聖騎士ジェットとは
その日の夜、カリューに対して詳しく状況を説明をするため、俺達男部屋に秋留を呼んだ。
男だけでむさ苦しかった部屋が一気に明るくなった。
カリューはジーニスに解呪の魔法を唱えられてからの記憶がないらしい。気付いたら剣に布がまかれていて、邪魔だったので外してしまった、と説明した。
カリューは自分に起きた出来事について、必死に整理しようとしていたが、顔には困惑の色が浮かんでいる。
「とりあえず、ここで私達だけで悩んでいても何も解決しないと思うよ。明日、ジーニスさんに会って少し話を聞いてみようよ? 魔剣ケルベラーについて知ってたみたいだし」
秋留はカリューを安心させるべく、優しい口調で言った。
その後、俺達は長旅の疲れもあり早めに寝る事にしたのだが、俺はしばらくして目が覚めてしまった。ベッドに入れば一分もしないうちに熟睡出来るのが俺の特技だが、今日はなぜか目が冴えている。
隣のベッドには死臭を放つジェットが寝ていたが、反対側のベッドにカリューの姿はなかった。
俺は気分転換を含めて、外の空気を浴びるために宿屋を出た。
夜空には沢山の星が散らばっている。この景色を秋留と二人っきりで見てみたいものだ。
宿屋の軒先に吊るされている、少し早い風鈴の涼しげな音色に耳を澄ませると、宿屋の裏側から剣の素振りの音が聞こえてきた。
裏手に回ると、カリューが全身に汗を流して魔剣ケルベラーを振るっていた。
その顔からは鬼気迫るものが感じられる。
俺は暫く傍にあった岩に腰を下ろして、夜空を眺めていた。
「……ブレイブか。いつからそこにいたんだ?」
カリューが流れる汗をタオルで拭きながら、俺の隣までやってきた。男の匂いが鼻を突く。
「眠れなくて夜風に当たりに来たのさ。カリューこそどうしたんだ? こんな夜中に必殺技の特訓か?」
「ふっ、必殺技なんてあるわけないだろ。敵を必ず殺す事が出来る技なんて、この世にあるわけがない」
カリューが思いっきり剣を振ると、腕についていた汗が飛び散り、月明かりの下で気持ち悪く輝いた。
「なぁ、ブレイブ。俺の身体は一体、どうなっているんだ?」
やはりカリューはその事が気になって眠れなかったのだろう。カリューに呪いをかけてしまったのは、元はと言えば俺がサイバーの剣を一本持ち出してしまった事が原因だ。
その事をカリューに謝りたかったが、俺はその一歩をいつまで経っても踏み出せないでいた。
そんな俺の心中を察したのか、カリューが今まで隠していた事を話し始めた。
「ブレイブ。俺がこの魔剣に呪われたのは、お前のせいではないんだ。ただ先に断っておくが、お前の責任がゼロ、という事ではないからな」
俺は何も言わず、夜空を見上げながらカリューの次の言葉を待った。
「お前がサイバーの鍛冶屋の前でこの剣を太陽にかざして眺めている時、俺の頭の中に声が聞こえてきたんだ」
「声?」
「そう、声だ。とても低く威圧感のある声だった」
「その声は何て言ってきたんだ?」
俺はカリューに質問したが、回答はすぐには返ってこなかった。カリューは何かを恐れているようだ。
「俺を掴め」
カリューが突然言った。
「え?」
俺はカリューの言った事が理解出来ずに、思わず聞き返した。
「この剣から聞こえてきたんだ。俺を掴め、と……」
俺は何も言えなかった。剣から声が聞こえてくる事などあるのだろうか?
