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95.荷を降ろす

 救出されたときこそ疲弊していてすっかり忘れていたが、元気になってくると余計な思考も挟まってくる。

 ルーシャスに仲間がたくさんいたことには驚いていたが、実のところ、エデルはそれよりももっと深刻な問題にかかりきりで、新しい知り合いが増えたとか、その彼らが信用できる人なのかとか、考えている余裕はなかったのだ。


 ――エデルが魔力を供給していた緑魔鉱石(りょくまこうせき)が巡り巡って獣魔(じゅうま)の違法売買組織に買われ、違法に捕らえたり飼育するのに使われていた件について、きっとこれから真実が明らかにされる。そのとき、エデルはどうなってしまうのだろう。


 ようやく自分を振り返る余裕ができて思い出したが、シーファに誘拐される直前、そのことをルーシャスに打ち明けるつもりでいたのだ。しかし救出されてからはそんな話をする雰囲気でもなくて、未だに誰にも言えずにいる。

 日に何度も慌ただしくエデルの様子を見に来てくれたルーシャスから聞いた話では、まず捕らえたロッズたちから違法売買組織について話を聞き出し、その情報とナイジャーが調査した内容を合わせて青層(せいそう)の依頼主に報告した、ということだった。


 違法売買に携わった組織は特定され、既に一網打尽にされたか、近日中に捕らえられるか。そこまでの詳しい話はわからないが、とにかく、内情は詳らかにされつつあると聞いていた。

 だとしたら、もうすぐエデルのことも明らかになるだろう。そのとき自分はどうしたら良いのか。誰に何をどう打ち明ければ誠実にあれるのか。


 ずっと考えていたものだから、ナイジャーと話し合いをしていたらしいルーシャスが部屋に入ってきたことにもしばらく気づかないありさまだったのだ。


「エディ」


 声を掛けられ、エデルは驚いて振り返る。いつもと変わらないルーシャスがふたり分のマグカップを持ってそこにいた。


「ルース、おかえり。仲間の人は? もう良いの?」


 あちこちに挨拶していたり、指示を出したり、なにか作業をしに行っていたりと毎日忙しくしていたはずである。こんな時間にお茶まで入れてやってくるほど時間ができたのかと首をかしげると、ルーシャスは金の目を和らげて椅子に腰掛ける。


「仕事はあらかた片付いたよ。……その、仲間のことだけどな」

「うん」

「エディが嫌なら無理に会わなくても良いんだ。いきなりたくさん来てびっくりしただろう。俺の仲間だし、俺はあいつらが気の良いやつらだとわかってるからなにも考えなかったが、おまえにとってはみんな初対面の知らないやつらだもんな。配慮が足りなかった。すまない」


 エデルはぱちくりと瞬いた。突然なんの話だろうと首をかしげてルーシャスを見やると、ルーシャスもなにやら気まずげな顔で眉を下げる。


「最近、部屋の外にもあまり出ていないだろう。知らない人間が出入りするから警戒しているんじゃないかと……。ナイにも今、おまえが妙に静かで落ちこんでるんじゃないかと言われたばかりで」


 なるほど、とエデルはうなずいてから、ちょっと苦笑いした。

 ルーシャスの心配はあながち見当外れというわけでもない。

 エデルは確かに、見知らぬ人に対して心を開けずにいた。養父が亡くなってから信用していた村長に手ひどく裏切られ、そのあとに出会ったルーシャスたちのことでさえなかなか信じきれずに苦心していたところ、ロッズたちに誘拐されたのである。


 エデルの捜索依頼は既に取り下げられ、その依頼を出していた商工会と、もともとエデルを誘拐しようとしていた商人たちは既に捕らえられたと聞いている。だが、今でも知らない人――特に大人は怖い。ふたたび慣れるまでにはしばらく時間がかかりそうだ。


