セイント・インディグネーション
周りのモンスターはほとんどいなくなったが、俺達の目の前には以前として、魔獣ケルベロスになってしまった武亮が背中を向けたまま佇んでいる。
「魔剣ケルベラーを出せ……」
獣が話しているような恐ろしく低い声が聞こえてきた。
すると目の前の武亮が振り返ってカリューに向かって言った。
「魔剣ケルベラーを出すんだ」
話しているのは武亮だった。二つの頭で同時に喋っている。
「は、話せるのか?」
カリューは驚いて言ったが、驚いたのは全員同じだ。
「魔剣ケルベラーは生きている。ケルベラーの息の根を止めれば呪いから解放される」
そこまで話して武亮が血を吐いた。先程のデールの攻撃の影響というよりは今まで生きてきた負担が身体に一気にのしかかってきたような苦しみ方だ。
「ケルベラーは鍛冶屋の元で治療されていたはずなんだ……。今なら、覚醒し切っていない今なら呪いから解放出来るはずだ……」
それで魔剣ケルベラーがサイバーのところにあったのか。
「ほ、本当か?」
カリューは言った。
「早くケルベラーを差し出せ!」
鬼気迫る武亮の迫力にカリューは黙って魔剣ケルベラーを前に差し出した。
武亮はその大きな口を広げ、力の限り、魔剣に噛みついた。
ガキンッという金属音と共に火花が散る。武亮はそのまま魔剣に喰らいついたまま力を込めている。
全員が武亮とその剣を見守っていた。俺の手にも自然と力が入る。
暫くすると、魔剣ケルベラーからヒビの入ったような音が聞こえた。
俺達の顔に一瞬笑顔が浮かんだが、突然、今までにもあったように、カリューの身体を闇が包んだ。
「ちっ! またかよ?」
俺は後方に飛んで再びホルスターからネカー&ネマーと取り出して構えた。
「最期の悪あがきか……」
同じく後方に飛んで間合いを取った武亮が二つの口で言った。
秋留とジェットも戦闘態勢に入っている。
カリューを包んだ闇の中から、全身の肌が黒くなってしまったカリューが剣を構えて飛び出してきた。
「抜け殻は引っ込んでろー!」
カリューの口から出た言葉は、カリューの声ではなく、威圧感のある禍々しい声だった。
魔剣ケルベラーは以前の宿主だった武亮目掛けて剣を振り下ろしたが、素早さのある武亮はその攻撃を避け、カリューの後に回った。
武亮は後ろから魔剣ケルベラーを持つカリューの右手に喰らいついた。
暴走してしまったカリューは怯む事なく、その左手に装備しているオリハルコンの盾で右手に噛みついている武亮の頭を殴り始めた。
しかし武亮はその攻撃に耐えながら、尚もカリューの右手に喰らいついたままだ。
「今のうちになんとかするぞ!」
俺は叫び、ネカーとネマーの照準を魔剣ケルベラーに合わせた。
「ブレイブ、それじゃあ駄目だよ。この前のJ・A支部長室の時と同じように、魔剣ケルベラーごとカリューの身体を吹き飛ばすだけだよ」
秋留が俺の隣に来て言った。
「じゃあ、どうすれば魔剣ケルベラーを破壊出来るんだ?」
「ジェット」
秋留は後方で見守っていたジェットを呼んだ。
「悪いんだけど、神聖魔法をあの剣自体に唱える事、出来ないかな?」
秋留に聞かれ、ジェットは答えた。
「秋留殿の頼みなら断る事なんて出来ませんな。それにワシやブレイブ殿の攻撃や秋留殿の魔法では、あの剣を破壊する事は無理じゃろう」
ジェットは右手に持ったマジックレイピアを腰の鞘に収め、両手を魔剣ケルベラーの方に向けて、呪文を唱えた。
「浄化の光!」
以前、カリューの剣の呪いを解くためにジーニスが唱えた解呪の呪文を、ジェットは魔剣ケルベラー自体に唱えた。
ジェットの身体から青白い煙が上がり顔には苦痛を浮かべていたが、魔法の効果は見事、ケルベラー自体を襲った。
「ぐ、ぐああああああ」
カリューの口から悪魔のような叫び声が聞こえてきたかと思うと、カリューは喰らいついたままの武亮ごと右手に力を込めて振り回した。
地面に爪を立てて踏ん張っていた武亮だったが、その突然の力に負け、魔法を唱えていたジェットに叩きつけられた。
