音の権能 その1
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年7月30日。
私、日下 萌々奈は不思議な経験をして、近所の公園をあとにした。
ほんの10分前には……ここがものすごい量の綿に包まれた、恐ろしいほど真っ白な世界だったなんて。
まだ夢から醒めて寝ぼけているようだった。それに、まるで妖精のような女の子、エーデルワイスに出会った。
……いや、夢?悪夢だったかも。私、その妖精さんに手足を縛られた気がするし。
あとは、そこで耳にした邪神という存在。
今まで気にも留めていなかったけれど……そいつが、諸悪の根源。
……邪神のこと、健之助さんは知ってるのかな。
気になる。電話でもかけてみようかな。
ポケットにしまっていた携帯を出して、パカっと開いては、やめた。
ああ、「キメラの権能者」?と戦ってるんだよね。それなら電話してる余裕もないか。
……というか、ゾンビとかキメラとかなら、私の権能で燃やせば一撃じゃない?
私が行った方がいいのでは?
いや、行くにしても……どうやって?居場所も知らないのに。とりあえず電話かけてみるか。
…………出ないわ。もしかしてなんかあった……?いやいやいや、大丈夫でしょ。
もうちょっとしたら、また電話かけよう。折り返しも来るかもしれないし。私は彼からの電話を待ちながらも、夏の暑さが堪えた。一旦、家に帰ろうかな。
いや、やっぱり、健之助さんのことが気になる。
そう思ってあてもなく彷徨っていたら、急に風向きが変わった、強烈な温かい臭いを感じた。薄まっていても、それが鼻腔に響く。夏の暑さによって、急速に腐敗した臭い。
「おえっ!!!」
10代のか弱き乙女とは思えない声でえずいてしまった。引き返そうと思ったが……見てしまった。
……そこには、無数の動物の死骸。その様子はあまりにも悲惨だった。野生の鹿やネズミ、犬のようなものもいた。一部は、体に不自然な継ぎ接ぎ。
この世の物とは思えない生臭さだ。
……健之助さんが言っていたのはこれだったに違いない。
この死骸の山は、既に死んでいる……でも、まるで少し前まで生きているような。
そして、その悪臭が、鼻腔に最悪の角度で入ってきてしまった。胃の底が突き上がる。
あ、やば、無理……
……やらかした。どうか知り合いに見られていませんように。
そういえば、保健所って電話何番だっけ?
2000年7月30日。
僕、伊勢 健之助は、バイトの準備を終えて家を出発していた。小さな塾の、非常勤講師のバイトだ。
あんなことがあったにも関わらず、だ。僕は真面目だからな。
ふう。疲れた。
「……大変だったよね、でもよく頑張ったね、健之助。」
そんな時、お母さんの声……とはちょっと違うみたいだ。すごく優しい声が聞こえた。
間違いない。
これは幻聴だ。ここのところ色んな事があって、僕は精神的にもう参ってるんだろう。自分で自分を慰め始めたんだ。
あの後、警察官からの聴き取りがあって、僕と宮島 瑠璃さんの話は信じてもらえなかった。
本当のことを話せば混乱する。そう思って、適度に嘘を織り交ぜたら辻褄が合わなくなって、余計に伝わらなかった。
結局、バイトがあるからと言って、警察官の名刺を渡されて帰ってきた。
宮島さんはというと、泣いてばかりでとても警察の問いに応えられる状態じゃなかった。
見かねた警察官は、「お悩み相談ダイヤル」と書かれたカードを渡されて、すんなり解放されていた。
……そりゃあ、あんなことがあった後だもんな。早く立ち直ってくれるといいが。
なんてことを考えていると、突如前の方から声を掛けられた。
「あのー、こ、こんにちはー。」
弱気な声だった。僕もその人に気づき、挨拶を返す。
「ん……あ!こんにちはー!」
彼女は三春 風香さん。よそ見していたわけじゃないのに、なぜか気が付かなかった。申し訳ない。
彼女とは不思議な間柄だ。
僕は文学部社会学科だが、彼女は確か、文学部人文学科だ。年齢は彼女の方が一つ上だが、同じ二回生。最近、僕が働いている塾に新入りとして入ってきたので、バイトでは後輩だ。
僕はもともと社交的な質ではないから、こういう複雑な間柄の人とはどう接すればいいのかよくわからない。
今年の春に日本国憲法概論の講義で知り合ってからというもの、腐れ縁みたいな感じになっている。
「ねえ、健之助くんも今から出勤?」
「そうですよー、三春さんもだよね。」
「うん!お仕事頑張ろうねー!レッツ、ドラマティック。なんちゃって。」
「ちょ、それ職場の外でやらないでくださいよ……」
僕たちは、ドラマティック個別スクール、というところでバイトしている。主に中学生を相手にした塾で、ドラマティック個別指導でドラマティック成績アップ、第一志望にドラマティック合格、というのをドラマティックスローガンに掲げているドラマティック型の学習塾だ。
考えたらドラマティック頭が痛くなってきた。何がドラマティックなのか訳が分からない。ドアホティックか?
