荒れた船出
台風が近づいてきているという噂は本当だったようだ。
翌朝も海は大荒れに荒れていた。日ごとに天候は悪くなっているようだ。
しかし港で待っていたイザベラは出航を延期しようとは考えていない。
「武具の納期が迫っているの。これ以上遅れたら商売にならなくなってしまうわ」
イザベラは力強く言った。この辺に商人という職業の凄さを感じる。
「ちなみにお前らは船酔いとかしないのか?」
近くで出航準備を手伝っていたガロンが聞いてきた。
俺達は船の事は分からないため、近くで作業を見物している。
「うるせえ! 自分の仕事をしてろ!」
カリューがガロンに向かって唸る。実はカリューは船に弱いのだ。
以前、俺達がパーティーを組んだゴールドウィッシュ大陸から船に乗った事があるのだが、その時カリューは酷い船酔いに襲われていた。
「まぁ、この荒れ方じゃあ、船酔いするとかしないとかはあんまり関係ないかもしれないけどなぁ〜」
ガロンが意地悪く言って立ち去った。
確かにこんな状態での船旅はした事がない。俺は人生経験豊富なジェットを見た。
「さすがにワシもここまで荒れた海を旅した事はないのぉ」
ほとんどの大陸を制覇しているジェットが答えた。
「ぼおおおおおお〜」と目の前の船の煙突から煙が吹き上げる。
俺達が乗る船はちょっとしたダンスパーティーが開けるくらいの大きさだ。
船底にある倉庫に沢山の武具が積み込まれているらしい。
ちなみに船乗り達の話を盗み聞いたところによると、この船は魔動船という種類らしい。動力部に積んだ魔力を込めた石と蒸気の力により動いているという事だ。
こういった魔力や蒸気を乗り物や武具に応用する技術は、魔族の本拠地があるとされているワグレスク大陸から伝わってきたものだ。
「そろそろ出発するわよ」
イザベラが強風で乱れる髪を押さえながら近づいてきた。
その隣にはリーとクログローがいる。そしてイザベラの腕には小さな子供が抱きかかえられている。
「息子のリュウよ」
俺達の疑問に答えるようにイザベラが言う。
リュウと紹介された子供は小さくお辞儀をした。その大きな目で俺達を観察している。
「危険な旅に連れて行くのはどうなのか、と何度も言われた事があるんだけどね。私自身が小さい頃に一人ぼっちの日々を送っていたから、この子には寂しい思いをさせたくないのよ」
今まで力強かったイザベラが突然優しい口調になった。
「安心して下さい。ご家族全員の命は何としてでも守りますから」
秋留がリュウに微笑みかけながら言った。その微笑を俺に対してもして欲しいものだ。
その後、イザベラから船の説明があった。
待機する場所や荷物の場所、そして重要なイザベラ達がいる部屋。
俺達はその場所を頭に叩き込んで、船と港をつなぐ木製の橋を渡った。
海が相当荒れているため、港に止まっている船でも十分に揺れる。
カリューは具合の悪そうな顔をし始めた。
「しゅっぱ〜〜〜〜〜〜っつ!」
船長と思われる黒いヒゲの男が叫ぶ。
船員達の手によって船と港をつなぐ橋が外され、船のイカリが巻き上げられた。
重い音を立てつつ静かに船が動き始めた。あまりの強風で帆は張っていないが、それでも動くというのが魔動船の特徴だろう。
頭上を見上げるとメインマストの見張り台にガロンがいる。
そして船長の隣にはノニオーイ、船尾の椅子にラムズが座っている。染次郎は……どこかにいるのだろう。
「そ、外にいるのは危険だ……部屋に入ろう……」
いつもの迫力が全くない感じでカリューが言った。
俺達は哀れみの眼でカリューを見ると頷いて部屋に入っていった。
部屋の中も外と変わらずに危険だった。
あまりの船の揺れっぷりに物は落ちるはカリューは転がるはで大変だ。船酔いのしない俺達も早くも体力を消耗し始めてしまった。
俺は気分転換に再び甲板に出ることにした。
「待って。私も行くよ」
少し顔が青ざめてきた秋留が俺についてくる。いつもクールな秋留もさすがに少し辛そうだ。
死人であるジェットは、カリューがこれ以上転がらないように面倒を見ている。
甲板は強風にプラスして横殴りの雨も降ってきていた。
「そっちのロープ引っ張れ」
「水もっとかき出せ!」
船員達が忙しく働いている。ノニオーイ達のパーティーもそれぞれの仕事をこなしているようだ。
俺達はあくまで対モンスターや海賊相手。出番が来るまでは暇だ。
「こんな所に出てきたら危ないぞ」
クログローが俺達の後ろから声を掛ける。少し前から気配には気づいていたが無視をしていた。
「あんたは危なくないのか?」
俺は嫌味を込めて言い返す。
「俺は元漁師だからな。これくらいの時化じゃあビクともしない」
確かに漁師にピッタリな見た目だ。真っ黒な肌に筋骨隆々とした身体。そして腰にさしたロッド……?
