クリア覚醒
優しく暖かい光が俺を包んでいるのが分かった。
まるで女神に抱擁されているかのようだ。
「ぬおおおおおお」
俺の声ではない。何か傷みを堪えているかのような叫び声。
そんな声は放っておいて、俺は心地よい感触に酔いしれていた。
これはきっと、秋留が俺の頭を膝枕で支えてくれているに違いない。そして優しく回復魔法をかけてくれているに違いない。
「ふんんんぬううううう……」
またしても汚い声。
俺の幸せな時間を奪うのは何者だ。
俺は仕方なく眼を開いた。
「……」
目の前には顔中に冷や汗を垂らして身体中から煙を発しているジェットがいた。
「あ! ブレイブ、気付いたみたいだよ!」
頭に響く高い声はクリアだろう。
「大量に出血してたから心配しちゃったよね」
これもクリア。
「まぁ、ブレイブの生命力はゴキちゃん並だからね」
俺は黒くて素早いあいつみたいな生命力はない。ゴキちゃん並の生命力と言ったらカリューだろう。あ、でも黒くて素早いのは俺も一緒か、と一人で苦笑いをする。
「ありがとう、ジェット。回復はもういいや」
半分投げやりな気持ちでジェットに言う。
秋留が回復してくれてると思ったけど、どうやら秋留では手に負えない程の傷だったようだ。
ちなみにジェットは聖騎士のため、回復を主とした神聖魔法を唱える事が出来るのだ。逆に秋留は神聖魔法は唱える事が出来ないため、あまり大掛かりな回復を行う事は出来ない。
「ふうううう。それは良かったですじゃ」
ジェットが肩の力を抜いた。
補足しておくと、神聖魔法を唱えようとした人が顔一杯に汗を滴らせたり、身体から不気味な湯気を発したりすることは勿論ない。
ジェットは死人だ。
神聖という言葉からは大分かけ離れている。
そのせいだろう。ジェットは神聖魔法を唱えようとすると身体が拒否反応を起こす。だから余程の事がない限りはジェットが神聖魔法を唱える事はない。
「あのあと大爆発があって、レッジャーノ邸の庭やら門は全て吹き飛んだわ」
秋留が驚く事をさらりと言う。
ふと気付いて辺りを見渡した。
豪華な調度品があるところを見ると、レッジャーノ邸の専用の病室のようだ。
近くの窓から外を覗くと……確かに庭がほぼ全壊している。
「煙に巻かれている間にガロンとボックス? には逃げられたわ」
すぐにでも出かけるつもりだろう。秋留が気合を入れて立ち上がった。
「カリューもいつの間にか姿を消していた。今から港に行くよ」
「ああ。海賊共をタコ殴りにしてカリューを正気に戻さないとな」
外の景色から視線を戻して俺も立ち上がる。身体中がまだ痛いが我がままは言ってられない。
「レッド・ツイスターの皆さん」
今まで気付かなかったが、傍にはパルメザンが立っていたようだ。以前怒っていた時とは打って変わって、今は申し訳無さそうに頭を掻いている。
「娘に怒られましてな。洞窟の一件、貴方方が一緒で無かったら確実に殺されていたと」
俺の疑問に気付いたのかパルメザンが言った。
どうやら少しは扱い易くなったようだ。
「そして今回も人質となった娘を軽んじる事なく、ブレイブさんはクリアを守って下さった」
お!
そうだろう、そうだろう。やっと俺の偉大さが分かったか!
「まぁ、守って当たり前ですが」
俺はウンウンと頷いていた頭をピタシと止めた。
パルメザンめ! 大して反省してないんじゃないのか!
秋留が何かを言おうとしている。
そうだ! 文句の一つでも言ってやれ!
「レッジャーノさん」
秋留の鬼気迫る言い方にパルメザンが唾を飲み込んだ。
「お嬢さん、クリオネアさんの魔法の授業の件ですが……」
この時、この場でその話題が出るとは誰もが予想していなかった。全員がポカンと口を開けていることを気にする素振りも見せずに秋留が続ける。
「どうやら魔法の素質よりも、獣やモンスターとの意思疎通の素質の方があるようです」
秋留がウンウンと頷く。
秋留の台詞はこの病室の外、閉まったドアの外で耳を澄ましているクリアにまで聞こえたことだろう。秋留はクリアが盗み聞きしているのも気付いた上でこの会話をしているに違いない。
秋留に考えがあるなら俺は何も突っ込まずに会話を見守ろう。
「は、はぁ……。動物達と仲良く出来るという事ですか……で?」
確かに「で?」だろうな。
「力を貸してほしいのです」
まさかカリューをコントロールするのに、ちょっと獣やモンスターと意思疎通出来るような小娘の力を借りるのか?
