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86.《回想 5》ルウという少年

「……いきてる?」


 エデルはもう一度尋ねた。

 まばゆいほどの金の目に驚いたものの、しかしそれはこの緑層(りょくそう)にもたらす恵みの太陽とはまるで違う、すべてを跳ね除け拒絶する無慈悲で苛烈な光を帯びていた。

 エデルはまだものの道理も理解できない幼子だったが、それでもこの目をした人――おそらくは子どものように見える――がエデルを拒絶していることはわかった。しかし、だからといって捨て置こうと思えるほど物わかりが良いわけでも、非情なわけでもなかった。


 その人は好きでゴミの山に横たわっているわけではないのだろう。呼吸はしているが、浅く弱く、ひどく苦しげに喘鳴を繰り返している。もう立てもしないのか、あるいは怪我をしているのか。今にも死にそうだとわかっていて立ち退くのは気が引けた。


「だいじょうぶ?」

「……放って、おけ」


 答えがあった。掠れきってほとんど聞き取れるかどうかの小さな声だ。それが拒絶するものにもかかわらず、エデルはホッとしてそばに寄った。


「どうしたの? おきないの?」

「……構うな」

「立てない?」


 掠れた声は確かに拒絶するものなのだが、あいにくとエデルには言葉の意味がいまいちわからない。母親はこの人が使うような言葉を使ったことがなかったのだ。

 何を言われているかわからなくて、エデルはそばにしゃがみこんだ。

 ひどく汚れて判然としないが、声の感じからして、おそらく少年。子どものように見えた。


「かえるところ、ある?」

「…………」


 沈黙が返ってくる。おそらく彼にも家などないのだろうとエデルは本能的に察していた。身寄りのない子どもは、なんとなく同じ気配がする。

 エデルと同じだ。だから心配することはない。そう思ってもらえるように、エデルはにぱっと笑った。


「わたしもないんだあ。だからねえ、みんなでいっしょにすんでるの。おにいちゃんもくる?」


 エデルは幼かったが、今住処にしている子どもたちの集まりが、彼のような身寄りのない子どもを拒まないことを理解していた。だからきっと、彼を連れ帰ってもガルスルは怒らない。

 だが少年は金の目を猜疑に眇め、ふいと逸らした。その仕草さえ緩慢で、彼がもう長くないことを示している。


「構うなと、言っただろう。帰れ」

「でも」

「おい、なにやってる! 邪魔だぞ!」

「あ、おじさん。おはよお」


 突然声をかけられて驚いたが、振り返ると顔なじみの男がいた。いつもこのゴミの山でなにかの作業をしている男だ。

 声をかけてきたのが彼で良かった、とエデルは胸をなでおろす。彼のようにゴミの山で作業をしている大人は何人もいたが、エデルを見つけた程度ですぐに怒鳴ったりしないのはこの男くらいだからだ。


 エデルはにこりと愛想よく笑って挨拶をする。男は呆れ顔だったが、愛想も良くきちんと挨拶のできるエデルに対してはやや甘めの対応だった。


「なんだおまえか。また飯探しに来たのか?」

「ごはん? もってる?」

「持ってねえよ。そういつもタカられちゃこっちだって食いっぱぐれるんだ。いつもみたいに街にねだりに行くんだな。そろそろ朝の作業が始まる。おまえは邪魔だからとっとと戻れ。――そいつはなんだ?」


 男が初めてエデルの隣に横たわる少年に気づき、片眉を跳ね上げる。同時に少年がむくりと身を起こした。


「なんでも、ない」

「おいおい、なんでもなくねえだろ、こんなところに寝転びやがって。きったねえナリだが見ねえ顔だな。親に捨てられたか?」

「…………」

「だんまりかよ。なんでも良いが、ここのものを持っていくならちゃんとフェルドに筋通せよ。このガキンチョがオモチャになりそうなモン取ってくのすら自分を通せって輩なんだ。てめえみたいな頭の回りそうな小僧がなにかくすねようもんならヤツの取り巻きにボコボコにされるぜ」


 フェルドというのは、このゴミ山の元締めのような男だった。巌のように大きくて、いつも他の大人たちをこき使っている。エデルのような小さい子どもにも怒鳴るし、下手を打てば目をつけられてとんでもない目に遭う。フェルドのいない場所でこそこそとなにかをしようとしても、彼の家来のような男たちが何人もいて逐一フェルドに誰がなにをしたかを報告するから、彼の耳にはこの山で起きたすべてのことが伝わるのだ。


