綿の権能 その4
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年7月30日。
帰り道。
邪神さまに言われて行った公園で、日下 萌々奈ちゃんという、すこし年上の女の子と会った。
確かに、彼女の「熱」は、邪神さまが言うように危険な権能。
それでも彼女自身は、どうにもそんな悪い人には思えない。
邪神さまが与えた権能のせいで、何度も危険な目に遭った。
そんな萌々奈ちゃんが怒ることくらい、私にだってわかるし。
でも、わからないことが1つある。
彼女が、嘘をついたこと。
人質でも、権能者でもない誰かを、隠している。
なんで?権能者じゃないんだよね?
まあ、私の頭じゃ考えたってわからないや。
邪神さまか、 建炫さんに報告だけして、私はお昼寝でもしていよう。
天気が良すぎる。暑い。
綿を出して日傘にしようにも、目立つなって言われてるし……
頑張って歩くしかないか。
うう。萌々奈ちゃんの家で休ませてもらいたい。でも、行きづらいな。
近くにコンビニがあった。アイスでも買っていこう。
「いらっしゃいませー。」
いちばん安いアイスを持って、レジに行く。
「あ、これで。」
ポケットから小銭をありったけ出した。
「お客様……あと20円足りません。」
「ひぃん。……じゃあいいです。」
冷凍庫に戻しにいくついでに、思いっきり冷気を浴びて、休むことにした。
頭が冴えてくる。
お客さんが誰もいない店内。
昔。私が「エーデルワイス」じゃなかった遠い昔にも、こんなことがあった気がする。
とても懐かしい。
……というか、ちょっと惨めな感覚。
私は、「エーデルワイス」という名前を貰った女の子。
私の本当の名前は、エーデルワイスでも、呉 雪瑶でもない。
わかってる。
でも……思い出せない。
わかっていることがもう1つ。
私は、「ナツキ」という人を探している。
でも……なにも思い出せない。
私には、なにもわからない。
それでも。
そんな私のこと……邪神さまと、執事の呉 建炫さんは、すごく大事にしてくれる。
今日こうして萌々奈ちゃんと出会えたことも、私、ものすごく嬉しかったの。
そして、邪神さまがくれた力……ふわふわでもこもこの、「綿」の権能だって……いつでも眠れるし、気持ちよくて、温かくて、優しい。
これが、私が望んだもの。
幸せな女の子、「エーデルワイス」のお話。
あの日は……確か、2000年の7月18日。
私の記憶は、そこから始まっている。私の家からは遠い、岩茨岬の上。
満天の星が煌めいて、凪いだ海には空の星が揺らめいていた。息を飲むほど素敵な夜だったことを、よく覚えてる。
この星々の光に導かれて、私はやってきた……そんな気がした。
生まれたての私を呼ぶような、優しいさざ波の音。
こんなにも美しい夜を、私なんかが独り占めするのは何だか寂しかった。
「ねえ、ナツキ……」
誰かの名前が、私の声になった。名前だけ知ってるのに、知らない人。
……「ナツキ」。あなたは、誰?
私は、どこから来たの?
私は、どこに行きたいの?
「……帰りたい。」
帰る場所なんてわからないのに。
私はセーラー服、と言われるものを着ていた。首元の赤い布で、目から流れるものを拭った。潮風がヒリヒリと染みた。
何もわからないはずなのに、なぜ、こんなにも胸が痛くなるんだろう。
ふと、星たちが煌めく、海に目をやる。
私を見て、何か言いたげな星たち。
今だけは全部、私のものになったみたいだった。
届く気がして、手を伸ばしてみる。
美しい星たちで満ちた海と空が、なんだか羨ましかった。
私はここにある何よりもちっぽけなのに、きっと、何よりも空っぽだから……
「この空の星々には、皆名前があるという。」
その時だった。さざ波とそよ風の間から、深く、透き通るような声が聞こえた。
突然のことに、私は振り返った。
金色の長い髪と、深紅の瞳が夜の闇に浮かんでいた。灰褐色の肌が、星の光に照らされて青白く見える。
その人は、私を見つめて語りかけた。
「……少女よ。
この夜を統べる星の名を、我はまだ知らないのだ。」
髪がそよ風に靡き、尖った耳が見えた。
私は首を横に振る。
「そうか。ならば……いずれ天を穿つ、名も無き星よ。
恐れることはない。この邪神が名を授けよう。」
私の、名前……?
