瞬の権能 その6
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年7月28日。
……全身が痛い。
知らず知らずのうちに、骨の髄に届くような、正体不明の打撃を打ち込まれたようだ。
何本かは骨が折れた気がする。意識を保つので、精一杯。
足元には血溜まり。きっと、僕、伊勢 健之助の血だ。
立ちはだかる敵、速水 龍太は刃渡り10センチメートルの、折りたたみ式サバイバルナイフを取り出した。
この廃墟の中で、より一層、鈍く煌めく殺気。
だが、隙が見える。
まるで、何か迷いがあるかのような動き。
「……殺されろおおおっ!!!!」
その瞬間、不思議な感覚が僕を包み込むのがわかった。神秘的、とでもいうような感覚。
見える。
瞬間移動の距離は最大で8メートル。直進で全方向に移動可能。
だが、細かい動作はできない。
廃墟となった駐車場は通路幅が広く、壁を蹴っての空中殺法は使えないし、使えたとしても脆い壁が崩れるだけだ。
さらに、次の移動に移るには0.2秒のインターバルが必要。
今の僕なら、しっかりとその姿が見える。
そして、その権能の正体は、脚だ。
見える。
次に姿を現すのは、僕の右前方。
ヤツの右手のナイフは、移動が終了する寸前、高速で振り下ろされる。
左後方に距離を取る。振り下ろしたナイフを握った速水と目が合った。
凍りついた、金属のような視線。
ヤツが耳を塞ぐような動作をした。
僕は身を屈めて前方へ、素早く動く。
またもヤツのナイフは空振り。
0.2秒。
次の出現場所が、見える。
それでも、一瞬でも緊張の糸が切れれば、僕は確実に再起不能になると悟った。
まるで、未来からの声が聞こえるように。
1振り、2振りと、粗い斬撃を躱す。
左からの振り下ろし。躱す。
右からの突き。躱す。
「その子を信じなさい。」
なんだか、そう言われたような気がした。
わかってる。僕が、時間を稼ぐ。
行き場のない怒りに狂った、斬撃の軌道は単純だ。
「なぜ当たらない!お前!!それがお前の力なのか!!」
あと2回躱せば、次は熱を帯びた日下 萌々奈を狙うだろう。
その時がヤツを萌々奈に近づけるチャンスだ、そう思って僕はしゃがみ込む。
再び、僕の体から不思議な感覚が発せられた。
斬撃の軌道は大きく上にずれ、萌々奈の頭上を掠める。
細切れの黒い髪が、宙に舞う。
その瞬間に彼女の手から発せられた、禍々しいほどの灼熱。
速水は大きく飛び退いた。
その手に握られたナイフは、瞬時に融けて冷え固まったように、ぐにゃりと曲がった。
「……日下さん!!」
……危ないじゃないか!そう言うのを抑える。
後方の萌々奈を見る。
アイコンタクト。
……そう、僕たちは、勝てる。
彼女は権能を解いた。
「何故だ!何故!お前らのようなクソガキに!!!!」
……次にヤツは直進し、僕に渾身の突きを繰り出すはずだ。
そして次の瞬間に、権能を解いた日下 萌々奈に刃毀れしたナイフで斬りかかるのだろう。
……僕は、後ろにふわりと倒れ込んだ。
「その子を信じなさい。」
その言葉が、僕の背中を押した。
「奇跡」が、起こる。
次の刹那に放たれる刃と、座標をずらすように……煤けた天井が遠くなる。
地面に倒れる寸前、温かい右手が優しく僕の背を支えた。
……音速の突き、来る!
僕は後頭部を軽くぶつけた。痛い。
と同時に、足元の血溜まりに足を掬われた、速水が体勢を崩す。
そして身を屈めた萌々奈の左手は、速水の右脚をがっちりと掴んでいた。
「私ね、毎朝……自分で、目玉焼きを作るの。
……意味、わかる?」
……そういうことか。
そして彼女の左手に込められた、圧倒的で、禍々しい一点の、
……熱。
……ここは?
