音の権能 その3
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
今まで感じたことない想い。熱意。初めての、失恋。私はたくさん泣いた。
……どこにいても、私はそこにいないような気がしていた。そう、あなたに会うまでは。
まるで、私の声が誰にも聞こえていないんじゃないかって、ずっとそんな気がしていたの。
今年の春のこと。私にとっては、産まれてはじめての「奇跡」だった。
2000年4月11日。
三春 風香は隣の市から通学している。一限に出席してから帰宅するまで、いつでも独り。
別に、寂しくはないし、誰かと一緒にいたいってわけじゃない。
それどころか、「誰かと一緒にいたほうがいい」というのは、人民を効率よく統制するために仕組まれたプロパガンダか、赤緑や金銀の両バージョンを売りたいゲー○フ○ークの陰謀とまで思っている。
大学に入っても、周囲はやれ「新歓コンパがー」だの、「二人目の彼氏がー」だの、フロイト先生が言うリビドーに支配された下衆ばかり。関わりたくない。
そんな孤高の存在である私は、一限でも講義をサボらない。今日は日本国憲法概論の第二回の講義だった。
そして、講義開始のチャイムの直後、担当の矢口先生……いや、矢口からは衝撃的な言葉が飛び出たのだった。
……今週は、「ペアワーク」ですって?
ああ、履修放棄したい!!
真面目な私にはそういうことはできない。どの講義でも、成績は常に上位だった。それでも……だからこそ、自分にできることとできないことを知っている!
とはいえ、独りだけポツンとしているのもなぁ。頭を掻きむしった。
どうする?話しかける?目の前の、いかにも遊んでそうな女の子とか。こいつ来週は来ないだろうな。
そもそも、私ほどの美人がこんなにも「話しかけて」オーラ出してるのに、誰も話しかけないってのはおかしくない?
あたりをキョロキョロと見回した。不審者みたいって思われてるかも。
……おーい、そこのオタク君!きゅるるん!きゅるるんだぞ!風香ちゃんが「きゅるるん!」の目で見てるんだぞ!おーい!!
あ、目が合った。と思ったら、とっくにペア見つけてたのね。講義そっちのけでコタイチだのゲンセンだの言ってる。ああ、ポケモンか。
やっぱり、自分から声かけてみるか。ええと、左の男子三人組?ちょうどいい。
ええい!ままよ!
「あ、あのー、私、ぺ、ペア、探し、て、て……」
「でさー、昨日さー」
「それはいいけど、ペア作って、だとさ。」
「お前行って来いよー、ほら、そっち側女子いるじゃん。」
……私も女子なんだけど。こっち向けよオイ。
「あの、その、ペアワーク……」
声を振り絞った……と思った。
男子学生たちが、私の声に気づかず、喋っていた。
「いや、もうペアいるっぽいわ。仕方ないから俺ら三人でやる?」
「賛成ー」
え……?本当に聞こえてないのね。
……きゅるるん!きゅるるん!……ダメか。ダメだよね、私なんて。
「はい、そろそろできたかー、じゃあ、今回のテーマは……」
お題は、「法律はどんなものがある?」というものだった。
私は、この時間が早く終わるよう願った。
……ん?待てよ?「今回の」?
……思えば、こんな思いをするのは初めてじゃない。
先生にトイレに行きたいと言ったのに、聞いてもらえずに漏らした幼稚園。
最後まで私だけグループに割り振られなかった、小学校の修学旅行。
喋ったこともない男子に告白されて、断ったのに同意したことにされた中学校。
文化祭のお化け屋敷ではお化け役に立候補したのに、何にも役割がもらえず本当のお化けになった高校。
私の世界では、私はきっと、誰の目にも見えていない。
たまに見られたとしても、私の存在なんてただのモブなんだって、いつからか感じていた。
……なんて、感傷に浸っていたら、この苦痛の時間も終わった。
「皆からどういう意見が出たか、聞いていくぞー!」
……終わってなかった!もし当てられたら……私は、爆散してしまう!!
