さよなら、人間のカリュー
「ホー、ホー……」
頭上でフクロウが鳴いている。
ここは、港町ヤードへ向かう街道の途中。少し開けた場所にある古びた小屋の前。
俺達はいつも交代で見張りをしていて、今は俺の順番だ。次はジェットに交代する事になっている。
「夜は涼しくていいなぁ〜」
俺は大きく伸びをしながら独り呟いた。
辺りのモンスターの気配も、全くと言って良いほどにない。
平和って素晴らしい。
しかし、全世界が平和であれば、俺達冒険者の存在など必要なくなってしまう。
まぁ、そういう永遠の平和が訪れるなら、秋留と幸せな家庭を作れば良い。いや、平和な家庭を築きたい。
俺は一人でニヤけながら、色々妄想に耽っていた。
その時、すぐ近くで獣の気配を感じた。
「嘘だろ? さっきから近づいてくるような気配は無かったのに!」
俺は素早くネカーとネマーを構えると、辺りを観察し始めた。
しかし動く様な物体もなければ、先程感じた獣の気配もなくなっている。
暫く銃を構えて寂れた小屋の周りを回ったが、何も発見する事は出来なかった。
俺はネカーとネマーをホルスターに戻すと、余計な雑念は捨てて真面目に見張りを再開した。
すると、先程感じたものと同じ獣の気配をすぐ後ろから感じた。
俺は前転しながら、後方に向かって銃を構える。
獣の姿はどこにもない。
いるのは小屋の外でゴロ寝しているカリューとジェットだけだ。秋留は馬達と共に小屋の中で眠っている。
大きなイビキをかいているカリューと死んだように眠っているジェット。
そのイビキの主であるカリューから僅かだが獣の気配を感じる。
人間の能力の限界を超えて、とうとう獣となってしまったか。
俺はそんな筈はないと、カリューの顔を覗き込んだ。
「うぎゃあああああ!」
寂れた建物の中で、銀星・アレキサンドラと共に眠っていた秋留が杖を持って飛び出し、カリューの隣で死人の様に眠っていたジェットが慌てて起きる。
そして、頬まで避けた大きな口で欠伸をしながら、カリューが眼を覚ました。
「何事ですじゃ? ブレイブ殿!」
ジェットがレイピアを構え、辺りを注意深く見渡しながら聞く。
「昼間の盗賊団?」
秋留もジェットの隣に来て言った。
「転寝してたら恐い夢でも見たか? ブレイブ?」
俺は悪態をついてきたカリューの顔を指差しながら口をパクパクさせている。
「ん?」
秋留が俺の指の先を見る。暗くてカリューの顔があまり見えないようだ。
盗賊の職についた事のある秋留だが、夜目はそこまで効かないらしい。
俺は野営には必須の焚き火から松明を持ってくると、それをカリューの顔にかざした。
「きゃああ!」
「ぬおおおお!」
秋留とジェットがカリューを見て叫ぶ。
「ヒヒヒィ〜ン!」
「ヒヒヒヒィ〜ン!」
一緒に様子を見ていた銀星とアレキサンドラが鳴く。
「どうしたんだ? 俺がどうかしたか?」
相変わらずの大きな口でカリューが言う。
青い髪の毛の隙間から青い毛で覆われた巨大な耳。
昼間出会った獣人を思い出させる鋭い眼。
鎧の隙間から見える青い体毛。恐らく全身が毛で覆われているのだろう。
足の間からは、足と同じ長さ位ある立派な青い尻尾も見えている。
「か、顔……尻尾……」
秋留が口を押さえながらカリューに言った。
いつも冷静な秋留も慌てている。一人冷静なのは当の本人だけだ。
秋留に言われてカリューは左手を口に持っていった。
頬まで避けて、飛び出した口を触ってカリューが怒鳴る。
「ブレイブ! また俺に変な装備させただろ! お面か!? 被り物か!?」
違うって!
