85.《回想 4》金色の目を持つ人
ストーブはひとまず部屋の隅に放られることになった。
眠るときにエデルが寄り添う相手だ。エデルはいつも仲間たちから除け者にされ、隅で眠るしかなかったから、ちょうどそのような格好になった。
だが、このストーブは正直邪魔だった。使い物にならなければ、それはただの冷たい金属の塊だ。
夜になってほとんど吹きさらしの小屋の中は冷え込み、金属のストーブも氷のように冷たくなった。
狭い部屋の中、それに身体のどこかしらがくっついてしまうエデルは、ますます寒くてひもじい夜に眠れなくなったのだった。
誰もが寝静まった深夜、エデルはひとりのっそりと起き上がった。
とても眠れない。このまま死んでしまうのではないかと、頭の隅で考える。だが、何の感慨も湧かなかった。死ぬということがどういうことなのか、いまいちよくわかっていなかったのである。
エデルはぼんやりと自身にひっつくストーブを見やる。そこにはめ込まれた、薄緑色の石に手を当てた。
使い物にならないのなら、きっと壊しても怒られない。だったらエデルが試したっていいだろう。
仲間で大事にしていた唯一の魔鉱石を壊した汚名を雪ぎたい気持ちもあったし、次は壊さないよう練習したい気持ちもあった。このストーブは要らないものだから、万が一壊してもひどい目に遭うことはないだろうと思ったのだ。
そのときである。
ふんわりと優しい緑の光が円柱状に広がって、ぼう、と音を立ててストーブがついたのである。
――壊れなかった。
ストーブがついたことよりもまず、エデルはそのことに心底安堵した。
それから、ストーブがじんわりと周囲の空気を暖めていくことに、どうしようもなく泣きたくなった。
エデルはぐっと上を見上げる。泣いてはいけない。泣いたらまた殴られる。
もうここに母親はいないのに、染み付いた恐怖心はまだ消えそうになかった。
エデルは暖かくなったストーブを抱えるようにして目を閉じる。
これで、ライクが言ったようにみんなが冬を過ごしやすくなる。そうしたらきっと、みんなはエデルのことも許してくれるだろう。
みんながこのストーブをつけられないのなら、エデルがその役目を担えば良い。――そうだったら良いな、と思う。だって、エデルにしかつけられないストーブなら、エデルは捨てられることは、きっともうない。エデルは必要とされる。みんなと寄り添って眠ることができたら良いな、とエデルは明日の朝、みんなの驚いた顔を想像しながら眠りについたのだった。
*
「ストーブがついてる!」
朝、誰かの叫び声で全員の目が覚めた。
なんだなんだと眠たい目をこすり、起き始めたところで誰もが悟る。寝過ごしている。
驚いて身体を起こし、日が昇っていることを知って全員が驚愕の声を上げた。今まで、寒すぎて夜が明ける前に目が覚めるのが常だったのに。
「暖かい……!」
「なんで?」
「ストーブがついてるんだよ!」
「誰がつけたんだ?」
口々に言い合いながら、昨夜部屋の隅に追いやったストーブを見やる。そこにはストーブを抱きかかえるようにして眠る仲間たちの爪弾き者――エデルがいた。
「エディ、おい。エディ!!」
ガルスルが慌ててエデルの細い肩を揺らす。あまりにも穏やかに眠っているので、もしやついに死んだのかと思ったのだ。だがエデルは灰色の眉をむずがるように寄せると、ぼんやりと碧い目を開いたのだった。
「エディ! ああ、良かった。生きてたか……」
「んん、ガルスル? おはよう」
「おはよう。エディ、このストーブ、おまえがつけたのか?」
エデルはゆっくりと大きな目を瞬いたあと、じっくりと咀嚼するようにガルスルの言葉に首をかしげ、それからうなずいたのだった。
「うん。魔力ためたらついた」
「エディが!? 昨日、全員分の魔力を込めたってつかなかったのに!」
どうして、と驚き慌てふためく子どもたちのさなか、エデルはガルスルにくるりと大きな目を向けた。
「よかった?」
「なにがだ?」
「ストーブついたの、よかった? やくにたった?」
エデルが無邪気に笑う。ガルスルは瞬き、それから満面の笑みを浮かべてしっかりとうなずいてやった。
「ああ。助かった。これでこの冬は安心して越えられるな。よくやった!」
「よかった? わたし、やくにたった? へへっ」
