『学校一の美少女』と呼ばれている幼馴染に惚れられた
学校を舞台とした物語の世界には、往々にして『学校一の美少女』の肩書きを持つキャラクターが登場する。
そういったキャラクターは容姿端麗なのはもちろん、成績優秀・スポーツ万能・社交的で優しい性格と、完璧な人物として描かれることが多い。
完璧すぎて誰からも慕われる女神のような存在。そんな人間はフィクションの世界にこそよく登場するが、現実世界で出会う確率は非常に稀だ。
だがしかし。その非常に稀であるはずの存在が、俺の通っている高校にはいる。しかも都合の良いことに同級生であり、かつ同じクラスだ。
名前は西園空羽。絹のように滑らかな長い黒髪に、エメラルドグリーンの綺麗な瞳、そして白雪のような柔肌。その圧倒的なまでに整った容姿は、見る者すべてを魅了する……と言われているのだとか。
勿論ルックスだけでなく、頭脳・身体能力・性格などといった要素も完璧。まさにフィクションの世界に登場する『学校一の美少女』そのものである。事実、多くの生徒からそう呼ばれている。
そんな彼女の席の周りには、いつもたくさんの生徒が群がっている。
「西園さん、中間テスト全教科100点だったんでしょ? 凄すぎるよ!」
「ふふ、ありがとう。勉強の成果が出て良かったわ」
「体力テストも全種目満点だし、容姿も美しいし、『学校一の美少女』どころかもはや女神様だ……」
「もう、女神様だなんて言い過ぎよ? 照れてしまうじゃない」
「西園さん。この前は相談に乗ってくれてありがとう。おかげで私、前向きになれたよ」
「それは良かった。またいつでも相談に乗るからね」
周りの生徒たちが次々に彼女を褒め称え、本人は笑顔で返事をする。こんな光景は日常茶飯事である。
その様子を何となく見ていると、ふと彼女と目が合う。彼女は俺の視線に気付くと、ニコッと微笑みかけてきた。
この微笑みに心奪われる男子は多いだろう。だが俺がそうであるかと言われれば話は別だ。
俺は彼女の微笑みに反応することなく、その場を後にした。
別に彼女のことが嫌いなわけではない。むしろ仲は良い方だ。では何故、『学校一の美少女』の微笑みを見ても反応しなかったのか。
その理由は、俺にとって彼女……もとい空羽は小学生の頃からの幼馴染みだから。彼女の微笑みなんてものは、もう見慣れているのだ。
★ ★ ★ ★ ★
休日。俺が自室でゆっくりくつろいでいると、トントン、とドアがノックする音が響く。
「お邪魔しまーす」
部屋に入ってきたのは『学校一の美少女』であり、幼馴染みである西園空羽だ。
今日の空羽の格好は、白のロングTシャツに黒のワイドパンツ。ラフなコーデでもしっかりと様になっているのは、さすが『学校一の美少女』と言うべきか。
ちなみに空羽が遊びに来るのは珍しいことではない。昔からよくウチで遊んでいて、今もそれが続いている。
「よう空羽。いつものゲームでもやるか?」
「うん。今日は雄飛なんか相手にならないってことを教えてあげる」
『雄飛』は俺の名前だ。東田雄飛というのが俺のフルネームである。
「言ってろ。ボコボコにしてやる」
いつもの格闘ゲームを起動し、プレイしながら雑談をする。
「ねえ雄飛。この前、私が微笑みかけたのに無視したでしょ」
「無視したわけじゃない。反応しなかっただけだ」
「いや、それ無視してるのと変わんないじゃん」
「じゃあどうすりゃ良かったんだよ」
「照れて顔を赤くするなり、あまりの可愛さに見惚れたりしなさいよ」
「はっ。今更お前の作り笑顔なんかに見惚れるかっての……はぅ!?」
ゲームに集中しているところに突然、脇腹を強めにチョップされた。驚いた拍子にコントローラが手元から落ちてしまう。
その隙に空羽は容赦なく俺のキャラクターをタコ殴りにする。コントローラを拾って抵抗する間も無く、俺のキャラクターの体力はゼロになってしまった。
「ふっふっふ。私の勝ちよ」
ドヤ顔で勝利宣言をする空羽。こんな卑怯な方法で勝ってよくそんな顔が出来るな。
「お前、プレイヤーに攻撃するのはルール違反だろ!」
「ふん。雄飛が悪いもん」
わざとらしく頬を膨らませながら、つーんとそっぽを向く空羽。この子供のような仕草は昔から変わっていない。
「そんなに不服なら、もう一回やる?」
「望むところだ」
お互いさっきとは違うキャラを選んで、ゲームを再開する。
空羽と一緒にいるときはいつもこんな感じだ。小競り合いをしながらゲームをしたり、くだらない雑談をしたり、たまにテスト勉強をしたりと、仲の良い同性の友達と一緒にいるような感覚に近い。
一応言っておくが、俺たちは決して恋人関係などではない。俺にとって空羽は、あくまでも仲の良い幼馴染みの一人だ。
空羽が『学校一の美少女』と言われるようになったからといって、それは変わらない。
「なあ空羽」
「んー?」
「『学校一の美少女』として生活するのって、やっぱ疲れるのか」
「え……」
俺がそう聞くと、空羽は一瞬だけ手の動きを止めた。が、すぐにコントローラの操作を再開する。
「そりゃ疲れるわよ。常に完璧でいなきゃいけないもん」
「だろうな」
「雄飛の家で遊ぶのが一番気が楽。それがなきゃもうストレスでやってられない」
「そんなにストレスなら、素の自分でいればいいのに」
「今更無理よ。って、ピンチじゃん……うわー負けちゃった」
「今度は俺の勝ちだな。もう一回やるか?」
「ううん、今の話してたら愚痴りたくなった。一旦ゲーム止めて話聞いてもらってもいい?」
「了解」
俺はゲームの電源を切り、片付けた。
さて。ここでどうして空羽が『学校一の美少女』と呼ばれるようになったのかを説明しよう。
時を遡ること約一年前。俺たちが新入生として、高校に入学したばかりだった頃の話だ。
新しい環境に身を入れる学生は、仲間を作ろうと意気込み、気を遣う。それは空羽も例外ではなかった。
中学生の頃よりも容姿を整え、明るく笑顔で人と接し、誰かが困っていたら手を差し伸べるようにしていた。
その結果、『学校一の美少女』と称されるほどに空羽の評価は上がっていった。
ここまではよかった。だが、現実はそう都合よくいかなかった。
評価が上がりすぎてしまったのだ。『学校一の美少女』は容姿・頭脳・身体能力・性格のどれをとっても完璧であると、勝手に言われるようになった。
これによって空羽は追い込まれた。皆の期待に応えるためには、あらゆることで結果を出し続けなければならなくなった。完璧な人間を演じるために、立ち居振る舞いまで気を付けながらだ。
一つでもボロを出してしまうと、皆の信用を一気に失ってしまうかもしれないから。
以上が、空羽が『学校一の美少女』と呼ばれるようになった経緯である。つまりこうなっているのは、高校デビューを張り切り過ぎた空羽の自業自得というわけだ。
「常に完璧でいるって本当に疲れるのよ? 少しでも皆の期待に沿えないと失望されちゃうかもしれないっていうプレッシャーの中で過ごさなきゃいけないんだから。テストも人間関係もそれ以外のことも全部、ミスは許されない。というより、怖くてミスできない。それに家に帰ってからも、勉強とかで忙しくて自分の時間がないから、疲れがとれない。……こんな生活、ストレス以外の何物でもないわ」
堰を切ったように文句を垂れ続ける空羽。確かに、常に完璧でいなければならない学校生活なんてものはとても苦しいだろう。
小さい頃からそういう風に育ち、当たり前のように完璧超人をやってのける筋金入りのエリートであれば話は別だが、空羽はそうではない。