カリューのアホさ加減に俺は少し落ち着きを取り戻した。
「じゃあ、なんなんだよ、これはっ! 俺はどうなっちまったんだああぁぁぁぁぁ!」
冷静になる俺達とは逆に、カリューが叫んだ。青い毛で覆われた頭を掻きむしりながら、俺達の周りをグルグルと回った。。
「まるで獣人だよ。犬の獣人? 狼かな?」
秋留がカリューの身体を色々観察しながら言う。
「魔剣ケルベラーの呪いが残っていたんですかなぁ?」
ジェットがカリューの尻尾を掴みながら言った。
魔剣ケルベラーとは、以前カリューが誤って装備してしまった呪われた魔剣だ。装備者は魔剣の呪いにより魔獣ケルベロスへと姿を変える。
だが、カリューが獣になる前に魔剣自体を破壊したので、呪いは解かれたのだと思っていた。
「う〜ん。全く分からないねぇ」
秋留が腕を組んで悩んでいる。
その間、カリューは自分の身体をくまなく調べて落ち込んでいた。
「まぁ、それ程気にする事でもないですぞ! 見た目は変わってもカリュー殿はカリュー殿ですじゃ!」
ゾンビになってもジェットはジェットという事か。
そんなジェットの慰めは勿論効果なく、俺達は大きい街の魔法医に見てもらうべく予定通り港町ヤードを目指す事にした。
街道ですれ違う人が増えてきた。港町ヤードが近い証拠だ。
今朝カリューが獣になった以外は特に問題もなく、港町ヤードの目前までやって来た。
大きい街は必ずといって良いほど頑丈な城壁に囲まれ、数少ない門には数人の兵士が見張りに立っている。
港町ヤードも例外ではなく、門の前に立っている兵士に身分証の提示を求められた。
街などに魔族や犯罪人が入り込まないようにある処置だが、力ずくで入られるケースも少なくは無い。
「え〜っと、ジェットさんにカリューさんに秋留さんにブレイブさん……」
門番は手渡された身分証と俺達の顔を見ながら確認している。
「おや? ジェットさんは116歳ですか? そんなお年には見えませんけどね。長生きの秘訣はなんですか?」
どこか抜けている門番が聞いた。
「やはり人間、早寝早起きが一番ですじゃ」
人間を辞めているジェットが真面目に答える。
「これなら、魔法とか使って通してもらう必要は無さそうだね」
秋留が門番に聞こえないように、小声で言った。
いつもならジェットの年齢に疑問を持った門番を、秋留の魔術で惑わしてから通してもらっているのだが。
「カリューさんは獣人に転職でもしたんですか?」
聞かれたカリューは「ガルルル」と唸っている。
獣人に転職など出来るはずはないが、ここは突っ込まないでおく。
「ようこそ、港町ヤードへ! 海の香りと共に新鮮な魚を堪能していって下さいね」
門番はそう言うと、頑丈な鉄の扉を開けて俺達を街の中へと通してくれた。
「あれじゃあ、門番の意味はないよね」
門から街の中へと歩きながら秋留が言う。
港町ヤードは、旅人や商人で賑わっていた。冒険者の数より多いかもしれない。
「日も暮れてきたし、今日は宿を探して明日の朝、魔法医にカリューを見せに行こう」
こういう事はパーティーのリーダーであるカリューが言う台詞なのだが、リーダーは極端に落ち込んでいるので秋留が代わりに言った。
港町ヤードは他の大陸との交流が盛んなため、数多くの種族が生活しているようだ。
宿屋を探している途中も、カリューと同じ獣人族や肌の黒い人間の種族とすれ違った。珍しいエルフの姿も時々見かける。
「いらっしゃいませ、四名様ですね?」
俺達は大きめの宿屋シーサイド・インを見つけて中へ入った。
歳の若いアルバイトと思われる女性が、カウンターの向こうから早速話し掛けてきた。
「二部屋空いてるかな?」
秋留が言う。俺的には同じ部屋でも問題ないのだが。と言うか、むしろ同じ部屋がいいのだが……。
「ちょうど二部屋空いてますよ。ご案内します」
残念なことに二部屋空いているらしい。俺達は一階の角部屋に案内された。室内は海をイメージする様な青一色で統一されている。
「じゃ、また明日ね」
秋留は一人隣の部屋に入っていった。
秋留の後に着いて行こうとする俺の襟首を掴んで、ジェットが別の部屋に引っ張っていく。
「ブレイブ殿の部屋はこっちですぞ」