素振りのため聖なる羽衣が巻かれていない魔剣ケルベラーからは、異様な殺気が噴出している。
まるで剣が呼吸しているように定期的に殺気が放たれている。この剣は生きているとでも言うのだろうか……。
話し終えたカリューは無言でその場を去っていった。
俺は暫く岩に座り夜空を眺めながらカリューの言った事について考えていたが、強烈な眠気に襲われ始めたため宿屋に戻る事にした。
部屋にカリューの姿はなかったが、俺はベッドに横になると数分もしない内に眠りについた。
翌日、空には薄っすらと雲がかかっていた。再び眠りについてしまいそうな涼しい風が、町並みを吹き抜けている。
カリューは朝方部屋に戻ってきたが、一睡も出来なかったようで、眼は真っ赤になっていた。
「勇者の眼は金色のはずだけど、お前の眼は魔族と同じ赤だったのか?」
と、言いたい気持ちを必死で押さえた。
司祭ジーニスがいるというガイア教会は、町の南側にあった。赤い大きな屋根には鐘が釣り下がっており平和の象徴である鳩が羽を休めている。
ジーニスは教会の前の通りをホウキで掃除していた。どうやらこの教会に勤めているのはジーニス一人だけのようだ。
俺達の姿に気付いたジーニスは軽くお辞儀をして、教会の中に招き入れてくれた。
室内には教会お決まりの赤くて長い座席が左右に並び、正面には銀で作られたガイア神像が祭られている。ガイア神はこの大地を創造した神とされており、ガイア教ではその神を信仰していた。
「どうですか? その後、魔剣のせいで町民を脅かしてなどはいませんか?」
早速痛い質問であり、カリューは下をうつむき黙ってしまった。
「問題ないですよ、ジーニスさん。聖なる羽衣は予想以上の効果のようです」
まるで本当の事を言っているように秋留はすんなりと返事をした。秋留は平気で嘘をつくが、人を傷つけるような嘘はついた事がない。
「それは良かったです。それで、今日はどのようなご用件でしょうか?」
今まで沈黙を保っていたカリューが突然話始めた。
「魔剣ケルベラーについてジーニスさんが知っている事があるなら教えてくれ。何でもいいんだ。一体、この剣は何なんだ? 俺の身体はどうなってしまったんだ?」
「カリュー殿、落ち着いてくだされ」
興奮しているカリューに向かってジェットが言った。
カリューの必死な剣幕にジーニスは一瞬たじろいだが、教会の奥にある晩餐用の部屋に俺達を案内してくれた。
「皆さん、座ってください。魔剣ケルベラーについて私が知っている事をお話しましょう」
俺達はそれぞれ椅子に腰を下ろし、ジーニスの言葉を待った。
「昨日、J・A村支部長室でお話した通り、その剣は私の曾祖母の命を奪った剣です。曾祖母が亡くなったのは、今から15年程前になります。私がまだ三歳の時でした。その時の事は覚えていませんが、母からよく曾祖母の事について聞かされていました」
俺達はそのまま、ジーニスが出してくれた紅茶を飲みながら話を聞いた。
「ある日、ジェーン・アンダーソン村に一人の傷ついた剣士が倒れ込んできました。当時この村の長であった曾祖母のジェーンは、その剣士を村に泊め、傷が癒えるまで看病を行いました」
「剣士の名前はなんと言ったのですか?」
秋留は訊ねた。
「武亮と名乗っていたそうです。その武亮という剣士が村を訪れて一週間が経った日の事でした。傷もほとんど癒え、武亮が町の広場を散歩している時に突然それは起きたと言います」
ジーニスは一呼吸置いて、話し続けた。
「武亮が広場にいた住人を惨殺し始めたのです。曾祖母のジェーンは知らせを受けるとすぐに広場へ行き、武亮の前に立ちはだかりました。そして問いただしたのです。なぜ、このような酷い事を、と……」
全員、静かにジーニスの話を聞いていた。この町にそれ程酷い過去があるとは知らなかった。
フランスキーのあの態度は、カリューが暴走した事により、15年前に受けた心の傷が蘇ったためかもしれない。
俺は気になって訊ねることにした。
「ジーニスさん。J・A支部長のフランスキーは町が襲われたとき、既にこの町で支部長をしていたのですか?」
「武亮が暴れた時に真っ先に止めようとしたのが、前支部長であるミラノさんでした。ミラノさんは若い頃は剣士として活躍しており、お歳の割には中々の腕前だったと母は言っていました。しかし、そのミラノさんも武亮によって殺されました……。後任としてJ・A支部に配属になったのが今のフランスキーさんです」
つまりフランスキーのあの性格は地だったということか。紛らわしいキャラクターだ。