勘違いしないで欲しいのだが、空羽はフィクションの世界の『学校一の美少女』の裏設定にありがちな、実は腹黒で性格が悪い女とかではない。
あくまでも普通の女の子だ。少なくとも高校に入学する前の彼女はそうだった。
学力や身体能力は昔から優れていたが、当然のようにミスをすることはあった。立ち居振る舞いだって最低限は気を付けていたが、疲れているときは教室でだらけることもあったし、机に突っ伏して寝ていることもあった。
それが今では、些細なミスも怠惰な言動も許されない。正確に言うと、周りからの評価が落ちてしまうのが怖くてできないのだ。
これに対して『周りの評価を気にし過ぎだ』とか、客観的な目線からはどうとでも言える。
しかし人間とは、自分を高く評価して欲しい生き物だ。そして同時に、他人からの評価が失墜するのをとても恐れる生き物である。
普段の行動を変えることで、評価が下がってしまうかも……なんてことを考えると、つい現状維持を選んでしまうのが人間だ。
つまり客観的な意見を聞いたところで、それを本人が理解したからといって解決するわけではない。承認欲求に関する問題というのは、そう簡単な話ではないのだ。
「確かにそれは辛いな」
だから俺に出来ることは、話を聞いてあげることぐらいだ。何の力も影響力もない俺には、他にどうすることもできない。
その後しばらく、空羽の愚痴を聞き続けた。
「……話を聞いてくれてありがとう。だいぶ気持ちがすっきりしたわ」
「そうか。良かったな」
「うん。散々愚痴を言っちゃったけど、これからも頑張るわ」
「おう」
とりあえず、多少は気が楽になったみたいで良かった。
「ところで、どうしてこの話を私に持ち掛けたの?」
「え?」
「私が愚痴り始めたのって、雄飛が『学校一の美少女』として生活するのって疲れるのかって聞いてきたのがきっかけじゃん」
「そうだな」
「普段はこういう話しないくせに、今日に限って聞いてきたのって絶対なんか理由あるよね」
「…………」
確かに今までは、『学校一の美少女』と呼ばれていることについて空羽に心情を聞いたりはしなかった。俺と遊んでいるときぐらいは学校のことを考えることなく過ごして欲しいと考えていたからだ。
しかし今日はあえてその話を振った。そうすることにした理由を話すのは少し恥ずかしいので、できれば聞かれたくなかった。
「絶対笑わないって約束するか?」
「うん。絶対笑わない」
「分かった。この前学校で目が合って、空羽が微笑みかけてきたときがあっただろ?」
「そうね。それがどうかしたの?」
「何となくだけど、その微笑みが辛そうに見えたんだ。だから、疲れてるんじゃないかと思って」
言いながら、羞恥心を表情に出さないように努めた。『微笑みが辛そうに見えた』なんてキザなセリフは、乙女ゲームのイケメンキャラぐらいしか言うことは許されないだろう。
変に思われていないか不安になりながら空羽を見ると、キョトンとした顔をしていた。その後少し経ってから、ふっと顔を綻ばせる。
「ふふっ、そっか。雄飛にはそんな風に見えてたんだ。それで私に愚痴らせて、気持ちをすっきりさせようって思ったってこと?」
「……そうだ。てか笑わないって約束だっただろ」
「ごめんごめん。気を遣ってくれてありがとね」
「別に大したことはしていない。話を聞くぐらいはいつでもしてやれるから、また辛くなったら言ってくれ」
「うん。頼りにしてる」
この後はいつも通りの流れに戻り、空羽と遊ぶ時間を楽しんだ。
★ ★ ★ ★ ★
数週間後の休日。俺の部屋に訪れた空羽は、明らかに元気がなかった。
目の下にはクマがあり、表情も暗い。普段のような輝かしいオーラは全くなく、これでもかというほど鬱々としたオーラを放っている。
「何があったんだ?」
「……昨日ね、高村君に告白されたの」
「へえ」
高村は同じクラスの男子だ。イケメンで運動神経も優れていて、女子からの人気が高い……という噂をどこかで聞いた気がする。
というのも俺はそいつと話したことがほとんどないので、正確な人となりは全く知らない。強いて言えば、いつも同じグループの奴らとギャハギャハ騒いでいる印象しかない。
「それで高村君に興味があったわけでもないし、告白は断ったんだけど……やらかしちゃったのよ」
「やらかした、だって?」
「うん……」
空羽はポツリポツリと、事の顛末を話し始めた。
★ ★ ★ ★ ★
放課後。私、西園空羽は高村君に屋上へ呼び出された。
きっと高村君に告白されるのだろう。彼と付き合うつもりはないが、呼び出しを無視するわけにもいかない。仕方なく私は屋上へ向かった。
「来たな。西園、俺と付き合え」
屋上に着くと、高村君が自信満々な様子で告白してきた。ニヤリと口角を上げ、ヘラヘラした表情を浮かべている。断られるなんてありえないと言わんばかりの態度だ。
これまで何人もの男子から告白されてきたが、こんな態度で告白してくる人は初めてだ。
「気持ちは凄く嬉しいわ。けど、ごめんなさい」
「は?」
告白を断ると、高村君は余裕そうな表情を一変させ、とても驚いたような顔をした。
「私、恋愛には興味がないの。それに高村君なら、私より素敵な女性と出会えると思うわ」
「い、いやいや。俺には西園しかいねーんだよ。恋愛に興味がないっていうなら、俺が恋愛の楽しさを教えてやる。だから付き合おうぜ? な?」
焦った様子で食い下がってくる高村君。正直、好きでもない人から食い下がられても困るので、早く諦めて欲しい。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、毎日勉強で忙しくて恋愛してる時間はないのよ。だから仮に私と付き合ったとしても楽しくないと思うわ。あなたの貴重な時間を奪うわけにはいかないから、ごめんなさい」
できるだけ相手を傷つけないように言葉を選びながら、断り文句を話す。
「勉強なんかよりも俺と遊んだ方が絶対に楽しいって! 後悔させないから、頼むよ~」
しかしまだ彼は引き下がらず、両手を合わせてすりすりしながら懇願してきた。
もう、どうして諦めてくれないの? しつこい男は嫌われるというのが分からないのかしら。
「本当にごめんなさい。今はどうしても恋愛する気にはなれないの」
「…………」
暫くの間沈黙する高村君。やれやれ、ようやく諦めてくれた……と思った次の瞬間。
「西園っ!」
「っ!?」
突然、高村君が私の左手を両手で握ってきた。顔が引きつりそうになるのを何とか抑える。
「俺は本気なんだ。本気でお前を幸せにしてやる。この目が嘘をついているように見えるか?」
高村君はそう言いながら私に顔を近づけると、至近距離でじっと見つめてくる。
びっくりしたし、凄く怖かった。急に女性の手を握って、さらに顔まで近づけて見つめてくるなんて、セクハラもいいところだ。
本当なら叫び出したかったが、『学校一の美少女』としての体裁を保つためにグッと堪える。
「……真剣に想ってくれて、ありがとう。でも、どうしてもその気持ちは受け取れないの。あなたにもっといい出会いがあることを願ってるわ。それじゃあね」
「なっ!?」
握られた手の力が弱まった隙をついてスルッと抜け出し、高村君から離れる。
すぐにでもこの場から離れたかったので、踵を返して早歩きで屋上の出口へ向かった。
全く、男に手を握られるなんて最悪の気分だ。家に帰る前に手を洗いに行こう。
そんなことを考えていたときだった。
ギュッ!
