96.これから先
「――思い出してほしい気持ちはあったが、別に一生思い出さなかったとしても、俺はどちらでも良かったんだ」
「そうなの?」
せっかくルーシャスが入れてくれたお茶がすっかり冷たくなり、それでも泣いてほてった身体を冷やすには丁度良いと飲むほどに落ち着いた頃、彼はそんなことを言い出した。
ルーシャスはエデルと出会ったときにはもう、彼女が幼少期を一緒に過ごした子どもだと気づいていたのだそうだ。それなのに初対面のふりをして今まで過ごしてきた理由を、ルーシャスは決まり悪そうに語った。
「忘れてたっていうか、ただ気づいてなかっただけって可能性もあったのに」
「最初はそうも考えたけどな。だがおまえ、アドラスを知らない人のように語っただろう。あれで確信したんだ。覚えていないと」
「ああ……」
そういえば、最初の約束がちゃんとあったのだ、と思い出す。
これまでがいろいろありすぎて、ルーシャスとナイジャーがエデルと行動をともにした理由などすっかり忘却の彼方に追いやっていた。
「そう言われると、おとうさんはあんまり一緒に暮らす前のことを話したがらなかったような気がするなあ。アドラスのことを教えてくれたのも本当に亡くなる直前だったし」
「エディは幼かったし、成長すれば当時の記憶を忘れていくのも自然なことだろう。特におまえの場合、生きるのに必死すぎて日々の出来事を記憶していくほど脳みそを回せなかったんじゃないか? それが良い思い出なら、おまえが忘れていようが話でもして懐かしんだだろうが、誰がどう見てもおまえは〝可哀想な子ども〟だったからな。忘れてしまうほうが良いとオルドーは考えたんだろう」
しみじみと言いながら足を組むルーシャスを前に、エデルは腕を組んだ。
「結局魔法についてもほとんど教えてもらえなかったなあ。絶対に使うな! ってそればっかりで。なんで使っちゃいけないのかとか、理論とか、そのくらいは教えてくれてても良かった気がするんだけど」
養父のオルドー・マーシュロウは、エデルに魔力の扱い方を指導する名目で引き取ったはずだが、結局はそのほとんどは伝授されなかった。
オルドーに引き取られてからのエデルの暮らしは、村で魔鉱石採掘人となった養父にくっついて日々採掘現場に出かけていって、採掘そのものではなく護衛の仕事をする養父と一緒に山歩きをすることだった。
オルドーはアドラスの傭兵団で培った知識や魔道士としての実力を買われ、採掘した魔鉱石を狙う獣魔たちや、ときどき現れる盗賊などの被害から採掘人を護衛する仕事に従事していたのだ。だから毎日魔鉱石採掘現場には赴いたが、ほとんどはオルドーひとりで辺りを巡回し、採掘する村人たちに危険が迫ることのないよう見回りをしていたのである。
オルドーはその仕事に幼いエデルを連れて行った。
わざわざ危険な仕事に幼い子どもを連れて行った理由は、本人が亡くなっている以上もう推測することしかできないが、エデルもルーシャスもなんとなくわかっている。
いくら日中村には女たちが残っているとはいえ、エデルの特殊な事情を思えば任せることはできなかったのだろうし、彼ほどの実力のある魔道士ならば、子どもを抱えて獣魔から身を守るくらいは訳無いことだったのだ。
そうしてエデルは、獣魔や獣を観察して付き合い方を覚え、食料にできる獣の捕り方やさばき方を指導され、採れる山菜の見分け方や魚の釣り方などを徹底して教えられたのである。
特に獣魔に無差別に懐かれやすいエデルは、少しでも目を離すと、オルドーでも近づけない強い獣魔とあっという間に仲良くなっているものだから、獣魔の名前と特徴はよくよく叩き込まれたように思う。
家に帰れば村の女たちに混じって炊事などの家のことを教えてもらい、その過程で魔鉱石を壊してこっぴどく叱られ、嫌われた。それでもオルドーがいたときには、「オルドーの娘だから」と容認されていた。エデルが魔鉱石を壊しても、次の日にはオルドーが村に必要な分だけの新しい魔鉱石を採ってきたから、誰もが文句を引っ込めていたのだ。
オルドーが床に伏せるまでの十年、エデルは毎日ずっとオルドーと一緒だった。
穏やかで物知りでなオルドーは出会ったときには既に老齢だったが、エデルにとっては良き父だったのだ。エデルの子どもらしい疑問にはなんでも答えてくれたし、覚えなければならないたくさんのことを根気強く教えてくれた。疲れたら抱っこをねだったこともあるし、山歩きではそこそこ大きくなるまで手をつないでいたように思う。
オルドーとともに過ごしたレテ村での毎日は、倹しくも穏やかで幸せな毎日だったのである。
だが、村人との関係だけは難しかった。エデルと村人はいつでもオルドーの橋渡しの上でぎりぎり縁がつながっていた。その彼が亡くなったから、村の人からの当たりは当然強くなる。
その頃にはエデル自身も魔鉱石に近づかず、彼らの大切な資源を破壊してしまうことこそなかったものの、村全体で提供し合う魔力をエデルだけが差し出すこともできず、生活をしていく上で消費するばかりだった。村のような小さな集落では、魔力を供給できない人間は嫌われるのである。
だから村長に手を差し伸べられたときは、本当に安堵したのである。
村の代表者たる村長がエデルの味方をするのなら、村の人からの風当たりも多少は落ち着くと思ったからだ。
結果は残念だったが、今はもう、村長のことで落ち込むこともない。それがあったからこそルーシャスとも再会することができたからだ。
「魔力についても、オルドーは指導する目的でおまえを引き取ったが、結局教えられなかったんだろうな。先日〝深淵の館〟で魔力酔いを起こしたのを見ればわかる」
「うん……」
正直、魔法を使えないのは残念に思う。
エデルは漠然と、この魔力の扱いの難しさをいつかは克服し、他の人と同じように暮らして行くのだと思いこんでいたからだ。
ルーシャスに再会する前なら、魔法が使えなくたって良いと思っていた。けれど、今はそれでは満足できない。
これから先、この問題について解決策を探していかなくてはならない。
きっと困難な道になる。それでも、エデルは以前のように諦めきったり、絶望してはいなかった。
ルーシャスが隣にいる。だったらきっと、なんとかなる。そう思えるのだ。




