83.《回想 2》浮浪児たちの暮らし
「誰だおまえ」
たどり着いた場所で見知らぬ少年に出会い、エデルは反射的ににこりと笑った。大人にはそうしなければひどい目に遭う。
大人だ、と思ったのは、ずいぶんと背の高い少年だったからだ。
だが少年のほうは、仲間にくっついてきて突然ヘラヘラと笑う幼い子どもに不審感を抱いたらしい。眉をひそめ、そう誰何したのだった。
「エデル」
質問されたらすぐに答える。でなければ殴られてしまう。
エデルが急いで答えると、ふたたび質問が降ってきた。
「へえ。親は?」
これには首を振る。尋ねた少年は「ふうん」と興味なさげにうなずいて、エデルの侵入を拒むように立っていた戸の入口からするりと中へ入っていった。
エデルも入って良いともなにも言われなかったが、閉め出されてはかなわない。少年について一緒に中に入ってみたものの、誰にも拒まれる気配はなかったので、エデルは人知れずほっと息をついた。
この場所は、街のはずれの廃屋のような場所だった。木造の、あちこちに穴が空いたり木が腐り落ちたりしている、今にも崩れそうな小屋だ。だがエデルが母親と住んでいた家も似たようなものだったので、特別それがどうとも思わない。家なのだろうな、と考える程度だった。
廃屋の周囲に他に家はない。エデルの知っている〝家〟とは、小屋と小屋が隣り合って建てられたようなものばかりだった。その点、この家は隣の家の夫婦が怒鳴り合う声が聞こえてこなくて良さそうだな、となんとはなしに考える。
小屋の周りは木々が鬱蒼と生い茂り、その枝葉が家屋の中にまで侵入している。
中はなにもない。だだっ広い――エデルにとっては広く感じただけで、実際には子どもが十人近く集まっただけで手狭に思える空間だった――四角い小屋というだけで、炊事場もなければ座れそうなものもない。
みんな帰ってきたばかりのようで忙しなく動き回っていたが、ところどころ床の抜けた場所を器用に避けて歩いている。全員で足を伸ばして寝転がれるほどのスペースはなさそうだった。
子どもたちは全部で九人。エデルを入れてちょうど十人だった。エデルがここまでついてきた子どもたち四人は全員女の子で、ここで既になにかの作業を始めている残りの子どもたちは男の子だ。全員がエデルより年上だった。
だが、誰もエデルのような小さな子どもが紛れ込んできたことを気にする子どもはいなかった。
「年は?」
中に入ってきたエデルに質問を重ねたのは、先程大人だ、と思った少年だ。この場で一番年上のように思われた。ほとんどエデルの母親と同じくらいの背丈がある。灰茶髪をひとつに括っているが、前髪は目が隠れそうなほど長く、隙間から覗く青黒い瞳がまっすぐにエデルを見つめていた。
ぶっきらぼうな態度だったが、母親のように苛立った気配はない。エデルはつい首をかしげていた。
「とし?」
「何歳だ?」
「……わかんない」
「自分の年もわかんねえのかよ。誕生日は?」
「……わかん、ない」
質問をされたら、答えなければならない。なのに、望まれた答えを返せない。
これ以上は、殴られるだろうか。
エデルは一歩距離を取り、腕で顔をかばうようにしてぎゅっと目を瞑った。
「なにしてんだ」
「たたく?」
「ああ、そういう感じか。年がわかんなかったくらいで殴んねえよ」
少年は言って、他の子どもたちが持ち帰ってきたものを検分し始めた。
「ねえ、その子は?」
そこで初めて、少女のうちのひとりが少年に尋ねる。今まで彼女の後ろをついて歩いていて、一度もエデルの存在を認識することすらなかったのに。どうやら、エデルを〝いるもの〟として扱って良いのかどうかを決定する権利はすべて、年かさの少年に委ねられているようだった。
「エデル。年はわかんねえけど、まあ五、六歳くらいだろ。今日は食わせてやって良いよ。明日からはきっちり働いてもらわないとな」
「五歳? なにができるの?」
「できるかどうかじゃなくて、やらなきゃ追い出すだけだ」
「ふうん……あたしたちと同じ仕事?」
「いや、ウィノたちと一緒に行かせる」
「えー、おれかよ。足引っ張ったら殴るぞ」
ウィノ、と呼ばれたのは年長の少年より幼い、赤茶の髪をした男の子だった。エデルがついていった少女と同年代くらいだ。
ウィノが殴る、という言葉を使ったので、エデルは小さい腕で頭を抱え、ぎゅっと丸まった。殴られたら痛い。それは嫌だった。
