マジカルな魔法ならお任せ
外は大分暗くなっていた。通りを歩く人も減ってきている。
「んじゃあ帰ろうか。明日はカリューを魔法医に見せにいかないとな」
俺は秋留との食事に満足して言った。
秋留とそれなりに楽しい会話も出来たし美味い料理も喰えた。
「そうだね。我らがリーダーはやたらと貧乏くじを引きたがるからね」
秋留が面白そうに言う。
確かにカリューはあまり良い思いをしているとは思えない。あの強靭な体力がなければ生きていないに違いない。
「まぁ、メインはデールの屋敷跡で手に入れたオリハルコンと魔法の短剣の鑑定かな」
俺はしっかりと忘れていない事をアピールするべく秋留に言った。
「あはは、そうだね。まぁ、そんな事言うと、カリューは全力で怒るだろうけど」
秋留が苦笑いをしながら答える。
薄暗い通りを二人で楽しい会話をしながら歩く。今日は人生で最良の日だ。
しかしその幸せも長くは続かないようだ。通りの向こうから、獣人の集団が歩いて来るのが見える。
「面倒くさい事になりそうだな」
俺は秋留に小声で言った。
「あいつら盗賊団だったよね? 一体門番は何をやってるんだろう?」
秋留が言う。恐らく盗賊団をこの街に通したのも、ネジが沢山抜けているあの門番の仕業に違いない。
どこか遠くでクシャミが聞こえた気がしたが、さすがに気のせいだろう。
「おい、貴様ら……」
集団の先頭を歩いていた鳥の獣人が俺達の顔を見て言って来た。
「何か?」
秋留が静かに答える。
「お、お前らどこかで見た気がするぞ」
鳥獣人の喋りの勢いが一気に弱くなった。
「気のせいでしょう?」
秋留は子供をあやす様に優しく答える。また何かの術を使っているな。
「そ、そうだな。気のせいだな。邪魔したな……」
獣人達は俺達と何も無かったかのように通り過ぎていった。
「いつ見ても見事だよな」
何の術を使っているのかはサッパリ分からないが、俺は心底関心して秋留に言う。
「え? そ、そんな事ないよ」
秋留は少し顔を赤らめつつ慌てて答えた。
「ちょっと待つニャン!」
どこからともなく、聞き覚えのある声が響き渡った。
俺達の目の前に音も無く二匹の真っ黒な獣人が舞い降りる。
「他の獣人達は騙せても、あたし達は騙せないニャン!」
またしても、肉球のついた可愛らしい手を突き出してシャインが叫ぶ。
「へ〜……。さすが魔法を使えるだけあって私の魔力に掛からなかったみたいだね」
秋留が感心した様に言う。
しかし、その顔には若干の焦りが見えた。いつも冷静な秋留が珍しい。それだけ厄介な相手だという事か。
「シャ、シャイン〜。やっぱり人違いじゃないのかなぁ?」
隣でクロノが言っている。クロノは秋留の魔力にまんまとはハマッたようだ。
即行でクロノの顔面にシャインの裏拳が飛ぶ。
「う〜ん……」
秋留が隣で唸った。
「どうした、秋留?」
俺は両手にネカーとネマーを構えながら横目で秋留を見た。
「お腹痛い。ちょっと食べ過ぎたみたい……」
秋留は相手にバレないようにお腹を押さえている。
暫しの沈黙。
あまり猶予はないようだ。
「とりあえず、コロナバーニングでふっ飛ばしちゃおうか?」
秋留が街中で恐い事を言っている。コロナバーニングは広範囲で全てを溶かす高熱を発する呪文だ。
腹を壊しているせいで冷静さを無くしている様だ。本当に危険なのはシャインとクロノではなく、手負いの獣である秋留かもしれない。
俺は五感をフルに使って辺りを検索し始める。秋留が暴走する前に。
「奴らの向こう側が宿屋への道だ! まずは奴らの脇を通り抜けるぞ!」
俺は秋留に向かって言った。黙って秋留は頷くが、秋留の両手にはいつでもブチかませる様に杖をしっかりと握っている。
「来るニャン!」
シャインが叫ぶ。鼻を押さえながらも半信半疑でクロノも両手を構える。
俺はネカーとネマーをシャインとクロノの顔目掛けて発射した。
「い……痛いニャン! クロノは何してるニャン!」