「じゃあそこ!真ん中のほうの、君たち!」
私!?そんなまさか。
「あー、はい、えと、『詐欺をしてはいけない』とかでしょうか?」
隣にいた三人組の一人が答えた。
「そうだね。ありがとう。」
良かった……そもそも、私は指名されるなんて経験が全くないから、大丈夫だよね。
だからこそ、当てられたら大丈夫じゃないんだけど。
淡々と講義が進み、終わった。
凝り固まった体を伸ばして、リュックサックに荷物をしまった。あれ、なんか忘れたような……
しかし、次の講義まで時間があまりない。そう思って、人がまばらになった講義室を出ようとした。
出入口前で、ある男の声が聞こえた。
「このペン……忘れ物ですか?」
たぶん違う。私に話しかける人なんていないもんね。
「……えーと、ピカ○ュウのペン、落としました?」
その声は、さっきよりもまっすぐ私に届いた。
まさか、私に言ってる……!?
振り返ると、その男はまっすぐ私を見ていた。その手には、見覚えのあるピ○チュウが描かれたペン。私のだ。
目が会ってしまった。視線、それだけで胸の鼓動が止まらない。
言っておくけど、恋愛感情なんかじゃなかった。その時は。彼からペンを受け取る。
「じゃ……次の講義があるので。」
顔を赤くして立ち尽くす私をよそに、その男は、そそくさと去っていった。
……お礼、言えなかったな。
私のこと、彼には見えているの……?
彼は私の存在に気付くどころか、「ペンを落とした」ことまで見ていたの……?
「気に掛けられる」という感覚が、私には新鮮で、居心地悪かった。それと同時に、あの男が何者なのか、何よりも知りたかった。
次の講義はアジア文化教養、いわゆる楽単だ。
すると、さっきペンを手渡ししてきた彼の姿があった。私はその斜め後ろに座った。
しばらくして、彼がコクコクと居眠りしていると、太田先生に呼ばれた。
「おい伊勢、問題だ。一昨年、1998年に韓国で誕生した、北朝鮮との経済協力や対話を進める政策を、なんという?」
彼はそもそも問題を聞いていない。講義室には、学生たちの苦笑い。
私は後ろから囁いた。……もっとも、私の声なんか聞こえるはずないんだけど。
「太陽政策。」
「……あ、はい、太陽政策?です。」
「なんだ、寝てた割に知ってるじゃないか。」
嘘……私の声が、届いた!?
彼、伊勢くんと言うのね。覚えておかなきゃ。
講義が終わると、昼休みになった。すると驚くべきことに、前の列にいた彼から声を掛けられた。
「さっきは、ありがとうございました……」
「あ、え、その……はい。ど、どういたし……」
心臓がうるさい。人と話すだけでこんなになっちゃう、情けない私が嫌いだ。
でも、声を振り絞った。
「わ、わたし、こそ、ありがとうございま……」
伊勢くんは落ち着いたトーンで言った。
「いえいえ、とんでもないです。それより、ピ○チュウお好きなんですね。」
そんなことまで!?私を見ているどころか、ピカ○ュウが好きなところまで!?
この男、どこまで……?感動通り越して怖い。
こういう時、なんて返せばいいの……?実はピカ○ュウはそこまででもなくて……
「わ、私の……好きな、ポケモン、わかります?」
よし、言えた!これで良いかどうかわからないけど!ちなみにバン○ラス。
彼は一瞬止まって、困惑したかのような表情をした。完全にしくじった……そう思った瞬間。
「勘ですが……バ○ギラスですか?」
「あ……あたり、です……」
奇跡が起きたのを感じていた。
全く人に気づかれない、誰にも声の届かない私が……
私、今、目の前の人と、会話をしたんだ。
私は見た目が良いと自負しているのに、何故か誰とも親密になれなかった。
それでも、この人だけは……
私、この人と、結婚……するのかな?そういえば、名前、まだ聞いてなかったな。
「お名前、聞いて……良いですか?」
彼は、明らかに挙動不審な私を蔑むことなく答えた。
「僕は、文学部社会学科2年の伊勢 健之助っていいます。」
「あ、ありがとうございます、ワタクシ、文学部人文学科の、三春 風香です。」
私たちは、目を見合わせて笑った。
胸が苦しかったけれど、美しい時間だった。
「それにしても、バンギ○スって……」
彼は明るく笑った。
……守りたい、この笑顔。
自分がそこにいるのにいないように思える。そんな孤独を抱えた風香は、自分の存在を認知し、会話ができる健之助に出会う。初めてのコミュニケーションに戸惑いながらも、健之助への思いを募らせていく風香であった。
風香様のきゅるるん、さぞ可愛いんだろうなぁ。
さて今回はポケモン回です。混川がポケモン好きなので、いつかは出そうと思ってました。万が一出版とかになったら、名詞全部変えます。




