魔法の授業
「早速来ていただけたんですか! ありがたい、ありがたい……」
先程の金持ちオッサンが葉巻を吸いながら頷く。
名前をパルメザン・レッジャーノと言うらしい。
そして肥えたパルメザンの陰にいるのが、クリオネア・レッジャーノという一人娘。
母親はクリオネアが小さい時に病気で亡くなってしまったらしい。
目の前の生意気な少女は、男親に育てられたという感じがありありと出ている。
「お姉ちゃん……」
クリオネアが秋留の前に出てきた。秋留に少しでも怪しいことをしたら頭を吹き飛ばしてやる。
「魔法が使えるの?」
秋留がニコリとして「ちょっとね」と答えた。
秋留は過去に魔法系の職業に複数就いた事がある。
そもそも人には素質というものがあり、魔法にもそれは当てはまる。秋留のように魔法系の職業に複数就いた事があるのは大変珍しい。
「ちょっとね」どころの騒ぎではない……らしいが、俺も詳しい事は知らない。
「ね〜ね〜! お姉ちゃんの職業は何?」
クリオネアが眼をキラキラさせながら尋ねる。俺への態度とはエラい違いだ。
「ちょっとマイナーだけど幻想士っていう職業に就いているんだよ」
「幻想士? それはどんな職業なの?」
秋留は微笑むと、このデカイ屋敷を出るため、玄関に向かって歩き始めた。
「ちょっと野外授業してきますね」
「ああ、よろしく頼むぞ!」
秋留の台詞にパルメザンがデカい態度で答える。もう少し自重しやがれ。
「説明するより実践あるのみでしょ!」
秋留が腰に手を当てて説明する。
クリオネアがワクワクしながら秋留の方を向いている。
よしっ!
魔法の実演でクリオネアにファイヤーバレットでもお見舞いしてやれ!
「じゃあ、ブレイブ、手伝って」
「任せろ! ……え?」
俺は意気込んで答えたが、まさか俺で魔法を試すつもりなのか?
「今からクリオネアにちょっとした魔法をかけるわね」
「クリアって呼んで〜」
クリオネアが甘えた声で秋留に言った。
まさか、こいつも秋留の色香にやられたんじゃないだろうな? 俺のライバルか?
「じゃあ、クリア。これからクリアにかける魔法は別に危険なものじゃないわ。少しの間姿を見えなくする特別な霧を、クリアの周りに発生させるの」
クリアが元気よく頷く。
ん?
この状況で俺は一体何を手伝えば良いんだ?
俺の疑問などは無視して、秋留は大きく円を描くように手を動かし始めた。
「幻想術は神聖魔法やラーズ魔法の様に特別な呪文を唱える訳ではないんだ。今の秋留のように不思議な動きをする事により魔法を発動させるんだぞ!」
俺も魔法に関してちょっと位の知識はあるんだぞ、というアピールを込めてクリアに言った。
「静寂の蜃気楼!」
秋留が幻想術の一つである魔法を唱えた。
見る見るうちにクリアを中心に濃い霧が広がっていく。
「この魔法は姿を見えなくするだけじゃないの。他の人を惑わす効果もあるから、気配とか呼吸とかを察知するのも難しいのよ」
え?
それは知らなかった。以前に秋留に魔法をかけてもらったが、ただ単に姿を見えなくする魔法だと思っていた。
「そ・れ・に!」
そこでビシッと秋留が俺の方を指差した。
「呪文は唱えてるんだよ、ブレイブ。この世界で魔法と名の付くものは大抵呪文が必要なの」
え?
それも知らなかった。確かに幻想術の時は何やらモニョモニョと喋っている気がしていたが……。呪文だったのか。
「クリア、試しにブレイブに攻撃してごらん?」
秋留の悪魔のような笑みが見える。
いてっ!
俺の可愛い尻が思いっきり蹴られた。俺は咄嗟に後ろを振り返ったが、辺り一面が霧に包まれていてクリアの姿を捉える事が出来ない。
ぎゅううっ!
次は脇腹を思いっきりつねられた。
「手加減しろ! この野郎!」
「あはははははは……」
秋留、酷い。でもその楽しそうな笑顔が素敵だよ。
ごんっ。
あう! そこは痛いって……。
霧の中からクリアが大笑いしながら姿を現した。その姿がぼやけて見える。どうやら俺の眼は涙目になっているようだ。
「あれ? もう終わり?」
クリアが回りを見渡して秋留に尋ねた。
「うん。あんまりやるとブレイブが死んじゃうからね」
俺が痛みを堪えているのをさすがに気の毒に思ったのか、秋留が魔法を解いてくれたようだ。
「魔法って凄いんだね!」
そう言った後、クリアは意地悪そうな顔をして俺を見た。
「でも、ブレイブみたいに中途半端な知識は無い方がマシね!」
クリアはこれ以上ない程に上機嫌だが、相変わらず言う事がキツ過ぎる。
それにしても、さすが秋留。人を操るのが上手い。
「もっと教えて! 教えて!」
クリアが秋留の周りを回る。秋留への視線がクリアによって遮られて、うざい。
「まずは魔法系の職業にはどんな物があるのか教えてあげるね。う〜んと書くもの、書くもの……」
秋留が辺りを見渡す。
俺もつられて辺りを見渡した。それにしても広い庭だ。所々にはヤシの木が植えられ、花壇も数多くあるようだ。
少し離れた所のヤシの木から覗いている怪しげな男も、なぜかこの庭にマッチしている、……って誰だ、ありゃ?