俺の予測通りシャインとクロノの頭が激突した。俺は二人が避けた時に頭と頭がぶつかる様にネカーとネマーから発射される硬貨の軌道を調整していたのだ。
言い争うシャインとクロノの脇を秋留の手を引っ張りながら走り抜ける。
「逃がさないニャン!」
シャインが俺達の方に走り寄りながら呪文を唱え始めた。
「迫り来る影は凍える吐息、生命の息吹を止めるクサビとなれ……」
シャインが魔法を唱えている間もネカーとネマーで狙おうとしたが、クロノが蹴りを連発してくるために迎撃出来ない。
「チェイスフリージング!」
叫び声と共にシャインの両手から真っ白な冷気が俺達に向かって走ってきた。クロノはいつ魔法が放たれるかを完璧に分かっていたかのように、魔法の射程範囲からは外れている。
俺はネカーとネマーを冷気に向かって発射した。
しかし冷気に触れると同時に硬貨が一瞬にして氷の塊と化す。
「上!」
秋留が俺の前を走りながら叫んだ。
上を見上げると『お酒は二十歳になってから』という大きな看板が目に入った。
俺は考える間もなく、看板を止めてある二本の木の柱をネカーとネマーの硬貨で粉砕した。
俺達とシャイン・クロノの間の石畳に、看板が盛大に突き刺さった。
その看板も一瞬で氷の塊と化したが、魔法の威力はそこで途絶えたようだ。
「後少しだ」
俺は左前方の飲み屋シェル・シェル・シェルを見ながら言った。秋留は相変わらずお腹を押さえながら俺の前を走っている。
後方で氷の塊と化した看板が、クロノとシャインの息の合った蹴りにより粉砕された。
氷の破片が俺の右腕をかすめる。
「今だ、秋留! 悲鳴を上げるんだ!」
俺は秋留に叫んだ。
秋留は理由も聞かずにありったけの悲鳴を上げた。
「きゃああああああああああああ!」
秋留の叫び声でシャインとクロノの動きが一瞬止まる。
その一瞬の間に、飲み屋シェル・シェル・シェルから半分酔っ払ったカリューが飛び出してきた。
「婦女子を襲う卑劣漢はどこだぁ!」
半獣人と化したカリューの叫びは、いつもの何倍も迫力があるようだ。
シャインとクロノも完全にビビって声が出せないでいる。
「な、なんニャ?」
クロノが逃げ腰で言う。カリューの大胆なイメチェンのお陰で誰だか分からないようだ。
「悪に名乗る名など無し!」
カリューが問答無用でクロノとシャインに飛び掛っていった。
俺達はバレないようにその場を逃げ出す。
俺は人気の無くなった通りを秋留と一緒に走っている。やたらと秋留の足が速いのは腹を壊しているせいだろう。
「五感を集中させて、飲み屋で騒いでいるカリューの声を探したんだよ」
俺は走りながら秋留に説明した。
俺の活躍っぷりを聞いて欲しいのだが秋留にはそんな余裕はないようだ。
「獣人になって荒れているカリューの声を探すのは、意外と簡単だったよ」
俺は尚も説明を続けるが、相変わらず秋留の反応は無い。
暫くすると宿屋に着いたが、何の会話も無く、秋留はそのまま自分の部屋に吸い込まれていった。
翌日。
昨日は軽く食後の運動をしたせいで、脇腹が痛い。
隣では夜遅く帰って来たカリューとジェットが寝ている。昨日はあれからどうなったのだろう。
まぁ、生きて帰ってきているところを見ると、シャインとクロノを無事に追っ払ったようだが。
「良い朝ですな、ブレイブ殿」
ついさっきまで寝ていたジェットがいつの間にやら起きている。
部屋のカーテンの隙間から射し込む光が部屋の中を明るく照らした。
「昨日は大丈夫だったか?」
ジェットにさり気なく聞いてみる。
「中々楽しい夜を過ごせましたですじゃ。最後に一悶着ありましたが……」
俺は思わず苦笑いしてしまったが、俺と秋留の幸せのために犠牲になれたと思って諦めてくれ。
今日はカリューを魔法医に連れて行く事になっている。
俺とジェットは獣になってイビキが一段と五月蝿くなったカリューを起こすと、出掛ける準備を始めた。