「ひっ……!?」
突如、ねっとりと締め付けられるような感覚が全身を襲う。気が付くと私は、高村君に後ろから抱きしめられていた。
抱きしめられていると認識した瞬間、あまりの気持ち悪さに寒気が止まらなくなった。
「なあ、そんなつれないこと言うなよ。そういうところも可愛いけどな」
高村君の息が頭にかかる感覚。吸い付くように私の身体にまとわりつく腕。男の匂い。内容の薄い口説き文句。すべてが吐き気がするほど気持ち悪い。
もう、我慢の限界だった。
「……あなたの気持ちはよく分かったわ。返事をするから、腕を放してくれないかしら」
「お、ようやく俺の想いが伝わったか!」
嬉しそうに声を高くした彼は、いとも容易く腕を解き、開放してくれた。馬鹿な男だ。
私はくるっと振り返って、高村君の方を向く。そして、
ペシンッ!!
「ぶへっ」
腕を思いっきり振り抜いて、彼の顔面に渾身の力でビンタをかましてやった。
情けない声を上げながら尻餅をつく高村君。それを私は冷ややかな目で見下ろす。
「いい加減にしなさいよ、この変態! あんたみたいな気持ち悪い男となんか付き合いたくないって言ってるのが分からないの? よっぽど頭が悪いのね、死ねばいいのに!」
吐き捨てるように私の口から飛び出たのは、とんでもない悪口のオンパレードだった。こんな汚い言葉が自身の口から出たことに驚いた。
ずっと完璧な『学校一の美少女』として過ごしていたからか、知らないうちにストレスが溜まり過ぎていたのかもしれない。
彼は私の言葉を聞いて、怯えるように顔を引きつらせた後、困惑したように片手で頭を抑える。
「ひい……!? う、嘘だ。あんなに優しかった西園が、こんなひどいことを言うなんて……。お、お前、今まで俺たちを騙していたのか!?」
「え……?」
「そうか、これがお前の本性なんだな!? 普段は聖人のふりをして、腹の中では俺らのことを気持ち悪いとか思ってたんだ!!」
「っ!? ち、違っ……」
「うるせえ! 今更言い訳しても無駄だ!」
私が弁明しようとするのも構わず、彼は次第にわなわなと顔を怒りの色に染めていく。
「この、偽善者があああ!!」
そして怒りを爆発させるように、私を指差ながら大きな声でそう叫んだ。
「!!」
高村君にそう言われた瞬間、雷が落ちたような強烈な衝撃が胸を襲った。
罵倒されたことよりも、彼が私に向けて言った『偽善者』という言葉が心に深く突き刺さった。
あまりのショックで私は冷静さを失い、逃げるようにその場を後にしたのだった。
★ ★ ★ ★ ★
「ということがあったのよ……」
「そうか……」
要はしつこく告白された上にセクハラをされて、我慢できずに手を出してしまい、暴言を吐いてしまった。その結果『偽善者』呼ばわりされてしまったということか。
何とも胸糞悪い話だ。手を出してしまった空羽は確かに悪いが、自分のことを棚に上げて人を罵倒する資格が高村にあったとは思えない。
「ビンタしたことと暴言を言ったことは、冷静になった今では反省してるわ。でも……言い訳じゃないけど、あの時は本当に怖くて、吐き気がするほど気持ち悪くて。とても平静なんて保てなかったのよ」
「暴力を正当化するつもりはないが、好きでもない男にしつこく迫られて、手を握られたり抱きしめられたりしたんだ。平静を保つ方が難しいと思うぞ。まだ高校生なんだし、こうして今反省できてるだけで充分立派だ」
「ありがとう。でも私は立派なんかじゃないわ。だって『偽善者』なんだもの」
体育座りで俯きながら、そう呟く空羽。どうやら彼女が落ち込んでいる理由は、手を出してしまったことに対する後悔だけではなさそうだ。
「高村に言われたこと、気にしてんのか」
「……高村君にそう言われた瞬間、今までに経験したことないほどのショックを受けたわ。その時はどうしてこんなにショックを受けたのか分からなかったけど、家に帰って冷静になったとき、気付いたの」
「気付いたって、何にだよ」
「私が勉強する理由は、難関大学に合格して大企業に就職して、人々の役に立つためじゃない。私がスポーツを頑張るのは、アスリートになって人々に夢を見せるためじゃない。私が人に優しくするのは、困っている人々を救って幸せにしたいからじゃない。全部、自分をよく見せることが目的。つまり今まで、人に好かれて自分が満足するためだけに行動してきたの」
「……ふむ」
「そんなちっぽけで不純な動機で完璧な人間を演じてるって、まさに『偽善者』よね」
そう言って自虐気味に微笑む空羽。どうやら『偽善者』と言われたことがよほど堪えたようだ。
『偽善者』という言葉に、自分の学校での立ち居振る舞いを重ねて考えてしまい、ショックを受けてしまったのだろう。
「俺は、空羽が『偽善者』だなんて思わないけどな」
「……気を遣ってくれてありがとう」
虚ろな目で虚空を見つめながら弱々しく言う空羽。
「気を遣ったわけじゃない。本当にそう思ってるんだ」
「……え?」
少し語気を強めて話すと、空羽はようやくこちらの方を向いてくれた。
「自分のために勉強や運動を頑張ったり、人に優しくすることの何が悪いんだ。動機が人気取りのためだろうとなんだろうと、結果的には自身の能力向上になっているし、人の役にも立っているだろう」
