裏切り
「いたっ! 押さないでよ!」
船室へと続く階段の方からイザベラの声が聞こえてきた。甲板に上って来たイザベラの背中には刀が突きつけられている。
俺は咄嗟にネカーとネマーを構えた。
「動かない事だな」
いつの間にか近くにノニオーイが近づいてきていた。
こいつらは盗賊と一緒で気配を消すのが上手い。俺は今後、盗賊や海賊と仕事をするのは止めようと思った。
それにしてもノニオーイが言った「動くな」とはどういう意味だったのだろうか。
俺は船室へと続く階段に視線を戻した。イザベラの背中に刀を当てているのは染次郎だ。
「どういうつも」
俺が叫び切る前に背中を何者かに殴られる。一瞬息が止まった。
「うるせえぞ!」
ノニオーイの邪悪な声が聞こえた……邪悪?
俺の後ろにいるのは、今や邪悪な雰囲気を全身から発しているノニオーイだ。
何だ?
何がどうなったんだ?
気付くとイザベラ達三人が染次郎に連れられて俺達の隣までやって来ていた。
「大丈夫ですか?」
イザベラの旦那であるリーに起こされた。
俺は状況を把握しようと周りを見渡す。
いつの間にかまともに立っているのは俺達だけになっていた。
船員達は至る所で倒されており、船長までもが甲板の端で伸びている。
先程のモンスターとの戦闘で全員倒されてしまったのだろうか。
「全員、眠ってもらったよ」
ラムズが俺の視線に気づいて説明してくれた。段々と状況が飲み込めてきたぞ。
俺は更に視線を彷徨わせ、衝撃を受けた。
染次郎の腕にはイザベラとリーの子供であるリュウが乱暴に抱かれている。状況を理解していないらしく、仕切りに染次郎の髪の毛を掴もうとハシャいでいる。
そういう事か。
さすがに子供を人質に取られたら手も足も出ない。俺達が未熟だった。
「任せて」と豪語していた秋留の方を見ると意外に冷静な顔をしている。秋留の事だから必死に策を考えているに違いない。
誰も舵を操っていない船はただ海の上を漂っていた。
二隻の海賊船がもう間近に迫ってきている。
俺の眼には船に乗っている海賊達の邪悪そうな顔が一つ一つ確認出来た。
久しぶりの獲物に心が躍っているようだ。中には秋留の事をイヤラシイ眼つきで見ている海賊もいる。俺は思わずネカーとネマーをぶっ放してしまいそうになって踏みとどまった。
「お主等の目的は何かな?」
ジェットが冷静に言った。確かにこのままでは海賊船に追いつかれてしまう。
「あ〜あ、ちったぁ、自分らの少ない脳みそで考えてみろや!」
今までのノニオーイの口調とは明らかに違う。
ちなみにジェットの頭の中に本当に脳みそがあるのかどうかは疑わしい。とクダラナイ事を考えている場合ではなかった。
俺は暫く考え、混乱して何も考えられない事に気づき、頭脳の女神である秋留を見る。
「貴方達だったのね。この辺の海域で悪さをしている海賊っていうのは」
秋留は言った。
確かにそうだ。言われてみればその通りかもしれない。俺は少し冷静になって考えてみる事にした。
まず荒波の中をイザベラ達が出航しようとする。
腕の良い海賊を雇うのは当然だろう。
レベル測定大会で活躍した冒険者をイザベラがスカウトして俺達が雇われた。
そして出航。
何日か後に海賊に一度目の襲撃を受ける。こちらは揺れる船のせいで襲ってくる海賊団を沈める事が出来なかった。
それはノニオーイの操船の悪さだと思っていたが、仮に仲間の船を守るためだとしたら……。
そういえば巨大なタコモンスターに襲われた時はノニオーイは揺れる船を見事に操作していた。
次々に今までの疑問が解明されていく。
まてよ……。
「それじゃあ、海賊船の三隻のうち一隻が沈められたのはどういう事だ? お前の操船で的を外せば良かったんじゃないのか?」
ノニオーイは声だけではなく顔まで別人に変わりつつある事に俺は気づいた。
俺の質問にノニオーイは鬼のような顔で答える。
「後先考えずに大砲をぶっ放したからだ。海賊は頭の悪い奴ばかりで困るよ、全く……」
自分の思い通りに動かなかったから沈めさせた?
