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98.いくつかのやるべきこと

 エデルを道中の宿に預け、ルーシャスとナイジャーはこの緑層(りょくそう)での最後の用事を済ませるために、ある場所へとやってきていた。


 建物ばかり派手にゴテゴテと飾り立てた、だだっ広い商工会(ギルド)の事務所である。

 扉の装飾、布張りの床、誰が通るともわからない廊下の調度品、迷いそうになるほどたくさんある応接室。どこもかしこも見栄えばかりを気にした、ずいぶんと羽振りの良い商工会(ギルド)は、これまでの悪行をひと目で示しているかのようだ。


 ここは緑層で幅を利かせている商人ギルドのひとつ――ゲルニッシャー商工会だった。


「関わった人間はこれで全部か?」


 ルーシャスたちが到着するより先に、仲間と協力者たちが彼らを捕らえている。そこには既に無力化され、これから行われるだろうことへの恐怖を滲ませた者たちが床に転がるばかりだった。


「残ってるのは、会長のマニュエル・ゲルニッシャー、あなたの初恋の子を攫った張本人の商隊長、名前は忘れたわ。それからあなたの初恋の子を攫った張本人その二、傭兵のロッズ・メゾーラ以下お仲間六人。これで最後ね」


 赤茶の豊かな髪を三つ編みにして肩に流した女が淡々と告げた。その右手には肘先くらいの長さの杖が握られ、苛立たしげに左の手のひらにピシピシと打ち付けている。


「面倒な役割を任せてすまなかったな、アンリ」


 ルーシャスが軽く詫びると、アンリと呼ばれた女は――実は男なのだが、本人が好んで身体変化魔法で女性体を使うので今も女性の姿をしている――きれいなアーモンドアイをぎらりとルーシャスへ向けた。


「まったくよ。ただの調査に数ヶ月も出たっきりだと思ったら、帰ってきて早々組織ごと潰せってどんな指示? おかげでここ最近ずっと魔力が枯渇しててこの体保つの大変なのよ!」

「じゃあふつうに男に戻っておけば良くない? アンリなら男でも女でもかわいいよ」


 ナイジャーがあっけらかんと口説き文句かと思うようなことを口にするが、彼の見目の美しさにも口の上手さにも慣れきっているアンリは目を吊り上げて怒鳴ったのだった。


「あのね! こっちは緑層でいーっぱいお洋服を買ったばかりなの! 毎日新しいお洋服を着るのを楽しみにしてるんだから! ぜんぶ女性体に合わせて買ってるから男の体じゃ何も楽しめないのよ!!」


 試したいコスメがヘアメイクがなにやらとぶつくさと文句は続いているが、頼んでおいたことはきちんとやってくれたらしい。さすがはルーシャス率いる傭兵団一の魔道士だった。


「だいたい、全員に忘却魔法(・・・・)を施せってどういう魂胆? いくらこいつらが極悪人だったとしても私刑(リンチ)は司法が許さないわよ」


 アンリが踵の高い細い靴先で眼前に転がした男をつつく。


 年齢のわりに、いやに髪のきれいな老齢の男だった。

 この緑層では特に魔力を蓄える髪を大切にし、よほどの相手にしか触らせない文化があるが、それを加味してもずいぶんと己の見栄えに執着心があるように見える。


 男は灰色の目に怯えを滲ませ、唯一自由になる首だけをこちらへ向けた。その視線の先にルーシャスを映した瞬間、脂汗を滲ませながら必死に口を開いたのである。


「お、おまえがこいつらの団長か? はなし、話がある。おまえにとっても悪くない話のはずだ。だからこの拘束を解い……」

「話すことはない」


 ルーシャスはにこりと綺麗に微笑んで黙らせた。


「エディの魔力について知られているとまずいんだ。エディはただ他の人間と同じようにまっすぐに生きていきたいだけだからな。おまえのような欲深い人間に利用されるためにいるんじゃない。誰に脅かされることなく、誰からも排除されず、あいつがいたいと思う場所でしたいと思うことをするために生きている。それを邪魔するやつは俺が取り除く。そう約束したんだ」

「私はトニから聞いただけなんだ! 高く売れる娘がいると……。私は商人だから売れるものは売る、それだけだ。エデル・マーシュロウとは面識もない! ただ手配しただけで……」

「見苦しいわねえ。商工会長なら会長らしく会員の人間が起こした責任くらい取りなさいよ。――もっとも、ルースの初恋の子の件がなくっても、あんたたち全員一生豚箱でしょうけど」