「それは、そうだけど……」
「空羽のやってきたことは偽善なんかじゃない。人に好かれるための努力だ」
「努力……?」
「そうだ。お前は皆に好かれるために、人を傷つけたり貶したりはしてないだろう? ただひたすら自分を磨いて、自分の力だけで信用を勝ち取ったんだ。それは立派な努力じゃないか」
「……!」
空羽の目を真っ直ぐ見据えながら俺の考えを伝える。
人に好かれるためだけに勉強をしたり人に優しくすることを空羽は、ちっぽけで不純だといった。
でも俺の考えは違う。人に好かれるという目標のために一生懸命努力していることは、むしろ純粋で尊いものだ。
「私がやってきたことは偽善じゃなくて、努力……。確かにそういう考え方もできるかもしれないけど……」
「要は捉え方の問題だってことだ。もっとポジティブに考えようぜ」
「……そうね。前から思ってたけど雄飛って、人を慰めるのがうまいわよね」
「そうか? でも今のは空羽を慰めるために言葉を選んだわけじゃないぞ。思ったことを言っただけだ」
「分かってる。ありがとね、雄飛」
そう言って空羽はようやく、今日初めて明るい表情を見せた。
完全に立ち直ったわけではなさそうだが、少しは元気を取り戻したみたいだ。
「どうしようもなく自分が嫌いになりそうだったけど、雄飛の言葉を聞いて少し前向きになれたわ。落ち込んだ時に悩みを話せる幼馴染がいて良かった」
「嬉しいことを言ってくれるじゃないか」
「あと、その幼馴染が雄飛で良かった」
「そ、そうか」
恥ずかしげもなくそんなことを言ってのける空羽。言われた俺はというと、照れくさくて動揺してしまった。
「……気晴らしにゲームでもやるか?」
「うんっ」
照れ隠しをするようにゲームを提案すると、空羽は快諾してくれた。
それからはお互いの気が済むまで、二人でゲームをプレイし続けた。
このときの俺たちは、事態がより悪化することになるなんて思いもしなかった。
★ ★ ★ ★ ★
週明け。教室内はいつもと違う雰囲気だった。生徒たちがそれぞれのグループで、怪訝そうな表情を浮かべながらガヤガヤと噂話をしている。
「なあお前、あの動画見たか?」
「見たぜ。信じられないよな……」
噂の話題は、クラス内に出回っている動画だった。その動画には、空羽が誰かに向けて暴言を吐いている様子が映っていた。
『いい加減にしなさいよ、この変態! あんたみたいな気持ち悪い男となんか付き合いたくないって言ってるのが分からないの? よっぽど頭が悪いのね、死ねばいいのに!』
これは間違いなく、先日空羽が言っていた出来事の一部を撮影したものだろう。動画の発信元は不明だが、誰かが告白の様子を影で盗撮していたのかもしれない。
タチの悪いことに、動画には空羽の暴言シーンだけが映っていた。そして誰に向けて暴言を吐いているのかは分からないように編集されていた。
その悪意のある編集のせいで、事情を知らない人が見たら、あの『学校一の美少女』がキレて暴言を吐いているとしか捉えられないものになっていた。
「西園さんって、こんなひどいことを言う人だったんだ……」
「普段はあんなに優しいのに、実は怖い人だったりするのかな」
「もしかして、今までの西園さんの言動って全部演技だったんじゃねーの」
クラスメートたちが口々に空羽への失望を露わにする。つい先週まであんなに彼女を慕っていたというのに、動画一つで信用を失ってしまうとは。今まで聖人だと思われていた分、暴言を吐いているシーンはギャップもあって物凄く悪く映るのだろう。
空羽の周りにはいつも人が群がっていたが、今日は誰一人近づいていない。ポツンと一人、居心地悪そうに自席に座っていた。
今まで必死に努力して得た評価が、一瞬で下落してしまった。空羽にとってこの状況は、最も恐れていたことだった。
よく見ると空羽の顔は青白く悲痛の色に染まっており、膝の上に置かれた手は固く握られ、小刻みに震えている。その様子は、絶望のあまり自暴自棄になってしまいそうなのを必死に抑えているように見えた。
何とかして元気付けなければ。そう思った俺はスマホを取り出し、空羽に一通のメッセージを送った。
『大丈夫か?』
わざわざメッセージで送った理由は、誰一人空羽に近づく人がいないこの状況で話しかけに行くと、周りに変に思われるのは目に見えているからだ。
俺だけが変に思われるならいいが、マイナスなイメージがついている今の空羽を、これ以上目立たせるわけにはいかない。
メッセージを送信してから少し経つと、返事がきた。
『大丈夫じゃないかも。あの動画のせいで、皆に嫌われちゃった』
やはり、信用を失ってしまったことが相当心にきているようだ。ここはすかさず前向きな言葉を送るしかない。
『少なくとも俺はお前の味方だ。つらいときは一人で抱え込まずに俺を頼れ』
『ありがとう。でもごめん。もう立ち直れないかも』
しかし返ってくるのは、俺の言葉などまるで効いていないような、絶望しきったメッセージだった。
「くそ……!」
スマホを握る手に力が入る。言葉をかけても効果がないとなれば、空羽の信用を元に戻すしかない。だがそんなこと、俺一人だけでできるのか?