「は?」
確かに「は?」だろうな。
しかし扉の後ろで耳を澄ましていたクリアには通じたのか、病室に黄色い髪を振り乱して秋留の元に飛び込んで来た。
「アタシ、お姉ちゃんの力になりたい!」
「駄目だ! 危険過ぎる!」
パルメザンが秋留の身体からクリアを引き剥がす。
「一緒に行くもん!」
クリアが鬼の形相で父親を睨み付ける。しかし、いくら娘を溺愛しているパルメザンでも冒険者達と一緒に危険な戦地へ行かせるのは許せないようだ。
「駄目だ駄目だ駄目だ」
「行くもん行くもん行くもん!」
低レベルな戦いだ。
しかしこうなる事は分かっていたはずだ。秋留の方を振り向くと、それがまるで合図だったかのように話し始めた。
「レッジャーノさん、この世で一番危険なもの、って何だと考えますか?」
秋留の問いかけに、レッジャーノの口が「駄目だ」の形で止まった。
「そりゃあね、秋留さん」
咳払い一つしてレッジャーノが続ける。
「今日襲ってきたような海賊も十分危険だがね、あいつらも人間だ。言葉が通じる」
あ、こりゃあ、秋留に言いくるめられるな。
俺はこの先の話の展開を予測して一人納得した。
「言葉も通じない獣やモンスター。私にはそれが一番危険だと思っておる。だから危険なモンスターもいる海賊達の元へ娘を連れて行くなど……」
言ってしまったね、パルメザン。
俺は心の中でほくそ笑んだが、この会話の流れだとクリアを一緒に連れて行くという事か? 百害あって一利なしではないのだろうか。
「レッジャーノさん。その一番危険だと思っている獣やモンスターと、お嬢さんは意思疎通が可能なんですよ」
俺達はボロボロになったレッジャーノ邸の庭へとやって来た。
辺りにモンスターや海賊の姿はない。今は港で暴れているらしい。タイガーウォンをはじめとした治安維持協会員達と、戦いを繰り広げているという情報を先程聞いた。
急がなくては。
「ガウガウ!」
レッジャーノ邸の裏から凶暴そうな犬が連れてこられた。ドーベルマンという種類だろうか。首元には棘のたっぷり付いた首輪をつけている。
その凶暴そうな犬を全身を鎧でまとった執事が連れてきた。そんなに危険な犬なのか?
「レッジャーノ家随一の暴れん坊、紅蓮という名のドーベルマンだ」
紅蓮はカリューに負けない程の凶悪さを放っている。その眼は怒りに狂っているようだ。
「うちの娘がこんな獣と意思疎通が出来ると? 秋留さんはそう言っているのですか?」
パルメザンが皮肉たっぷりに言った。
「クリア。私は獣使いじゃないし、獣使いになった事もないから詳しい事は分からないんだけど」
秋留はクリアの高さに視線を合わせて言う。
「洞窟で馬みたいなモンスターに襲われた時、クリア、叫んだよね?」
「……う、うん」
当のクリアは目の前の凶暴そうな紅蓮を見て、明らかに怯えているようだ。大丈夫だろうか。
「クリアの言葉には力があるの。クリアが叫んだ時、洞窟を包囲していたモンスターの動きが全て止まったよね? 獣やモンスター、あそこにいる紅蓮の心に響かせる事が出来る不思議な力が、クリアにはあるのよ」
「う、うん……」
クリアがモジモジとしている。頼りないな。俺に対する態度となぜそんなにも変わってしまうんだ?
「怯えなくて大丈夫よ。クリアのあるがままで、まずは紅蓮の眼を見つめて、問いかけて」
クリアが紅蓮の方を振り向いた。
紅蓮はそんなクリアを睨み返す。
しかしクリアも吹っ切れたのだろう。いや、秋留の力になりたい、という気持ちが勝っているのかもしれない。
クリアが無言で紅蓮に近づく。それに合わせて紅蓮の唸り声が一層大きくなった。
「紅蓮……。初めまして。アタシ、クリア」
「ガウガウ!」
後ろで首輪に繋がった鎖を頑張って引っ張っている鎧姿の執事が、思わず引きずられる程に紅蓮が暴れた。
「ん〜。何でそんなに怒ってるの?」
「ガ! ガウ……」
クリアに問いかけられて紅蓮が思わず動きを止めた。そんな馬鹿な……。あんな凶暴そうな紅蓮を一発で静かにさせた?
俺は今まで獣使いをあまり見たことはないが、意思疎通を計るにはそれなりの時間を要すると聞いた事がある……。
秋留が眼をつけたのは伊達ではなかったということか。これならカリューもどうにかなるかもしれない。
「お姉ちゃん! 紅蓮の気持ちが伝わってくるよ!」
クリアが秋留の方を振り向いて楽しそうに叫んだ。
その言葉にパルメザンも驚いたようだ。
「さすがだね。洞窟を取り囲んでたモンスターの動きを一斉に止めたから、まさかとは思ったけど……」
秋留が感心している。
「うんうん……」
秋留が感心している向こうでクリアが紅蓮と会話しているように見える。やっと言葉の通じる相手に出会えた嬉しさからか、紅蓮が涙を流しながらクリアに「ガウガウ」と言っている。
「え〜! ひっど〜い!」
クリアが叫び立ち上がった。
その眼がなぜか父親のパルメザンを睨む。
「ちょっと! パパ!」
「どきっ!」
パルメザンが分かり易く驚いた。
「紅蓮から話は聞いたよ! パパ、紅蓮が小さい時に酷い事したでしょ!」
「うわわわわわわ! 何の事だ、クリア! パパは何の事だかさっぱり分からないよう!」
これまた分かり易くパルメザンが慌てる。やたらと声がでかくなったし。
一体、パルメザンは紅蓮に何をしたんだ?
「眉毛書いた」
クリアがボソリと呟いた。確かにそんな悪戯をされている犬を見たことがあるな。
「ダサくて派手なデザインの前掛けを無理やり着させた」
再びクリア。そんな悪戯されている犬は見たことがない。
「無理矢理プードルみたいに毛を剃られた」
さすがにそれは酷い。
威厳のあるドーベルマンも、手足の先だけ毛がある状態だと可哀想にも程があるな。
「すまん! それ以上は勘弁してくれ! クリア! お前から紅蓮に謝ってくれ!」
パルメザンは土下座をして謝っている。
俺達はその後、簡単に準備を整えて港に向かって進み始めた。