「書くものでしょ? 任せてよ!」
クリアがポケットから小さなシルバーのベルを取り出して鳴らす。
ベルから上品な音色が辺りに響いた。
その音を聞いて、木の陰から覗いていた怪しげな男が凄い勢いで近づいてくる。
「どうされました? クリア様……」
男は静かに言ったが、少しの距離を全力疾走したせいで大分肩が上下している。
「シープット、ここにホワイトボードを持ってきて頂戴」
「すぐにご用意致します」
シープットと呼ばれた男は凄い勢いで屋敷へと消えていった。あれが金持ちの必需品である執事という奴か?
俺が考えている間に屋敷からホワイトボードを担いだシープットが再登場した。
「こちらでよろしいですか?」
「ええ、ありがとうございます」
秋留が礼を言った。クリアは何も言わない。こりゃ、シープットも相当苦労しているに違いない。同じ男として同情するぞ。
そのシープットは先程と全く同じ木の陰に隠れて、再び俺達の様子を観察し始めた。
「それじゃあ説明するわね」
秋留がホワイトボードにペンで文字を書き始めた。
『ラーズ魔法』
『ガイア魔法』
『召喚魔法』
秋留は有名な三種類の魔法をホワイトボードに書き示した。そう言えば秋留の字を初めて見るけど、容姿同様に流れるような素晴らしい字を書くもんだ。
「一番有名なのがラーズ魔法かな」
「ラーズ魔法? ラーズ教会と何か関係があるの?」
「そう。ラーズ魔法を唱えるにはラーズ教団に認めてもらう必要があるの」
そう言って秋留は太腿が見えるようにスカートを捲り上げる。
そこには太陽の輝きのような奇妙な模様が彫られていた。それよりも俺は秋留の魅惑的な太腿に眼が行ってしまう。
「触っても良い?」
クリアが言う。秋留の弾ける様な太腿をクリアが撫でる。
クリアに便乗して撫でようとした俺の手は、秋留によって思いっきり払い落とされた。
「この印が教団に認めてもらったっていう証なの」
秋留がスカートの乱れを直す。ああ、良い眺めだったのになぁ。
「どういう仕組みかは分からないけど、この印がある事によって精霊の力をコントロール出来るようになって魔法が使えるという訳」
秋留が説明しながら少し離れた場所に立った。
「ブレイブ、そこに落ちている枝を持って掲げて」
またしても俺は実験台とされる訳か。
それでも秋留のお願いを断れるはずもなく、俺は素直に左手に持った枝を高く掲げた。
「炎の精霊イフリートよ、炎の弾丸で敵を撃ち抜け……」
呪文の詠唱に合わせて秋留の持った杖の前に小さな炎が生まれる。
「ファイヤーバレット!」
秋留の元から放たれた炎の弾丸が俺の持っていた枝を灰に変えた。
「あちっ!」
俺の手も微妙に焦げる。秋留の眼が「いけない事をする手にお仕置きしたのよ」と言っているから文句は言えない。
「うわ〜! 凄い! こんな間近で魔法を見たの初めて!」
クリアが嬉しそうに秋留に近寄った。
「杖を持っていると威力が上がるの?」
秋留の持つ三日月のような飾りの付いた杖に触りながらクリアが訊いた。
「そう。精霊を制御し易いように作られた杖を持つ事により、魔法の威力が上がるのよ」
クリアは秋留から受け取った杖を珍しそうに必死に眺める。そのまま味まで確かめそうな勢いだ。
「この黒い人形は?」
「それは趣味。可愛いでしょ? 堕天使のお守りだよ」
クリアが再び嬉しそうに眼を輝かせながら人形を弄ぶ。
「良いな〜。アタシはお父さんがうるさくてあんまり出掛けられないから、変わったアクセサリーとか人形とかあんまり持ってないんだ〜……」
こいつ、秋留お気に入りの人形を奪うつもりか? 何て図々しい奴なんだ!
「ふふ」
秋留は小さく笑うと堕天使の人形を杖から外そうとした。
「あれ?」
秋留が杖から必死に人形を外そうとしているが、全くビクともしないようだ。秋留が助けを求めるように俺を見つめている。しょうがない。秋留の優しさには逆らえないよな。
俺は秋留から杖を受け取ると堕天使の人形を外し始めた。
固い!
