93.《回想 12》ルウとエデル
アドラスに引き取られて順調に見えたルウだったが、ガルスルの知らないところでこちらも一悶着あった。
自身の傭兵団に入らないかとルウを誘ったアドラスに、ルウは傭兵団に入る条件として、エデルも一緒に引き取ってくれと頼んでいたのだ。
なぜエデルだけ、とアドラスは首をかしげたし、一番幼いエデルだけを特別扱いはできないと考えていたが、実際に彼女を見て納得した。
あの、尋常でない魔力量。
あれは確かに、ふつうの孤児院には置いておけない。かといってアドラスたちの傭兵団が引き取るわけにもいかなかった。
ルウ自身は既に十三になっていて、きちんと教育を受けてきた形跡もあり、下働きとして引き入れるのは問題ない。だが、エデルはまだ六歳か七歳だ。生まれてからろくな大人に恵まれなかったのか、彼女の発育を見る限りではもっと低年齢に思える。
アドラスは孤児を捨て置かない方針だが、しかしだからといって、自分自身が軽率に子どもを引き取ろうとは考えていなかった。傭兵団はあくまで傭兵が本業であり、子育てをする場ではないからだ。エデルにとっても良い環境とは言えなかった。
だからエデルは、魔道士であり、既に傭兵団を離れることが決まっていたオルドー・マーシュロウが引き取ることになったのだが、これに対してルウが異を唱えたのである。
「話が違う!」
ようやくエデルが走り回れるほどに回復した頃、アドラスとオルドーからそう打ち明けられて、ルウは思わず叫んだ。
「だがなあ、ルウ。あの子の魔力量はふつうじゃない。魔力のあり方もだな。まだ小さいから詳しく検査するのも難しいし、どう教育していくかも手探りなんだ。せめて魔道士のオルドーが面倒を見るなりしないと、まだこの間みたいに魔法の発動で暴走して身を滅ぼしかねないんだぞ」
「だから一緒にこの傭兵団に置いてくれと頼んだんだろ。エディは危なっかしいし、俺がいなきゃ夜も眠れないんだ。俺が面倒を見てやらなきゃ……」
「エディもおまえもお互いのことを大好きなのはわかってるよ。だが、おまえだってまだ子どもなんだ。エディの親代わりになってやる必要はないんだよ」
頑なにエデルには自分が必要だと主張するルウに、アドラスは眉を下げるしかなかった。
きっと、共依存のような関係なのだろう。
子ども同士なのだ。
エデルに全面的に信頼されて頼られたルウは、自分こそがエデルを守らなければと使命感を抱いているし、エデルはエデルで頼れる相手がルウしかいなかった。
だが、これからはお互いだけが世界のすべてではないのだ。ふたりともたくさんの人に出会い、それぞれの人生を歩んでいく。まだ子どもだからこそ、ふたりだけの世界で終わってはいけない。
そのためにも、ルウにはルウの、エデルにはエデルの最善の環境を整えようと思うと、どうしてもふたりは離れ離れになる。なんとか理解してもらいたかったが、今の彼に納得してもらうのは難しいように思えた。
「エディがそばにいないのなら、俺はもうこんなクソみたいな世界で生きていきたいとも思わない」
それどころか、ルウは尋常でない様子でこんなことまで口走る有り様なのである。
なにやら事情を抱えた子どもだとは思っていたが、このときアドラスははっきりと認識した。おそらく、依存しているのはエデルよりもルウのほうなのだろうと。
これは今のうちに矯正しないと、のちのち厄介なことになりそうだ。アドラスとオルドーは急いで話し合い、ふたりの説得にかかったのだった。
「――あのな、ルウ。エデルはここには置いておけない。エデルはまだ小さいんだ。どこか落ち着いた場所で、きちんと面倒を見られる大人がゆっくり向き合ってやらなきゃならない。その上、あの魔力量だ。魔力や魔法について詳しい人間じゃなきゃとてもじゃないが預けられない。エデルの命に関わる。これはわかるな?」
オルドーが穏やかな声で滔々と説明する。だが、ルウはめげなかった。
「だからここに置いてくれれば俺が面倒を見る。俺がエディを誰よりも優先する。それじゃあいけないか?」
「だめだな。おまえにはおまえのやることがある。なぜならおまえ自身がまだ子どもだからだ。おまえにはエデルは預けられない」
「……そんなこと」
「うちはみんな子どもに対してやさしいが、それでもエデルの親代わりになることが本業じゃない。依頼があれば仕事に行かなきゃならんし、短期間で拠点も変える。エデルを最優先にはできないんだ。だけど、これからのエデルにはエデルを一番優先してくれる環境が必要なんだよ。なにがあってもエデルのことを一番に考えてくれる絶対的な庇護者が必要なんだ。……その役目を俺が負う。幸い、俺はこの依頼を最後にこの傭兵団を離れることが決まっていたし、こいつらの中でなら魔法の扱いは一番だ。自分で言うのもなんだけどね。――俺には預けられないか?」
ルウは金色の目をひたとオルドーに向けた。この子どもの目は不思議な力がある。
大人でさえまっすぐに見つめられると、心の内側まで暴かれるようで落ち着かない気持ちにさせられるのだ。
この子どもには力がある。知恵もある。きちんと正しく導けば、きっと大成する。他の者を率いて行くだけの魅力を感じさせた。
だからこそ、この子どもの未来もまた、エデルと同じように潰されることがあってはならないのだ。より小さな子どものお守りをさせて、貴重な成長期を浪費させることなど論外だった。
