわかった。
私の視線は、彼に釘付けだった。
「乙女よ、今宵の月よ。お前はこの珍能像に何を望む。」
……私は、「権能」が欲しい。彼にとっての「月」になるために。
「権能を、私に教えてもらえますか。」
「ほう、我の力を信じるか。」
暗闇よりも深いその目を見て、頷く。
「……迷いのない目だ。この邪神が必ず与えよう。しかし、我が権能はお前の望みを叶えるものでなくてはならない。」
邪神を名乗る人物が珍能像に触れた。私の方を振り返って微笑む。
「そうか、それがお前の望み……」
私の望み……?わからなかった。私には、彼がいれば、それでいいと思ったから。
邪神は、静かに諭した。
「ひとつ言っておく。
お前の胸の内……真の望みは、既に叶えられている。
お前の声は必ず届く。
お前には愛される資格がある。
それは、邪神の権能ではない。命に与えられた愛なのだ。」
愛……?陳腐な言葉。
それでも私は、愛を望んだ。
彼を愛してるこの気持ちより、邪神が見抜いたのはもっと根本的な愛だ。
私は、私の存在は、「幽霊なんかじゃない」。
健之助くん、あと邪神以外にも、私の声が届いたのなら……
私は、もっといろんな愛を知ったのだろうか。
私の声を、聞いて欲しい。……いや、聞きなさい!!
私には、「資格」があるのだから!
「……想い人などは戯れに過ぎぬ。ならば、その権能で……強大な力で奪い取るのだ。」
私の気持ちなんて……邪神。あんたには、わからないでしょうね。
「彼は、私にとっての『奇跡』!戯れなんかじゃ……ない!」
そう言って、珍能像に振れる。
邪神は私の耳元で、こう言った。
「願いは聞かれた。邪神が権能を、神に代わって授けん。」
ソレには、奇妙な印が浮かび上がった。三日月と蠍が円環を作り、中央には目のようなシンボル。
これが、「音」を操る権能であるとわかった。
「はて、『奇跡』……とな。」
邪神は顎に手を当て、小さく首を傾げていた。
……健之助くん、待っててね。
健之助との出会いが、風香の心を照らした。すぐに彼女の思いが暴走し、ストーカーと化す。そんな折、健之助を盗聴した風香は権能の存在を知る。邪神に真の願いに気付かされ、「音」の権能を授かるのだった。
次回、本筋に戻ります。