ただの紐で結ばれているだけなのに全く外れそうもない。
俺の隣でワクワクと見ていたクリアの顔が残念そうに俯く。
「ちょ、ちょっと待ってろよ。こんなの本気になれば……」
駄目だ。
手ごたえが全く無い。
「もう良いよ、お兄ちゃんじゃ力不足なのよ」
この生意気な娘を少しでも感心させてやる。
しかし俺の努力も空しく堕天使のお守りは全く外れようとしない。
「じゃあ、クリア。冒険先で珍しいアイテムを手に入れたらクリアに送ってあげるよ」
秋留がクリアに言った。
その台詞を聞いてクリアが嬉しそうに笑った。
「ありがとう! お姉ちゃん!」
そう言ってクリアは俺の顔を一瞥した。まるで「役立たず」と言っているようだ。
俺も人の顔で考えている事が分かるようになって来たなぁ……。
「じゃあ授業の続きしようね」
秋留はクリアに魔法に関する説明をし始めた。
それから俺達はレッジャーノ邸で豪華な夕食を平らげると、薄暗くなった通りを宿屋目指して歩き始めた。
「秋留は何かを教えたりするの上手いよな」
二人で歩く大通り。何気ない秋留との会話。俺は今、猛烈に感動している!
「そう?」
「ああ、俺も大分勉強させて貰った」
秋留が微笑む。俺もつられて思わず笑ってしまった。
生まれてこの方、盗賊以外の職業に就いた事のない俺は魔法の知識がほとんどない。
そもそも人には素質という物があり複数の職業に就けるという事自体が珍しいのだ。秋留の様に数多くの職業に就いた事があるという方が特別なのだ。
「精霊が実在しないエネルギーのようなものだとは知らなかったなぁ」
そう。
一般的には精霊は実在しないという事らしい。俺は今まで魔法というものは何か神々しい存在によって力を与えられているとばかり思っていた。
「でもね」
俺の台詞に反対するように秋留が話し始めた。
「私は、魔法は誰かの力を借りていると思っているの」
俺は黙って秋留の話を聞く事にした。さすが聞き上手。自分で言うのも何だが話すのは大の苦手だ。
「この道を彩っている街路樹や草花も同じ。どんな物にも命があって、魔法を使う時は皆の力を借りているんだなって……」
慈愛の天使だ。
俺の隣を歩いているのは大いなる存在に違いない。やっぱり女神だったか。
「まぁ、これはガイア教会の考え方なんだけどね」
「秋留はガイア魔法は使えないんだよな?」
「そうなの。母はガイア教の司祭なんだけどね……」
秋留は元々優しい性格だからな。
過激な攻撃魔法の多いラーズ魔法は使いたくないに違いない。
「まぁ、ラーズ魔法はカッコイイし強力だから大好きだけどね。逆にガイア魔法はショボイの多いからなぁ〜」
がくっ。
身体の力が抜けてしまった。秋留って不思議だなぁ。
「ちょっと海にでも寄って行こうか?」
「いいね〜」
ダメモトで誘ってみたが秋留から嬉しい回答が返って来た。俺はスキップしながら浜辺を目指して突き進む。
「何でそんなにテンション高くなってんの?」
秋留が後ろからついてきながら話し掛ける。
夜の海は静かだった。砂浜の所々でカップル達が愛をささやき合っている。良いムードだ。
しかし……。
「やった! 五回いった!」
秋留はハシャいだ。
俺は秋留と海に石を投げて跳ねた回数を競っている。全然ロマンチックじゃない。
「駄目だなぁ。見てろよ」
俺は適当に平らな石を選んで海に力いっぱい放り投げる。やけくそだ。
どぼんっ。
「あっはっはっはっは〜。ブレイブ一回〜!」
おかしい。計算ではこんな筈じゃなかったのに。
「そろそろ帰ろうか?」
俺は言った。秋留は残念そうに頷く。どうやらまだ石を投げ足りないようだ。
しかし周りのカップルからウザったそうな視線を俺は感じている。俺達はムードをぶち壊しているに違いない。
「明日もクリアお嬢様に魔法のご教授に行くんだろ?」
宿屋まで後少しだ。
秋留との楽しい一時も後少しで終わってしまう。
「そうだね。なるべく恩を売っといてイザという時に役に立ってもらわないとね」
「あ、秋留!」
俺は突然叫んだ。なぜ?
「きゅ、急に大声出してどうしたの?」
俺の心臓が大きく波打つ。一体何を言おうとしているんだ?
「あ、明日も付き合うよ」
俺はこんな台詞を言うのにも勢いが必要なのか。悲しくなる。
「ふふ。よろしく」
そう言うと秋留はホテルの自分の部屋に消えていった。
いやぁ。今日は良い一日だった。