「ウィノ、簡単に殴るって言うな。おまえだって来たときはヘマばっかりしてたけどカラヴァは殴らなかっただろ」
年かさの少年が窘めれば、ウィノは色めき立って別の少年を指差す。
「いいや、殴ったね! こいつほんとすぐおれをバカスカ殴るんだから……」
「ありゃおまえがヘマしたからじゃねえよ! 後ろで包丁振りかぶってるジジイに気づかずに夢中んなって物色してっから俺が蹴り飛ばしてやっただけだろ! おまえ、俺がなんとかしなきゃ死んでたんだぜ。お礼を言えよ、お礼を」
少年たちが騒ぎ始めた横で、少女たちは手際よく持ち帰ったものを仕分けしている。大人しそうな少年がその横に並び、渡されたものを表へ持っていった。
「ご飯の支度しようよ。ほら、エデルもこれ持ってライクについて行って」
「ライク?」
「今外に出ていった男の子がいたでしょ。あの子」
「わかった」
仕事を任された。エデルはぎゅっと難しい顔をしてうなずくと、渡されたものを両腕で大切に抱え、ライクと呼ばれた大人しそうな少年を探して表へ出たのだった。
そこは街の浮浪児たちが集まる〝家〟のような場所だった。
彼らは普段、街で食べ物などの必要物資を盗んだり、恵んでもらったりして生き抜いている子どもたちだった。街の人にとってみれば、売り物は盗まれるわ無心はされるわで、彼らがいて良いことなどひとつもない。汚らしい子どもがうろついているだけで治安の悪化につながると、蛇蝎のごとく嫌う人もいる。まさに街の膿のような存在だが、それでも、子どもたちにとっては生死が関わっている。他人の評価など気にしてはいられなかった。
彼らは新しく来る子どもを排除しない。誰かしらが加わっては誰かが抜け、またどこからともなく同じ境遇の子供がやってくる。その繰り返しで、誰もが歓迎もしなければ、排除もしないのがふつうだった。
彼らは誰にも守られることなく、自然と寄り添い合い、淘汰されながらも生き残った者たちが知恵を絞りあって生きていた。
日々街へ食べ物を盗みに行く者、愛嬌を利用してほしいものを恵んでもらう者、あるいは街の外に出て罠を仕掛け、野生の獣を捕らえる者。
それぞれが得意なことを活かして、生活に必要なものを得る。子どもだけの集団だから、頭数がいなければ生きていくのは大変だし、多すぎても食べ物の取り合いになる。彼らが集団を保つためには、その数の塩梅が難しいようだった。
エデルが彼らに迎え入れられたとき、ちょうど誰かしらが抜けたあとのようだった。
集団から子どもが抜ける理由はさまざまだ。
一番多いのは、死んでいなくなることである。
集団で強力し合って生きているとはいえ、死とは常に隣り合わせだ。
冬が来れば眠っている間に凍え死に、夏は暑さに倒れて死ぬ。それだけではなく、盗みを主として働く子どもは街の商人に目の敵にされ、盗んで逃げるのに失敗したら激昂した大人になぶり殺されることだってあるし、狩りに出る子どもは獣に襲われて死ぬこともあった。
そうでなくても、悪い大人に捕まって、憂さ晴らしに殺されることだって少なくないのだ。
多くの子どもはそうやって、死ぬことで数を減らしてきた。
エデルが彼らに受け入れられた翌日、悪い大人に捕まって嬲り殺しにされたのが、赤茶の髪のウィノだった。
彼はエデルがやってきた日に年上のカルヴァに叱られていた通り、盗みの最中に商人に見つかって殺されかけた。そのときに特徴を覚えられたのだろう。翌日いつもどおり街へ繰り出して、カルヴァや他の少年たちと分かれて近場の複数店舗で同時に窃盗をする〝いつもの作戦〟に出た途中、明らかに物々しい男たち数人に連れ去られてそのまま帰らなかった。
ウィノの最期の姿を見たカルヴァたちは、男たちの物々しさに、ウィノが連れ去られるのを目の当たりにしておきながら近づくことさえできなかったという。翌日、街の外へ狩りに出た最年長のガルスルが、街外れの山に無造作に遺棄されたウィノらしき遺体を見た。それだけだった。
彼らは仲間の遺体を持ち帰ったりしない。弔いもしない。遺体を持ち帰ったところでなにになるわけでもなく、弔っても残された者の心の傷になるだけだ。
だからただ静かに死んだ者のことを忘れる。
それだけが、身近な者が死んだ悲しみや、次は自分かもしれないとつきまとう恐怖から逃れる唯一の方法なのだった。