俺は改めてノニオーイの邪悪さを思い知らされた。
「と、そろそろ馬鹿だが力や残忍さは人一倍強い、仲間達の御到着だ……」
ノニオーイが近づいてきた二隻の海賊船の方に向かって歩く。
それと同時に歓声が巻き起こる。
『ノニオーイ船長、バンザーイ!』
海賊達が一斉に叫ぶ。
ノニオーイは軽く手を上げた。
頭のキレる海賊船長のノニオーイが、餌を求めて陸に上がってきて獲物を海におびき寄せたんだ。
まるで熱帯に生息するワニの様に。そして雑魚海賊共は集団で襲ってくるピラニアか。
『ノニオーイ船長! ノニオーイ船長!』
「ヘソ万歳! ヘソ万歳!」
一瞬、ノニオーイの顔が悪魔のように豹変した。
ノニオーイは腰に隠し持っていた銃で「ヘソ万歳!」と叫んだ海賊の頭に風穴を開けた。
一瞬にして海賊達が静かになる。
「お前ら、あんまりハシャギ過ぎて大事な事を色々忘れるんじゃねえぞ!」
ノニオーイは銃を腰に戻すと俺達の方に振り返った。
「さて、状況はもう飲み込めたかな? 俺達がお前らの荷物を頂くまで動くなよ……」
ノニオーイはそう言いながらサーベルをスラリと抜き、染次郎が抱いていたリュウの頬に刃を当てる。
リュウの眼が点になる。
「リュウ!」
イザベラが叫んで走り出そうとする。その手をリーが掴んだ。
「待つんだ! 今行ったらリュウが余計に危なくなるだけだ!」
普段は大人しそうなリーが眼を見開き叫んだ。その眼は力強い。
「そうそう、動くなよ」
ノニオーイがサーベルを構えたまま歩く。そのまま甲板の端にあるベンチに腰をかけた。
「この船は商人の船だ! お宝が沢山あるだろうから、遠慮せずに奪い尽くせ!」
ノニオーイの叫び声と共に海賊達が雄叫びを挙げる。
今、正に俺達の船に乗り込もうとした時……何と秋留がトコトコと雪崩れ込もうとする海賊達の目の前に躍り出た。
秋留の予想外の行動にその場にいる全員の行動が固まる。
「あんた達、随分罪のない人々を殺めたみたいだね……」
秋留が声のトーンが下がっている。
これは秋留がネクロマンシーを使おうとしている前兆だ。
秋留は今は幻想士だが過去に色々な職業に就いた事がある。ネクロマンサーになった経験のお陰で、ジェットもゾンビ稼業を営んでいられる。
「沢山見えるよ、あんた達に恨みを持った人たちの怨念が……」
そう言うと秋留はブツブツと魔法を唱え始めた。
ネクロマンシーの詠唱は何を言っているのかは分からない。
「ソウル・ハーデン・パニック!」
秋留が低い不気味な声で叫ぶ。
辺りの空気が一気に悪くなったと思うと、今まで見えていなかった何者かの存在が現れだした。
ある者は苦痛に歪んだ顔をし、ある者はこれから始まる晩餐に歓喜の顔をしている。しかしどの顔もこの世のものではない、まさしく悪霊……。
『ぎゃあああああ!』
『うああああああ!』
二隻の海賊船から呻き声が一斉に聞こえ始めた。
その声は肉体的に攻撃をされた時の声ではない。何かが壊れるような不気味な断末魔。
「みんな、私の近くに来て。巻き添えくらうよ」
秋留が言った。
俺達は無言で秋留に近寄る。さすがに怖い。
「あ、ジェットは大丈夫だよ」
死人のジェットには悪霊は襲ってこないという事か。ある意味同類だしな。
ジェットが悲しそうに少し離れた所に立った。