無防備だったジェットは後方に飛ばされ、武亮もカリューの腕から牙が外れ、後方に弾き飛ばされた。
無理矢理、右腕に喰らいついた武亮を振り回したため、カリューの右腕は血だらけとなっている。
「血、血が足りない! か、渇く! 渇くぞおおおおお!」
カリューは叫び、辺りを見渡して、ジーニスに狙いを定めた。
カリューは地を蹴って、ジーニスに襲い掛かる。
秋留が隣で魔法を唱え始めたが、カリューの素早さには追いつかないだろう。
俺もカリュー目掛けてネカー&ネマーを構えたが、どこを狙えば良いか分からない。
ジーニスを守っていた銀星がカリューの前に立ちはだかったが、魔剣ケルベラーの横一線の攻撃で首が吹き飛んだ。銀星の頭が木の根元に転がり、銀星の身体はその場に倒れた。
死馬の銀星は首が吹き飛んだ状態でも、首と胴体をつなげてやればジェットと同様に白いミミズのような物が動き出し、あっという間に首と胴体がつながってしまうので問題ないが、今は気を失っているジーニスが危険だ。
カリュー、少し痛いけど勘弁してくれ。
俺は意を決して、カリューの右足目掛けてネカーのトリガを引いた。
見事に硬貨がカリューの右足につけているアーマーに命中したが、怯む事なく、そのままジーニスに向かって突進し続けている。
しかし魔剣ケルベラーがジーニスの心臓を貫く瞬間、武亮がカリューの前に立ちはだかり、その身体を盾とした。
暴走したカリューの身体はそれでも止まる事なく、そのまま武亮の脇腹に剣を突き刺す。
魔剣ケルベラーの漆黒の刀身は武亮を貫き、ジーニスの顔の目の前まで迫った所で止まった。
武亮はその場に爪を立て、歯を食いしばり耐えている。
「う、動かない……」
カリューが苦悩の声を上げた。武亮は身体に突き刺さった剣を筋肉で押さえつけているようだ。
武亮を貫いた漆黒の刀身を伝って、武亮の身体から流れた黒っぽい色の血がジーニスの額に垂れた。
「きゃあああ」
ジーニスは武亮の血が額に垂れた事により気絶から立ち直ったが、その光景を目の当たりにして叫び声を上げた。
ジェットが隙をついて、ジーニスの身体を抱きかかえカリューと武亮の元から引き離した。
「あのモンスターは武亮だよ。魔剣ケルベラーに操られ捨てられた肉体は、魔獣ケルベロスになってしまうらしいの」
困惑顔のジーニスに向かって、秋留が簡単に説明した。
「セイント・インディグネーションでは、完璧に呪いを解く事は出来なかったという事ですね?」
秋留とジーニスのやりとりを聞いていた武亮は消えそうな声で言った。
「セイント・インディグネーション……。本当に邪悪な心を持っているのは、この魔剣だ。俺の身体に突き刺さっている、この魔剣ごとセイント・インディグネーションを唱えてくれ。あの時みたいに……」
武亮はジーニスが自分を魔剣ケルベラーから解放してくれたジェーン・アンダーソンと見間違えているようだ。
俺達は暫くジーニスを見守っていたが、やがて決心したように言った。
「……分りました。一度も成功した事はありませんが、やってみましょう」
そう言うと、ジーニスは杖を構え、呪文を唱え始めた。
「ジェーン……。私に力を下さい……」
俺が聞き取れたのは、曾祖母への祈りだった。それ以外は、特別な詠唱のためか聞き取る事が出来ない。
曾祖母の意思を引き継ぎ、魔剣ケルベラーに向き合っているジーニス。
15年前にも同じような出来事が起こっていたかと思うと、俺は自分の冒した過ちの大きさに深く反省した。
俺は呪文を唱えているジーニスの姿を見て、J・A支部長室でジーニスが言っていた言葉を思い出した。
(曾祖母を殺したのが、暗黒騎士ケルベロスだったんです)
俺はジーニスの話の矛盾に気がついて、愕然とした。
ガイア教会の一室でジーニスから聞いた話では、曾祖母であるジェーンがセイント・インディグネーションを唱えて武亮を魔剣ケルベラーの呪いから解き放ったと言っていた。
……つまりジェーンの曾祖母は暗黒騎士ケルベロスに殺されてはいない。どういう事だ……?
