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瞬の権能 その6

本作はフィクションです。

登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。

また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。


物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。

 

 ……全身が痛い。

 知らず知らずのうちに、骨の髄に届くような、正体不明の打撃を打ち込まれた。

 何本かは骨が折れた気がする。意識を保つので精一杯だった。

 足元には血溜まり。きっと、僕、伊勢(いせ) 健之助(けんのすけ)の血だ。


 立ちはだかる敵、速水(はやみ) 龍太(りゅうた)は刃渡り10センチメートルの、折りたたみ式サバイバルナイフを取り出した。

 この廃墟の中で、より一層、鈍く煌めく殺気。


「……殺されろおおおっ!!!!」


 その瞬間、不思議な感覚が僕を包み込むのがわかった。神秘的、とでもいうような感覚。


 見える。


 瞬間移動の距離は最大で3メートル。直進で全方向に移動可能。

 廃墟となった駐車場は通路幅が広く、壁を蹴っての空中殺法は使えないし、使えたとしても脆い壁が崩れるだけだ。

 さらに、次の移動に移るには0.2秒のインターバルが必要。

 そして、その権能の正体は、脚だ。


 見える。


 次に姿を現すのは、僕の右前方。ヤツの右手のナイフは移動が終了する寸前に振り下ろされる。


 左後方に距離を取る。振り下ろしたナイフを握った速水(はやみ)と目が合う。

 凍りついた金属のような視線。


 僕は身を屈めて前方へ、素早く動く。

 またもヤツのナイフは空振り。


 0.2秒。

 次の出現場所が、見える。

 それでも、一瞬でも緊張の糸が切れれば、僕は確実に再起不能になると悟った。


 まるで、未来からの声が聞こえるように。

 1振り、2振りと、粗い斬撃を躱す。


 左からの振り下ろし。躱す。

 右からの突き。躱す。


 行き場のない怒りに狂った、斬撃の軌道は単純だ。


「なぜ当たらない!お前!!それがお前の力なのか!!」


 あと2回躱せば、次は熱を帯びた日下(くさか) 萌々奈(ももな)を狙うだろう。

 その時がヤツを萌々奈に近づけるチャンスだ、そう思って僕はしゃがみ込む。


 再び、僕の体から不思議な感覚が発せられた。


 斬撃の軌道は大きく上にずれ、萌々奈(ももな)の頭上を通る。

 細切れの黒い髪が宙に舞う。


 速水は大きく飛び退いた。

 そのナイフは、瞬時に融けて冷え固まり、ぐにゃりと不自然に曲がって見えた。


「……日下(くさか)さん!!」

 後方の萌々奈(ももな)を見る。


 アイコンタクト。

 ……そう、僕たちは、勝てる。


 彼女は権能(けんのう)を解いた。


「何故だ!何故!お前らのようなクソガキに!!!!」


 次にヤツは直進し、僕に渾身の突きを繰り出すはずだ。

 そして次に、権能を解いた日下(くさか) 萌々奈(ももな)刃毀(はこぼ)れしたナイフで斬りかかるのだろう。


 僕は、後ろにふわりと倒れ込んだ。

 ……その子を信じなさい。

 今、そう言われた気がしたからだ。


 次の刹那に放たれる刃と、位置をずらすように。煤けた天井が遠くなる。

 地面に倒れる寸前、温かい右手が優しく僕の背を支えた。


 ……音速の突き、来る!