「ソウル・ハーデン・パニックっていう術は、近くにいる霊達の想いを強くする効果があるの。彷徨う霊がマイナス方向の想いを持っていれば……こういう結果になるの。ただし制御不可能〜」
秋留が可愛いけど物凄く怖い事を言って近づいてきた悪霊を手で払った。秋留の手に払われて、恐怖に歪んだ顔をした霊は消える。
「ごめんね、成仏してね」
秋留が小さい声で呟いたのが聞こえた。
ネクロマンサーは死者を操る魔法。マイナスイメージが多いために俺はあまり好きになれないが、秋留がネクロマンサーの術を使っているなら好きになれそうだ。
「てめえ!」
空気が震える程の声でノニオーイが叫んだ。
右手にはサーベル、左手にはリュウの小さい身体を掴んで掲げている。今にも刺してしまいそうだ。俺は咄嗟にネカーとネマーを構える。
「動くんじゃねえ!」
サーベルがリュウの左頬に軽く刺さる。あいつめ許せない!
それにしてもリュウはあんな状態でも泣き喚いたりしない。そればかりか頬に刺さった傷から血さえ出ない。
……えっ?
俺が気づいたタイミングでノニオーイも気づいたようだ。
「な、何だコレは……どうなってるんだ?」
今まで強気だったノニオーイがうろたえた。
そのウロタエっぷりを見て、秋留が小悪魔のような危険な笑みを浮かべながらノニオーイに近づく。
ノニオーイ達パーティーのメンバーも呆気に取られていた。
「ところであんた達、ミガワリンって知ってる?」
ノニオーイ達は揃って素直に首を横に振る。
ノニオーイ達のパーティーの周りでは海賊達が絶叫しながら海に落ちたり、その場に倒れたりしている。その地獄絵図の状況に少しビビッているのかもしれない。
「ちょっとした魔力を込めれば、その人の思うように形を変える不思議な水……」
それを聞いたノニオーイは左手に掴んでいたリュウだと思っていた物体を見つめる。リュウだと思っていたソレがニヤリと笑った。
「そ、そのミガワリンは動く事も出来るのか?」
俺は半ば放心状態のノニオーイに変わって質問した。
「普通じゃ動かないんだけど、私はちょっと応用して、近くにいた女の子の幽霊を乗り移らせたの」
それもネクロマンサーの力という訳か。
巨大タコと戦闘している時にイザベラ達の場所へ安全確認に行っていたな。その時にちょっとした小細工をした訳か。
確かあの時は染次郎も戦闘に加わっていたからな……。
神出鬼没の染次郎に見られずに済むタイミングを逃さなかったという訳か。
俺は心から秋留の戦略家っぷりに感動した。やはり俺達パーティーの頭脳は桁外れだ。
「ちなみにその子もあんた達に恨みを持っていたみたいだよ」
秋留の台詞の直後、ノニオーイの抱えていたリュウの形が崩れた。
ただの水に戻ってノニオーイの身体を塗らした。恐怖のためかノニオーイは「ひいっ」と小さな声を上げた。
ノニオーイ達パーティーの周りをミガワリンに宿っていた女の子の幽霊が楽しそうに飛び回る。
暫くノニオーイ達を弄んだあと、満足した様に女の子が秋留の目の前までやって来た。
「……ありがとう、おねえちゃん……あたし満足出来たよ……」
女の子の幽霊が秋留に霊、じゃなくて礼を言っているのが口の動きで分かった。
きっと秋留には声自体も聞こえているに違いないが、ネクロマンサーの力の無い俺達には何を言っているのか聞こえはしない。
「じゃあね。天国でお父さん達と仲良くね」
秋留は女の子に手を振った。
目の前で女の子の幽霊が幸せそうに姿を消した。