「セイント・インディグネーション!」
俺がジェーンの死について考えている間に、ジーニスは魔法の詠唱を終え、神聖魔法であるセイント・インディグネーションを唱えた。
武亮の足元に聖なる五亡星が光り、巨大な光の柱が天空目掛けて走り抜けた。
その光の強さに俺は思わず眼を閉じてしまった。
どれ位の間、眼を瞑っていただろうか。
再び眼を開けるとそこには、人間の姿に戻った裸の武亮と元の肌色に戻ったカリューが脇に倒れていた。
その右手には魔剣ケルベラーは握られていない。
魔剣ケルベラーは、人間に戻った武亮の脇腹に突き刺さっている。
ジーニスの放ったセイントインディグネーションの効果は、魔獣と変えてしまった武亮の中の暗黒の力のみを消し去ったようだ。
「あ……りがと……う……」
武亮はジーニスに向かって言うと、その場に崩れ落ちた。その身体は、魔族にのっとられていた影響か、灰となって消えかけている。
武亮の最期の言葉を聞いたジーニスは、安心と強大な魔法を使った事による疲労とで、その場に倒れそうになった。
しかし寸前のところでジェットがジーニスに近づき抱きかかえた。
まだジーニスの意識はあるようだった。俺はジーニスに向かって言った。
「ジーニスさん、曾祖母のジェーンは暗黒騎士ケルベロスに殺された、と言ってましたよね?」
ジーニスは今にも眠りについてしまいそうな目を一生懸命開きながら話し始めた。
「セイント・インディグネーションは唱えた者の寿命を確実に縮めてしまうんです。ジェーンは高齢だったため、その魔法の威力に耐える事が出来ず、死んでしまったのです」
と、いう事は、ジーニスも確実に寿命が縮まってしまったという事か。
やはり、俺が魔剣ケルベラーを持ち出さなければ、こんな事にはならなかったのだ。
ジーニスは尚も話続けた。
「魔剣ケルベラーさえ現れなければ、曾祖母はまだ死なずに済んだはずなのに」
その魔剣は、今や灰となって消えてしまった武亮の身体があった場所に転がっている。俺がその魔剣を見つめていると、僅かにだが、剣が動いた気がした。
「おい! その魔剣、まだ怪しいぞ!」
俺が叫んだと同時に魔剣ケルベラーは独りでに地面から浮かび上がり、その形状を少しずつ変えていった。
刀身の部分からは、枝分かれして六本の昆虫のような足が現れ、剣の先端には、傷のように細い赤く輝いている眼が現れた。
今は、刀身から生えた六本の足でその漆黒の剣の身体を支えている。
しかしその漆黒の身体には無数のヒビが入っており、今にも砕け散りそうだ。
魔剣ケルベラーはそのボロボロの身体で最期の攻撃を仕掛けてきた。
地面を蹴り、その刀身の身体を俺の方へ飛ばしてきたのだ。
俺は冷静に右手のネマーを構え、魔剣ケルベラーに向けて硬貨を発射した。
ヒビだらけの身体で俺の放った硬貨の弾丸を弾く力はなく、その漆黒の身体は、硬貨が当たる度に、砕けていった。
その欠片が宙に舞う度にキラキラと光ながら、消えていく。
俺は目の前に迫ったケルベラーに向かって、最後のトリガを引いた。
「ヴォォォォォォ……」
魔剣ケルベラーは気持ちの悪い断末魔と共に砕け散り、俺を狙った刀身の欠片は俺の目の前の地面に突き刺さった。
やがて、地面に散らばった魔剣ケルベラーの破片は、灰になって宙を舞い出した。
どうやら、魔剣ケルベラーは魔族だったようだ。
その全てが灰となって消えてしまうのを少し離れた所でカリューが見守っていた。
「終わったな」
カリューは言った。その右手にはあの禍々しい魔剣ケルベラーは握られていない。
そう、終わったのだ。
これでデールを倒した報奨金の2000万カリム、一人頭500万カリムだが、見事俺の物になった……。
本当は。
魔族であったケルベラーを倒した報奨金も貰いたかったが、あの剣、サイバーの小屋から勝手に持ってきたものだからなぁ……。無駄な事をしてしまった。