 エデルはフェルドが苦手だった。できれば会いたくない。エデル自身が怒鳴られるのも怖かったが、彼が別の誰かを怒鳴ったり殴ったりするのを見るのも嫌だった。

 それでもエデルはだいぶ寛大な対応をされているほうだ。エデルがあまりに小さい子どもだから、フェルドの不利益になるようなことはしでかさないだろうと見逃されているのである。だからゴミの中から腐りかけの食べ物をくすねることくらい、そのゴミを散らかしさえしなければ、ある程度は容認してくれているのである。


 しかしこの少年はそううまくはいかないだろう。

 フェルドは子どもでも、それなりに年がいった子どもなら大人と同じように扱う。知恵のついた子どもは大人よりも性質(たち)が悪いと言って、もっと厳しいくらいだった。


 この山のすべてを知っているはずのフェルドさえ知らない少年が紛れ込んだとあっては、彼はまずこの少年の素性を吐かせることから始めるだろう。ゴミ山で生計を立てていくつもりがないのなら、早々に立ち去ったほうが良いと男は言った。


「別に、用はない。もう行く」


 少年はゴミ山に体重を預けるようにしながらよろよろと立ち上がる。そうすると初めて、彼がひょろりとやせ細った背の高い少年であることがわかった。

 ここはガラクタが積み重なって足場が悪い。少年は何度もよろけて転げ落ちながら、今にもばったりと倒れて事切れそうな弱々しい足取りで、ゆっくりとゴミ山を下っていったのである。


「嬢ちゃん」


 エデルはとっさに少年を追いかけようとして足を止める。振り返ると、男が気の毒そうな顔をして首を振った。


「ありゃだめだ。今日中にはどっかで野垂れ死んでるよ。あんまり関わんな」


 人が死ぬところを見なくて良い。言外に男はそう案じてくれたのだが、エデルにわかろうはずもない。

 彼を見捨ててはいけない。そのことだけは、幼い頭のどこかで理解していた。

 エデルはくるりと踵を返し、山を下っていった少年の後を追う。ゴミの山のすぐ隣にある森のほうへと消えていこうとする少年の背中に追いつき、ガルスルのところへ行こう、と必死に襤褸のような服を引っ張った。




 *




「ついてくんな」

「でも」


 少年はゆっくりと這うように進む。そうして人気のない森の奥のほうまでやってくると、ようやくそこに倒れ込んだ。

 木の幹を背もたれにするように座り込み、腹部に手を当てる。どうやらそこを怪我しているようだった。


「けがしてる? ガルスル呼んでこようか?」


 時間的に早くしないと、ガルスルも今日の狩りに出てしまう。位置的には彼がこの森にやってくることになるが、見通しの悪い広い森なのだ。都合よく落ち合えるとは思えなかった。