「エーデルワイス。」
彼はそう言った。
「ヨーロッパの地で見つけた花の名だ。『高貴な白』は、お前にこそ相応しい。」
エーデルワイス、それが私の名前……
空と海に浮かぶ無数の星々の一つに、今、自分の存在が刻まれていく気がした。
「……はい!」
「この名を気に入ってくれたか、エーデルワイスよ。」
私は、深紅の目を見てうなずいた。
「それは良かった。それでは、もう一つ。」
邪神を名乗る人物は星空に手を伸ばして、遠くにある一つの光を選び、摘み取った。
「エーデルワイスよ、これを渡しておこう。」
私の掌には、その光が置かれた。
淡い赤色の光は大きく膨らみ、私を優しく包んだ。
「……ただの紛い物だ。まさに我のように。」
邪神は自嘲するように、笑って言った。
私は手の中で輝く星を握りしめて、小さなポケットにしまった。
「……ありがとうございます。」
「我とともに来るといい。帰る場所もないのだろう。」
邪神は私に歩調を合わせてくれた。
少し歩くとすぐに、黒いワゴン車が止まっていた。
運転席には、背が高い男性。翡翠のピアスが、暗闇によく映えていた。
邪神は私を後部座席に案内してから、助手席に座った。
「待たせたな、呉 建炫よ。車を出してくれ。」
「邪神様。その子は……?」
流暢な日本語を話すその男性が尋ねた。とても均整の取れた、美しい顔立ちだと思った。
「夜空と海の狭間に、ひときわ輝く名も無き星を見つけたのだ。」
邪神は、嬉しそうにそう答えた。
「……なるほど。あなた様は、その星に意味を見出されたのですね。」
なんだか、よくわからないなあ。
2人の会話を聞いているうちに、私は眠っていたようだ。
車は岩茨岬を出発し、ある住宅街で停まった。
目が覚めたその時、車内のデジタル時計は、2000/07/18 03:21を表していた。
……なんとなく、違和感がある。
質素なアパートの駐車場に車を停め、私たち3人は二階の居室に入っていった。
邪神は「我に睡眠など不要ぞ。」と言って外に出て行った。
邪神のお供?みたいな男は玄関に入ると、
「潮風臭い。よく洗え。」
と、不愛想に私をお風呂場に案内した。
男もののシャンプーで頭を洗いながら、ここはどこなんだろう、と考えていた。
お風呂場の外からは、
「邪神様が、お前に寝るための服を渡すよう仰った。ありがたく思え。」
と声が聞こえた。
「……ありがとうございます!!」
大きな声が出た。
「……今何時だと思ってるんだ。」
お風呂から上がると、木綿でできた寝間着が置いてあった。
替えの下着がない。かなり変な感じだが、今晩はその寝間着一枚だけ着て、洗面所を出た。
「おい、エーデルワイス。服は着たのか。その無駄に長い髪を早く乾かせ。」
「あのー、寝たいですー。」
「なっ……お前!」
そう言って彼は私の肩を掴むと、洗面所の鏡の前に強引に座らせ、ドライヤーを当てた。
「……熱っ」
「うるさいぞ。」
ドライヤーの音の方がうるさいと思うけど。
そうして髪を乾かしてもらうと、和室には布団が2枚、敷かれているのを見た。
「エーデルワイス、今晩は俺の横で寝ろ。」
「あ、はい………本当に、ありがとうございます。」
ふかふかの布団に入ると、とても心地が良かった。
「明日には、お前の服を一式揃えてくださると邪神様は仰った。
下着は洗濯カゴに入っていたのと同じサイズのものを、朝のうちに邪神様が揃えてくださるはずだ。お前は、明日ここでゆっくり休むといい。」
「あ、ありがとうご……え???????」
同じ……サイズ……?
それっていったい……あ!
…………乙女の秘密を!!!!!!!
私は、この男をものすごく殴りたくなった!
……が、寝ることにした。
星が輝く岬で邪神に拾われ、名前を与えられた記憶喪失の少女、エーデルワイス。邪神と、謎多き従者、呉 建炫との、奇妙な生活が始まった。
すいません、大人の都合(本作は一人称視点なので、エーデルワイスが物を知らずにいちいち驚いていたら状況を表現できなくなってしまうため)で、エーデルワイスは社会常識はちゃんと覚えています。
26/02/11 すこしだけ改稿しました。




