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81.緑層への帰還

 地上まで長い旅になった。

 籠を乗り換えることこそしなかったものの、何度も飛空車(ひくうしゃ)の発着場に立ち寄って、その都度アブトたちを入れ替えてきた。下降には一日程度だった距離も、上昇ではその何倍も時間がかかる上、アブトたちにも負荷が大きい。だから短時間で別のアブトと交代しなければならないのだ。


 途中、エデルは籠の中で何度か眠った。こんな状況で十分な睡眠が取れるはずもなく眠りは浅かったし、揺れやアブトたちの入れ替えで何度も起こされたが、それでもまどろむくらいはできた。そうしろと言ったのは、ほかでもないシーファだ。


 ただ運ばれるだけとはいえ、これから何日も旅が続く。眠れるときに寝ておかないと身体が保たないぞ、と。彼こそがエデルを捕らえた張本人なのに、そんな助言じみたことを口にしたのだ。

 確かに、ロッズたちにとって、エデルは生かして依頼主の元へ引き渡さねばならない大事な〝取引材料〟つまり〝売り物〟だが、その健康状態については依頼書にも特に記載がない。


 生きていくための最低限の食事は与えられていたが、それも乾燥させた携帯食のようなものばかりだった。いくら選り好みをしないエデルでも、四度目に同じものが出てきたときには既に飽き飽きしていた。

 それでも、シーファよりは粗末な食べ物に慣れている分、エデルはマシだったのかもしれない。彼にも同じ食事が与えられていたが、どうにも咀嚼にも嚥下にも苦労しているように見えたので、食事と一緒に出された水分の半分くらいは分け与えてやった。


 こうして数日をともに過ごすと、なんとなくシーファに対して仲間意識のようなものが芽生えていた。

 彼が食事に苦労していれば手助けしてやりたくなったし、暇ができれば少しばかり話しかけて、雑談もした。


 別段、身の上話をしたわけではない。エデルはシーファが過去について尋ねられるのを嫌っているふうなのはわかっていたし、シーファもエデルの過去について根掘り葉掘り尋ねたりはしなかった。けれども話すときの言葉選びや、話題の中のものに対する認識の差を知れば、相手がどんな環境で育ってきたのかはなんとなく想像がつくものだ。


 シーファはおそらく、青層(せいそう)の良いところの生まれだろう、とエデルは結論付けていた。

 貴族か、金持ちの商家か、生まれてから幼少期に金に苦労したことがない。そんな口ぶりが目立った。ロッズから渡された携帯食を見たときも、エデルが目の前でそれを口にしても、まさか食べ物だと言って渡されたそれが食べ物であるとは信じられない、という顔をしていた。


 携帯食は干した肉や固いパンなどであったが、それでも湿度の高い黒層(こくそう)では持ちが悪い。もうじき食べられなくなるから、と渡されたのだが、確かにところどころカビが生えていた。

 保存状態が悪かったのだろう、とエデルは当然のようにカビを毟って口に入れていたのだが、シーファは最初の食事はついに食べられなかった。カビの生えた食べ物を部分的に取り除いて食べるという行為が、彼の常識になかったのだろう。だとすれば、それが許された環境を当然のように享受していた彼は、やっぱり相当な良家の出身のはずだ。


 同様に、エデルの育ちの悪さも彼には伝わったはずだ。最初はあれほどこちらをバカにして下に見る態度の多かったシーファだったが、今はそれも鳴りを潜めている。

 シーファには食べられないものをエデルが口にし、それしか食べられるものがないのだと現状を受け入れ、それでも嚥下に苦しんでいたところに水を譲ってもらって、少しずつ意識が変わってきたのだろう。


 緑層(りょくそう)に近づくにつれて、気温も下がってきた。月日が進んで、地上の季節はすっかり冬へ向かっている。

 黒層に入ったときは緑層より涼しいとさえ感じていたが、今や逆転している。


「季節や風土によって気候の変化が大きい地上の緑層に比べ、地中の黒層は年間を通して一定の気温を保っている。だから夏は涼しく、冬は暖かいんだ」


 シーファは震えながらそう教えてくれた。黒層の最深部は迫害された人の溜まり場だと考える外部の人間は多いが、深部にはそういう利点もあるのだ、と。だから黒層の人々は過酷な環境にしがみついているのではなく、気候変化の少ない土地を好んで望んで移り住んでいる人もいるのだ、とシーファは言った。


 この頃の彼は、常にそうやってなにかしら喋っていた。そうしないと寒くて耐え難いのだろう。

 普段は当たり前のように魔力を循環させているから、ある程度の寒さ暑さには耐えられるが、今は拘束魔法を施され、魔力循環も制限されている。だから、魔力の扱いに長けているはずのシーファが大人しく捕まったままなのだ。

 循環を制限されているから、体温調整もうまくいかない。

 何度か様子を窺ってくれたカリガに訴えてはみたものの、透けるほど薄い布を一枚渡されるだけで、それ以上の防寒は望めなさそうだった。


「あんたは大丈夫なの?」


 何度目かの補給で発着場に立ち寄ったとき、エデルはカリガにそう尋ねられた。

 考えてみれば、確かに寒くなってきたとは思うが、エデルはまだまだ耐えられる。このくらいの寒さはなんてことはない。そう答えれば、カリガは不思議そうに首をかしげた。


「魔力量が少ないと防寒魔法をしてなくても大丈夫になるもんなのかね?」


 いよいよ地上が近づいてくると、エデルはシーファと寄り添って過ごすことが増えた。いよいよガチガチと歯の根が噛み合わない有り様だったので、一旦カリガにお願いして下半身の拘束魔法を解いてもらったのだ。それでシーファの隣に座って、えいやとシーファの薄い身体に腕を回したのだった。