 僕は後頭部を軽くぶつけた。痛い。

 足元の血溜まりに足を掬われ、速水(はやみ)が体勢を崩す。


 そして身を屈めた萌々奈(ももな)の左手は、速水の右脚をがっちりと掴んでいた。



「私は毎朝、()()で、目玉焼きを作るの。

 ……意味、わかる?」


 ……そういうことか。


 そして彼女の左手に込められた、圧倒的で、禍々しい一点の、


 ……熱。







 ……ここは。

 1997年10月4日。

 ルミナパークかんなが駐車棟で火災が起きたとの通報があり、俺たち消防隊員は出動した。


 原因はボイラー室の灯油タンクからの液漏れと、タバコの火による引火。

 駐車棟は鉄筋コンクリート造りだが、施工業者の不正があり、ボイラー室の防火設備や、避難用の設備などの諸々が法的基準に満たなかった。

 この事故は後に人災だったと言われたが、捜査の手が及ぶことなく、施工業者は雲隠れした。

 汚職、俺はそう見ている。


速水(はやみ)隊員!生存者の救護に向かうこと!」

 班長に言われ、俺は現場に飛び込んだ。


 車の入りは疎らだったが、火に包まれた車の残骸が異臭を放ち、鉄骨が歪む様は、凄惨という他になかった。


 2階に着いた。かなり火が燃え広がっている。

 火がついた白いSUVを見つけた。


 後部のチャイルドシートには、シートベルトを締めた4歳くらいの男の子。

 親はいったいどこに行ったんだ。


 俺は駆けつけ、泣きじゃくる男の子に声を掛けた。

 生死のような概念もまだ知らない子供が、まさに生きたいと願っている、そんな叫びのようだった。

「君!すぐに助けるぞ!」


 ドアには鍵がかかっていた。俺は咄嗟に、持っていた消火器の底で力いっぱいに窓ガラスを叩き割る。

 ガラスが飛び散る。男の子の脚には、細かいガラスが一つ、刺さってしまった。

「うわああああ!!」

 その子は顔を赤らめて必死に藻掻く。


「ごめんな、でも大丈夫だ、大丈夫。」

 俺は少しの罪の意識をぐっと飲み込んだ。


 割れた窓から車のドアに手を入れ、鍵を開ける。

 シートベルトに手を掛ける。

 自分の手が、柄にもなくがたがた震えるのを感じていた。


 そのとき、火は一気に燃え上がった。

 男の子は猛烈な炎に包まれ、静かに気を失った。


 とにかく熱い。だが、諦めるわけには。


 ようやくその子を抱きかかえた俺は、全速力で外に出た。

 ぐったりと脱力した男の子の、頬を伝う涙はとっくに乾いていた。


 俺も、心の中では、何かを悟っていた。



 ……彼が目を覚ますことは、二度となかったのだ。



 あと一瞬。

 あと一瞬、早ければ。


 この世に、あんな不正さえなければ。


 そして俺は死んだように生きた。

 消防隊員として、子供1人救えない、無力な男として。


 きっと、「仕方なかった」ことなのかもしれない。

 上長にだって、そう言われた。


 ……俺のせいじゃない。

 だが、それでも俺は、何もかもが許せなかった。


 ……いつか殺してやるんだ。

 甘え切った自分自身を。

 この不条理を、後悔を。


 そんな思いを抱えながら、ある日、あの像に触れた。

 性別不詳の声が聞こえた。


「願いは聞かれた。邪神(じゃしん)権能(けんのう)を神に代わって授けん。」


 ()()に浮かび上がったのは、欠けた円環の中で、翼と、剣が交わる紋章。

 俺が得たのは、「(またたき)」の権能(けんのう)だと、理解できた。


 そうか、俺は……





 僕、伊勢(いせ) 健之助(けんのすけ)は目の当たりにした。

 速水(はやみ) 龍太(りゅうた)の右脚、膝下が黒い灰となり、崩れ落ちるのを。


 人間の肉と骨が焼ける、異様な臭いがした。やがてそれは、炭の臭いに変わった。


「たとえ右脚を!!喪おうと!!俺は!俺の権能(けんのう)はあああああ!!」


「……いや、お前の負けだ。僕たちがお前にかけてやれる情けは、警察に連れて行くことだけだ。」



 僕は不思議な感覚に包まれた。

「僕の名前は、伊勢(いせ) 健之助(けんのすけ)。邪悪なる権能(けんのう)を裁く者だ。」


 それは自分の言葉ではないみたいだった。

 同時に、全身の痛みが癒えていくのを感じた。

 ……これが、「奇跡」なのか?


「……くそおッ!」


 僕たちの方にひしゃげたナイフが投げられたが、届くことはなかった。

 カラン、と薄暗闇に響く。

 悪として散る正義漢の、泣き言のような絶望の音。



「終わりましたね、健之助(けんのすけ)さん。」

「ええ、日下(くさか)さんのおかげですよ。」


 彼女と目が合った。

 変わらない、優しくて、温かい眼差し。

 あれほどに禍々しく、凶悪な力を持つ者のそれではないと思った。


「……『日下(くさか)さん』、って、なんか変じゃないですか?……その、私、『萌々奈(ももな)』って呼んで欲しいです…!」

「ああ、そうですよね、萌々奈(ももな)さん。すいません。」

「あっ、健之助(けんのすけ)さんが嫌なら全然『日下(くさか)さん』でも構いませんよ!!」

「は、はあ。」

「それに、私に敬語使われても困ります!」

「嫌なんですか……あ、ええと、嫌なの?」

「そうですね。ついでに、『萌々奈(ももな)』って呼び捨ての方が気が楽です。」

「それなら、僕のことは『健之助』で。敬語使われるのもなんか申し訳ないし……」

「いえ、そこは()()付けさせて下さい!歳上なので!」


 あんな戦いの後とは思えないような、他愛もない会話。

 僕らは帰路についた。



 萌々奈(ももな)は夕飯に間に合った。

 今日も夕飯の支度を手伝うらしい。


 日下(くさか)家のIHコンロとして。

瞬の権能編、完結です。

毎話の字数が増えた上に話数も多いお話でしたが、読んでくださってありがとうございます。これからも健之助と萌々奈の戦いは続きます。

そして、名前の呼び方って難しいですよね。

お料理の基本は、自分自身がコンロになることです。

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― 新着の感想 ―
読みに来ました。 冒頭の意地悪なシーンがリアルで、読んでいて嫌悪感があり、辛くちょっと嫌になりましたが、お話がひとつひとつ丁寧に積み上げられ、だんだん能力が開示されていくのが面白くなりました。 これか…
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