 とはいえ、エデル自身はそのことについてあまり深刻に考えてはいなかった。

 ロッズたちに誘拐されたとき、信じきれない自分と戦いながらも、ルーシャスが迎えに来てくれるはずだと最後まで信じ切った自分のことを、少しだけ誇らしく思っているからだ。

 信じ抜いたエデルに応えるように、見事に助け出してくれたルーシャスに感謝もしている。

 だから、彼の仲間のことは驚きや戸惑いはありつつも、別段忌避しているわけではない。


 エデルが考え込んでいたのはそのことではないのだ。


 ――そう、今。打ち明けるなら、今ではないだろうか。

 不意に思いついて、エデルの心臓がいやに早鐘を打った。


 どういう反応をされるか怖い。けれど、エデルはルーシャスを知っている。この数ヶ月一緒に過ごしてきた彼のことだけでなく、幼いときともに過ごした間のことも思い出した。そのエデルが知っている彼なら、きっと、悪いようにはしないはずだ。


 エデルはぐっと唇を噛みしめる。言葉にするのに、声より先に心臓がまろび出そうなほど緊張した。


「別に、知らない人がいっぱいいて遠慮してたわけじゃないの。確かにみんな忙しそうだったから、なるべく部屋にいるようにはしてたけど……。落ちこんでる、つもりはなかったけど、考えてたのはそうじゃなくて」

「うん」


 口の中がからからに渇く。でも、ルーシャスなら、ルウなら、きっと。


「あの……あのね。わたし、ルースと会う前に誘拐されてたでしょ? そこでね、緑魔鉱石に魔力を溜めるように言われてたの。そのときはなにも考えてなくて……。でもそれが、あの倉庫に調査に行ったときにあったの。緑魔鉱石がいっぱい……間違いなくわたしが溜めた魔力だった。もしかしてって思ったけど、シーファにも話を聞いてみたら、やっぱり、わたしが魔力を溜めた緑魔鉱石が獣魔を違法に捕まえるのに使われてたって……。――わたしのせいでこんな大きな犯罪が行われてたんだよね? どうしよう。わたし……わたしのせいで……」

「……エディ」

「わたし、どんな罰を受けることになるのかな? 忘却罪? 忘却罪って、なにもかも忘れちゃうんでしょう? その前に罪を償うにはどうしたらいい? 誰に謝れば良い?」

「エディ」


 言葉にすると、だんだんと自分の犯した罪の重さがのしかかってくる。焦燥感と恐怖で目の前がざわざわと黒くなり、ぐらぐらと揺れるような感覚に襲われた。


 きん、と耳鳴りがする。なにもかもが遠くなる。

 せっかくルーシャスに助けてもらったのに、自分はこれから罪を償うためだけに生きるのだろうか。


「エディ!」


 思ったより近くで名を呼ばれ、エデルは思考の渦からはっと瞬いた。

 エデルの小さな両肩を掴んだルーシャスがこちらを覗き込んでいる。その金の目に、侮蔑や嫌悪はない。あるのは、包み込むような労りだけだ。


「おまえ、いつからそれを気にしていた?」

「……倉庫で……わたしの緑魔鉱石があったときに……」

「どうしてもっと早く言わなかった。――いや、言わせなかったのは俺か」


 ため息交じりの、しかし後悔を滲ませた問いかけにエデルは緩慢に首を振る。

 ルーシャスのせいではない。エデルに勇気がなかったから、もっと誠実にあろうと努力しなかったから、言えなかった。臆病だったのだ。


 そのようなことをぽつぽつと口にすれば、ルーシャスは大仰に首を振ったのだった。


「そんなわけないだろう。――エディ。よく聞け。たとえあの組織におまえの魔力を悪用されていたとしても、おまえは被害者だ。なにも知らなかったし、その力を利用しようとした連中に裏切られて売られかけたんだ。犯罪に加担した側であるはずがない。エディはなにも悪くないんだ」

「でも」

「おまえは村長に騙されて、商人に誘拐されて、その中で緑魔鉱石に魔力を溜めるように強要されていた。たとえそれがこんな犯罪に使われると先に知っていたとして、どうして断ることができた? できないだろう。反抗したらなにをされるかわかったもんじゃない」

