タイガーウォンと飲み会
「おかえりなさいませ。どうでした? サウザント・ウォーターフォール、綺麗でしたでしょう?」
デズリービューホテルの入り口では、眼鏡をかけた真面目そうな支配人が待ち構えていた。
「出迎えが派手だったな」
「ああ、売店のおばちゃんですか? あの人はサウザント・ウォーターフォールの裏の名物でして……」
尚も話続けようとする支配人を放っておいて俺達は自分達の部屋に戻っていった。
「ブレイブの部屋はそっち!」
さり気なく秋留の部屋に入ろうとしたが、見事に断られた。
俺は仕方なく自分の部屋へと戻った。部屋の時計は16時を指している。もうそろそろ夕飯だな。
俺は今度は二丁の拳銃を装備して食事へと出掛ける事にした。装備も普段着からそれなりのものへと変えている。
外へ出ると秋留が隣に……いない。そうそう上手く行くはずもないか。俺は秋留の部屋の扉をノックした。
「今日はルームサービスで済ませるから」
寂しい返事が来た。
仕方なくカリューとジェットの部屋をノックしてみたが返事がない。二人でどこかに飲みに行ったのかもしれない。
今日も夕日が綺麗だ。
ホテルから暫く歩いた場所にある飲食街は沢山の人で賑わっている。昨日よりは人が多いようだ。
俺は灯りに群がる虫のように、一軒の焼き鳥屋の提灯に引き寄せられていった。
「らっしゃい!」
威勢の良い店屋のオヤジが言った。店内は十人程が腰を掛けられる長さのカウンターがあるだけだ。オヤジ以外の店員はいない。
「お? ブレイブじゃないか! 一緒に飲もうや!」
何てこった。
カリューやジェットと一緒に食事をするならまだしも、俺の目の前にはタイガーウォンが手招きしているのが見える。
派手なアロハシャツに青っぽい短パンを履いている。治安維持協会の部屋では嫌気が差して観察をあまりしなかったが、治安維持協会にいる時もこの格好だった。
それにしても、こいつは見れば見るほど悪人面をしている。
まず眼に付くのはトゲトゲとした真っ黒な口ひげ。
そして顔を斜めに横断する真っ赤な傷跡……。
「オヤジ! 生ビール一本追加な!」
タイガーウォンが飲み物を注文した。俺は今日はビールを飲みたい気分ではないのだが、こいつはトコトン自分勝手な性格なようだ。
俺は目の前のメニューを見た。鶏つくねが美味そうだ。
「この店はな、つくねが美味いんだよ」
う……。
まるでタイガーウォンに言われて注文したようになってしまう。
それならそうと、飲み物同様に俺の分まで注文してくれれば良いものを……
「はいよ! 生ビール!」
タイガーウォンがデカいジョッキを受け取ると、一気に半分程を飲みつくした。
こいつ、俺のためにビールを頼んだんじゃなかったのか!
俺は仕方なく自分でビールを頼んだ。
コーラなどのジュース類を頼んだら、タイガーウォンに馬鹿にされそうな気がしたからだ。
「あと、つくねとネギマ……」
敗北感を味わったが、つくねはどうしても食べたい。
「あんたら、この島には何しに来たんだ?」
このオッサンと余り関わりたくない気持ちを我慢して、俺は適当に話し始めた。
「カリューの呪いを解きにアステカ大陸まで向かっているところだ」
そう。
カリューは数々の不幸が重なって獣人街道まっしぐらとなってしまった。元々の原因は俺にあったのかもしれないということは勿論言わない。
治安維持協会ではカリューが獣人化したところまでしか話してなかったから、秋留の続きを説明しなくてはいけないと思うと気が重い。
それからたっぷり一時間程付き合わされた。
外はまだ少し明るい。
今夜は満月のようだ。
それなのに隣を歩いているのがタイガーウォンだという事が悲しくて、同時に怒りがこみ上げてくる。
俺はタイガーウォンに言われるがままに町の見回りを手伝っている。なぜなら焼き鳥屋の代金はタイガーウォンの奢りだったからだ。