俺は秋留とは別々の部屋になった事に改めて肩を落としながら、荷物や装備を外してベッドの脇に置いた。
「はぁ〜。疲れたし、最初に風呂に入らせてもらおうかな」
シーサイド・インは各部屋にトイレと風呂が備えつけられている、値段が少し高めの宿だ。
宿代は一人18000カリムもするが、代わりに海の幸を使った美味い夕食がセットで出るらしい。
「ふぅ〜」
俺は湯船に浸かりながら大きく息をついた。やっぱり風呂は落ち着く。冒険者の中には風呂嫌いな奴も多いらしいが、そいつらの気が知れない。
ちなみに、俺は特別一番風呂が好きという訳ではない。
ジェットとパーティーを組んでからは、少なくともジェットの前に風呂に入るようにしている。理由は深く考えたくないが、湯船にオゾマシイ物が浮いてそうで恐い。
そして、獣人となったカリュー。毛が一杯浮いてそうで嫌だったので、今日は即行で風呂に入る事に決めたという訳だ。
「気分転換だ」と言いながら俺の後に風呂に入ったカリューは、案の定余計に落ち込んで風呂から出てきた。
ちなみに二時間位は風呂に入っていただろうか。身体中が毛だらけで暫く放心状態だったに違いない。
「じゃあ、次はワシが……」
そう言いながらカリューの後にジェットは風呂に入っていった。
部屋に取り残されたのは、俺とカリューの二人。
カリューの周りには重い空気が漂っている。
「まぁ、元気出せよ。ここは酒の肴が美味いに違いないぞ」
効果がないと思っていた俺のなぐさめの台詞は、想像以上に威力があったようだ。
今までカリューの周りを覆っていた黒い空気が一気に弾けとんだ。
「そうだな! 日も落ちてきたし、ジェットが風呂から出たら一杯やって来ようかな」
カリューの機嫌が分かりやすく良くなった。安心した俺は二丁の愛銃の手入れをし始める。
暫くしてジェットが風呂から出てきた。
あまり不機嫌そうな顔をしていないところを見ると、湯船はそれ程荒れていなかったらしい。
「ジェット! 飲みに行こう! ここは酒の肴が美味いに違いないぞ!」
俺が先程言ったなぐさめの言葉をそのままジェットに言っている。
カリューの台詞を聞いたジェットは、急いで支度をすると、二人仲良く部屋を出て行った。
「カリュー殿、今夜は共に人間を辞めた者同士、仲良く語り合いましょうぞ!」
宿屋の廊下を歩きながらジェットの言った台詞が、盗賊である俺の耳に聞こえてくる。その後カリューの唸り声がこだました。
「さて」
俺は銃をホルスターにしまうと、俺達の部屋を出て隣の秋留の部屋のドアをノックした。
暫くしてシャンプーの匂いを漂わせながら秋留が部屋から顔を出す。
「あれ? どうしたの、ブレイブ?」
「そろそろ夕食の時間だろ? 宿の食事はいつでも食えるし、今日は一緒にどっかに喰いにいかない?」
わざとらしく前髪を掻き分けながら格好良く言ってみる。
「あははっ、そういう仕草似合わないよ」
即行で撃沈。
「カリューとジェットは美味い酒の肴求めて旅立って行ったよ」
気を取り直して秋留に説明する。
「ふぅ〜ん、ブレイブがうまい事言って追い出したわけじゃないんだ?」
内心「その通り」と思いつつ顔に出さないように否定すると、秋留は「準備するから待ってて」と部屋に戻っていった。
暫くしていつもの冒険者の装備をした秋留が姿を表す。背中にはボディガードのブラドーもいるようだ。
「じゃ、行こう!」
秋留が外に向かって指を向ける。やった! 秋留と二人っきりのデートだ。
小高い丘の上に建てられた宿屋の外に出ると、丁度海の向こう側に太陽が落ちるところだった。
目の前に広がる海が真っ赤に染まっている。
「わぁ〜、綺麗〜」
秋留が真っ赤な光景を目の前にして眼を輝かせている。
「あ、秋留の方が綺麗だよ」
俺は秋留の肩に手を回そうとした。しかし隣には誰もいなくて危うく転びそうになる。
秋留は既に10メートル程離れた所を歩いていた。
「さすが、元盗賊!」
俺は半分涙目になりながら、秋留に追いつくべく軽く走り始めた。
「ここが良いなぁ」
秋留が立ち止まったのは、独特な雰囲気をかもし出している海鮮亜細安亭だ。かいせん……あじあんてい?