いや、どうにかするんだ。今、空羽の味方は俺だけだ。俺が何とかしなければ。
★ ★ ★ ★ ★
その後一日中、授業中や休み時間なども解決策を模索していたが、なかなか浮かばず放課後になってしまった。
そして今、下校中も考えているが、何時間も思考していたからか脳があまり働かない。疲れと焦りからか、メンタルがだんだんマイナスよりになっていく。
もう何をやっても無駄なのか。俺ではもう、空羽の元気を取り戻すことはできないのだろうか。
そんなことを考えているうちに家に着いてしまった。とりあえずさっさと課題を終らせようとスクールバックを漁ると、課題が入っていなかった。どうやら学校に忘れてきてしまったらしい。
考え事ばかりしていたせいか注意力が散漫なようだ。面倒だが学校に取りに戻るしかない。
数十分かけて学校まで戻り、教室の目の前に着く。中に入ろうと扉に手をかけようとすると、誰かの話し声が耳に入ってきた。
「ヒャハハハハ! 見たかよ! 西園の奴、この世の終わりみたいな顔してたぜ!」
瞬間、ピタッと手を止める。下衆のような笑い声の後、空羽の名前が聞こえた気がした。
「ハハハッ、おいおい高村。そんなデカい声で喋ってたら誰かに聞かれるかもしれないぜ?」
「大丈夫だって。こんな時間に誰も来ねーだろ」
どうやら教室内では、高村とその仲間が二人で話をしているようだ。
「スマホで動画を撮っておいてよかったぜ。俺を振った挙句、散々コケにしてくれたんだ! これぐらいの報いは当然だろ?」
「確かにあれは言いすぎだよな。告白されただけであんなに言うなんて」
「だよなあ!? あのクソ女、絶対許さねえ……」
今のやり取りを聞いて理解した。あの動画を撮影し、悪意のある切り抜き方をして拡散した犯人は高村だったようだ。
自分の悪行は棚に上げて空羽だけを悪者に仕立て上げるとは。性根が腐ってやがる。
「まあ、動画が出回った時点で西園は終わりだ。ザマアねえな! ヒャーハッハッ!」
薄汚い高笑いを聞いていると、高村に対する怒りが沸々と湧いてくるを感じる。
許せない。空羽も悪い部分はあるとはいえ、動画を衆目に晒すのはいくらなんでもやりすぎだろう。
しかもどうやら悪いことをした自覚が微塵もない上に、絶望した空羽の様子を見て嘲笑い、愉悦に浸っていたようだった。
クソ外道め。こうなったら空羽の代わりに俺が、奴に鉄槌を下してやる。
俺は落ち着くために深呼吸をしてから、扉を開けて教室に入った。
すぐに高村たちの姿を見つけ、視線を向ける。
「よお高村。随分と楽しそうに喋っているじゃないか」
「あん? って東田かよ。何か用か?」
「西園の動画を拡散したのって、お前だったんだな」
「……テメェ、話聞いてやがったのか」
最初はすました顔で話していた高村の目が鋭くなる。
「そりゃ、あんだけデカい声で喋ってたら聞こえるよ」
「ちっ。ああそうだよ、動画を広めたのは俺だ。だから何だってんだ?」
「ふっ。告白を断られたからって動画を拡散するなんて、お前ってそんなダサい男だったんだな」
「何だと!?」
少し煽ってやると、高村はすぐに感情的になって詰め寄ってきた。直情的な奴だな。もっと煽ってやろうか。
「しつこく告白した挙句、手を握ったり抱きついたり散々セクハラしておいて、キレられたらその部分だけを動画にして広めるなんて、クソダサすぎるにも程があるって言ってんだよ」
「なっ……テメェいい加減にしろよ!!」
俺が事細かに真実を突き付けてやると、高村は激昂して胸ぐらを掴んできた。すると、高村の仲間が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「た、高村。落ち着けって」
「うるせぇ! テメェは先に帰ってろ!」
「……! わ、分かった……」
高村が大きな声で威圧すると、彼をなだめようとした仲間はそそくさと帰っていった。教室内は俺と高村の二人きりになる。
高村は仲間が出て行ったのを確認すると、俺の方を向き直ってキッと睨みつけてきた。
「適当なこと言ってこの俺を馬鹿にしやがって……! 俺はセクハラなんかしてねーよ! あんま舐めてると殺すぞ? ああん!?」
鬱陶しいほどの大声で啖呵を切られる。しかし恐怖は全く感じなかった。恐怖心なんかより怒りが勝っていたからだ。
「嘘をつくな。俺はあのときの様子を影で見てたんだ。お前が屋上で西園に告白するという噂を聞いてな。その証拠に、俺が言ったことはすべて当たっているだろう」
「っ……!」
まあ、見たというのは真っ赤な嘘だが。ここで空羽から聞いたと言ってしまうと、ややこしいことになりかねない。
図星を突かれた高村は動揺し、胸ぐらを掴んでいる手の力を強めてくる。このまま殴られでもするのかと思ったが、高村は大きく溜め息をつくと、突き飛ばすような形で乱暴に俺の胸ぐらから手を離した。
何もされず解放された理由は、逆ギレしてもごまかせないと判断したとか、単純に殴る度胸がなかったとか、そんなところだろう。
「……クソが。見られてたんなら言い訳できねーな。人の告白を影で見るなんざ、悪趣味な野郎だ」
自分の告白を盗撮していたお前にだけは言われたくない。
「確かにテメェの言う通り、俺は西園に何度も告白したり、手を握ったり、抱き着いたりしたさ。だがそれの何が悪いんだ? すべては西園に俺の気持ちを分かってもらうためにやったことだ。それなのにあの女は、この俺に暴力を振ってきただけでなく、ゴミを見るような目で罵ってきやがった……!」
高村は拳をぷるぷる震わせながら、恨めしそうに当時のことを自供する。
「西園の奴、今まで俺たちを騙してたんだ! 優しいふりをして、裏では俺らのことをゴミみたいに思ってたんだ! 俺はあいつの演技に騙されて告白しちまっただけなのに、こんな仕打ちをうけるなんてひどいと思わないか、東田!? 俺がこんなことしちまうのも、仕方ないと思うだろ!? な?」
被害者ヅラをして同情を求めてくる高村。ここまでくると最早怒りを通り越して呆れてくるな。他人を悪者にする天才かこいつは。
だがそんな戯言に耳を貸す訳がない。どんな理由があろうと、空羽を傷つけたこいつを許すことはできない。
「裏でゴミみたいに思ってたっていうのは、お前の妄想だろう? 西園はただお前にしつこく告白されて、その上セクハラもされたから怒っただけじゃないのか。そもそも、仮に西園が裏でお前のことをゴミみたいに思ってたとしても、暴言を言っているところだけ切り抜いた動画を拡散して、他人の評価を貶めるなんてことをする奴は間違いなくゴミ野郎だろうが」
「う……。な、何だテメェ、西園の味方をするのか? さては西園の事好きなのか?」
「俺は本当のことを知っている身として、お前の行動がやりすぎだと思っただけだ。とりあえず、西園に謝れよゴミ野郎」
声色を低くして高圧的に謝罪の要求をすると、高村は気圧されたようにたじろいていた。つい先程まであんなに威勢が良かったというのに、逆に詰められたらこれか。気の小さい男だ。
「く……うるせえ! とにかくあの女が悪いんだ! いいか、このことは絶対に他の奴に言うなよ? 言ったらただじゃおかねーからな!」
高村は俺に向かって指を差しながらそう言うと、脱兎の如く走り去ってしまった。
全く、最後までお手本のようなクズ行動をする奴だな。俺は溜め息をついてから、机の中から課題を回収して教室を去った。
……さて、この程度で終わると思うなよ高村。
★ ★ ★ ★ ★
次の日の朝。教室内はまたしてもガヤガヤと騒がしかった。
「昨日、東田君から送られてきた録音データ聞いてみたんだけど、やばくない?」
「まさか高村君がセクハラしてたなんてね……。西園さんがあんな悪口言ってたのも、セクハラされて怒ってたからみたい」
「自分はセクハラしたくせに、悪口を言われたところだけ切り抜いて拡散してたのか……。最低だな高村」
そう。俺は昨日、高村との会話をスマホのボイスレコーダーアプリで録音していた。その一部始終をクラスのトークグループに送信したのだ。
この録音データによって、空羽の暴言動画を広めた犯人が高村であることや、空羽が暴言を吐いたのは高村の執拗な告白とセクハラが原因であることがクラス中に広まった。
これで高村の評判が下落したと同時に、空羽に対する不信感が多少は薄れただろう。
それでも空羽の暴言に関しては言い過ぎだと思う人はいるだろうが、その点は空羽にも非があるので致し方ない。
「ん?」
何やらバチバチとした視線を感じたので辺りを見回すと、高村が歯をギリギリと食い縛りながら、恨めしそうに自席からメンチを切ってきていた。
そっちが先に盗撮した動画を流したんだ。こちらが盗聴した録音データを流したからといって、文句を言われる筋合いはない。
高村からの視線を無視していると、携帯からバイブ音が鳴った。空羽からのメッセージだ。
『録音データ聞いたよ。雄飛、高村君に凄く怒ってたね。雄飛のあんな低い声、初めて聞いた』
『動画を拡散した犯人が高村って分かって、ムカついてたんだ』
『そうなんだ。もしかして、高村君が私を傷つけたことに怒ってくれてたりする? そうだったらちょっと嬉しいかも、なんて』
『いや、高村のやり方があまりにも酷いと思っただけだ』
『なーんだ』
気にしなくてもいいところを聞いてきやがって。俺なんかとこんなやり取りをするよりも、空羽にはやるべきことがあるはずだ。
『そんなことより、今なら皆と仲直りできるんじゃないか?』
今の空羽は、昨日よりは皆に怖がられていないはず。彼女の方から歩み寄れば、受け入れてもらえる可能性は十分あるだろう。
空羽から返信が来るまで、少し長めの間があった。
『ごめんね。せっかく皆と仲直りできるチャンスを作ってもらったのに、無駄にしちゃうかも』
ようやく返ってきたと思ったら、何やら意味深なメッセージが表示された。
『どういう意味だ?』
俺の問いに対して、空羽からの返事はなかった。
すると自席に座っていた空羽が立ち上がって、高村の元まで歩いて行く。一体何をするつもりなのだろうか?