「なっ、おま、なに、なにするんだ……!」


 震えながらもしっかりと突き飛ばそうとしてくる。エデルはその腕を押しのけ、引っくるまった薄布を自分にも寄越せと開かせた。


「やめろ! 寒いだろうが!」

「だからくっついてんでしょ。寒いときは人肌同士でくっついたほうが温かいんだよ。知らないの? 知らないか。朝起きたら寝てる間に凍え死んだ子が隣にいたことなんてなさそうだもんね」

「……!!」


 言葉にならない叫び声やら抗議の声やらを上げているようだが、あいにくと寒さでまともに喋れないようだ。エデルはわざとらしく意地の悪い笑みを浮かべた。


「服を脱いで直接肌をくっつけたほうが暖かいんだけど。やる?」

「おまえ……っ、ほん、ほんと、ふざけるな……!」

「ふざけてなんかないよ。こうしないとシーファ、本当に死にそうだから。我慢してよね」


 直接肌で温めるのは最終手段なので、ひとまず奪い取った薄布を広げてシーファと自分をまとめて包み、ぎゅっとシーファに抱きついた。居心地は最悪だが、これで落ち着くならやらないよりずっとマシだ。

 ロッズたちにはからかわれたが、彼らがろくな防寒をさせてくれないのだから仕方がない。カリガはいよいよ見かねて最後の発着場に立ち寄った際に毛布を買ってきてくれたが、緑層付近はもうその程度ではどうにもならないほど寒さが厳しくなっていた。

 シーファも幾分かは持ち直したが、身を寄せ合う有用性を理解したのか、ロッズたちになにを言われても無言を貫いてエデルとくっつくほうを選んだ。


 そうして、ついに地上へと戻ってきたのだった。




 *




 そこはギレニア山脈を形成する山のひとつ、カルネーツ山の東方に位置するジャラ山の中腹に位置している。山中とあって、道の脇には既に薄らと雪が積もっていた。

 飛空車を降りてからはふたたび馬車に乗り換える。今度はバガスの街ほどの悪路ではなかったが、さすがのエデルも寒さが身にしみた。


 途中、カリガがまた毛布を買い足してくれたものの、それでどうにかなるものではない。カリガはふたりに冬服を買って着替えさせようとロッズたちに訴えてくれたものの、ロッズたちは〝売り物〟と〝虜囚〟に貴人のような扱いが必要かと笑うだけで取り合ってはくれなかった。

 幌のない、箱だけを備えた粗末な馬車に乗せられ、ロッズたちはその周囲を馬で固める。徒歩とほぼ同じ足並みだったが、途中エデルを狙ってくるであろう他の同業者や獣の襲撃などに備えるならこの程度で良い、とロッズたちはギレニア山中を進み始めた。


「輸送するのも一苦労だぜ」

「多少走りゃあすぐなんじゃねえのか?」

「ここまでどれだけアブトを潰したと思ってんだ。この上馬までバカスカ潰してたらエデル・マーシュロウを引き渡した報酬金より高くつくだろうが。どうせ緑層じゃ道を選べばあっちは追って来れねえんだからゆっくり行こうぜ」


 黒層最深部から緑層までは、言わば一本道だ。エデルを探して追ってくるであろうルーシャスにも道は絞りやすく、速さだけが勝負となる。だから高くついてもアブトをどんどん乗り換えていち早く緑層に出る必要があったが、この先はいくらでも道を選べるのだ。

 焦ることはない、とロッズが仲間たちに肩をすくめて見せ、仲間たちもゲラゲラと下卑た笑いを浮かべたときだった。


 きらりと視界の端が光ったような気がして、エデルは空を見上げた。

 今日の空は曇天だ。雪が降り出しそうというほどでもないが、ちょうど太陽の位置に青層の島が通りがかっていて、あたりは薄暗い。しかしそれも黒層ほどではないのだな、と、今まで抱くことのなかった感想が胸のうちに浮かんだときだ。


 不意に、曇天の灰色の中に黒点が浮かんだ。

 黒いシミのようなものだ。また別の青層の島が近づいてきたのかと思ったが、それにしては小さい。

 その黒い点が、見つめているうちにどんどん近づいてくる。


 ――違う。人だ。


 あっと思ったときには、突如として空から降ってきた男が大剣を振りかざし、エデルたちが乗った馬車めがけて刃を閃かせた。

 紫の豊かな髪が翻る。金の目がエデルを映す。

 その瞬間、エデルの脳裏に、幼い頃かき消えてしまった記憶が泉のように蘇ったのだった。


 ――あの日(・・・)、同じように空から降ってきて、エデルを助けてくれた人がいる。その人のことを、ずっと養父のオルドー・マーシュロウだと思っていた。


 違う、とエデルは脳裏で作られた記憶を否定する。

 あれは養父ではない。養父ではあり得ない。

 なぜ今まで勘違いしていたのだろう。どうして彼のことを忘れていたのだろう。


 あの日、エデルを助け出してくれたのは、間違いなくルーシャス――ルウ(・・)だった。

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