入り口の両脇には、変わった生物の置物が並んでいる。
「この獅子みたいな置物は亜細李亜大陸の守り神、ゴーザーだよ」
秋留がゴーザーの頭を撫でながら説明した。どうやらこの店は亜細李亜大陸の料理を出す店らしい。それで亜細安亭か……。
「いらっしゃいませ〜」
店内に入ると、陽気な女性店員が話し掛けてきた。
秋留が今着ているチャイニ服と同じような格好をしている。
「あら? 亜細李亜大陸の人?」
店員は秋留の格好を見て聞いてきた。
「そうですよ」
気さくに秋留は答える。人見知りが激しい俺には出来ない芸当だ。今の俺の顔も第三者から見ると酷く無愛想に見えるに違いない。
「ここのマスターは亜細李亜大陸出身なんです。特別席に案内しますので、ゆっくりしていって下さいね」
俺達は二階の見晴らしの良い席に案内された。どうやら店のマスターに特別扱いされているようだ。
「いい眺めだね」
俺達が座っている席からは広大な海が一望出来る。太陽はもう海の向こう側にほとんど隠れてしまったようだ。
秋留と過ごす楽しいひと時。
その時俺の耳は、二階から見える通りの角の向こうから、聞きなれた声が近づいてくるのを感じた。
「ジェット、次はどこに飲みに行くか?」
「ここの角を曲がった先に、亜細李亜料理を出す店があるようですぞ」
素早く両手にネカーとネマーを構え、カリューとジェットが飛び出してくる通りにあるゴミ箱を吹っ飛ばす。
「うおっ! なんだ?」
「不吉な予感がしますなぁ」
「せっかくの酒飲みデーを無駄にしたくないな。他の店を当たろう」
「そうですな」
「どうしたの? ブレイブ?」
気づくと秋留が俺の顔を覗いていた。
「ちょっとデカイ虫が飛んでたんだけど、無事に追っ払ったよ」
秋留が不安そうに辺りをキョロキョロしている。秋留は大の虫嫌いだ。
俺が本気を出せば、元盗賊の秋留でも見えない程の銃さばきが出来る。
秋留との二人っきりの時間を邪魔されないためなら、俺は限界以上の力を引き出す事が出来る、に違いない。
暫くすると、先程の店員が大きめの皿に乗せた料理を運んできた。
「あれ? まだ頼んでないけど……」
秋留が言うと、店員は笑顔で「マスターの奢りですよ」と言って、俺達のテーブルに料理を置いていった。
「わぁ! 肉ジャガンだ」
秋留が嬉しそうに言った。
秋留が言うには、亜細李亜大陸の有名な家庭料理で、肉とじゃがいもを長い時間掛けて煮込んだ物らしい。
一口食べると、口の中に幸せが広がった。大きめに角切りされた豚肉は、とろける様に柔らかい。
「こりゃあ、美味いな!」
「でしょ? 私も大好きなんだ」
そう言いながら、秋留も肉ジャガンを次々に口に放り込んでいる。
秋留は店員にとろろん御飯を二つと、ダイコーン汁を二つ、亜風タコサラダを一つ頼んだ。
秋留が頼んだ料理はどれも美味しく、二人ともあっという間に食べ終えてしまった。
「ふぅ〜、喰った喰った」
俺は腹を擦りながら言う。久しぶりに美味い料理を食べた気がする。
「ご馳走様でした」
秋留が行儀良く手を合わせて言っている。亜細李亜大陸独特の食べ終わった時の挨拶だ。
俺達は店員に御礼を言うと、会計を済ませて外に出た。会計は勿論俺持ちだ。
カリューやジェットの分は払いたいとは全く思わないが、秋留のためならいくらでも払いたいと思ってしまう。