普段なら何の感謝もしないところなのだが、こいつに借りは作りたくなかった。だから仕方なく見回りに付き合ってやっている。
「やはり強い冒険者が近くにいると落ち着くなぁ! がっはっはっ!」
少し酒に酔っているらしく声もデカイしロレツも回っていない。治安維持協会はまずタイガーウォンを取り締まるべきだ。
その時、俺は女性の甲高い悲鳴を聞いた。
勿論、聴力が常人の十倍はあると自負している俺の耳だからこそ聞き取れたのだ。
「おい! 女性の悲鳴だ!」
俺は隣をご機嫌にフラフラと歩くタイガーウォンに言った。
タイガーウォンは全く聞こえていないらしく辺りをキョロキョロとし始めたが、顔は浮かれ顔から凶悪そうな引き締まった顔になっている。
「案内しろ!」
タイガーウォンが叫ぶ前に俺は既に走り始めていた。せっかくのバカンスが台無しだ、全く……。
「真っ直ぐ走り続けろ!」
俺より明らかに出遅れているタイガーウォンに向かって叫んだ。タイガーウォンが後方で小さく答える。
辺りは薄暗いが俺の眼には何の問題もない。
両手に持ったネカーとネマーを握りなおして近くの林を抜けた。目の前は険しい崖になっていて、右前方に向こう岸に渡るための吊橋がかけられている。
「助けて〜!」
橋の向こう側でモンスターから逃げ惑う黄色の髪をした少女の姿が見える。
モンスターは頭に小さなサクランボのような果物を付けた通称、桜ワニだ。
こいつはデカイ図体の割りには素早い。急がないと少女はあっという間にミンチにされてしまうだろう。
ズダダンッ。
ネカーとネマーから発射された硬貨が桜ワニの頭を吹き飛ばした。
俺は急いで吊橋を渡ると少女の前に走った。
「バカァッ!」
なぜか目の前の少女は俺を睨みつけて叫んでいる。
俺が不思議そうな顔をしていると、抜けていた腰を抑えながら俺の前に立ち上がった。身長は低くて頭が俺の腹の位置にある。
「何でもっと早く助けに来ないのよ!」
俺は思わず立ち去ろうとした。
その時、別のモンスターの気配を感じて目の前の少女の腕を引っ張る。
少女のいた地面が水の塊によってえぐれた。
べちゃべちゃ……。
つい最近も聞いた水系モンスターの足音。
林の中から出てきたのは水色の鱗で全身を覆う半魚人モンスターだ。
半魚人モンスターが一、二……五匹か。
俺はネカーとネマーを構え……られない。
俺の身体にしがみつく少女が両腕もろとも押さえつけていて、とっさに腕が上がらない。
「いやぁあああああ! 気持ち悪い! ヌメヌメ!」
「その手を離せ!」
半魚人モンスター達の口が俺と少女に狙いをつける。まるで銃口を突きつけられているようだ。
五匹のモンスターがまるで何かに操られているように一斉に息を吸い込む。
俺は仕方なく少女を抱えたままその場を離れた。
地面が次々に弾け飛ぶ。
「あ〜ん。お姫様抱っこされちゃった〜」
俺はその場に少女を下ろす。少し高い場所から。
「いった〜い!」
両手が自由になった俺はネカーとネマーを連射した。
三匹の半魚人の身体がその場に崩れ落ちる。
しかしその姿を見ても残りの二体の半魚人は全く怯まない。
敵二体を誘き寄せるようにその場を走り出す。
びゅるる!
俺の脚に何かが巻きついた。
後方にはカラフルな八本の足をウネウネとさせているモンスター、虹タコが構えていた。
「きゃああ!」
半魚人モンスターの口が少女を捕らえる。
ぶんっ!
俺の身体が虹タコの足に掴まれながら宙を舞う。虹タコってこんなにパワーがあったっけ? と冷静に考えている場合ではない。
俺は宙を舞いながらも少女を狙う半魚人モンスターの頭を吹っ飛ばした。
「ぐはっ」
地面に思い切り叩きつけられた後、更に地面を転がる。
やばい! このまま転がると!
