97.ルーシャスの懺悔
「しかし、隠居先にギレニア山中のあんな辺境を選ぶとはな……。レテ村といえば、小国クィアーナの自治区のひとつじゃなかったか? フィルセン王国との国境沿いだが、国境とされているカルネーツ山北東方面はかなり険しい未踏の地扱いだったと思うが」
「その一番端っこの集落なんだよ。国境だけど、両国とも翼竜で部隊を作れるほどの国力はなくて大きく迂回するしかないから、フィルセン王国との衝突区域にもならなくて面倒がなくて良い、っておとうさんが」
ルーシャスは胡乱げな顔になった。
「いや、単純に世間からおまえを隠したかっただけだと思うがな……」
――特に俺から、とは、懸命にも口にしないでおいた。
改めて、ルーシャスは息をつく。
結局、エデルの存在は意図的に隠されていたのだ。道理で白々層から黒層まで文字通り世界中を探し回っても見つからなかったはずである。もちろん、各階層前人未到の地まで踏み入って探せたわけではないが、思い当たる場所やそれらしき情報を得たところはすべて探したのである。
その東奔西走のおかげで黒層ではナイジャーと出会い、他の階層でもおもしろい仲間と出会ったり、縁を結べたから、無駄ではなかったのだが。
「……俺は、諦めていたんだ」
唐突なルーシャスの独白に、エデルははっとするような碧い目をぱちくりと瞬いた。
「大人になったら――成人したらおまえを迎えに行くと約束しただろう。その約束を勝手に諦めたんだ」
「わたしなんて忘れてたんだから、おあいこだよ」
エデルは苦笑するが、ルーシャスは首を振る。
「俺がアドラスの傭兵団を離れて独り立ちしたのは十七のときだったんだが。独り立ちして、まず初めにエディを迎えに行くつもりだった。そのときにもアドラスに言われたんだ。〝おまえはエデルに執着しすぎだ〟とな」
「わたしに……? ルースが?」
逆じゃないのか、と首をかしげられ、ルーシャスはほろ苦く笑う。
エデルはまだ気づいていない。己がどれほど彼女に傾倒しているか。
「エディが生きる指針になりすぎているとも言われたな。もっと世界を知れと怒られた。だがお構いなしに出奔したんだ。俺にとっては、本当におまえさえいれば他はどうでも良かったんだから」
「…………」
「結局どこを探しても見つからず、唯一オルドーとつながりがありそうなアドラスはだんまりと来た。その頃にはおまえを探し回ったおかげでナイジャーや他の仲間にも出会って、俺の世界はおまえだけじゃなくなっていたんだ。だから、きっとエデルはオルドーと仲良く幸せに暮らしているのだろうと自身を納得させて忘れようと逃げ出した。エディには、自分の魔力体質と向き合って生きていく他に逃げ道なんてなかったのに」
だから思いがけずエデルを見つけたとき、諦めていた自分を恥じる気持ちが強かった。それもまた、ルーシャスが名乗り出ることが出来なかった理由のひとつでもあったのだ。
「そんなこと……気にしなくて良いのに」
エデルは眉を下げた。
エデルこそ、あれだけ大好きだったルウのことを十年以上も忘れていたのだ。薄情なのはどちらなのか、考えずとも明らかである。
彼女はそう言うが、ルーシャスの気持ちがそれでは済まない。
ルーシャスは珍しく弱ったような顔でエデルを見やる。その金の目は揺らぎ、懇願するようにも見えた。
「最初の約束を覚えているか。おまえをコトラド島のアドラスのもとへ送ると言った……」
「う、うん。おとうさんの手紙を渡さなきゃならないし……」
「今後、もちろんアドラスのもとへは送り届ける。彼は今確かにコトラド島で隠居しているんだが、俺の船なら直接行ける。何ヶ月もかけて旅をする必要はない」
エデルは「そうか」とうなずく。
「ルースにとっては実家みたいなものだよね。なんか、そう考えると恥ずかしいなあ。すごい大冒険みたいなつもりでアドラスのところに送ってほしいって言ったんだけど、ルースにしてみれば実家に寄ってくれない? って言われてるのと一緒だったよね」
エデルにとっては、階層を越えることなど未知の世界だった。それこそ、異世界にでも行くような決意で頼み込んだのだが、なんのことはない。行き先はルーシャスの故郷とも言える場所なのだ。それを偶然にも出会った〝自由戦士〟に頼み込んだつもりだったのだから、縁というのは奇なるものである。
「いやそれは、あの時点で明かさなかったんだから俺も悪いんだが」
どうにも歯切れの悪いルーシャスが、片手で顔を覆って息をつく。
彼をしてここまで悩ませるものがなんなのか、エデルは不思議に思って首をかしげた。
「アドラスはきっとエディを歓迎するだろう。……だが、そのあと。会って無事に手紙を渡したあとのことだ。――俺と一緒に世界を旅しないか」
「…………」
エデルは咄嗟に答えを返せなかった。
ルーシャスのそばにいるとは約束したが、それが具体的にどんな人生になるのかまでは想像していなかったのである。