「…………」

「だからおまえは被害者なんだ。気に病む必要はない。誰もエディを責めたりしない」

「……ほんと?」

「本当だ。……そうか、ずっとそのことを考えていたのか。もっと早く気づいてやれれば良かったな」


 気にしなくて良い、大丈夫だともう一度繰り返すルーシャスの金の目にうそはない。


「たくさん大変な思いをしたな。……もう大丈夫だ」


 ぎゅう、と喉が鳴る。悲しいとか、寂しいとか、そういうわけでもないのに、どうしてもこみ上げるものが押さえきれない。

 ずっと胸の奥に支えていたものが霧散するような、肩にのしかかっていたものが取り払われたような、苦しさから解放された心地だった。清々しささえあるのに、どうしてか涙が出てくる。


 ほろりと涙がこぼれた瞬間、ルーシャスは「ああ」と息をついてエデルの小さな身体をぎゅっと抱きしめたのだった。いつか、幼いときに別れたときと同じように、苦しいくらいに、でもひとつの隙間なくエデルの心を満たすように。


「ルウー……」

「大変だったなぁ、エディ」


 しかし苦笑を滲ませたルーシャスがやや首をかしげた。


「ん? 今、ルウって言ったか? おまえ」

「ん……」

「思い出したのか?」


 ぼろぼろと涙をこぼしながらエデルはうなずいた。そういえば、言っていなかったなと思考の片隅で考えながらも、もう言葉にする気力もない。ルーシャスならそれでも許してくれる。どこかそんな甘えがあった。

 一度身体を離してエデルを見やり、驚いたように金の目を丸くしたルーシャスだったが、それもやるせなさと嬉しさの間のような顔になる。


「……そうか。辛い記憶を思い出させてすまない」


 エデルは首を振る。あの頃の記憶は、エデルにとって、辛いとか、大変だとか、そういう感情はもたらさない。


 とにかく毎日を生きることに必死だった。それこそ感情を挟む隙もないくらい、ただただその日を生き延びるので精一杯だった。そんなぎりぎりの毎日の中にルウがいてくれたことは、幼いエデルにとっては何よりの幸福だったのだ。

 ルウに頼って甘えて許されていた日々は遠く、けれども愛おしい。


 あの頃よりずっと大人になった。今はもう子どもではないが、それでも、またそばにいて、頼りになってくれたことが嬉しかった。

 エデルが覚えていなくても、ルーシャスはずっとエデルに寄り添ってくれていた。それだけで、生き抜いてきた幼い日々は無駄じゃなかったと思える。十分だった。


「でも、思い出してくれて嬉しいよ。迎えに行くのが遅くなってすまない。これからはもう独りにしないから、またそばにいてくれないか」


 エデルは顔を上げる。


 そばにいてほしいと願うのは、エデルだけじゃないのか。

 大きな目を瞬くと、涙が弾けた。


「そばにいて良いの? 邪魔じゃない?」

「邪魔なものか。俺が、おまえにそばにいてほしいんだ。本当に笑いたいときに笑って、笑いたくないときは笑わなくて良い。泣きたいときは泣いて良いんだ。おまえがわがままを言っても怒らないし、俺はおまえを嫌わない。俺は、おまえが何も気負わず素直に笑ったり泣いたりできる場所になりたいんだ」


 少し止まりかけていた涙がまたこぼれる。いつかのようにわあわあと声を上げて泣いても、ルーシャスは慰めるように抱きしめるだけで泣き止めとも言わなかった。


 かつて、感情を吐露するだけで母親に鬱陶しがられ、泣いては殴られた痛みと寂しさと悲しさが、涙と一緒になって流れていく。

 あの日、あの時代、誰からも愛されず、生きるために子どもらしい感情を隠さざるを得なかった小さなエデルが、許された。

 そのことを、ようやく心の底から理解したのだった。

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