「高村君、ちょっといい?」
「……あ?」
ガヤガヤとしていた教室内がピタッと静まり返る。皆の注目が空羽と高村に集まった。
「本当にごめんなさい」
そう言って空羽は、深々と頭を下げた。
「は? いきなり何だよ?」
「高村君、私に言ったわよね。『俺たちを騙してたんだ』って。その通りよ。私、皆を騙していたの。人気者になりたくて、完璧な人を演じてたわ」
空羽の言葉を聞いて、血の気が引いた。突然何を言い出すんだあいつは。
「や、やっぱりそうだったんだな! 俺は間違ってなかったんだ! 表では聖人のふりをして、裏では俺たちのことを馬鹿にしていたんだろう!? だから俺にあんな暴言を吐いたんだ!」
「いいえ、それは違うわ。あなたにひどいことをしてしまったのには別の理由があるの」
「別の理由だと?」
「ええ。完璧な人を演じるのって、本当は辛かったのよ。勉強も運動もそれ以外のことも全部、ミス一つしないように気を遣って……いつも気が休まらなかった」
「だ、だからなんだ」
「それでだんだん疲れてしまって、ストレスが溜まっていって……。そのストレスをつい、高村君にぶつけてしまった。経緯はどうであれ、自分勝手な理由で高村君にあたってしまったことは事実よ。改めて、本当にごめんなさい」
高村に謝罪しながら、自分の本当の想いを吐露する空羽。『学校一の美少女』の本音を聞き、言われた高村はもちろん、クラスメート全体が驚き戸惑っていた。
俺も違う意味で驚いた。まさか突然、本音を暴露するなんて行動に出るとは思わなかったからだ。
「はっ。完璧でいるのが辛くて、疲れただあ? 今更そんな言い訳するなんざ、一体どういうつもりだよ。『私疲れてたんですだから許してー』とでも言いたいのか? やっぱ『偽善者』だなテメェは」
嫌な言い方だ。さすがは相手を悪者にする天才、捉え方がひねくれ過ぎている。
自分が勝手に想像しただけなのに、あたかも相手が本当にそう思っているかのように決めつけて非難する。短絡的で傲慢な考え方だ。
「許してもらえるなんて思ってないわ。ただ、自分の都合で高村君を傷つけてしまったことを謝りたかった。信じてもらえないかもしれないけど、今私が言ったことは全部まぎれもない本心よ。それをあなたに、そして皆に伝えたくて、こうして口にしているの」
「皆、だと?」
空羽はそう言うと、クラスメートたちの方へ顔を向けて再度頭を下げた。
「今回は不快な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい。皆に好かれたくて完璧な人を演じてたけど、本当の私は勉強も運動も物凄く頑張らないと平気でミスするし、全然お淑やかじゃないし、怒ったらあんなに汚い言葉を吐くような女よ。でも……」
言葉を続けようとする空羽の肩は、小刻みに震えていた。
「……私はただ、皆に好かれるために頑張ってただけで、影で他人を見下したりは一切していないわ。それだけは信じて」
ポタ、ポタと、涙が何滴か床に落ちていた。
誰よりも人の目を気にする空羽にとって、この告白はとても勇気のいることだったに違いない。
それでも空羽は、自分の本当の思いを皆に伝えたかったのだ。
「けっ、言い訳にしか聞こえねえよ。今更あんな暴言を吐いた性悪女を信じられる訳ねーだろ。泣いてるフリまでして、迫真の演技ご苦労なこった」
静寂の中、高村の心無い一言が教室に響く。その時、俺の中で何かがプツンと切れた。
空羽はただ純粋に、皆に好かれるために努力していただけ。それは俺が一番知っている。
だが、たった一度過ちを犯しただけで、それを広められ、クラスメート全員の信用を失う程の窮地に立たされて。
それでもめげずに現実に向き合って、傷つけてしまった相手だけでなく、不快な思いをさせてしまった皆に対してもきちんと謝罪をした。
なのに。これ以上ないくらいの誠意を見せたのに何故、性悪女だの、迫真の演技だの言われなければならない?