「すみません、話を続けて下さい」
俺は大して関係ない質問で話の腰を折ってしまった事を反省しつつ、ジーニスに話の続きを促した。
「はい……、えっと、そうそう」
ジーニスはどこまで話したか忘れてしまったようだ。悪い事をしてしまった。
「曾祖母のジェーンは武亮に問いただしました。武亮は、右手に持っていた禍々しい剣をかざして、こう答えたそうです。『こいつが、魔剣ケルベラーが血を欲しがっている』と」
俺は昨日の夜、カリューが言っていた内容を思い出した。
(この剣から聞こえてきたんだ。俺を掴め、と……)
「じゃあ、武亮が暗黒剣士ケルベロスの正体だったのか?」
カリューは真剣に聞いていた。いつもは熱血論一筋で猪突猛進型のカリューだったが今は違っていた。
「武亮が暗黒剣士ケルベロスの正体だったかどうかは分りません。ただ、ケルベロスは魔族の剣士と聞いていたのですが、どうやら武亮はただの人間だったようです」
「武亮はその後どうなったのですか?」
うつむいたまま黙ってしまったカリューに代わって、秋留が続きを聞いた。
「武亮はジェーンに襲い掛かりました。司祭であるジェーンに接近戦は向かなかったため、ジェーンは武亮と距離を置きました。そして、神聖魔法を唱えたんです」
「何と言う魔法ですか?」
魔法マニアの秋留は興味津々だ。
「上級神聖魔法のセイント・インディグネーション(聖なる怒り)です。高司祭にしか使えないという神聖魔法ですね」
「心の清い人間には全くダメージはないが、邪悪な心を持ったモンスターや魔族には絶大の威力を発揮するという魔法でしたな?」
今まで黙って聞いていたジェットが突然、口を開き説明した。ジェットは時々、その年の功のためかマイナーな魔法を知っている事がある。
「まぁ、随分詳しいですね。あまりの高等な神聖魔法のため、知っている人はごくわずかだと聞いていますが」
「ワシは職業が聖騎士だから神聖魔法について、ある程度の知識は身につけているんじゃ」
ジェットは生前に聖騎士だったので今も聖騎士という事になっているが、その身体は死人、つまりゾンビだ。
今も聖騎士特有の神聖魔法を使う事は出来るのだが、聖なる魔法を唱えようとすると身体に激痛が走るようになってしまった。そのため、ジェットは余程の事がない限りは、神聖魔法は唱えようとはしない。
「確か、ジェットさんと言いましたよね。聖騎士……ジェット……」
ジーニスは暫く考え込んでいた。必死で何かを思い出しているようだ。
「あ、あああああ! 貴方は!」
ジーニスはジェットを指差し叫びだしたかと思うと、部屋の奥に走り出して行ってしまった。
戻ってきた時には、一冊の本を右手に持っていた。その本を開き、あるページとジェットの顔を交互に見比べているようだ。
暫くするとジーニスは唐突に気絶した。ジーニスが床に倒れる寸前に、傍にいたジェットが抱きかかえた。
倒れたジーニスの右手には冒険者百科事典のジェットのページが開かれている。
そのページには、ジェットの顔写真と共に文章が書かれていた。
『コースト暦2999年の第三次封魔大戦で、魔族連合軍の軍団長マクベスを討ち取ったチェンバー大陸の英雄・聖騎士ジェットは3001年、故郷の町エアリードで愛馬である銀星と共にその生涯を終えた』
俺達は倒れたジーニスを奥の部屋のベッドまで運んだ。
暫くしてジーニスは目を覚ましたが、ジェットの顔を見るなり再び気絶しそうになった。
いい加減、話を進めて欲しかった。
さっきから話の続きを聞きたくて俺の隣でウロウロと歩き回っているカリューが目障りだ。
「チェンバー大陸の英雄ジェット様が、なぜ死人としてパーティーに加わっているのですか?」
ジェットは目を瞑り、何かを思い出しているように話し始めた。
「我が故郷のエアリード。そこに巣食っていたモンスターに縛られていたワシと相棒の銀星の魂を解き放ってくれたのが、この御三方じゃった」
ジェットは落ち着いて言った。
それだけの理由では納得出来ないらしくジーニスは口を開きかけたが、それを制し、ジェットが再び話始めた。
「助けて貰った恩を返すまでは、ワシはこの御三方に忠義を尽くすと決めたのじゃ」
死人を助ける、とは理解不能な原理だったが、ジーニスはジェットの意思を理解して、秋留の方へ向いた。
「それでは、秋留さんがジェット様を死人として復活させたのですか?」
「その時、私たちパーティーは三人と少なかったし、強力な仲間が欲しかったから」