「元漁師? クログローさんは職業は何なの?」
秋留が聞く。
「クログローと呼んでくれて結構だぞ。俺はガイア教の司祭だ」
『え〜!』
俺と秋留は息もピッタリに叫ぶ。さすが将来のオシドリ夫婦だ。
「何だ? 司祭には見えないか?」
『見えない』
再び声を合わせて言う。
俺達は暫くクログローと話した後、更に海が荒れてきたので近くのロープを自分の身体のベルトに取り付けた。秋留も同じく身体にロープを取り付ける。
「こうしておけば、最悪荒れた海に投げ出される事はなくなる」
クログローが親切に教えてくれた。案外こいつは良い奴かもしれない。
嵐の音に負けないほどの派手な音を立てて、一際大きな波が上がった。
いや、波じゃない!
「秋留!」
目の前から突然現れたイルカを五倍にした程の巨大な魚型モンスターが、俺達の乗る船に体当たりを仕掛けてきた。
小さく船が揺れる。
俺はバランスを保ちながらネカーとネマーで魚モンスターを撃つ。
しかし波に阻まれて弾の威力が落ちているらしく、モンスターの硬い鱗を少し傷つける程度だ。
「スプラッシュサンダー!」
呪文の詠唱を終えた秋留が叫ぶ。
上空に出現した黒雲から魚モンスター目掛けて稲妻が走る。
「ぴぎゃ〜〜」
不気味な叫び声を上げて魚モンスターの身体が硬直する。そのまま魚モンスターは息絶え海底へと沈んでいった。
「さすがですね」
いつの間にか後ろにはノニオーイがいた。この大きく揺れる船の上で何事もないかのように直立している。
「海のモンスターには雷系の魔法が絶大な威力を発揮しますからねぇ」
ノニオーイがイヤらしい眼つきで雨や海水に濡れた秋留の身体を凝視する。俺はさりげなく秋留の前に立ち視界を防いだ。
「ふっ。この船にはシャワー室もあるらしいぞ。海に慣れていない奴はすぐに風邪を引くからな。暖かくする事だな……」
またしてもムカツク事を言ってノニオーイは去っていった。
「まぁ口は悪いが……奴の操船技術は実際大したもんだったぞ」
隣で黙って事の成り行きを見守っていたクログローが言った。確かにレベル測定大会の時はそれなりな操船技術を披露していたようだが……。
決してノニオーイの忠告を聞いた訳ではないが、船の揺れも激しくなってきたので、カリューがくたばっているであろう船室へと戻る事にした。
「酷い揺れですなぁ……」
顔を真っ青にして前より幾分かゲッソリしたように見えるカリューの隣で、これまた色白い顔を更に青白くしたジェットが言う。
「いい加減、この天気は何とかして欲しいよね」
秋留も少し気持ち悪そうだ。ちなみに俺は先程トイレに行ってぶっ放してきたところだ。外が見える小さいガラス窓に映る自分の顔も相当青い。
「こ、これじゃあ襲われた時にまともに戦えないよな」
俺は深呼吸をしながら言った。
「何かあった時に戦えないんじゃ困るからね。皆で少し横になろうか」
秋留は何とか冷静さを保っているようだ。
俺達、と言ってもカリューは返事出来る状態ではないので、厳密にはカリュー以外のメンバーが秋留の意見に賛成すると、簡易ベッドに横になった。
幾分静かになった波の音が聞こえてくる。
船の揺れも少しおさまったようだ。向かいのベッドに寝ていたはずの秋留とジェットの姿がない。
ちなみにカリューは俺の下のベッドで相変わらずくたばっている。
船室から甲板に上がる階段を上り、鉄製の重い扉を開ける。
外は少し明るい。空に広がる暗雲の隙間から光が漏れているのが確認出来た。
「予想通りにヘバっていたようだな」
ロープの束を持って通り過ぎ様にガロンが言った。
あいつら俺達の事を馬鹿にしていたに違いない。まぁ予想通りヘバってましたけどね〜。
船の先端に近いベンチに秋留とジェットが座っているのが見えた。一緒に仲良くお茶を飲んでいる。
俺は黙って秋留の隣に腰を下ろす。
「おはよう、ブレイブ。体調はどう?」
早速、秋留から優しく語りかけられて一気に元気が出てきた。
「絶好調!」
俺はガッツポーズで答える。秋留が「フフフ」と可愛く笑った。
「何とか嵐は越えたようですよ」
この船の船長が俺達の所へ来て言った。
船長らしい日に焼けた黒い顔にモジャモジャの黒いヒゲを生やしている。右足は義足だ。
自己紹介された時に聞いた話だと、豪快に転んだ結果義足になってしまったらしい。