空羽を追い詰めた張本人のくせに、一体どの口が言えるんだ。
怒りのあまり手が震えるのを抑えられない。もういっそ怒りに身を任せて、高村を殴ってしまおうか。そうでもしないと収まる気がしない。
完全に頭に血が昇ってしまった俺は、高村を殴りに行こうと腰を浮かせようとした……その時だった。
「西園さん、どうか頭を上げて」
一人の女子生徒が空羽の元へ近づき、声を掛けた。俺は動きをピタッと止める。
空羽は下げていた頭をゆっくり上げ、声の主の顔を見ると、目を見開いた。
その生徒は、かつて空羽が悩みの相談に乗ってあげていた女の子だった。
「私、西園さんのこと信じるよ。相談に乗ってもらったとき、親身に聞いてくれたし、励ましてくれたもん。あの優しさが嘘だったとは思えない」
「……信じてくれるの?」
「うん。むしろ、最初から信じてあげられなくてごめんね。動画を初めて見たときは、あんなに優しかったのに裏ではこんな悪口言う人なんだって、怖くなっちゃったんだ。けど昨日の録音データを聞いて、やっぱり理由があったんだって分かって。昨日からずっと謝ろうって思ってたの」
「俺も西園さんを信じるぞ! 好きでもない男に抱きしめられたら、そりゃ取り乱すに決まってる!」
「完璧な西園さんに期待をしすぎて、プレッシャーをかけていた僕たちにも責任はある。だから、西園さんだけが悪いんじゃないよ」
最初に声を掛けた女子生徒に続いて、次々と空羽を擁護する声があがる。
これは……どうやら空羽の信用は、完全に無くなっていたわけではなかったようだ。
もし完全に信用を失っていたのなら、高村のように言葉には出さずとも、演技だとか、言い訳だと捉えられてもおかしくなかった。
そうならなかったのは、今まで空羽が努力して得た信用が残っていたから。
空羽が必死に積み上げてきた努力は、決して無駄ではなかったのだ。
「皆……本当に、ありがとう」
皆から暖かい言葉を貰った空羽は、涙を手で拭いながら感謝を伝えた。
「もう無理して完璧を演じなくていいから、自然体で接してね。私たちは皆、本当の意味で西園さんと仲良くなりたいから」
「そうだそうだ! もっと親密になって、あわよくば付き合いたい! いや、付き合ってくれ!」
「お前、どさくさに紛れて告白してんじゃねーよ!」
「付き合うのはごめんなさい、遠慮するわ。でも、告白してくれてありがとう」
「ガーン! 振られた!」
「ハハハ、ドンマイ!」
冷え切っていた教室の空気が、空羽を中心に和気あいあいとした暖かさに包まれていく。
やがて空羽の周りにはクラスメートが集まっていき、以前のように人だかりができていた。
ただ一点以前と違うのは、中心にいる空羽が心から幸せそうなところだ。
皆に囲まれている空羽とは裏腹に、取り残された高村は居心地悪そうにおろおろとしていた。
「くそっ」
やがて居たたまれなくなったのか、高村は教室から出て行った。そうやっていつも、自分のしたことに向き合わず逃げてきたんだろうな。
今回の件で高村と空羽のどちらが悪かったのかは、この際置いておくとしよう。だが、自分が悪い部分を隠して相手の悪い部分だけを広めて陥れようとした高村に対して、自分が悪かった部分はしっかり反省した上で、迷惑をかけた皆に誠意を込めて謝罪した空羽。どちらが信用に値するかは明白だ。
つまり今広がっている光景は、空羽が勇気を振り絞って事に向き合い、行動した結果だと言えるだろう。
空羽から意味深なメッセージが来たときは不安になったが、いい方向に事が進んで良かった。
問題が解決し、緊張感から解放された俺は、安堵の溜め息をついた。
★ ★ ★ ★ ★
放課後。帰りの準備をしていると、空羽が俺の元へやってきた。
「雄飛、ちょっといい?」
「何だ。後ろにいるお友達と遊びに行かなくていいのか?」
空羽の数メートル後ろには男女数人が立っており、こちらの様子を伺っていた。
「行くけど、どうしても雄飛に伝えたいことがあるから待ってもらってるの」
「今じゃなきゃダメなのか?」
せっかく皆と仲直りしたんだから、俺なんかと話してないで早く遊びに行った方がいいだろうに。
「そうよ、今伝えたいの。その、助けてくれてありがとう。あの録音データを広めたのって、皆に本当のことを教えて少しでも私に対する不信感を無くすためだよね」
「まあな」
「やっぱり。雄飛って本当に優しいね」
「別に、普通だろ」
平静を装ったが、本当は少しだけ気恥ずかしかった。
褒められたときのこのむず痒い感覚は、少し苦手だ。
「あの録音データがなかったら、私が本当のことを言っても誰も信じてくれなかったと思うわ。それに……雄飛が高村君に真剣に怒ってくれてたのを聞いて、何があっても雄飛だけは私の味方でいてくれるんだって思えたから、勇気を出せた。だから皆とまた仲良くなれたのは、全部雄飛のおかげよ」
「それは違うぞ。空羽の努力があったからだ。今まで頑張って皆の信頼を築き、それを一度失っても逃げずに向き合った結果が今の状況を作ったんだ。本当に、よく頑張ったな」
俺がそう言うと空羽は一瞬だけ、顔をこわばらせた。より正確に言うと、目と唇に力が入ったように見えた。
「……ありがとう、ちょっと泣きそうになっちゃった。もう、褒めるのがうまいんだから」
「間違ってもこんなところで泣くなよ。絶対変な勘違いされるからな」
「ふふっ、そうね。じゃあいっそ大泣きしちゃおうかな」
「おいやめろ」
『学校一の美少女』を泣かせたクズ男として有名になるのは、さすがに勘弁だ。
「冗談はさておいて。私が頑張れたのは、いつも雄飛が支えてくれたからよ。私が完璧な人を演じることに疲れてたときは愚痴を聞いてくれたし、高村君に悪口を言われて傷ついたときは慰めてくれた。それに動画が広まって皆から嫌われちゃったときも、雄飛だけはずっと味方でいてくれた。雄飛がいなかったら私、きっとどこかで心が折れちゃってたと思う。それぐらい、雄飛の存在は大きかった。だから改めて言わせて」
空羽はそこで一呼吸置くと、一点の曇りもない晴れやかな笑顔を作った。
「ありがとう」
「!!」
心臓がドクッと跳ね上がった。見慣れた作り物の笑顔でも、辛さを押し殺した笑顔でもない、純度100%の空羽の笑顔。それはあまりにも美しくて、神秘的で、魅力的だった。
この笑顔を瞳に焼き付けたい。そう思った俺は無意識に目というレンズを見開き、一秒でも長く記録するため、瞬き一つせず見つめ続けた。
ああ、そうだ。俺はずっと、この笑顔を見たかったんだ。そのために俺は、何が何でも空羽を助けようと頑張ったんだ。空羽の純粋な笑顔を見るという目的のために、努力していたのだ。
そしてその努力が今、やっと実った。ついに空羽の笑顔をこの手で引き出せたのだ。俺にとって、これ以上ないほどの喜びだった。
胸の内から、だんだんと嬉しさがこみあげてくる。努力が実るってこんなに嬉しいものなんだな。
「どうかしたの?」
気が付くと、空羽が不思議そうにこちらを見ていた。表情が変わってしまったのは少し残念だったが、俺の心は相変わらず喜びに震えていた。
「いや……」
いつも通りの俺で返事をしようと、一拍置いて気持ちを切り替える。
「俺も、空羽の役に立てて嬉しいよ」
くそ、ダメだ。顔が綻んでしまうのを抑えられなかった。
「……っ!?」
すると突然、空羽の体がビクッと動揺する。何故か顔がだんだんと赤く染まっていき、胸を両手で押さえながら困惑したように目を泳がせる。
「空羽?」
「……えっ!? あ……その。雄飛ってそんな顔するんだ……」