「先に外で待ってるぞ〜」
秋留の部屋の前で言う。部屋の中から秋留の返事が聞こえた。今日は体調は良いようだ。
まだ午前中だと言うのに外は暑かった。
カリューは身体中毛だらけになったせいか大分暑いようで、舌を出して荒い息をしている。獣人姿も大分板についてきたようだ。
「この身体、治ると良いんだけどな」
カリューは舌を出しながら言った。舌噛みそうだぞ。
「そうですな。その毛並は冬は良いかもしれんが、夏は暑そうですじゃ」
カリューが獣人化した事をあまり深刻に思っていなさそうなジェットが言う。
ジェットは実は自分と同じような境遇の仲間が増える事を、密かに喜んでいるのかもしれない。
「おっ待たせ〜」
秋留が元気に宿屋の扉を開けて出てきた。
今日は膝下位まである黒いスカートに短めのブーツ、白いシャツの上に黒のチェストアーマーという装備だ。
背中にはいつもの様にボディーガードのブラドーがいる。
「魔法医はすぐ近くにあるみたいだよ」
いつの間に仕入れた情報なのか分からないが秋留が言った。
俺達は秋留の後に着いて歩く。
昨夜と違って今は通りを行き交う人々が多い。時々俺達の方を振り向いて、ヒソヒソと話し合う声が聞こえてくる。どうやら俺達の事を噂しているらしい。
「獣人と人間のパーティーだよ」
「珍しいな」
「変な爺さんも交ざってるな」
俺達はそれ程有名ではない。冒険者の間や一部の冒険者マニアで有名なだけだ。
しかし、獣人と化してしまったカリューのいるこのパーティーじゃあレッド・ツイスターと気づく人はいないかもしれない。
「あそこだよ」
暫く歩くと秋留が前方にある看板を指差して言った。看板には『マジカルな魔法ならお任せ』という、店の名前なのかアピールなのか、何なのか分からない文章が書かれている。
魔法医院の大きさは小さめの宿屋くらいだろうか。扉の両側には魔力で灯っていると思われるランプが取りつけてある。
魔法医院の扉を開けた時に「ガラガラガラ〜ン」と病院とは思えない様な豪快な鐘の音が建物内外にこだました。
「はい、いらっしゃい! 腕抜群の魔法医ドルイドの『マジカルな魔法ならお任せ』へようこそ!」
魔法医には到底見えない男が揉み手をしながら近づいて来た。首には魔法医を表す証明書をつけたストラップを下げている。
証明書の名前は予想通りドルイドとなっていた。こいつ医者か?
「選んだ魔法医院、間違ったかな?」
秋留が心配そうに呟いたのが聞こえた。確かに少し不安ではあるが他人事に過ぎないと思う俺は残酷なのだろうか?
「誰かどうなさったんですか?」
青白い顔をして真っ黒な髪を七三分けにしているドルイドが年長者のジェットを建物の奥に案内しながら言った。
「こちらのカリュー殿の事で参ったんじゃが」
ジェットがドルイドのキツいキャラクターに臆することなく言う。さすが人生経験豊富なジェットは違うな。
紹介されたカリューの顔が少し引きつった。
「まぁ、獣人のカリューさんね。うちは獣人でもエルフでもどんな種族でも対等に診察しますよ〜」
ウィンクしながらドルイドが言う。
全身に鳥肌が立った。カリューに突然生えた全身の毛も逆立っている。
「お、俺は人間だ」
カリューがやっとの事で言った。
「え〜っと、聞き違いかしらねぇ〜……。元人間?」
「うう……そういう事だ、間違いだったらどんなに嬉しい事か……」
それからカリューはドルイドにこれまでの経緯を説明し始めた。
その間に俺達は暇なので診療所の中をブラブラと見て回る事にした。
見慣れない液体の入った瓶や変わった形の黒い果実らしき物が棚に並べられている。
「これ……魔楽果だよ!」
秋留が俺の見ていた黒い果実を手に取りながら言った。どうやら珍しい物らしい。
「効果の高い魔法のアイテムを作る時とかは、必ずと言って良いほどに使うアイテムだよ」
興奮しながら秋留が言った。
俺達の会話を盗み聞いたらしく、ジェットが後ろから黒い果実を見つめている。