――世界を旅する。それはとても壮大で夢があって、けれども途方もない大きなもののように思えた。
エデルが――ふつうに生きていくことさえままならないエデルが、そんな自由で楽しそうな人生を選んでも良いのだろうか。
考え出すと立ちはだかる壁は大きくて、即答できなかった。
ルーシャスはそれを迷いと取ったらしい。目に見えて狼狽え、金の目をおろおろと彷徨わせたのである。
「ああ、いや。行きたくないのなら良いんだ。アドラスのもとにいてくれればいつでも会いに行ける。あの島は本当に隠居するためのような場所でなにもないが、アドラスはオルドーほどじゃないにしても魔力に対する知識もあるし、エディが暮らしていくのに困るようなことはないはずだ。だが……俺の仲間にも優秀な魔道士がいる。オルドーほどの魔道士がおまえの魔力指導には匙を投げたんだから、一筋縄じゃいかないのはわかっている。だけど、そのまま魔力を扱えないでこの先の長い人生を過ごすわけには行かないだろう? それをどうにかできるように魔力の勉強をしながら一緒に世界を旅して行かないか」
「……でもそれって、ルースの仲間に迷惑が、」
「俺の仲間なんだ。難しくとも引き受けてくれる」
言い切って、ルーシャスは真剣な目をエデルへと向ける。
「……エディ、もう知っているかもしれないが、魔力操作ができないと、それが当たり前にできる人よりも寿命はかなり短くなる。現状、無意識レベルで常に魔力操作をしている俺やナイジャーと、それができていないおまえとでは、寿命は倍くらい違うんだ。……俺にはそれが耐えられない」
エデルは口を開きかけてから一度つぐみ、それからゆっくりとうなずいた。
「……うん。その話は、おとうさんに聞いてる。でもそれで良いと思ってたんだ。おとうさんはそれより早く逝くし、ひとりの時間は短いほうが良いやって。でも」
でも、ルーシャスに出会ってしまった。だからこそ、今、魔力の問題についてどうにかならないかと考え始めていた。普通の人の半分の寿命で死んでいくのでは、惜しくなってしまったのだ。
ルーシャスも痛みを堪えるようにうなずいた。
魔力操作ができないと生命維持ができない。今回の件でだって、怪我や病気の治療もままならないエデルは何度もルーシャスたちに苦労をかけた。彼とともに生きていくのならそれも克服したい。
「どうにかして魔力操作ができるようにならないかなって思ってたんだ。思ってるだけで、具体的な案なんてなにもなかったけど……」
「そう。だから、せめて魔力循環だけでもできるようになってほしいんだ。というより、できるように俺たちがなんとかする。魔道士の仲間もいるし、知り合いもたくさんいる。みんなで知恵を出し合えばきっとエディにも合った魔力操作のやり方が見つかる。……だから、アドラスのもとに行ったあとも俺と一緒に旅をしないか。いろんな人に出出会えばきっと同じような境遇の人も見つかるかもしれない。解決策を知っている人もいるかもしれない。世界には可能性があるんだ」
それはとても魅力的な誘いだ。けれどもエデルの中に巣食う恐怖心が二の足を踏む。
そのひとつひとつを、エデルは素直に口にした。ルーシャスにはそうして良いと、もう心の底からわかっていた。
「……きっといろんな人に迷惑をかけちゃうよ」
「迷惑だとは思わないさ。特にうちの連中はな。エディのような特異体質の人間に出会ったら興味津々で解明にかかるぞ」
「魔鉱石は壊すし、できることは幼児以下だよ」
「魔鉱石を壊すくらいで怒るヤツはうちにはいない。それに、そもそも魔鉱石はあまり使わないんだ」
青層以上では、ふつうの魔鉱石はあまり使われない。緑魔鉱石以上の、より多く魔力を溜められる石が主流なのだ。
「だからよほどのことがない限りエディでも壊さないさ」
「……そっか」
あとは、心配事はなにがあるだろう。
考え込むと、ルーシャスがいたずらっぽく笑った。
「他にもっと俺を困らせるような言い訳を考えているのか? 無駄だぞ。どんな無理難題でも絶対に引き受けるからな」
ルーシャスは形の良い唇を引き上げる。
「昔、アドラスとオルドーは俺が大人になればエディの面倒を見ても良いと言ったよな。ならば今こそそのときなんだ。なんでも言ってみろ。悩みは全部引き受ける。やりたいことも全部叶えてやる。――俺はもう、大人になったからな」
確かに昔、アドラスとオルドーはそう言って、子どもだったルーシャスにエデルとともに暮らすことを諦めさせた。
しかし大人になった今、彼はあのときよりもずっと子どもらしいいたずらっぽい笑みを浮かべている。
そのチグハグな様子がおかしくて、エデルはついにくすくすと声を上げて笑い始めたのだった。
「――わたし、魔法が使えるようになりたい」
「うん。他には?」
「ルースと一緒に生きていきたい。同じ時間を生きて、同じように年を取りたい」
うん、とルーシャスは満足そうにうなずいた。
「もちろん、そのために全力を尽くそう」