パーティーを組む場合は四、五人が普通なのだが、俺達パーティーは組んだ時から三人だった。ただ、全員レベルが高いせいか、三人でも苦労する事はほとんどなかったが。
秋留は話し続けた。
「ジェットから申し出があったのは、丁度仲間を探している際中だったの。チェンバー大陸の英雄が仲間になってくれれば、これ以上心強い仲間はいない。私は迷う事なくネクロマンサーの力を使ってジェットを死人として復活させたわ」
秋留はそう言っているが、計算高い秋留の事だ。きっと、ジェットを仲間に入れると心に決めた上で、ジェットの魂をモンスターから解き放ったのだろう。
伝説の英雄を死人として復活させ、パーティーに入れようと考える人はあまりいないのではないだろうか。そう考えると、秋留はただ者ではないと思ってしまう。
「秋留さんは、ネクロマンサーなんですか?」
「ふふ。今の職業は幻想士だけど、前はネクロマンサーだったの。だから、ネクロマンサーの力も使えるのよ」
秋留の話を聞いて、ジーニスは驚いたようだ。
「そうなんですか? 大概、魔法系の職業は人それぞれの特性が決まっていて、他の職業にはなりにくいと聞いていたんですが……」
その話は初耳だ。秋留は飽きっぽい性格だから、コロコロと職業を替えているのかと思っていたが、それは簡単な事ではないらしい。やはり秋留はただ者ではない。
「今は幻想士だけど、ネクロマンサーの他にも魔法使いとか召喚士とかになった事があるよ。全部、初期の段階で転職しちゃったけどね」
秋留は自分の飽きっぽい性格を暴露しているとは気付いていないようで、自慢気にジーニスに話している。
「へ〜、すごいんですね……」
ジーニスは、秋留の性格に気付いたようだが、それを悟られないように話を続けた。
「パーティーにジェット様のような信頼出来る仲間がいるというのは、大変心強い事だと思います」
会話が一段落したのを確認して、カリューが今まで溜まっていた物を吐き出すかのように、ジーニスに対して質問した。
「ジーニスさん、話の続きを頼む。神聖魔法を喰らった武亮と名乗る剣士はどうなったんだ?」
突然カリューから質問され、今まで自分が話の続きをしていなかった事にジーニスは気付いたようだ。
ようやく、視界の端で映るソワソワカリューを見なくて済みそうだ。
「あ、ごめんなさい! すっかり忘れていました! えっと……」
ジーニスは先程と同様にどこまで話したか忘れてしまったようだ。
今度はさっきより沈黙が長い。司祭というのは全員、こんな天然なパワーを持っているのだろうか?
秋留が言っていた自分が就いたことのある職業の中に、司祭がなかったのは、その性格の違いからではないだろうか。
痺れを切らしたカリューがもう一度、一字一句違わずに質問した。
「神聖魔法を喰らった武亮と名乗る剣士はどうなったんだ?」
ジーニスはやっと思い出したようだ。紅茶を一口含んだ後、話し始めた。
「ジェーンの唱えたセイント・インディグネーションは、暴走している武亮の身体を光の柱で包みました。その光の柱は空に浮かぶ雲まで届いていたと言います。光が消えると、武亮が立ち尽くしていました。不思議な事にその右手には、魔剣ケルベラーは握られていなかったそうです」
「武亮は元に戻ったのか?」
カリューは聞いた。
「武亮はそのまま気を失い、その日は宿屋に寝かしていたのですが、翌日になると姿を消してしまったそうです。ある村人が惑わしの森の方へ武亮が消えていくのを見たそうですが、さだかではありません……」
ジーニスの説明を聞く限り、セイント・インディグネーションという魔法を唱えればカリューの呪いも解けそうだが、その後、カリューがどうなってしまうのかは分からない。
神聖魔法により消えてしまった剣が、どうして鍛冶屋サイバーの小屋にあったのかも疑問だ。
「ジーニスさん、色々教えてもらってありがとうございました。ちなみにジーニスさんはセイント・インディグネーションを唱える事は出来ますか?」
秋留の意図は読めた。ジーニスがセイント・インディグネーションを唱える事が出来るなら、カリューに唱えてもらおうという事だろう。
「ごめんなさい。子供の頃から練習はしているのですが、まだレベルが低くて成功した事はないんです……」
カリューは隣で落胆していた。しかし、セイント・インディグネーションをカリューに唱えれば呪いを解く事が出来るかもしれない。そういういう情報を得る事が出来ただけでもジーニスの話を聞いた甲斐はあった。