俺は思わず地面から飛び出している木の根っこを掴んだ。
すぐ後に崖から身体が飛び出した。
嫌な音を立てて俺が掴んだ根っこが地面から出てくる。
「どりゃあっ」
俺はいつも腰に装備している黒い短剣を崖に突き立てた。右手で根っこを押さえ左手で短剣を崖に突き立てているだけで、身体は宙を浮いている状態だ。
「ふしゅるるる〜」
崖の上から虹タコが見下ろしている。その八本の手足が今にも攻撃してきそうだ。
俺は右手に持っていた根っこを離し、背中に装備している小さな鞄から機能的に収めているロープを取り出した。
そのロープを振り回して高みの見物をしている虹タコの身体に巻きつける。
つるりんっ。
何てこった。
虹タコのヌメヌメとした身体にロープを巻きつける事が出来ない。
「何やってやがる!」
反対岸からカリューの叫び声が聞こえた。よりにもよって嫌な場面を見られたもんだ。
「うおおおおおおん」
カリューの叫び声が俺の頭上をこだまする。
上を見上げるとカリューが見事な跳躍を見せているところだった。
この崖、対岸まで二十メートルはありそうなんだけどな……。
俺の見えない場所でモンスターがカリューの剣に切り裂かれる音が聞こえる。
暫くしてカリューが崖の上から手を差し出してきた。俺は持っていたロープを投げてカリューの手に巻きつける。
「ちっ。助かったよ」
「その『ちっ』っていうのは何だ?」
崖を登るとカリューが偉そうに俺の前に立ちはだかっていた。その隣にはタイガーウォンとジェットのオッサンコンビもいる。
更にその向こうに……。
「あんた、ほんっとうに情けないわね!」
さっきの生意気な少女だ。
俺はわざとシカトした。とりあえずこの場面を秋留に見られなかっただけ良しとしよう。
「丁度ここに向かっているところで、ご機嫌になっているカリューとジェットを見つけてな。念のため来てもらって正解だったようだ」
何かムカツク言い方でタイガーウォンが喋っている。
この場に俺の味方はいないのか? ジェットは大分酔っ払っているようだし。助け舟は期待出来ない。
その時、俺は首筋にゾクゾクする気配を感じた。
まだ何かいる! その気配はカリューの野生の勘も捕らえたようだ。
俺はネカーとネマーのトリガを引いた。だが乾いた音を発して硬貨が空しく辺りに散らばった。
「甲羅?」
俺の視界に一瞬映ったのは亀の甲羅のようなものだった。しかし今は何も見えない。
「随分出てきたじゃないか」
タイガーウォンが腕まくりをし始めた。このオッサン、戦うつもりか?
目の前には水系のモンスターがワラワラと出現し始めた。
「タイガーウォンさんとジェットはそこの少女を連れてここから逃げるんだ!」
唯一頭が使えそうな俺が指示する。
酔っ払いのジェットも腕も足も短いタイガーウォンも生意気なだけの少女も、ただの足手まといだ。
こういう時こそ隣のカリューは役に立つ。
「ホテルに泊まっている冒険者や治安維持協会員を探す! それまで持ちこたえろ!」
タイガーウォンが少女を連れて走り去る。その後ろをジェットがフラフラとついて行った。ああやって見るとジェットもただの爺さんだな。
ちなみに『持ちこたえろ!』は間違っている。俺とカリューがいればこの程度の質と量のモンスターなら苦労する事なく蹴りがつくだろう。
「援護頼むぞ」
そう言うとカリューは右手で剣を構えて走り始めた。俺は両手にネカーとネマーを構える。
まずは左前方から来ている、今にも口から水大砲をぶっ放しそうな半魚人の頭を吹き飛ばす。
次は右奥から黒い銛を投げようとしていた金色の魚モンスターの身体に穴を開ける。ちなみに俺がモンスターを二匹葬っている間にカリューの剣は六匹のモンスターを薙ぎ倒していた。
まぁ、俺のネカーとネマーは命の次に大事な硬貨を打ち出す特別製だから、あまり無駄撃ちは出来ない。
「うおおおおおおん!」
カリューが再び叫ぶ。その叫びだけで普通のモンスターなら怯むのだが、この辺りに出現するモンスターは肝が座っているらしく全く怯まない。
俺は木の上から愚かにも俺を狙っていた魚モンスターを打ち落とした。
「カリュー、そろそろ終わりだな」
カリューの方を振り向いて言った。
剣を使って戦っていない。爪と牙でモンスターを切り裂いている。
牙で戦っているっていう事は口を使っているという事で……。
よく出来るな。そんな人間離れした事……。それにしても今日のカリューは正に獣だ。
そして最後の一匹のモンスターの喉仏に喰らいついた。
カリューが息の根が止まったモンスターを口にくわえたまま俺の方を振り向く。
その眼は最早、人間でも獣人のものでもなかった。