妖精マダム
馬車に積んだ樽から水を汲み顔を洗う。
今朝の街道は濃い霧に包まれている。視界が悪いとモンスターの接近に気付くのが遅くなってしまうのが少し心配だ。
「肉も少し積み込んでおきましたぞ」
ジェットは朝からせっせと働いている。
最後の見張りはジェットなため、俺達よりも大分早く起きているはずなのだが……さすがお年寄りは違う。ジェットは昨夜襲ってきたバウボアの肉を必要な分だけ馬車に乗せている所だ。
ちなみに残ったモンスターの死体は広場の端に積んでいる。他のモンスターや掃除屋と呼ばれる冒険者達がそのうち片付けていく事だろう。
「じゃあ出発しようか」
「うん!」
秋留とクリアが元気良く馬車に飛び乗った。俺も忘れ物がないか広場を見渡す。エルフの冒険者達は俺達よりも早くに出発してしまったようだ。
「よし、準備オッケーだ」
俺も馬車に乗り込む。馬車はゆっくりと進みだした。
暫く進むと秋留とクリアが地図を広げて何やら話し始めた。港町コックスに到着してから購入したアステカ大陸の詳細な地図だ。
「次の目的地は花の都……ファリね!」
クリアが地図を指差している。
花の都とはまたこの大陸らしい名前が付いているものだ。その幻想的な響きに秋留もクリアも楽しそうだ。
「驚きますぞ〜」
ジェットが期待させるような事を言っている。ファリという街で何が待っているのか、ジェットは知っている様だが、教える気は無さそうだ。「ぬふふ」という意味不明な笑みをこぼしている。
その後も談笑が続いたが、暫くするとクリアは秋留の膝で眠りについてしまった。羨ましい。
「疲れているんだね」
秋留が優しくクリアの頭を撫でながら俺に話しかけてくる。
「そうだな……寝ていると静かで可愛いもんだ」
「むにゃむにゃ」
クリアは何やら夢を見ているらしく時々笑ったりしている。
「花の都ファリの夢でも見てるのかな?」
「むにゃ……またブレイブの仕業かぁ……はぁ」
クリアの寝言だ。前言撤回だ、寝てても可愛くない。
俺が何かしでかしたらしい。夢の中でまで溜息を付いている。
「あはは」
「はは……」
秋留が可愛く笑ったので俺も思わず普通に笑ってしまった。
今日もレッド・ツイスターは平和だ。
「あ、あのぉ」
俺と秋留は同時にビックリした。存在の薄いシープットが突然話しかけてきたのだ。
「と、突然、どうした?」
俺はキョロキョロと辺りを見渡した。
……ん?
見た事のある景色だぞ。特にあの大木には見覚えがある。盗賊の観察眼は伊達ではない。
「同じ場所をグルグルと回っている?」
俺は武器を構えて警戒した。
「いえ、違います」
いきなりシープットが俺の観察眼を否定する。何て失礼な奴だ!
「いや、あの大木は確実に見たぞ!」
「……はい。いつまでも馬車から見えてますよね」
『……ッ』
俺と秋留は絶句した。
確かに馬車は進んでいるのだが、少し奥にある木だけが景色として変わらずに付いてきているのだ。
俺は黙って目の前の動く大木にネカーとネマーを連射した。
「いたたたたっ」
大木が喋った。
基本的にモンスターは喋らないはずだから……また妖精か?
「ジェット、ストーーップ!」
秋留が叫ぶと馬車が突然止まった。
街道に生える木々の間から大木が太い根っこで器用に歩いてきているのが見える。
「問答無用に攻撃してくるなんて失礼な奴ね!」
目の前の大木からオバサンの甲高い声が聞こえてくる。
アステカ大陸は何でもありか?