塾にはドラマティックに到着した。僕たちは講師控室で荷物をドラマティック整理する。
携帯はマナーモードに……ん?不在着信が3件。どれも日下 萌々奈からだった。
うーん、ドラマティック……じゃなくて、その時間は鬼怒川 真悟との戦いが終わった後だ。出れないはずがない時間だが。あとで掛けなおそう。
今日の担当は1コマだけだった。三平方の定理をドラマティック覚えようね、みたいな普通にドラマティックな講義を適当にドラマティックした。直角三角形のタテの辺とヨコの辺を二乗して足すと、なんとドラマティック、斜辺の二乗に等しくなるんだと。ドラマティックに理屈だけ聞いても難しいだけだから、ドラマティック練習しなさいと言った。
塾長の方針でドラマティックという言葉を使い続けないといけないので、気がドラマティック狂いそうだ。
塾生の山田くんは、一分間に5回ドラマティックと言う僕の説明の間は、終始イライラした様子だった。
だが、ドラマティック解説がドラマティックに終わると、まるで苦役から解放されたかのように晴れやかな表情で、ドラマティックに問題を解けていた。意外と効果があるのかもしれない。
……ドラマティック辞めたい。このドラマティックを。
さて、疲れた。ということでタイムカードをおしてドラマティック退勤するとしよう。
「ドラマティックでしたー」
この塾では、講師陣も「お疲れ様でした」を言わない決まりだ。
さて、折り返しの電話をしておこうか。
そう思って外に出ると、三春さんが待っていた。
「健之助くん、ドラマティック。ふふ。」
彼女もここでバイトを続ければ、頭がイカれてしまうかもしれない。
さて、何を話そうか。ああ、これで行こう。
「三春さん、ドラマティック。仕事には慣れてきた?」
静かに笑って答えた。この憂いを帯びた、それでいて満足げな表情。
「ええ。とってもドラマティ……いえ、嬉しいわ。」
彼女の時折見せるこの笑顔は、どこかとっつきにくい妖しさがある。なぜだろう。
月の光が彼女の黒い髪を照らして、眩しいほどの嫌な予感が反射した。
……ジメジメとした夜だ。
「それは良かった。そういえば、鈴木さんって中二の女の子が、『三春先生の授業が良かったからまた受けたい』って言ってたよ。」
彼女といるとなんだかソワソワする。
「ああ、あの子ね!嬉しいわ。でも、健之助くんのことも好きって言ってたわ。もちろん先生として……よ。きっと誰にでも懐くタイプね。」
きっとそうなんだろう。まあ、それくらいの方が塾講師としてはやりやすい。
「ねえ、健之助くん。」
彼女は僕の目を見つめる。
「あなたは私の『奇跡』。
……それは、あなただから?
それとも……それが、あなたの力だから?」
それは、この風のように湿った……それでいて、この月明りのように鋭い視線だった。
屍の権能者、鬼怒川真悟との戦いに勝利した健之助だったが、町には腐敗した死骸が留まっていた。綿の権能者、エーデルワイスとの邂逅を終えた萌々奈は、体調を崩してしまう。
そんな中、健之助は塾のバイトにドラマティック出勤する。その夜、健之助はミステリアスなバイト先の同僚、三春風香からドラマティックなオーラを感じるのだった。
字数は約3000文字。そのうちドラマティックという言葉が占める割合が最も高い文章ということで、ギネス記録に挑戦したいです。