 ガルスルを呼んでくるべきか、少年のそばについているべきか。

 わからずにおろおろと視線を彷徨わせていると、不意に強い魔力の気配がする。


 振り返ると、少年が手を当てた腹部に白い光が宿っていた。

 光は一瞬で止む。直後、少年がようやく息をついて、どっと疲れたように全身を木の幹へと預けたのだった。


「なに? 今の。魔法?」

「治癒魔法。人に言うなよ。緑層(りょくそう)で使えると知られると面倒だ」

「りょくそー?」


 なにを言われたのかわからず首をかしげる。

 少年は呆れたように息をついた。先程よりすこしだけ元気になったように見える。


「自分が今いる階層の名も知らないのか。――本当に呆れるほど底辺だな、ここは」

「なあに? だいじょうぶ? いたい?」

「もう痛くない。良いか。俺が魔法を使ったことは誰にも言うな。これくらいはさすがにわかるだろう?」

「魔法をつかったことをいわない? わたしも魔法はつかえないよ。だからだいじょうぶ」


 少年は弓形になった凛々しい眉を寄せ、金の眼を不安げに揺らす。


「本当にわかっているのか。……まあ良い。ここがどこだかわかるか」

「もりのなか?」

「違う。地名だ。知らんのか」


 わからないことを聞かれた。エデルは小さな腕で頭をぎゅっと抱えるようにして謝った。


「……わかんない。ごめんなさい」

「わからないなら良い。……なぜ小さくなる?」

「……ぶたない?」

「なぜ殴るんだ?」


 金の目がきょとんと瞬く。それが心底不思議そうな目をしているから、エデルは虚を突かれて頭を守っていた腕を解く。


「お兄ちゃんは、わたしがわかんないっていっても、おこったり、ぶったりしない?」

「おまえくらいの年ならわからないことのほうが多いだろう。そんなことでいちいち殴ってたらきりがない。……ああ、そうか」


 少年は納得したように息をつく。


「おまえはそういう環境で生きてきたのか。……そのガルスルとかいうのがおまえを殴るのか?」

「ガルスルはぶたないよ。でも他の子をぶつの。わたしもそのうちああなるかも」

「そうか。……ガルスルが嫌いか?」

「きらいじゃない。こわいけど。でも、お兄ちゃんがきたら、きっとよろこぶよ」

「ガルスルってのは何者なんだ……」


 最後の独り言はエデルに向けられたものではなかった。しかし、ガルスルのことが気になるようなのでエデルは喜んで少年の黒く汚れた手を掴んだのだった。


「おいでよ。みんなお兄ちゃんがきたらよろこぶよ。こっちにね、おうちあるの」

「おい、やめろ。俺は……」

「エディ」


 また背後から呼ばれて、エデルは振り返った。

 今度はよく知っている声だった。ガルスルだ。


「ガルスル!」

「おまえ、なにやってんだこんなとこで。もう〝狩り〟の時間だぜ。ちゃんと仕事して来いよ。……ん?」


 ガルスルがエデルの前に座り込むもうひとりの人影に気づく。青黒い目がすっと細められた。


「誰だ、そいつ?」

「おまえに……」


 少年が口を開いたのと同時、エデルが大きな声ではきはきと説明した。


「あのね、ゴミ山にいたの。かえるところないんだって! だからね、ガルスルのとこ行こってはなしてたんだあ」

「おい……」


 少年が慌てたように振り仰ぐ。木漏れ日に照らされ、初めて彼の顔立ちが非常に整った、エデルには見慣れない面立ちであることを知った。


「んだよ、また孤児か」


 ガルスルがエデルの隣にやってきて少年の前にしゃがみ込む。


「えらく汚れてんな。親は?」

「……いない」

「年は」

「十二。俺は、」

「名前」


 畳み掛けるような端的な質問に、少年は言い募った言葉を引っ込めた。

 ガルスルがおかしそうにくつくつと笑う。


「真面目なやつだなあ、おまえ。名前は?」


 ガルスルには少年の目を見ればわかる。彼は拒絶している。だが、生来の性格はそう簡単に変わるものじゃない。

 おそらく、彼は非常に真面目な人柄だ。そして素直でもある。きっとこれまで、ある程度恵まれた暮らしをしてきたに違いない。でなければもっと人を疑う目をしているはずだからだ。

 なにか、尋常でないことがあってこんなところに転がっているのだろうし、それまでに散々な目に遭ったのだろうが、同じ境遇ならば話は早い。


 ガルスルは考える。

 このくらいの少年は、ガルスルが率いる少年少女たちの中では即戦力になる。これほどに素直な性格をしているのなら、きっと飼い馴らすのも容易い。今はちょうど子どもが何人か抜けたあとで、人手が足りなくて困っていたところなのだ。今やガルスルの次に年長になったカルヴァが少しずつ他の子どもたちを統率し始めているが、それでもまだ頼りないと思っていたところだった。


 この少年は使える。ガルスルは内心で計算して、仲間に引き入れる算段を立てていた。


 少年は金の目を揺らす。その目が答えたくないとありありと語っていた。


「答えられないなら勝手につけるぞ」

「……ルース……ルウだ」

「そうかい。んじゃ、ルウ。一旦俺たちの小屋に来な。どうせ行く宛てなんてねえんだろ」

「俺は……」

「エディ、連れてきてやんな」

「うん! 行こ、ルウ」


 役目をもらって、エデルは大喜びでルウの手を取った。

 朝ご飯を食いっぱぐれてひどくお腹が空いていたのだが、今はルウが仲間になったことが嬉しくて、少しばかりそのことを忘れられたのだった。

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