ルウは瞬く。その色に、ようやく納得の色が見え始めた。向き合っていたオルドーと見守っていたアドラスはほっと胸を撫で下ろしたものだった。
「エディの魔力について教育するならオルドーが良いと思う。……だけど、俺と会ってもいけないのか?」
オルドーは苦笑する。
「しばらくはね。そんなに頻繁に会う暇もないだろう。ルウもエデルも、もっとお互い以外のことも知るべきだ。その上でまた会いたいと思うなら反対はしない。アドラスが良いと言ったら会いにおいで」
ルウは今度はアドラスへと目を向ける。
アドラスも彼の目にはひやりとさせられたが、そんなことはおくびにも出さずうなずいたのだった。
「おまえがきちんとやることをやって、身につけるべきことを身につけたら、そのときは好きにすれば良いさ。だがそれまでは我慢しろ。おまえのためにもエデルのためにもならん」
アドラスにもぴしゃりと跳ね除けられて、ルウは歯噛みした。
最後に、ルウの前でじっと三人の様子を見つめていたエデルを見やる。
きっと、エデルには難しい話だっただろう。けれども、離れ離れになることはオルドーとアドラスが伝えているはずである。なのに、彼女はどうしてにこにこと笑っているのか。
――エデルはずっとそうだった。意識を取り戻してから、見知らぬ大人に囲まれ、その彼らがどんな人かを打ち明けられてもあまり表情が変わらない。ずっと貼り付けたようにヘラヘラと笑っている。
なんだか嫌な笑みだった。
エデルがエデルでなくなっていくような、そういう気にさせられるのだ。
今もそうだ。ルウは人形のような笑みを浮かべているエデルに眉をひそめた。
「おまえ、なんでそんなヘラヘラ笑ってんだ?」
だからついきつい口調になってしまったのだ。
エデルの白い顔からすっと笑みが消えた。そうすると本当に魂をなくしたように無表情になるから、心臓がひやりとした。
骨ばかりが目立つ小さな手は、ずっとルウの服を掴んだままだった。
その手が白くなるほどにきつく握られている。小さく細く頼りない手だが、きっと指を切り落とされても、腕を引きちぎられても決して離さないに違いない。エデルにはそういう、頑固なところがあった。
ルウははっきりと弓形になった眉を下げた。
エデルの気持ちがわからなかったのだ。
「おまえ、昨日言ったよな。俺と離れ離れになりたくないって。あれはウソなのか? オルドーと一緒に行くほうが良い?」
エデルが無表情のまま隣に立つオルドーを見上げた。
オルドーはエデルを見下ろし、深い皺の刻まれた顔でにこりと笑った。彼は傭兵というにはどうにも不似合いな、優しそうな風貌をしている。大人に対して警戒心の強いエデルでもきっとすぐに彼に懐くだろう。
これからエデルはオルドーとふたりでやっていくのだから、エデルが信頼できる人であるほうが良い。わかっているはずなのに、どうしてもルウは胸の奥底を引っかかれたような心地になる。
エデルの一番は自分でなければいやだと思ってしまうのだ。
そしてルウの子どもらしいわがままに応えるように、エデルもまた小さな手に力が入る。
「やだ。ルウといっしょがいい」
言葉のわりに、エデルはまた笑みを浮かべた。白々層の王宮にいた頃に見たことのある、精緻な魔導具人形のような――。
ルウは自分の服を掴んだエデルの小さな手を取り、細い指を一本ずつ剥がしてやった。そういう形のまま固まってしまったかのように凝った冷たい手を、自身のそれで包んだ。
――人形。
そう、エデルは人形のようなのだ。
子どもらしいわがままや本音を心のどこかへ隠し、これ以上自分が害されることのないよう笑顔で取り繕うことだけを覚えて必死に繰り返す、そういう皮を被った人形だ。
生まれてからたった数年。甘えるより、感情を表すより、何よりも最初に彼女が覚えざるを得なかった、生きるための悲しい術なのだ。
ルウはぐっと奥歯を食いしばった。そのことにうっすらと気づいていたはずなのに、これまではっきりとエデルのその問題に向き合ったことはなかったのである。
そんな自分では、きっと、アドラスやオルドーの言う通りエデルの親代わりになる資格はない。
「じゃあ笑うな。悲しいなら泣いて良いんだ。じゃないと、エディがどう思ってるのかわからない」
「…………」
エデルの仮面のような笑みが固まって、へく、と喉が鳴った。
それからふっと憑き物が落ちたように真顔になったと思ったら、みるみるうちにその大きな碧い目に涙が浮かんできたのである。
「……ルウといっしょがいいぃー」
本心を吐露したエデルが堰を切ったように声を上げて泣き始めた。
わあわあと大声を上げて叫ぶように泣くエデルの言葉にならない感情が、そのとき初めて他者に――ルウやアドラスたちに届いたのである。
ルウはこみ上げるものをぐっと堪えながら、全身で寂しさを叫ぶ小さな体を抱きしめた。
「――俺が大人になったら迎えに行くから。それまで待っててくれ」
小さなこの身体のすべてで自身を愛してくれたエデルを忘れない。
この少女に生かされたのだ。
もう死んでも良いと絶望していたルウを――ルーシャスを、エデルが必要としてくれたから今日まで生き延びてきたのである。
いつか、この小さな少女に恩返しをしに行こう。
ルーシャスは心のうちに決めて、しっかりとエデルを抱きしめた。小さな子どもが泣き止むまでずっとそうしていたのである。