「わ、悪い……妖精だったのか」
「んまっ! どこからどう見ても可愛らしい妖精じゃない!」
バシンッとオバサンらしく大きな手のような枝で馬車をはたく。馬車全体が軋んだが、クリアは何も無いかのようにグッスリと眠っている。
「ワタクシはマダム・フォーリン、貴方達に忠告しに来たの」
大木の真ん中に顔のように眼や鼻や口が付いている。結構不気味だ。
その不気味なフォーリンと名乗ったオバサン? が腰に手をあてているような仕草で俺達に話しかけている。
「な、何でしょうか?」
秋留もあまりの迫力にたじろいでいるようだ。
「貴方達ね……」
『……』
一同、何を言われるのかとドキドキしながら待つ。
「……」
『……』
暫くの沈黙。
「……」
俺は黙ってネカーとネマーを構えた。
「んまっ! 短気な坊やね!」
フォーリンがバシンッと俺の腹を枝で払う。息が止まった。今の攻撃を予測出来なかったのが悲しい。
「貴方達、新米冒険者みたいだから忠告しておくけどね、」
新米ではない。
このオバサンはいつから俺達の様子をうかがっていたのだろうか。
「霧が濃いから色々気をつけてね」
『……』
一同、再び沈黙。
「ご丁寧にありがとうございますですじゃ」
ジェットが一人礼を言う。ジェットだけはあまりショックが大きくないようだ。
「んまっ! 立派なジェントルマンがいるじゃないの!」
「ふぉっふぉっふぉ、レディーの前で恥ずかしい姿は見せられんからのぉ」
「んまぁ! お上手だこと!」
ジェットはマダム・フォーリンと普通に会話を続けている。少し、いや凄く尊敬する。
暫く話した後に俺達はようやくマダム・フォーリンから解放された。
シープットも含めて俺達はすっかりグッタリとしてしまっている。
「よく普通に会話が出来るな」
俺は手綱を操るジェットに話しかけた。
ちなみにマダム・フォーリンは心配だという事で先程と同じように少し離れた場所から付いてきているようだ。
「妖精を相手にする時は調子を合わせないと疲れますぞ」
『確かに』
俺と秋留とシープットは声を合わせて答えた。
「う〜ん……」
毛布にくるまっていたクリアが眼を覚ましたようだ。馬車の椅子で豪快に眠っていたクリアに優しく毛布をかけたのは勿論秋留である。
「よく寝れた?」
少し離れていた秋留が近寄って尋ねる。少し離れていたのはクリアのために椅子を空けていたためだ。
「うん。何か色々楽しい夢を見ていたみたいだけど、忘れちゃった!」
おう、忘れろ。
「丁度良いですな。あの辺りで昼にしましょう」
ジェットは手綱を操り馬車を街道脇に止めた。小さな井戸と切り株がいくつかある。馬車移動のための休憩所として用意されているようだ。
「水を補給しときましょう」
ジェットが井戸から水を汲んでいる。基本的に川やこういう場所にある井戸の水は簡易シャワー用や洗い物に使用する。危険で飲み水には使えないからだ。ま、困っていれば別だが。
「何か新しい発見ばっかりだよね」
秋留が近づいてきて言った。金魚のフンのクリアはシープットと一緒にジェットの手伝いをしている。
「この大陸が特別過ぎるんじゃないかな……とにかく妖精には慣れない」
「……だね、ふふふ」
ずっと眠っていたカリューと紅蓮も元気に走り回っている。
……何だか俺の中のカリューの扱いも普通のペットになって来たな。ああやって走り回っていても違和感が無い。
「カリュー……人間に戻ると良いね」
「ああ……せめて獣人にでも戻れれば……」
遠い眼をして無邪気に走り回るカリューを眺めた。最近はクリアのお陰? で凶暴さも少し無くなって来たようにも見える。
俺達は簡単に昼を済ますとすぐに出発した。
クリアも少しは馬車に慣れたのか不満もあまり言わなくなった。
そして午後は何事も無く早めに野宿する場所を見つけて準備を始めた。
今日のメニューは昨日仕留めた大量の肉を串に刺して焼いただけのシンプルなものだ。秋留特製のソースが塗りつけてある。
「おっいし〜い!」
クリアが幸せそうに肉を頬張っている。シープットもウンウンと頷きながら肉を食べているようだ。秋留は肉を焼いただけの料理でも凄く旨く作る事が出来る。
冒険者じゃなくて料理人としてもやっていけるんじゃないだろうか。