一体、どんな転び方をしたのだろうか。
「後、何日くらいでアステカ大陸に到着しそうですか?」
「まぁ〜二週間でしょうな」
秋留の質問に船長があっさりと答える。そ、そんなに体力持つかな……。
「がっはっは。心配すんな。途中の小さな島で色々補給とかするからな」
俺達の不安げな顔を見て船長が言う。
それを聞いて俺達は心からホッとした。カリューもさすがに二週間経ったらミイラになっているかもしれない。
ふと誰が操船をしているのかと後方を見た。舵を握っているのはノニオーイだ。
俺の目線に気づいたのか、名前を忘れた、というか覚えるつもりもないが、ヒゲモジャ船長が説明し始める。
「ノニオーイは良い腕を持っているよ。お陰で俺は楽が出来る」
ガロンは依然としてメインマストの見張り台にいる。船尾にいたラムズはいない。染次郎は相変わらず一度も見かけないが船には乗っている事だろう。
その時、見張り台にいたガロンが大声で叫んだ。
「黒い船が見えるぞ〜!」
俺達もガロンが見ている船首の方向を見つめた。
確かに水平線上に黒い帆を張った黒い船が見える。あまり良い見た目とは言えないが……。
「ありゃあ噂の海賊船だぞ!」
ヒゲモジャ船長が近くの金属の筒に向かって叫ぶ。この筒は船の至る所と繋がっていて声を伝える事が出来る。
船長がノニオーイの場所に走った。
俺達も海賊船からの攻撃を警戒して船首へと進む。
とりあえず距離が大分あるため、まだ攻撃は仕掛けてこないようだ。
「魔動力を上げろ! 海賊船から離れるんだ!」
船長が叫ぶ。
ノニオーイは巧みに舵を操り、帆で風を受けて船のスピードを上げているようだ。まだ少し海が荒れているせいで、再び船が大きく揺れ出す。
「このままだと追いつかれるぞ」
見張り台からガロンが言った。いつの間にかラムズも甲板に出てきて帆の向きを操るロープを握っている。
既に黒い海賊船は誰の眼にも確認出来る程近づいてきていた。
しかも先程は一隻しか見えていなかったが、海賊船は三隻いた。
そのうちの一隻の正面に設置されている大砲が少し動いたのに気づいた。
「おい! 大砲で撃ってくるぞ!」
「分かってる! ちょっと黙ってろ!」
ノニオーイは俺が忠告する前に既に気づいていたらしく、舵を勢い良く右に操る。
船のすぐ横で海賊船から発射された弾が海面に当たって水しぶきが上がった。
ノニオーイは海賊船の方を確認しながら舵を操る。
「こちらも大砲の準備だ! 急げ!」
船長が叫ぶ。
どうやら海賊船の大砲の方が性能が言いようだ。こちらの大砲ではもう少し海賊船に近づかないと飛距離が足りないらしい。
大砲?
俺は秋留の方を振り向く。
俺達パーティーの頭脳であり遠距離攻撃が得意な大砲の存在を忘れていた。
「女性に対して大砲は失礼だけどね!」
秋留が俺の心の中を読み取って少し怒る。
秋留はそのまま呪文の詠唱を始めた。
「業火の身体を持ち……」
再びすぐ傍で水しぶきが上がった。それでも秋留の集中力は途切れていないようだ。
「煉獄の心を抱く者よ、烈火の眼差しを知らぬ哀れな者達を汝の瞳で貫け……」
秋留が呪文の詠唱を終えた瞬間、船が今まで以上に大きく傾いた。
「コロナレーザー!」
身体のバランスを崩しながらも秋留は呪文を放った。いつもは命中力の良い秋留だがさすがに今の揺れでは照準が合わなかったらしく、迫ってきていた海賊船の帆を貫いただけだった。
「むぅ! もう少しマシな操船して欲しいもんだよね」
呪文の反動で尻餅をついた秋留が文句を言う。可愛い御尻をさすりながら起き上がった。
秋留はノニオーイの方を睨んだが、全然気づいていないようだ。
暫くしてこちらの船からも大砲による攻撃が開始された。
しかし船の揺れのせいで、なかなか海賊船をとらえることが出来ない。
見かねた船長が途中でノニオーイと操船を変わったが、既に海賊船は俺達の攻撃の射程外へと離れていた。
「す、すみません……。野蛮な海賊船と戦うのに慣れてなくて……」
ノニオーイは汗をかきながらヒゲモジャ船長に謝っている。
あいつは見た目ばかりで実践経験はほとんどないに違いない。
「いやいや、一発も攻撃を食らわなかったのは凄い技術だぞ!」
船長が豪快に笑う。
とりあえず俺達は海賊船の攻撃を退けたのだ。