1997年10月4日。
ルミナパークかんなが駐車棟で火災が起きたとの通報があり、俺たち消防隊員は出動した。
原因はボイラー室の灯油タンクからの液漏れと、タバコの火による引火。
駐車棟は鉄筋コンクリート造りだが、施工業者の不正があり、ボイラー室の防火設備や、避難用の設備などの諸々が法的基準に満たなかった。
この事故は後に人災だったと言われたが、捜査の手が及ぶことなく、施工業者は雲隠れ。
警察と土建屋の癒着だろうと、俺は思っていた。
どうなっているんだ。
「速水隊員!生存者の救護に向かうこと!」
班長に言われ、俺は現場に駆け付けた。
車の入りは疎らだったが、火に包まれた車の残骸が異臭を放ち、鉄骨が歪む様は、凄惨という他になかった。
2階に着いた。かなり火が燃え広がっている。
火がついた白いSUVを見つけた。
後部のチャイルドシートには、シートベルトを締めた4歳くらいの男の子。
親はいったい、どこに行ったんだ。
俺は駆けつけ、泣きじゃくる男の子に声を掛ける。
生死のような概念もまだ知らない子供が、まさに生きたいと願っている、そんな叫びのようだった。
「君!すぐに助けるぞ!」
ドアには鍵がかかっていた。俺は咄嗟に、持っていた消火器の底で力いっぱいに、反対側の窓ガラスを叩き割る。
ガラスが飛び散ると、男の子の腕には、細かいガラスが一つ、刺さってしまった。
「うわああああ!!」
その子は顔を赤らめて必死に藻掻く。
「ごめんな、でも大丈夫だ、大丈夫。」
俺は少しの罪の意識をぐっと飲み込んだ。
割れた窓から車のドアに手を入れ、鍵を開けようとした。
……危険だ。もう、だめかもしれない。
自分の手が、柄にもなくがたがた震えるのを感じていた。
その瞬間。火は一気に燃え上がった。
俺と男の子は猛烈な炎に包まれ、静かに気を失った。
とにかく、熱い。だが、諦めるわけには。
ようやくその子を抱きかかえた俺は、全速力で外に出た。
ぐったりと脱力した男の子の、頬を伝う涙はとっくに乾いていた。
心の中では……俺は何かを悟っていた。
あと一瞬。
あと一瞬、早ければ。
この世に、あんな不正さえなければ。
禁煙って書いてあるのに。規則が守られていれば。
……彼が目を覚ますことは、二度となかったのだ。
そして俺は死んだように生きた。
消防隊員として、子供1人救えない、無力な男として。
きっと、「仕方なかった」ことなのかもしれない。
上長にだって、そう言われた。
この仕事をしていれば、珍しいことじゃないかもしれない。
……俺のせいじゃない。
だが、それでも俺は、何もかもが許せなかった。
……いつか殺してやるんだ。
甘え切った自分自身を。
この不条理を、後悔を。
そんな思いを抱えながら、3年が経っていた。
ある日、俺はあろうことか、あの像に触れた。
そして頭の中に響いた、性別不詳の声。
「願いは聞かれた。邪神が権能を神に代わって授けん。」
その像のタマに浮かび上がったのは、欠けた円環の中で、翼と、剣が交わる紋章。
俺が得たのは、「瞬」の権能だと、理解できた。
そうか、俺は……
2000年7月28日。
僕、伊勢 健之助は目の当たりにした。
速水 龍太の右脚、膝下が黒い灰となり、崩れ落ちるのを。
人間の肉と骨が焼ける、異様な臭いがした。やがてそれは、炭の臭いに変わった。
「たとえ右脚を!!喪おうと!!俺は!俺の権能はあああああ!!」
「……いや、お前の負けだ。僕たちがお前にかけてやれる情けは、警察に連れて行くことだけだ。」
僕は再び、不思議な感覚に包まれた。
「僕の名前は、伊勢 健之助。邪悪なる権能を裁く者だ。」
それは自分の言葉ではないみたいだった。
同時に、全身の痛みが癒えていくのを感じた。
……これが、「奇跡」なのか?
僕自身にも、よくわからない力だ。
「……くそおッ!」
僕たちの方にひしゃげたナイフが投げられたが、届くことはなかった。
カラン、と薄暗闇に響く。
それは悪として散る正義漢の、泣き言のような絶望の音にも聞こえた。
「終わりましたね、健之助さん。」
「ええ、日下さんのおかげですよ。」
彼女と目が合った。
変わらない、優しくて、温かい眼差し。
あれほどに禍々しく、凶悪な力を持つ者のそれではないと思った。
「……『日下さん』、って、なんか変じゃないですか?……その、私、『萌々奈』って呼んで欲しいです…!」
「ああ、そうですよね、萌々奈さん。すいません。」
「あっ、健之助さんが嫌なら、全然『日下さん』でも構いませんよ!!」
「は、はあ。」
距離感がいまいち掴めない子だ。
「それに、私に敬語使われても困ります!」
「嫌なんですか……あ、ええと、嫌なの?」
「そうですね。ついでに、『萌々奈』って呼び捨ての方が気が楽です。」
「それなら、僕のことは『健之助』で。敬語使われるのもなんか申し訳ないし……」
「いえ、そこはさん付けさせて下さい!歳上なので!」
あんな戦いの後とは思えないような、他愛もない会話。
僕らは帰路についた。
萌々奈は夕飯に間に合った。
今日も、夕飯の支度を手伝うと言っていた。
日下家のIHコンロとして。
瞬の権能編、完結です。
毎話の字数が増えた上に話数も多いお話でしたが、読んでくださってありがとうございます。これからも健之助と萌々奈の戦いは続きます。
そして、名前の呼び方って難しいですよね。
お料理の基本は、自分自身がコンロになることです。
26/02/08 長期サボ……いえ休載をしていましたが、重い腰を上げてようやく、瞬編まで改稿しました。
どこに出しても恥ずかしくない作品が書けるように努めてまいります。