「そ、その果物!」
ジェットが突然険しい顔をして言った。いつも物静かに喋るジェットの声が少し力強い。
「ああ、そっか……」
秋留が何かを悟ったように言った。
話についていけていない俺に向かって秋留が説明してくれた。
魔楽果は、あるモンスターが人間や大きめの動植物などを食らった時に生み出す果実らしい。
そのモンスターは普段はそこら辺に生えている木と同じ見た目をしているが、獲物が近づくと巨大な口を開けて全てを飲み込むという事だ。
マウスラフレシア。
それがその木の様なモンスターの名前であり、ジェットと銀星の生き物としての命を奪ったモンスターでもあった。
「忌々しいモンスター……。ワシが最期に見た光景は、マウスラフレシアの巨大な木に生った黒い果実だったんじゃ……」
ジェットが思い出す様に言う。
その危険な果実がこの診療所には沢山置いてあるようだ。
「ここの魔法医は腕が良いのかな? 沢山のお客から治療費を貰わないと、こんな高価な果実は買えないはずだからねぇ」
「ちなみに一ついくら位なんだ?」
俺は聞きたくて仕方無かった事をとうとう聞いてみた。
「相場では一つ1000万カリム位かな……」
不味そうな果実に1000万カリムか。
俺は果実を懐に入れたい衝動を抑えながら生唾を飲み込んだ。秋留が心の中を読んだように白い目で俺の事を見ている。さすがに盗みは犯罪なので止めておく事にする。
「お〜い!」
部屋の奥でカリューが俺達を呼ぶ声が聞こえた。
「カリューさんの血液を少し調べてみましたよ」
俺達がカリューの隣までやって来ると、ドルイドが七三分けを右手でかき分けながら説明し始めた。
「カリューさんに聞いたところ、以前魔族の呪いにより魔獣になりかけたそうですね」
確かにカリューは以前、呪われた魔剣の影響で獣になりかけたが、それが今頃になって発症したのか?
「更に一昨日は獣人に襲われた……。その時に身体の至る所に獣人の爪で攻撃を受けた……」
まるで何かの事件の推理をしている様にドルイドが説明している。相変わらず一挙手一投足が気持ち悪い。
「血液の中に異なる獣の因子がくっついているのが確認出来ました。獣人化してしまった原因はまず間違いないでしょうね」
つまりカリューはくだらない正義を主張したせいで獣人からの攻撃を全身に浴びてしまい、本人まで獣人と化してしまったという事か。これを気に正義に対しての執着心は無くして欲しいものだ。
「治せないんでしょうか?」
秋留が心配そうに聞く。
しかし隣の丸い椅子に座っているカリューの表情を見る限り、対策がない訳ではない様だ。あまりのショックに頭がおかしくなってしまったのではない限り……。
「心配無用です。この港町ヤードから東の海岸沿いを半日程歩いた所に地下洞窟があります。その洞窟にある滝はどんな呪いにも効く万能薬でして……」
ドルイドが再び手もみを始める。
「え? その洞窟に行く必要があるんですか? その滝の水がどっかに売ったりしてないの?」
秋留の質問にドルイドが残念そうに答える。
「残念ながら、その水は洞窟の外に持ち出すと効果を無くすみたいなんですよ」
もしかしたら地下洞窟自体に不思議な効果があるのかもしれない。
俺達はドルイドにぼったくりかと思われる様な診療費を支払うと、居心地の悪い診療所を急いで出た。
ちなみに診療費を払ったのは勿論カリュー本人だ。
「さて、早速行くか!」
カリューが元気良く言った。希望が出来たと思ったら早速これだ。カリューらしいと言えばカリューらしいが。
「なぁ……」
俺はカリューに話し掛けようとしたが、隣から秋留に止められた。
「治るかも分からない滝に行くのは無駄だ、って今のカリューに言うつもり?」
秋留が小声で俺に言う。
確かに今のカリューには何を言っても無駄だろう。
俺は秋留に頷くと諦めてカリューの後について歩いて行く事にした。