 ゲルニッシャー商工会には、獣魔(じゅうま)の違法売買の件のほかにも余罪がボロボロと暴かれている。その責任者たる眼前の男、マニュエル・ゲルニッシャーが罪を逃れられるはずもないのだ。

 アンリが息をつくと、横からナイジャーがのんびりと頓珍漢なことを尋ねた。


「トニって誰?」

「あなた報告書見てないの? レテ村の村長さんよ。今さっき別の部屋であなたのお姉さんが……ああ、ほら出てきた」


 数ある扉の中からひとつが開かれ、そこから黒髪のきれいな女が出てきた。

 ミューリアである。彼女は白い顔にいささか疲れを滲ませた表情をしていたが、ナイジャーたちに気づくとたおやかに微笑んでみせたのだった。


「しばらくぶりね、ナイ。元気にしていた?」

「姉さん、遠くからわざわざ呼びつけて悪いな。忘却魔法ができる人が他にいなくて」

「あなたたちの無理難題を聞いて素直に忘却魔法を使ってくれて、なおかつエディのことがバレても問題ない人間が、でしょう」

「そのとーり」


 ナイジャーがからりと笑うと、ルーシャスも険しい顔を引っ込めてミューリアに挨拶した。


「遠路はるばるありがとう。礼は改めてする。残りは彼らだけか?」

「ルーシャスもお疲れ様。お礼はあなたたちが発つ前にエディに会わせてくれたら良いわ。――あなたの注文通りふたりだけ残してるわよ。赤い髪の女性と、白い髪の男の子、で良かったかしら」


 ルーシャスは破顔した。


「十分だ。ありがとう。――あとはここの人間だけだ。うちのアンリと一緒に頼めるか」

「本当に人使いが荒いわね。さすがに魔力が枯渇しそう」

「休憩を挟むか?」

「いいえ、今済ませてしまうわ。忘却魔法を受けた人間はあまり見たくないものだもの」

「まったくよ」


 アンリも同調して肩をすくめる。


 忘却魔法はすべてを忘れる魔法だ。これまで見たこと、聞いたことはもちろん、友人、恋人、家族、自分の名前――なにもかもをなくしてしまう。忘却魔法を受けた人間は自分自身が何者かであるかも忘れ、自我を失い、ただそこに在る(・・)だけになる。物言わず、認識もせず、生きるための本能さえ捨て去り、死を待つ抜け殻となるのだ。


 忘却魔法を受けた者の姿は死体よりも見苦しい。精神の死を迎える、などとも言われるが、その非道な性質から、死刑と並んでもっとも重い刑罰にも使われる。

 それが、忘却罪と呼ばれるものである。


 本来ならその国の司法に則って下される刑罰だが、それを今、ルーシャスは個人の判断で行おうとしている。

 この忘却魔法を用いること自体、魔法で人を殺すのと同様重罪とされている。だが、ルーシャスも、そして彼に賛同する者たちも、ここにいる者たちは誰ひとりとして清廉潔白でなどありはしない。

 己の大切な人を――エデルを守るためならば、その存在がこの悪党たちの口から公に広まる危険性があるのなら、その可能性の芽を摘んでおく。そのために、彼らは罪に手を染める覚悟があった。


「すまなかったな」


 ミューリアによって忘却魔法が施されたレテ村の村長を片付けながら、ルーシャスはナイジャーに謝罪した。


「なにが?」

「ミューリアを巻き込むことになった。さすがに人数が多かったからアンリひとりでは手に余ったし、彼女ならエディのことも知っているから任せるにはうってつけだとは思ったが……」


 ナイジャーは今更すぎるルーシャスの罪悪感を鼻で笑い飛ばしたのだった。


「俺ら、もともと黒層の浮浪児だぜ。これまで清廉潔白に生きてこられたと思うか?」

「いや」


 それだけは断言できる。生きるために必死だった者たちは、多かれ少なかれ社会の枠を逸脱している。仕方がなかったと開き直るつもりはない。だが、そうしなければ生きてはいけなかった。


 自分たちの人生には多少の瑕疵がある。それをわかった上で、罪を共有している。そして墓場まで持って行くつもりだ。

 やはり、なにもかもを飲み込んで、それでも肩を並べて立っていられる彼こそが、自身の相棒だと思わされてならないのだった。

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