瞬の権能 その5
本作はフィクションです。
登場する人物、団体、事件などはすべて架空のものであり、実在のものとは関係ありません。
また、一部に宗教的なモチーフが登場しますが、特定の宗教・信仰を肯定または否定する意図はありません。
物語には一部、暴力的・性的な要素や、精神的に不安を感じる場面が含まれることがあります。ご自身のペースでお楽しみいただければ幸いです。
2000年7月28日。
彼……伊勢 健之助さんからの連絡で、夕方にルミナパークかんながの駐車棟跡に行くことになった。
そこは3年前に起きた火災事故の後、解体工事が行われないまま手つかずになっている場所だ。
「速水は、必ずそこに現れる。」
と言っていた。
コンビニの駐車場から車で送ってくれるらしい。
ついに、始まってしまう。私たちの、後戻りできない戦い。
私は深く息を吸った。自室から出て、リビングにいる母に伝える。
「今日は、友達とカラオケに行くんだ。」
こんなのは見え透いた嘘だ。声が震えてしまう。
私の母、日下 奈緒美は言った。
「こんな夕方に友達と遊んでくるの?昨日のこともあったんだし……行かない方がいいんじゃないの?」
軽い口調で返す。
「ママ、私は大丈夫だよ。いつもの瑠美ちゃんだから……ありがとうね。……」
気の利いた言葉が思いつかない。目頭が熱くなるのをぐっと堪えていた。
新聞紙とにらめっこしていた父、日下 勇次が口を開いた。
「……12時までには帰ってくるんだぞ。」
父は何かを察したのか、多くを語らなかった。が、深刻そうな声色だった。
「……パパ、ママ、ありがとう。行ってきます。」
私は、やらなきゃいけない。
戻って来なかったら……その時は……
「健之助さん、車、お願いします。」
「助手席にどうぞ。」
車に乗り込んだ。なんだか気持ちが落ち着かない。心なしか体が熱を帯びた。
「日下さん、ちょっと暑いんで落ち着いて下さいよ……」
多分、気持ちが高まると私は、熱くなってしまう。
健之助さんは冗談めかして言ったけど、落ち着かないのはきっと彼も同じだ。
すぐに、目的地についた。入口から200メートルほど離れたところに車を停めた。
3年前の火災事故以来、廃墟と化した立体駐車場の敷地には、立ち入り禁止のテープが張られていた。
が、入口のテープは切られた形跡がある。
右の足元には、おそらく今さっき破壊されたばかりの、古びた監視カメラ。
「たぶん、ヤツは2階にいるはずだ。」
と、確信したように彼は言った。
彼の背に隠れるようにして、恐る恐る進む。
私たちの足音が自動車の残骸と鉄骨を伝い、薄暗がりの空に響いて溶け込むようだった。
2階にあがる。そして周りを見回した。暗闇の奥から、何か邪悪なものが潜む気配がする。
駐車されていた黒い残骸は、事故の凄絶さを色濃く映し出している。
……唐突。肌で感じた、凄み。
その瞬間、ところどころ焼け焦げた薄暗い空間に、ターン…と鋭い足音が、1つ響いた。
右側の、軽自動車だった物体の陰から出てきたのだろうか。
私たちの眼前にあの男……速水 龍太が現れた。
「会えると確信していたよ、熱の少女……と、連れか?誰だか知らないが、そこに立つと邪魔だ。いや、もしかして君も、力を持つ者なのか。」
「そうです。僕はあなたを止めに来ました。」
「……もう何も言うまい。」
健之助さんの背中越しに、私は速水の怒り、狂気、そして使命感に満ちた眼光に貫かれた。
殺意の予感。私は意識を込めて発熱した。
息をつく間もなく、私のすぐ右に冷たい殺気。
風圧を感じるほど近い。
この熱が、届く……
いや、速水は私の前を通り過ぎて左後方にいた。
私の熱は届かなかった。
次は左前方、SUVだった残骸のボンネット上に、速水を捉えた。
そこでうつむいて、震えているようにも見えた。
また消えた。タン!と鋭い足音。
その瞬間、健之助さんの左肩に鋭い打撃が入った。