俺から目を逸らして、ボソボソと喋る空羽。そんな顔、か。やはりニヤけてしまったのがバレてしまったらしい。
きっと俺の顔があまりにも気持ち悪くて、驚いてしまったのだろう。不快にさせてしまったことを謝らなければ。
「すまん。表情に出ないよう我慢したんだが、嬉しくてついニヤけてしまった。不快にさせて悪い」
「ふ、不快だなんて思ってないわ。むしろ……」
「西園さん、まだ終わらないのー? 早く行こーよー!」
空羽が何かを言いかけたとき、後ろからクラスメートの声が響いた。
「ずっと待たせてるのも悪いし、早く行った方がいいぞ」
「……うん、分かった。じゃあ、またね」
「おう」
空羽はクラスメートたちの元へ戻ると、わいわいと楽しそうに教室から出て行った。その光景を見て、俺はまた嬉しくなった。
★ ★ ★ ★ ★
日曜日。今日は空羽が家に遊びに来る日だ。俺は彼女が来るのをスマホをいじりながら待っていた。
するとトントン、と部屋のドアがノックされたので、ドアの方に顔を向ける。ガチャリとドアが開かれた先にいたのは、空羽だった……のだが。
「え?」
彼女の姿を見た俺は戸惑いのあまり、思わず声を出してしまった。その理由は、コーディネートに随分と気合が入っていたからだ。
上は柔らかそうな質感の薄いクリーム色のブラウス。下は真っ白でふわふわな膝上くらいまでの長さのスカート。上下ともに女性らしい可愛らしさをこれでもかと醸し出しており、つい魅入ってしまうほど素敵なコーデだ。
服だけでなく、髪型にも気合が入っているのが見て取れた。普段の空羽は真っ直ぐ伸ばしたロングヘアーだが、今日は三つ編みを左肩から降ろしており、その可愛らしい雰囲気が着ている服とマッチしている上、普段の大人っぽいイメージとのギャップもあって、暴力的なまでの魅力を放っていた。
「雄飛。今日の私の格好、どうかな?」
「どうって……凄く気合が入っているな、とは思うが」
俺がそう言うと、空羽はあからさまにしゅん、と落ち込む仕草をした。
「もしかしてこういう格好、あんまり好きじゃない? ……雄飛に可愛いって思って欲しくて、頑張ったつもりなんだけど」
途中から声が小さくなっていったので全部は聞き取れなかったが、俺が空羽の格好を好きかどうか聞かれているのは分かった。
「いや、正直凄く好きだ。とても似合っていると思う」
「ホント? 嘘じゃない?」
「ああ」
「そっか。ふふっ、良かった」
空羽は一気に上機嫌になり、ルンルンと部屋に入ってきて俺の隣に座った。
それにしても、いつもはラフなコーデばかりだったのに、何故今日に限ってこんな気合の入った格好をしてきたのだろうか。別に外に出かける予定は無いはずだが。
「今日もいつものゲームでいいか?」
「うん」
多少戸惑いながらも、いつものように格闘ゲームを起動する。コントローラを空羽に渡し、ディスプレイに向き合うように座ると、右肩から腕にかけてトン、と何かが寄りかかってきたような感触があった。
感触があった方に視線をやると、隣に座っていた空羽が体重を預けるように俺の肩に頭を乗せ、腕を密着させていた。
「おい、何の真似だ」
「んー? ただ雄飛にくっつきたい気分だからくっついてるだけだよ。ダメだった?」
「いや、別にいいけどさ。お前、耳真っ赤だぞ」
「う……。そりゃ、恥ずかしいに決まってるじゃん……。でも、雄飛にドキドキして欲しくて頑張ってみたっていうか……」
また後半の方は声が小さくて聞こえなかった。最近の空羽はだんだんと声が小さくなっていくことが多いな。
というか耳まで真っ赤にする程恥ずかしいならくっつかなきゃいいのに、何故こんなことをするんだ? 俺を動揺させて油断を誘い、ゲームに勝つためか? だとしたら自分が恥ずかしがっていたら本末転倒な気がするが。
今日の空羽は何だか挙動不審だ。
「今日のお前、何かおかしくないか?」
「……まあ、いきなりオシャレしだして、身体をくっつけてきたらおかしいって思うわよね。じゃあもう言っちゃおうかな」
そう呟くと空羽は、そのままの態勢で一度深呼吸をする。
「私、雄飛のこと好きになっちゃったみたいなの」
そして、衝撃の一言を言い放った。
「へ?」
突然の事態に驚きすぎて、間抜けな声を出してしまった。まさか今、空羽に告白されたのか?
「この前助けてくれたお礼を言いに行ったときにね。雄飛が嬉しそうに微笑んでるのを見て、心臓がキュンってなったの。それ以来、雄飛のことが頭から離れなくなって、雄飛のことを考えると胸がきゅーって締め付けられるように苦しくなって。雄飛のこと一人の男の子として好きになっちゃったんだって気付いたんだ」
「そう、なのか」
あのときニヤついてしまったのは覚えているが、気持ち悪がられると思ったら逆に惚れられていたとは。
「ふふっ。雄飛、凄く動揺してる」
「当たり前だろ、いきなり告白されたんだから。空羽が俺なんかを好きになるなんて、これっぽっちも思ってなかったんだ」
「『俺なんか』じゃない。雄飛は優しくて魅力的な男の子だよ。だってどんなときもずっと、私を支え続けてくれたじゃない。人のために行動できる人は、それだけで魅力に溢れてると思う」
俺の言い方が気に入らなかったのか、空羽は少し固い口調で言う。
皆に優しく接し、困っている人に進んで手を差し伸べていた空羽が言うと、説得力があった。確かにそういう人は、魅力的に映る。空羽がそうであったように。
「そんな風に思ってくれてたのか。ありがたいな」
「……雄飛は、私の事どう思ってるの?」
「お、おう」
ここは、空羽に対する思いを嘘偽りなく話すしかない。
「俺も、空羽のことは好きだ。でもそれは一人の女の子として好きなのか、幼馴染として好きなのか、正直自分でもよく分かってないんだ。こんな曖昧な状態じゃなくて、自分の気持ちをしっかり理解してから返事をしたい。だからすまん、もう少しだけ待ってもらえないか」
我ながら何ともはっきりしない返事だ。これでは優柔不断だと呆れられても仕方がないな。
「うん、いいよ。私だって同じだったもん。前から雄飛のことは好きだったけど、その気持ちが恋かどうかは分からなかった。私の場合はきっかけがあったから、自分の気持ちに気付けたけどね」
だが空羽は、そんな煮え切らない俺の返事を好意的に受け入れてくれた。
きっかけ、か。俺も空羽の笑顔を見たとき、心臓が鼓動したのを覚えている。もしかしてあれは、空羽のことを愛しいと思ったから? ……いや、やはり分からない。
いつか空羽のように、これが恋なのだと理解できるときが来るのだろうか。
もしそのときが来たら、今度は俺から思いを伝えるとしよう。
「ただ、一つだけ言ってもいい?」
「何だ?」
空羽は俺から離れると、こちらに向かってニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「待ってるだけなんてつもりはないわよ。たくさんアプローチをして、私のことしか考えられないぐらい好きにさせてやるんだから」
「……っ! よくそんなこと堂々と言えるな……」
「まあね。私は一度やると決めたら目標に向かって全力で努力するから。それは雄飛が一番知ってるでしょ?」
「ああ……そうだな」
今この瞬間から、空羽の目標が皆に好かれることから、俺個人に愛されることに変わった。
これから俺は空羽の努力の凄さを身をもって体感することとなるのだが、それはまた別のお話である。
閲覧ありがとうございました。