これで名誉挽回だ。もうみんなに嫌われることもない。今日からは彼らの輪の中に入れてもらって、寄り添って眠れるのだ。きっとご飯ももう少しいっぱいもらえるに違いない。
エデルは間違いなくそう考えて、飛び跳ねるようにその日一日を過ごした。
だが、想像したほど良いことは起こらなかったのである。
*
その日の夜、エデルがストーブをつけると喧嘩が始まった。誰が一番暖かい場所を陣取るかで争いが起こったのである。
元気な少年たちもだが、普段は穏やかな少女たちまで本気で言い争っていた。
もちろん、エデルはいの一番に弾かれ、いつも通り小屋の隅に追いやられてそれっきりだ。誰もエデルのことなど気にも留めなかった。
そもそもが秩序も倫理もない世界しか知らない孤児たちなのである。ある程度はガルスルというボスを中心に成り立っていたが、一度仲間内で揉め始めると歯止めが効かなくなる。
それでも結局はガルスルの取りなしで一応の落ち着きを見せたが、エデルはまたもや捨て置かれる存在となった。ストーブをつけたのはエデルなのに、そのストーブから一番遠い場所に追いやられ、和に加えてもらえるでもなく、また少しマシなだけの寒さの中で夜を過ごすことになったのだ。
寒さがマシになると、今度は空腹が際立ってつらくなった。
冬になると、仲間たちが取ってくる食料も極端に減る。街の人だって冬の作物が育たない時期に備えて、秋のうちに備蓄したりするのである。だが、今日を生きる食材を取ってくるのでやっとの暮らしをしている彼らに、明日以降の分ために残すなどという余裕はない。
必然的に、冬場は全員が飢える。その中でも一番与えられる食事量の少ないエデルは、一日に二食、ときどきは朝食も与えられず、夜に一食分を口にできれば良いほうだった。
エデルはその日の朝も食事をもらえなかった。お腹が空いたと訴えれば、また殴られるだけである。――本当はその程度で殴る人は仲間内には存在しないのだが、エデルは頑なに、母親がエデルにしてきたことは他の人もするものなのだと信じ込んでしまっていた。
空腹に耐えかねて、エデルは小屋を飛び出した。他の子どもたちは働く分の食事が必要だからと食べ物を与えられている。それをただ見ているだけなのは、どうしようもなくひもじくて切なかった。
エデルはゴミ捨て場に向かった。魔導具の廃材置き場だ。
あそこに捨てられたものは魔導具が中心だが、朝には食べ物のゴミも出る。その中から食べられそうなものがないか探して回っていた。
そうして食べ物を探しにゴミを漁る人間はエデルだけではない。他にも似たような境遇の少年たちや、ときには働き口も金もない大人が漁っていることもあった。そうすると、幼児の域を出ないエデルが奪えるものはもうなにもない。
その日も何も得られず、小屋へ戻ろうかととぼとぼと歩いていたときだった。
ゴミ山の中に動くものがあって、エデルは足を止めた。
人の姿は見当たらなかった。もしかしたら獣かもしれない、とエデルはよく目を凝らす。
本当に獣なら観察せずに逃げなければ殺される可能性だってあるのだが、そのときのエデルはとにかく空腹だった。小動物くらいなら自分にも捕らえられるのではないかと思ったのだ。そうしたら食べられる。
逃げることより、食べられるものが手に入るかもしれないことのほうがよっぽど大事だった。
だから危険も顧みず、動いたその物体に近づいたのだ。
「だあれ?」
果たしてそれは、人だった。
泥と煤のようなもの、あとはヘドロのようなものがこびりついて汚れ、もとの姿が判然としない。だが、大人には見えなかった。ゴミの山に埋まるようにしてぐったりと横たわり、固く目を閉じたままだった。
まるで死を待っているかのようである。しかし確かに動いたのを、エデルは見た。
まだ死んではいない。ここにガルスルがいれば、捨て置けと一言エデルに忠告してくれただろうが、今は彼女ひとりである。エデルにはまだ善悪の判別は難しい。その人がいきなり動き、エデルをひっ捕まえて殺すかもしれないとは想像にも及ばず、よろよろと山を上って近づいた。
「生きてる?」
エデルは問いかける。一応の警戒心はあったから、手の届く範囲の外からそうっと声をかけた。
真っ黒なその人が唸るように眉をひそめ、それからようよう薄く目を開く。
もう命の灯火が消えそうなほど衰弱した人間なのに、その目は命を燃やす太陽のような金色をしていたのである。