彼は声にならない呻き声をこらえ、歯を食いしばる。
背後からでも、彼の顔が歪むのがわかった。
打撃が与える力は、速度と拳の質量とに比例する。
ましてや音速の拳なんて、致命傷にもなりかねない。
普通に考えて、どうみても平凡な彼に耐えられるはずがない。
本当は私が、戦わなくちゃいけないのに……
確かに私が権能を使っている限り、速水は私に近づけない。
健之助さんは車の中で、「それが最も重要」だと言っていた。
でも自分の身を守るだけじゃ、健之助さんが……
私だけが、健之助さんを助けられるのに……
健之助さんは、向かって右の暗闇に、右の拳を放つ。
空振り。
彼は必死に戦っているのに。なんで私は……
視界の左に速水を捉えた。
左に回し蹴り。
また当たらない。
次は健之助さんの腰に、音速の打撃が入る。
暗闇に鈍い打撃音が響いた。
「……っぐああ!!!」
「健之助さん!!」
体が勝手に、前にいる健之助さんの方に飛び出た。
「いててて……ははっ、ちょっと熱いですよ。」
彼は空元気で振り返り、彼の後ろにいる私にすこし笑って見せた。
強張った笑顔。
それでも、逆転の一手を信じているように、彼の目は真っすぐに私を見た。
アイコンタクト。
……そうだ、私たちなら、やれるんだ。
不意に私との距離が詰まって驚いたのか、速水は私から見て右前方へと、距離を取った。
「弱いな!君には女一人守れないんだな!!」
私たちの右真横。
「それで守っているつもりなのか!!」
この暗さでは正確な位置が見えない。
しかし、私の背後に殺気を感じる。
熱を込める。
遅かった。
「結局は、女に守られているじゃないか!君は!」
この熱が届かない。私から見て、左後ろ約2メートル。
右斜め後ろ。70センチメートル。
再びの強い殺気が、私自身の発する熱気と混ざり合うのを感じた。
再び、健之助さんは背後から頭を殴られ、大きくよろめいた。
「情けない男め!!!!」
正面前方。約5メートル。
再び距離を取られた。
「そうかもな、僕は!!……だが!!」
彼は絞り出すように声を発した。
正面前方。約2メートル。
さっきは勝てそうな気がした。
でも、きっと、普通の人間である健之助さんには、速水は倒せない。
彼の権能は、戦い向きじゃない。
……勝てないよ。
右前方。約1メートル。
もういいよ……もう戦わないで。
見えない打撃。健之助さんの体が宙に浮いた。
……やめて。私のせいなのに。
私は自身の権能を解いていた。
速水もきっとそれに気づいた。
……健之助さん!
それでも健之助さんは、左腕を肩の高さに上げた。
右後ほ……いや左後方!
……なにやってるのよ!!
「うおおおおお!!」
彼は雄たけびを上げた。振り上げた左腕を時計回りに、思いっきりぶん回す。
……右後方!
……こんなの、届くわけがないよ。
……前方……!
……!
次の瞬間。
鼻から大量の血を噴き出した速水が、ふらふらと立っていた。
健之助さんは、堂々と立っていた。
「お前の『正義』に!!価値はない!!!!!」
……そっか。
私たちなら、やれるんだ。
ありがとう、健之助さん。
「じゃあ、お前たちは……その価値のない正義とやらに……」
速水は短いナイフを取り出した。
息が上がっているのが遠目からでもわかる。
この暗闇の中で、より一層、鈍く煌めく殺気。
手負いの獣のそれというには、あまりにも芯が通っていた。
「……殺されろおおおっ!!!!」
……来る!!
圧倒的な速さと破壊力をもつ「瞬」の能力に翻弄されながらも、健之助の諦めない心が引き寄せた勝利への糸口。手負いとなった速水はより凶暴さを増していく。
次回、決着。
混川は左右盲なので、右とか左とか書くのが一番しんどいっす。でもだからこそちゃんと精査して書けたんじゃないかと思います。位置関係が大事なのに、書くのも読むのもしんどい…!




